映画専門家レビュー一覧
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ピーターラビット2 バーナバスの誘惑
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
ピーターラビットの声を演じているのがジェームズ・コーデンということからも察しがつく通り、子供をメインターゲットとしながらも、ヌルくならないギリギリのところで大人もちゃんと楽しめる作品のレイヤー構造に感心。砂糖をエクスタシーのメタファーとして散々コスるあたり、いかにも英国生まれのコンテンツ(本作自体はアメリカ映画だけど)で微笑ましい。第1作を未見でもまったく置いてきぼりにされないのは、自分もそうだったので保証します。
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ライター
石村加奈
生きる上で、自分が大切にしていることと、他者から求められることとのギャップに悩む、ピーターたち。アイデンティティにまつわるシリアスな問題を、ピーターらしく、柔軟に解決していく。軽やかだが、宿敵マグレガーとの関係性の変化は、昨日の敵は今日の友よろしく、大人の目にもリアルだ。グリーン・デイの〈Boulevard of Broken Dreams〉など、洗練された演出も印象的。ピーター&仲間たちとのドタバタ劇は、吹替版の方が愉快。前作に続き、ピーター役・千葉雄大の巧さに唸る。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
前作は未見だが、擬人化された動物と人間が共存する原作の世界観をちゃんと現代の寓話として昇華していることに感動。アニマルロジック社のVFXは、セット、美術、人間を演じるドーナル・グリーソン、ローズ・バーンらと絶妙なバランスで馴染み、その超現実世界に没入できる。ピーターが体験するビターな大人の洗礼、そして原作者ポターが目の当たりにした“悪意なき他者”による作品の改変問題もメタ構造として描き、ただの古典名作の映像化で終わらないところも好感が持てる。
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息子のままで、女子になる
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映画評論家
北川れい子
今国会でLBGT法案の成立が見送られ、また振り出しに戻った偏見と差別に寛容なニッポン。ところで私は、トランスジェンダーの新世代アイコンだというサリー楓のことを全く知らずにこのドキュを観て、学歴も容姿も頭脳にも恵まれたサリーの、かなり巧みに作られた身分証明映画ではと思ってしまった。むろんチャレンジに失敗するエピソードも隠さずに映すし、女子になっても息子は息子という父親にも取材しているが、このドキュを名刺代わりにするサリーが目に浮かぶようでゴメン。
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編集者、ライター
佐野亨
サリー楓がトランスジェンダーのミス世界大会に出場するまでを追うドキュメンタリーとして映画は始まるが、すでにこの時点で彼女のことばにはあやうさがただよっている。大会の結果が出て以降は、彼女の日常や人々との対話をとおして、そのあやうさの依って来るところを掘り下げていく展開となるが、ここに至って今度は作り手の手法の問題、端的に言えば他者性に対する無遠慮が前面化する。タイトルは父親のことばに由来するが、はたして作り手は誰に寄り添おうとしているのか。
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詩人、映画監督
福間健二
トランスジェンダー。クイーンコンテスト、大事だろうか。その人として生きるだけでなく、社会にアピールする活動が必要という考え方もどうか。本作の企画は、サリー楓のそうした活動への加担となるものだ。終盤、経験と思考力と魅力的な容姿をそなえたはるな愛が登場。楓に対して「闘いすぎてるよ」と戒める。作品自体がそれを受けとめきれていない気がした。杉岡監督、画のセンスも、答の出ていることに足を取られない賢明さもあるが、いわば商業的ビューティーへの批評を欠く。
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へんしんっ!
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フリーライター
須永貴子
「テーマはあるが、作り方が定まらない」と悩める監督が、手探りで映画を作っていく過程をそのまま見せるドキュメンタリー。観察者である監督が、映画の被写体(身体で表現する人たち)と映画作りについて話し合ううちに、視界が広がり、表現する側に取り込まれ、車椅子を手放す流れがミラクルだった。とはいえこれはラフスケッチのような状態なので、商業映画として評価するのは難しい。ラストのダンスシーンも長すぎる。これをベースにブラッシュアップできるはず。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
電動車椅子に乗って撮影や録音のスタッフと打ち合わせ、全盲の俳優・美月めぐみさん、聾?者通訳兼パフォーマーの佐沢静枝さん、振付家でありダンサーでもある砂連尾理さん等との自ら床に転がってパフォーマンスに参加する石田智哉監督の真摯な姿にまず心を動かされる。人間の飽くことのない創作に対する執念を垣間見た思いもした。だが、僕にはこの映画をどう見ていいのかわからない。テーマは何だったのか?モチーフは? 僕の鑑賞力に難があるのかもしれない。
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映画評論家
吉田広明
舞踏の先生が、誰しもが面白い動きを持っていると述べ、監督自身も身障者は日常的コミュニケーションが表現と述べる。つまり身障者は誰でもが(もっと言えば人間誰もが)芸術家なのだと、存在と芸術を同地平で繋いでしまっており(ラストの素人即興ダンス?は芸術なのか)、その間のダイナミスムを考慮しない安易さには疑問を禁じ得ない。字幕と音声解説がデフォルトのようだが、健常者が見る分には、映像の全てが意味に還元された状態をずっと押しつけられる感じで、これも疑問がある。
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RUN ラン
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映画評論家
小野寺系
子どもの病気というシリアスな問題を強調する導入部から、当事者である少女が自分の境遇に疑問を抱くあたりまでは、何が起こるのかと興味深く観ていた。しかし、彼女が直面する事態や作品自体の性質が明らかになってくるあたりから、思わせぶりな前置きが用意されていたぶん、そのありがちな内容に大きく失望させられる。陳腐な台詞と荒唐無稽な悪役、手垢にまみれた展開、そして病気という要素がただサスペンスを盛り上げるものにしかなっていないなど、美点を見つけるのが難しい。
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映画評論家
きさらぎ尚
母親の娘に対する狂気を描いた古典的なスリラー。ストーリーに仕込まれた二つの秘密は見てのお楽しみとして、物語を貫く緊張感を支えているのは、母親役のサラ・ポールソンと娘役のキーラ・アレン、二人の女優の持ち味だ。ポールソンは優しい母親と、恐ろしいことを実行するとき、顔の表情でシーンを思いのままに支配する。対して、実生活でも車椅子を使っているというアレンは、利発で行動力のあるキャラを迫真の現実感で。母親の心情に疑問符がつくが、優れた小品スリラー。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
ヒット作「サーチ」の監督が二匹目のドジョウを狙ったかのような本作、情報提示方法が都合良すぎるし、強引な偶然を幾層も積み重ねて構成されているイケイケドンドンのストーリー至上主義映画のわりにはひっくり返りそうでさほどひっくり返らない展開には物足りなさも覚えるのだが、スリラーの見せ方が滅法上手いうえ、90分という尺に旨味を凝縮させる職人芸も冴えわたっており、何かとケチをつけたくなる気持ちを力技でねじ伏せるパワーに満ちたハラハラドキドキオモシロ映画だ。
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グリード ファストファッション帝国の真実
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
アルトマン「プレタポルテ」を彷彿させる空虚な豪華さ。コンパネ製の闘技場。ギリシャ神話やリチャード三世の歴史と同様に、現代を生きる親子の運命もまた何度も変奏させる。富める者と搾取される者との構図は、終わりない人間の業か。善悪未分化で冷静ギリギリのウィンターボトム。フーコーはギリシャ悲劇自体が裁判のイミテーションで、アゴーン(闘技)から、裁判/演劇/政治の繋がりを導いた。闘技場を裁判に見立て、断罪させる結末。鑑賞者の我々をも裁判にかけているよう。
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フリーライター
藤木TDC
40代はキレキレだったのに50歳過ぎたらルーティンなコメディ屋になり下がった印象のウィンターボトム監督。今度こそはと淡い期待をもって見始めた本作もどこかで見た奇人社長盛衰記を超える内容ではなかった。なまじ途上国の低賃金や難民問題を訴えても本作レベルじゃ観客はファストファッションを無反省に買い続けるだろうし、皮肉にも映画自体が浪費の一端にさえ見える。ただこの軽快かつ嫌味なタッチでコロナ下の東京五輪騒動を黒い喜劇にして撮れないかと意地悪な夢想も。
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映画評論家
真魚八重子
誕生日パーティーの数日間をメインの時間軸にしつつ、ギラついた男の一代記のような込み入った構成はかなり成功している。主演のスティーヴ・クーガンに、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」のディカプリオのような愛嬌がないのも、ある種クライマックスの伏線といえるだろう。移民問題は皮肉が効いているが、ファストファッションが他国の安い労働力で成り立っている搾取については、もっと物語と絡めるべき。喧噪の中の人々がコロシアムに集約されていくダイナミックさは痛快。
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トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
伝説の犯罪者を題材としたよくある露悪的な一代記だろうと予想していたら、家族の負の連鎖から、オーストラリアという国の特異な成り立ちまでをも射程に収めた、とても生真面目な力作で不意を突かれた。ただ、「ジェシー・ジェームズの暗殺」もそうだったように、この種の作品は主人公に悲劇的なエンディングが待っていることがあらかじめ決まっている上に、対象への最低限の知見や関心があることを前提としているので、観客を選ぶ作品であることは否めない。
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ライター
石村加奈
01年のブッカー賞に輝いた、ピーター・ケアリーの原作に忠実に、伝説の英雄ネッド・ケリーの物語が描かれる。本作のケリーは、幼い頃から父に代わって、母と姉弟妹を養うため、無骨な(それはまさに四角い黒の鉄兜のような!)男の仮面の下に、母エレンの愛を乞う、少年の純粋さを隠している(ジョージ・マッケイが、繊細に表現する)。原作に、きれいな母について、神が父のために仕掛けた罠とあったが、母親の存在感が強調されて、ヒーローの新たな像に迫っていく感動が薄れた感も。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
英雄譚として長年語られてきたオーストラリアの伝説の反逆者、ネッド・ケリーの生き様。本作は「トゥルー・ヒストリー」というシニカルなタイトル通り、その「真実」を否定し、同時に肯定する。“自分視点”の事実を子供に伝えるために綴ったネッドの手紙がモノローグとして物語を進めるのだが、実際のその手紙を基に小説は書かれ、それがこの映画の原作となっている。その「真実と虚構」をめぐる多重の入れ子構造が本作の魅力だ。クライマックスの美しく凄惨な光景が忘れられない。
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モータルコンバット(2021)
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
例えばアメコミ映画の現在の隆盛は、原作のマニアックなファンダムの外側にいる多様な観客層を意識的に取り込んでいった成果なわけだが、今後ますます増えていくであろうゲーム原作映画は、今のところそのようなサービス精神とは無縁の作品が主流だ(それだけプレイヤー人口が多いということなのかもしれないが)。本作もゲーム内のファンタジーと現実世界とのリンクが希薄かつ曖昧で、原作ゲームをプレイしたことがないと、そもそも作品のロジックについていけない。
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ライター
石村加奈
肉体の迫力に圧倒された。ハサシ・ハンゾウ改めスコーピオン役の真田広之(最高!)と、魔界最強の刺客ビ・ハン/サブ・ゼロ(ジョー・タスリム)との重厚なアクションシーンは“デスバトル”と呼ぶにふさわしい緊張感と迫力で、息を呑む。「脊髄を引き抜いてやる!」など、ちょっと想像もつかない残虐描写の連続で、心身ともにヘロヘロになったが、氷を操るサブ・ゼロをはじめ、役者の演技、視覚効果、音響など渾然一体となった完成度の高いシーンに、アクション映画の進化を見た。
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