映画専門家レビュー一覧
-
ロックダウン・ホテル 死・霊・感・染
-
映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
あるホテルで謎の新型ウイルスによるクラスターが発生、パンデミックへ繋がるその過程がリアルタイムで描かれる……のだが、これがまさかのコロナなんて誰も知らない2年半前に撮影されている。「目に見えないものによる侵食」をテーマにしたホラーの意欲作が、このタイミングで公開することで、良くも悪くも想定外の意味を持つことに。主人公二人がどちらもDVに悩む女性なのだが、その“無意識の暴力”を受ける描写がそれぞれリアルで、本作で最もホラーなシーンだった。
-
-
ゴジラvsコング
-
映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
レジェンダリー・ピクチャーズのモンスターバース唯一の内容的な成功作は「キングコング:髑髏島の巨神」だが、同作の設定を直接的に引き継いだコング周りの描写は悪くない(それほど良くもないが)。一方、コングと違って過去2作品で行き当たりばったりの描写に終始してきたゴジラに関しては、本作においても地に足がつかぬまま、その設定や周辺キャラクターの役割が定まっていない。北米で映画館体験が見直されるきっかけとなった功績に免じて、酷評することは避けるが。
-
ライター
石村加奈
世相を反映した作風は、どこまで意図的なのだろうか。ゴジラとコング、迫力満点の頂上決戦が繰り広げられる場所にも、意味があるように思えるのはゴジラシリーズの特性ゆえか。「人類は再び生物界の頂点に立つ」と恍惚と語るエイペックス社CEOや、芹沢蓮(小栗旬)の進歩のない狂気は、昨今よく耳にする「人類が~打ち勝った証」発言などとも重なり合う。駄目な大人に対して、マディソンやジアら子供たちの正気に救われた。ハイテクマシンのロック解除法が、意外にも古典的で愉快。
-
映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
モンスターバースは毎回監督のむき出しの怪獣愛が楽しいが、今作は集大成ということで色々詰め込み、駆け足感は否めない。両雄のガチバトルはそれぞれのキャラを活かした(コングの八艘飛びまで見られる!)シリーズ随一の完成度。人間が彼らとどう共存していくかというテーマもより掘り下げているが、良くも悪くも軸はあくまで怪獣対決で、さらに群像劇なので視点が多すぎてドラマは薄い。アレをアレする小栗旬演じる人物がキーなのだが、もう少し見せ場があっても良かった。
-
-
スーパーノヴァ(2020)
-
映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
アンドリュー・ヘイ監督を発掘して傑作「WEEKEND ウィークエンド」を世に送り出したトリスタン・ゴリハーがプロデューサー、どちらもゲイのカップルを描いた作品、ということでどうしても比較したくなるのだが、何から何まで真逆の作風なので驚かされた。凡庸なバストショットの切り返しばかりの、あまりにもプレディクタブルなメロドラマ。コリン・ファースとスタンリー・トゥッチの演技には見るべきものはあるが、いくらなんでも役者に頼りすぎでは?
-
ライター
石村加奈
コリン・ファースのピュアな表情に驚かされた。涙が子供のように澄んでいる(スタンリー・トゥッチの推薦で、出演が決まったというエピソードにもグッとくる)。気づけば相手のどこかにふれている、体を預け合う親密さを、ファースとトゥッチが自然に作り出している。二人の愛の物語が、英国湖水地方の美しい自然や壮大な宇宙を背景に静かに、けれど力強く描かれる。寄り引きのドラマチックなカメラワーク、ドノヴァン、カレン・ダルトンからファース(!)まで、音楽も素晴らしい。
-
映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
基本、キャンピングカーで旅する長年連れ添った初老の同性カップル(ピアニストと若年性認知症が進行している作家)の会話で成り立つ作品だが、回想シーンがないのに彼らの軌跡を現在の物語と同時進行で感じさせる、演じるC・ファースとS・トゥッチの関係性のリアリティが素晴らしい。身体は存在したまま永遠に別れるか、死をもって永遠に別れるか。残される者と残してしまう者、その葛藤、その選択を、彼らに憑依するように最後まで自分ごととして入り込んで観てしまった。
-
-
愛について語るときにイケダの語ること
-
映画評論家
北川れい子
カメラは確かに正直だが、人間という被写体は虚勢をはる。肩から上はふつうの大人で、身体は3~4才児のイケダ。自らカメラを手にして記録した風俗嬢とのセックス映像が、どこか茶目っ気があるのも虚勢なのかも。自作自演が興じてのヤラセの〈理想のデイト〉も、公園のブランコに乗ったり、ぎこちない会話で虚勢をはる。けれども画面に映り込むこの虚勢こそがイケダの凄いところで、その姿から目が離せない。自分の死を前提にしたイケダの愛と性をめぐる冒険に敬意を表したい。
-
編集者、ライター
佐野亨
パートナーを亡くした経験のある男性が、自身とパートナーのセックスを映像として残しておけばよかった、と話していたのを聞いたことがある。セックスは、究極的にプライベートないとなみであるがゆえに、その瞬間の無意識的な人間の本性がむきだしになる行為でもある。しかしそれを撮影し始めると、そこにはセックスの相手との関係の先に、自身との対峙を余儀なくされる。善意と悪意、自己と他者との対話。そのなかで悩みもがいた池田さんは、やはり優しい人なのだと感じた。
-
詩人、映画監督
福間健二
映画でひとりの人間に出会う。できたつもりでも、隠されている部分が相当あるのが通例。これは、それが少ないと断定したくなる。素材から作品を完成させたのは脚本の真野勝成と構成・編集の佐々木誠だが、どうでもこれを池田英彦の「監督作・遺作」にしているのは、ショッキングな面もあるその「本当の姿」以上に、語る力をもつ池田自身の言葉。いちおう感心したのは、表現としての危うさを、用意した虚構とそこから抜け出してしまうリアルなものという考え方で切り抜ける賢明さ。
-
-
夏への扉 キミのいる未来へ
-
映画評論家
北川れい子
SF作家ハインラインの原作は大昔に面白く読んだが、その映画化の本作、ロボット、コ―ルドスリ―プ、プラズマ蓄電池、時間転移装置などの科学的な仕掛けが、離れ離れになってしまった恋人たちが再会するための小道具でしかないのが話を小さくしてもの足りない。裏切り者の罠に掛かって30年も眠らされた主人公が目覚めたのが2025年、中途半端に近すぎてサスペンスに浸れない。脚本も演出も全体に及び腰? 一番心に残ったのは原作でも印象的だった猫ピートのエピソード。
-
編集者、ライター
佐野亨
ハインラインを意識したタイトルか、と思ったら、まさかの映画化。大林版「時をかける少女」を原体験とする三木監督だけあって、観ているあいだ、さまざまなジュブナイルの記憶がフラッシュバックした。しかし、たとえばリチャード・カーティスの「アバウト・タイム」のような知的洞察を期待して観ると、単にハインライン原作の枠組みを借りたジュブナイル的意匠の模倣にとどまってしまった感が否めない。シチュエーション、俳優の身体性、もう少し生かせなかったろうか。
-
詩人、映画監督
福間健二
ハインラインの原作は骨董品の部類だが、新訳が出たりもしてファン意識をかきたてる要素はあるのだろう。それを最近の日本を舞台に書きなおす。脚本の菅野友恵と三木監督は挑戦しがいがあると感じたにちがいない。しかし、冷凍睡眠と時間転移装置で一九九五年と二〇二五年を行き来する科学者の主人公宗一郎は、個人的に救いたいものがあるという動機以上の、私たちの生きる現実と科学への問いをもたない。未来で再会しようとする「キミ」への愛も、原作にある歪みを払拭していない。
-
-
Bittersand
-
映画評論家
北川れい子
以前、某脚本家が、シナリオ教室の生徒たちが書く脚本の多くが高校や大学を出て数年後という同窓会ものだ、と苦笑いをしていたが、新人監督(脚本も)による本作もその路線。ただこの作品の場合、脚本は若手俳優たちの集団売り出し作戦の方便として使われている節も。いやそうとしか思えないほど、どのキャラも目立つし、賑々しい。高3時に起きたある事件を、7年後のクラス会で検証し直すというのだが、回想で再現されるその事件が中学生レベル、観ていてナサケなかった。
-
編集者、ライター
佐野亨
イキのいい若手俳優たちによって、普遍的な青春の1ページを描き出した青空系映画を装いつつ、その普遍性の掘り下げがなかなかに辛辣。単にシチュエーションとして残酷というだけでなく、思春期男子の女子に対する性的な視線の暴力性、個人に対する学級集団の加害性など、実際に多くの人間が思い当たりながら向き合いきれない心の問題に踏み込んでいく。脚本も手がけた杉岡知哉監督、肚が据わっている。ただ、随所で安易に感情誘導的な芝居や音楽の付け方が目立つ点が惜しい。
-
詩人、映画監督
福間健二
開巻早々で、出てくる人物、だれも好きになれないと感じた。過去の高校時代にフケ顔の生徒が並ぶのは我慢するとしても、こんな傷つけあいを許してしまう愚かさやイヤシイ性格はだれでもかなりうまく演じられるのが見えてきて、どこまで元をたどって抗議すべきなのか、途方に暮れた。杉岡監督、後半40分の同窓会の「真実を暴こう!」で問題を片付けられると思ったのだろうか。そこで作られることになる、撮れてもいないような作品内「映画」のいいかげんさ。どう考えても、粗雑。
-
-
海辺の金魚
-
フリーライター
須永貴子
小川未祐の“スクリーンジェニック”な魅力を余すところなく捉えており、彼女のプロモーション作品として最高の仕上がりだ。夏の風景、子役ではない子供たち、少女と大人の間で揺れるヒロインを、山崎裕が撮影すれば当然の仕上がりの、その先へと到達している。わかりやすい事件ではなく、当事者にとってはその後の人生を大きく左右する出来事を、確かな演出力でさりげなく丁寧に描く。金魚のモチーフの使い方も上手い。過去の事件を絡めての社会派の色付けは中途半端だった。
-
脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
淡水魚の金魚は、海に放つと死んでしまう。少女はそれをわかってそうするんだろうか。それとも、そうとは知らずに鉢から解放してやったのか。前者なら何故そうするか意味がわからないし、後者なら少女はあまりにも幼い。児童養護施設で小さな子供たちの世話もする彼女が、そんな幼稚な子とはとても思えない。等々何か言いがかりをつけているようで申し訳ないが、この映画が好きなだけに余計にあのシーンに割り切れないものを感じたのだ。小川未祐がいい。それだけで見る価値はある。
-
映画評論家
吉田広明
児童養護施設の高校生と小学生の二人の少女の物語だが、高校生が小学生を気に掛ける根拠が曖昧。母に対する感情が鍵となるのは分かるが、それぞれに違っていて共通項があまり見いだせない。毒入りカレー事件をモチーフとする意義も不明。最後に海に金魚を放つ行為も解放という積極的な行為なのか、殺すというネガティヴな行為なのかはっきりしない(殺すにしても過去との決別という前向きな行為であることは確かだが)。丁寧に演出され好感持てるだけにもっと磨きをかけて欲しかった。
-
-
ボディ・リメンバー
-
フリーライター
須永貴子
「異色サスペンスの傑作」という宣伝文句は風呂敷を広げすぎだろう。一本の小説を軸に、事実とフィクションが境界線を行き来して、ラストで驚かせるという狙いと意欲はわかる。しかし、この作品の中で小説のネタとなるエピソードが弱く、それを基にした小説の文章もクオリティが低い。ポスプロの問題なのか、聴き取れないセリフや、暗すぎて読み取れない画が多く、映画体験としてストレスフルだった。劇中の小説家に頭でっかちな御託を代弁させる前に、まずは基礎を大切に。
-