映画専門家レビュー一覧

  • ドライブ・マイ・カー

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      二つの点で本作には批判的だ。一つは、原案となった村上春樹の『短篇三作(『ドライブ・マイ・カー』『木野』『シェエラザード』)の表題作の根底にある車へのフェティシズムが微塵も感じられないこと。本作のサーブ900は、コンバーティブルで黄色でなければサーブ900である意味はない。その表層的な原作解釈にも表れているように、もう一つは、村上春樹の国際的な知名度と支持の広さを利用しているように思えたこと。それでもなお、観るに値する映画であることに異論はないが。

    • 映画評論家

      北川れい子

      観終わったらクルマ酔いにも似た陶酔感が。村上春樹原作の映画化は市川準監督「トニー滝谷」とイ・チャンドン監督「バーニング劇場版」以外、感心した記憶はないのだが、赤い車とチェーホフ『ワーニャ伯父さん』を巧みに使った脚本と演出には、ただもう降参である。急死した妻への疑惑に呪縛された主人公の、呪縛からの解放。無機質な声による言葉が、逆に聞く人に生きた感情をもたらすことの不思議。そういえば無口なドライバー三浦透子が北海道の生家跡で語る言葉も乾いていた。

    • 映画文筆系フリーライター

      千浦僚

      ほぼ3時間の映画だがそう感じさせない。体感時間100分。そこでこうくる? という展開を詰め込んでいて非常にエンタメ。セックス、カークラッシュ、銃撃、人死にもある。本作を観てからどうなってるのだろうと思って村上春樹の原作を読んでその古臭さに驚く。そのままやると絶対現在の映画に見えなかった。脚色は特にそこばかりに留意したようでもなくそれをクリアし、要所は忠実に、部分部分では超えて、映画にしていた。思慮深い手つきで必敗の生が慰撫、救済されるよろこび。

  • 祈り 幻に長崎を想う刻

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      この作り手たちに名作戯曲を映画化する畏れはなかったのだろうか。確かに分かりやすく通俗的にまとめられてはいる。しかし、そこからこぼれ落ちているものの多さたるや。戯曲に罠のように張り巡らされた、人間、現実の、二面性多様性。見事にそれらがスルーされている。それこそが演劇→映画の肝のはずなのに。喋るマリアの首が祈りになっていない。原爆も戦争も絶対NOというテーマまでが表層的に見えてしまう。あの世で田中千禾夫が嘆いていまいか。演劇人に笑われていまいか。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      戦後演劇の名作『マリアの首』の映画化。田中千禾夫の哲学的かつ詩的なセリフの力をそのまま生かそうとした意図はわかるし、それがなくては『マリアの首』ではない。ただ舞台という非日常空間で屹立した言葉を、現実と地続きの映画の画面で響かせるのはやはり難しい。ケロイドも、原爆症も、夜の女も、ヤクザも、闇市のカオスも、焼け跡での凌辱も、映画なりのリアリティーの強度がなければ、画面は空々しい。想像力に満ちたセリフを受け止めきれず、劇的な言葉に負けるのだ。

  • うみべの女の子

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      映画を観て、気になって原作を読む。その空気感、どうしようもない閉塞感まで、見事に原作が映画に置き換えられている。役者たちもすべて原作から抜け出したように生きている(石川瑠華、仕事したい)。ただ、原作に足りないものがそのまま映画に足りていない。ラストカットもマンガと全く同じだが、果たして映画はそれで終われるのか。そこを考えて考えて考え抜くことでしか、トレース以上のもの、映画は生まれない。惜しい、傑作になり損ねている。原作愛以外の、作り手の顔が見たい。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      海辺の小さな町に住む15歳の少女が先輩に手酷く振られた反動で、かつて言い寄ってきた冴えない同級生と愛のないセックスを繰り返す。ちょっと昔の青春映画によくあったような物語だが、少女も少年もえらくナイーブ。このナイーブさは今の青春ものの傾向なのか、今の若者の実感なのか。手持ちカメラの効果も含め、ウエダアツシ監督の話法はまだよく見えないが、少女たちも少年たちも人工的にキラキラしておらず、ぶすっとしているところに現実味がある。風雨のシーンは見せる。

  • 孤狼の血 LEVEL2

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      星取り一回目でまさかの盟友の作品。「Vシネマならベストワン」と白石作品を評した人がいたが、今回もそれ以上の言葉が見つからない。敵は韓国映画というのは分かる。ただもう少しうまく嘘をついてくれないと。主人公ひとりで三年も広島ヤクザの抗争を抑えているなんて。しかも主人公を陥れるために警察が殺人鬼を野放しにしておくなんて。褒めてる人はその嘘に乗れたのか。小さな本当を積み重ねて、大きな嘘をつくのが映画じゃないのか。本物のベストワンを目指して欲しいと切に。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      ぞっとするような生々しいアクションが途切れない点、そこでしか生きていけない社会の底辺の人間たちに焦点があっている点で、第1篇より完成度は高い。役所広司の存在感が突出していた第1篇に比べ、きっちりとした群像劇になっている。暴対法施行が迫る平成3年という時代をよく映し、東映実録路線へのオマージュとしても説得力をもった。悪役の鈴木亮平がとにかく怖ろしく、松坂桃李、村上虹郎も好演。暴力や出自の問題から目をそらさない白石和彌監督の腹のくくり方が伝わる。

  • 恋の病 潔癖なふたりのビフォーアフター

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      潔癖症や窃盗症といった強迫性障害を恋愛と絡める設定は斬新で、扱い方次第で独創的な作品に結実する可能性は十分にあったはずだ。だが、病からの治癒がカップルの運命的な関係を変質させていく展開は、病を異常なものとして健康・普通と対立させる規範的な発想から結局は逃れられていない。治癒を契機としてSNS的な正方形の画面がドラン「マミー」を思わせる形で横に広がる陳腐な仕掛けも含め、単に見かけ上の物珍しさから病を生きることを主題とした可能性を疑わざるを得ない。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      前半の人工性と無垢さが共存する風変わりなカップルと画面構成は、これは作り物だと観客に絶えず語りかけているにもかかわらず感動させる「クウォーキー」というコメディ映画群を想起させ、いささか既視感はあるものの巧妙に風変わりな世界を作り上げている。さらにはその世界をカップルの片方が“普通”になることで瓦解させる展開は気が効いているが、瓦解の仕方それ自体がとても律儀な構成に感じられるため、結局はお行儀の良い世界にとどまってはいるように見えてしまう。

    • 文筆業

      八幡橙

      強迫神経症の二人が出会って恋に落ちる、一風変わったラブコメディ……と思いきや、まさかの大衝撃作。全篇iPhoneで撮影されており、新鋭リャオ・ミンイーの斬新な試み溢れる意欲作であることは確かだが、中盤以降、そんな範疇を軽々超えてゆく。主人公の病気が治り、正方形だった画面が横長に拡がった瞬間、世界は少女漫画からドロドロした実録レディコミの世界へ。人間所詮自分が可愛い。愛という錯覚を巡る「エゴ」の正体に堂々切り込む重すぎる急展開に、鑑賞後、しばし茫然。

  • Summer of 85

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      観ていて気恥ずかしくなるような古臭い文学観が開陳される冒頭部には不安を覚えるも、次第にダサさと表裏一体の物語や衣裳の瑞々しさに惹きこまれる。最初期の「サマードレス」を想起させつつもセルフパロディの要素とは無縁の仕上がりとなっているのは、原作への変わらぬ愛ゆえか。同時代性や現代性に一切目配せすることなく自らの偏愛する80年代の世界観をひたすら追求する純粋さには、ところどころ苦笑しつつも感服。はじめてロッド・スチュワートの楽曲を少しだけ好きになった。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      センセーショナルな表現も品よく抑えられ描かれる親友と恋人どちらともえいないあわいの関係性は、とても雰囲気良く北フランスの夏空と海のなかを心地よく吹き抜けて、爽やかに切ない。「墓の上で踊る」秘密、つまりは私とあなたの関係は、物語のように書くことによってしか言い表すことが出来ないと本作は語る。創作論そのものにも思えるし、安易なカテゴライズを拒む批評的な態度にはとても共感する。だが、肝心の「書く」ことそのものについては深掘りされているとは言い難い。

    • 文筆業

      八幡橙

      ひと夏の、わずか6週間に凝縮された少年の迸る思い――走り出す恋の昂揚、愛する人と心身が溶け合う恍惚、相手を独占しきれぬ不安と嫉妬、やがて訪れる底なしの絶望――。「ラ・ブーム」や「マイ・プライベート・アイダホ」へのオマージュとともに、フランソワ・オゾンが17歳から心酔していた原作を映画化。ロッド・スチュワートの〈Sailing〉に乗せて10代の鬱屈した思いを爆発させる墓の上の舞いの美しさよ! 監督と同じ67年生まれにはたまらない80年代の空気に★を1プラス。

  • リル・バック ストリートから世界へ

      • 文筆家/女優

        睡蓮みどり

        ダンスとはこんなにすごいものなのかと思い知る。血の滲むような猛練習を感じさせない無重力に生きるかのようなしなやかな動き。古典とストリートを融合させた新しいスタイルに始終目を奪われる。治安の悪いメンフィスに生まれ育ち世界的ダンサーとなるまでの奇跡の物語であると同時に、リル・バックの飄々とした軽やかな人物像にも惹きつけられる。世界が広がってゆく瞬間を見た。特に映画後半のスピード感に安心して身を委ねることができ心地よい。創作意欲を刺激する幸せな作品。

      • 映画批評家、東京都立大助教

        須藤健太郎

        物語性が希薄である。むろん良い意味だ。基本は時系列に沿って進んでいくので、展開はやはり成功譚を免れないものの、どこか起伏に欠けているのだ。メンフィスからロサンゼルスへ、そしてパリへ。あたかもストリートからショービズの世界へ、そしてアートワールドへの移行だが、この映画はそれをあくまで平行移動として描き、上昇の運動を導入しない。リル・バックはSNS時代のスターにちがいないし、その立役者S・ジョーンズは登場するとはいえ、それも逸話の一つにすぎない。

      • 映画監督/脚本家

        いまおかしんじ

        リル・バックという人を知らなかった。どういう人かを知るには、いい映画と思う。見れば見るほどすごいダンサーだ。どうやったらあんな動きができるのか。「瀕死の白鳥」も本当に鳥に見える瞬間がある。軽やかな動きは見ているだけで気持ち良かった。しかしこれ、ライブで見たらもっと楽しいだろうなと思ってしまった。それに、貧しい少年が努力の果てに成功するって話にいまいち乗り切れなかった。ダンスに興味がある人が見ればもっと面白かったかもしれない。

    • 人肉村

      • 文筆家/女優

        睡蓮みどり

        チープなこと自体は何も悪くないのだが(むしろそういう演出は好きなのだが)ひとつも目新しいアイデアが盛り込まれていないのはちょっと残念。どうしても過去のB級ホラー系作品と比べてしまう。殺人鬼の兄弟が気持ち悪い演技をしているのが見どころだろうか。最初に監禁された妊婦の女性がキーになるかと思いきや、あっさり物語から退場してしまうなど脚本も中途半端な印象。ラストに出てきたアレにも思わず苦笑だが、驚いたといえば驚いたので何か気になる人はぜひ本篇で!

      • 映画批評家、東京都立大助教

        須藤健太郎

        邦題から想像されるとおりで、それ以上でも以下でもない。犠牲者は初めから最後まで犠牲者のまま、犠牲者の役から逃れられない。殺人鬼は殺人鬼であり、狂人は狂人であり、怪物は怪物である。辺鄙な場所は辺鄙だから辺鄙なのだ。驚きはいらない。逸脱も過剰も御法度だ。「なぜ浮気したのか」「なぜならそういうことが起こったから」。みなが決められたことを決められたとおりに執り行うさまを茶番と呼ぶなら、これはホラーではなくコメディである。別に面白いわけではないんだけど。

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