映画専門家レビュー一覧
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人肉村
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
何考えてるかわかんない殺人鬼の喋ってることが、割とわかりやすいセリフだったのが、がっかりした。やられるやつらもどこかで見たことあるようなキャラばかりで、新鮮味がなかった。躊躇なく人を殺す殺人鬼たちは気持ち悪いし、残虐描写が徹底的に汚く臭そうなのは、すごいと思ったが、真面目に描写するほどこちらが冷めてしまう。妊婦が自殺したり、よく考えてみるとひどいことが起こっているのに、そこへの言及がないからだろう。せめてユーモアで包んでほしかった。
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東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
誰かが映像として残さなくてはいけなかった題材を残してくれた。まだ青山近辺が華やかな遊び場だった頃(近年は特に夜になると閑散としていて、まったく別の街に変貌してしまった)に何度か迷い込んで、こんな地価が高いところにこんな団地があるんだと不思議に思っていたが、その謎も解けた。様々な事情を抱えている住人たちのプライバシーには必要以上に踏み込むことなく、その表情やちょっとしたボヤキで問題提起を促す、その抑制の効いたアプローチも支持したい。
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映画評論家
北川れい子
新国立競技場の建設で立ち退きを余儀なくされた都営アパートの住人たち。カメラの前にその生活ぶりを晒す住人の多くはかなり年配の独り暮らしで、中には前回の東京オリンピックのときの立ち退きでこのアパートに入居、また立ち退かざるを得ない人も。ナレーションを廃し、ここでの暮らしを諦めきれない人たちに寄り添うカメラはあくまでもやさしいが、ただ撮っているだけのような印象も。とはいえ本作、東京五輪の公式記録映画を撮る河瀨直美監督にはぜひ観てほしいと思う。
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映画文筆系フリーライター
千浦僚
今夏の東京五輪はまぎれもなく重要な問題から目を逸らさせるためのプロパガンダだった。目を逸らさず見なければならないものとは何か。この記録映像もそのひとつだ。脚光を浴びることのない日常の持続があることとそれが奪われること。コロナ禍というリトマス試験紙以前に(2014年から17年に撮影)五輪が反=人間的なもので、生活が自然と反五輪的なものとなることをあぶり出している。スポーツ観戦は好きだがこの夏は五輪中継、報道を見なかった。本作を観ることに替えた。
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レリック 遺物
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映画評論家
上島春彦
認知症ホラー。老婆が即身成仏みたいになっちゃう画面は面白いが理屈に合ってない気がする。結局ただの人間でしょう。秀逸なのは孫娘が勝手知ったる家の中に何故か閉じ込められる趣向で、ホラーハウス物の常道。ではあるが、邦画「わたしたちの家」の多次元空間とか「ポルターガイスト」の延びる廊下を思わせてスリリング。老婆の心象風景の実体化みたいでここは怖い。ただ基本、人物間に怒りや憎悪がないので無間地獄という感じにならない。いい話にしない方が良かったのでは。
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映画監督
宮崎大祐
冒頭の薄暗い室内でクリスマスライトに照らし出される老婆のショットから「呪いの家」の見事な全景を経て犬用の出入り口から産み出されるように娘が出てくるショットまでの映像イメージの連鎖は監督のたしかな才気を感じさせるし、堂に入った視線の誘導も劇中のサスペンスを絶やすことはない。ただ、本作の肝であろう「壁を使ったサスペンス」が傑作「壁の中に誰かがいる」や「ドント・ブリーズ」のようには機能しておらず、やや抽象的な表現に陥っているのがもったいない。
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映画執筆家
児玉美月
アンソニー・ホプキンスの「ファーザー」は、認知症の人物の視点によるサスペンスが斬新だったが、こちらも認知症の人物の内的な心象風景が舞台設定において再編成されたような作りのホラー。結末にある「裂け目」が訪れるまで、前情報がなければ迷宮に迷い込んだような気分に陥るものの、その「裂け目」から作り手の思潮が一気になだれこみ、謎が一挙に溶解していく鑑賞感がもたらされる。女性の映画作家にあって、ケアの現場に女性しかいないこと自体が風刺化されているのでは。
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ホテルレイク
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米文学・文化研究
冨塚亮平
客のいない田舎のホテル、他人のような妹、かつて死んだ母と過ごした空室、不審すぎる唯一の従業員、行方不明の脱北者といった裏に何かありそうな設定そのものは悪くないのだが、物語を駆動する母娘の確執とそれらの要素がうまく絡まず、サスペンスを持続させる演出もほぼ見られないため、あまり機能していない。鏡の中だけに映る女の霊や画面外から伸びる手など、頻出する死角を強調した恐怖演出は、B級的な味があるわけでもなく、いずれも新味に欠ける安易なもので精彩を欠く。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
逃げ隠れる場面において重要なのは、やり過ごせたかに見え、ほっと一息ついたまさにそのときに見つかってしまう呼吸と角度だが、その瞬間にとくに注意を払っているようには見えない冒頭からすでに作品に乗れず。また、いま何階なのかも曖昧な撮り方はホテルという舞台をうまく生かしているようにも思えない。さらにはガラス破片を素手で持つという選択やそのガラス破片が一切活躍することもなく気づいたらなくなっている終盤のシーンなど疑問点がいくつも浮かんでしまった。
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文筆業
八幡橙
身寄りのない少女を主人公が引き取る始まりは「エスター」を、湖畔のホテルでの怪現象は「シャイニング」を、目隠し遊びや霊能力者との格闘は「死霊館」を……と、既視感ある場面が続く。舞台となるどこか不気味で瀟洒なホテルをはじめ、母親の自殺、周辺で起こる謎の事件、酒に溺れる従業員などお膳立ては完璧だが、核となる物語の芯が最後まで見えないため戦慄まで至らず。子役出身のイ・セヨンを筆頭に気になる女優が揃っただけに、より濃密なドラマを期待してしまった。残念。
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モロッコ、彼女たちの朝
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文筆家/女優
睡蓮みどり
監督自身の記憶が元になって作られているという。訳あって未婚で臨月状態のサミアと彼女を放っておけないシングルマザーのアブラ、ふたりの距離感が素晴らしい。過剰さよりも日常に寄り添う優しい光の中で、何度となく心を通わせるエンパシーの物語。アブラの「私に男が必要に見えるのか?」というセリフは純粋にかっこいい。女性が女性として生きてゆくことの過酷さと尊さをこれでもかと?みしめる。二人の間を行き来するアブラの娘も愛おしくサミア同様思わず微笑みがこぼれる。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
冒頭のショットに欺瞞を感じ、それが晴れることはなかった。サミアのクロースアップにオフの声。「その体で大丈夫?」。フレーミングが彼女の顔を「見せる」ためではなく、その体を「隠す」ために用いられている。しかも隠すことで、小さな謎を作り出し、観客にその開示を期待させる。これは信頼できない、まずそう思った。実際、原題「アダム」も同じからくりだと最後にわかる。脚本の展開はあたかもピタゴラ装置のようで、撮影手法もカット割りも機能の確認に終始している。
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
びっくりしたシーンがある。ずっと我慢していた妊婦が、いきなりカセットテープをかけ、パン屋の女主人に聴くことを強要するシーン。女主人は、夫が死んでからずっとそのカセットテープを封印していたのだが、妊婦の過剰なお節介がその封印を解く。?み合いからの抱き合ったままの踊り、そして涙。そんな無茶なと思うが、無茶を通り越して、感情がむき出しになるすごい芝居になっていた。傑作です。ラスト近く、子どもを抱きながらボソボソ歌う子守唄はマジ号泣でした。
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妖怪大戦争 ガーディアンズ
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映画評論家
北川れい子
まるで善悪を超えた妖怪たちの大カーニバル! 俳優たちが演じているのだから当然だが、コテコテのメイクとナリフリで登場するその妖怪たちが、みな人間くさいのもいい感じ。妖怪は人間の煩悩の変異形みたいな。超自然的現象の映像にはSFXも使っているが、美術やセットに手造りならではの愛嬌があるのも楽しい。ストーリーは神木隆之介が主演少年を演じた前作同様、天ならぬ妖怪も、自ら助くる者を助く、の路線。ただ欲を言えば、もう少し遊びと笑いが欲しかった。
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編集者、ライター
佐野亨
17年前の前作のときも疑問に感じたことだが、そもそもこの素材に三池崇史、はたして適任だろうか。子役の動かし方、情緒とおふざけのバランス、たとえば平山秀幸や金子修介だったらどうだろう、と夢想してしまう。キメるべきところでキマらず、アメコミ映画の出来のわるいパロディだけが空回り。役者陣の扮装は楽しめるが、安藤サクラや大倉孝二の妖怪は物語のなかでもっと活かせるはず。現実世界との接続も中途半端で、ファンタジーとしての層がいかにも浅い。
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詩人、映画監督
福間健二
小学五年生のケイと弟のダイが、妖怪たちのいる場所に引きずり込まれ、世界か日本かよくわからないがとにかく人間を「破滅」の危機から救う。子供向けの夏休みお化け映画だとしたら、原作の荒俣宏も脚本の渡辺雄介も三池監督も「童心」の詩がわかってないのが辛い。「兄弟愛」と「友だち意識」を便利に使うだけで、妖怪たちの造型、どれひとつとしてワクワクしない。人間はこの地球でひどいことをしてきた。戦っちゃダメ。耳をすまして相手の声を聞く。お題目がすべてむなしく響いた。
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ジュゼップ 戦場の画家
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映画評論家
小野寺系
ゴッホの絵画作品風に世界を描いた「ゴッホ 最期の手紙」とは、また異なるかたちで、本作の登場人物であるアーティストの作品をアニメーションの中で使用し、現代のクリエイターとコラボレーションした趣向が新鮮。いたましい出来事だからこそ、それを絵にすることの意義や意味をも考えさせる。フランスからメキシコに舞台を移し、カラフルな色彩によって“線”が消えていく絵画的手法に迫ることで、ジュゼップの心理の変遷まで描いた点からは、彼の人生を真摯に考えた姿勢が伝わった。
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映画評論家
きさらぎ尚
画家の伝記と、彼との友情を孫に語り聞かせる老人の思い出ばなしの豊穣さを兼備。監督オーレルが新聞などで活躍するイラストレーター/漫画家だけあって、このアニメからは主題以上の、作品全体にアーティストとしての二人の、感性の響き合いがにじむ。鉛筆による線描画のような人物と水彩画のような背景がなめらかに動く前半に対して、後半の色鮮やかな見せ方もうまい。孫に語る構成にしたことで物語を単なる歴史に終わらせず、現代へバトンを繋いだストーリーも評価したい。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
実在した風刺画家、ジュゼップ・バルトリと語り部でもある憲兵の友情を軸に、スペインの内戦から逃れた難民たちがフランス政府によって強制収容所に入れられ虐待にあう、というなんとも皮肉でおぞましい歴史を荒々しい描線で綴った本作、陰鬱だが牧歌的でもある画が逆に悲惨な状況をよりリアルに脳内再生させる効果はあるのだが、地のアニメーションとジュゼップが描き続けた風刺画の雰囲気が寄りすぎており、彼の生涯とメッセージを描くにあたり、この手法は功罪あるように感じた。
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カウラは忘れない
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映画評論家
北川れい子
集団脱走の目的はただ一つ、殺されて死ぬこと。いまは雑草が生い茂るだけのオーストラリアの大地に倒れた日本兵捕虜230人余の命。高齢の生存者の証言によれば、死ぬための集団脱走に、1100人余の捕虜の8割が同意したという。カウラ収容所は天国みたいなところだった、と語る生存者も。この事件を多角的に取材した力作で、次第に明らかになる真実真相が、決して過去の事件として終わっていないのも胸に迫る。山陽女子高生のカウラ訪問が頼もしい。
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