映画専門家レビュー一覧
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ブルーヘブンを君に
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編集者、ライター
佐野亨
事実を題材とした苦心と感動の物語だが、まさにそのキャッチを少しもはみ出ることのない平板な演出と演技――しっとりした場面には抒情的な、コミカルな場面には軽快な音楽が流れ、深刻な顔をした人物が深刻なことを、おどけた顔をした人物がおどけたことを言う――がつづく(とくに寺脇康文とその子分たちの登場場面がきつい)。実人物に配慮したのはわかるが、由紀さおりの主人公、もっと重層的なふくらみを持たせられなかったのか。撮影も、とくに屋内場面に工夫がなく退屈。
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詩人、映画監督
福間健二
由紀さおり、リズム感は当然として、芝居もいい。遅まきながら、その演技者としての力を発揮する主演映画が誕生した。祝福したい。彼女の役は、不可能とされていた青いバラを生みだした実在のバラ育種家がモデル。原作も手がけた秦監督の意図は、わかりやすい話の運びで、病気に負けずに夢を実現するヒロインと周囲の善意の人物たちを描き、明るい肯定感を立ちのぼらせることだったろう。それに成功していないとは言わないが、随所で嘘っぽくドタバタして薄っぺらな印象。惜しい。
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名も無い日
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フリーライター
須永貴子
寡黙な主人公が行動するにつれて、そこにいない人物の名前が観客に知らされる。彼らと主人公との関係は?そもそも主人公が故郷に帰ってきた目的は? いくつもの疑問で観客の興味を持続させ、次第に人物相関図が出来上がり、帰郷の理由である「弟の死」が、相関図に暗い影を落とす。その手際が非常に鮮やか。地理的には狭い範囲内の物語だが、主人公がさすらうロードムービーのようなムードに永瀬正敏がよく似合う。地元のまつりをクライマックスに重ねたのは強引。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
何もかも重厚だ。重苦しいというのではない。何か居住まいを正しくして見なければいけないというような空気感が漂っている。監督の実体験をもとに作られたそうだが、それだけに一見なんでもないような場面が心に深く沁みてくる。個人的な話だが、監督と出身地が同じで、自分の家族に起きたことでこれに何か重なる部分もあり、とても他人事とは思えなかった。私的感情を交えてはいけないのに、どうしてもそれを禁じえない。それにしてもこの映画に集まった俳優たちの顔ぶれたるや!
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映画評論家
吉田広明
アメリカから帰郷した写真家、彼が出会う人々からの断片的な情報から、彼が何らかの「事件」ゆえに帰郷したらしいことが分かってくるのだが、出てくる人が多くて全体が見えてくるのに時間がかかる。その事件は弟の死、それについて主人公は自責の念を抱いており、その自責からの解放がメインとなる割に、その死の意味が判然としないため解放にも根拠が見えない。実話が元らしいが、弟の孤絶の原因が最後まで不明ならば、それを前提に作劇すべきで、雰囲気での解放感演出は自己満足では。
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クローブヒッチ・キラー
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映画評論家
小野寺系
多くのサイコキラーサスペンスは、犯人を謎の人物としておどろおどろしく描きがちだが、本作は快楽殺人のどの部分に犯人が性的欲求を抱くのか、あくまで一例ではあるものの、“殺人犯の身になって”考えられている点で優れているし、劇中で犯人を演じる、ある俳優の気味の悪い演技は賞を与えたいほど真に迫っている。そこまで異常な描写がある一方、少年少女を主人公としたジュブナイル映画としての部分は月並み。娯楽的な枠組みから外れた方が、より話題になったのではないだろうか。
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映画評論家
きさらぎ尚
父親をシリアルキラーではないかと疑った高校生の息子。父親への疑念が主題のスリラーだが、理解ある父親と巣立ちを始めた思春期の息子との対立話の様相。信頼が揺らぎ、疑念が確信となる過程の、中盤以降の展開は隙があり平板に。さらに終盤のクライマックスに至り、すんでのところで命拾いをした女性はなぜ警察に通報しないのか。モヤつくままに結末に至り、結着のさせ方にも仰天。息子役のC・プラマーのアイドル性は狙い通りかもしれないが、この結着の意図は判然としない。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
物語は実に猟奇的、変態的であるのに、音楽は最小限、無駄を削いだ落ち着いたカッティングでごく普通のホームドラマのごとき情調で淡泊に進んでゆき、ミスリードかと思ったものがそのままの真相であったり、実直に伏線を摘み取ってゆく柔らかな手つきもホラー、サスペンス映画としてはどこか異質で、それらを敢えてやっているというアート映画的なあざとさすらも感じさせないこの映画の佇まいは、狂気と日常が地続きになっている猟奇殺人者の凪いだ心情そのもののようで、恐ろしい。
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逃げた女
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映画評論家
小野寺系
いかにもホン・サンス監督の作らしい会話劇で、とぼけたズーム演出や長回しなどの特徴的な撮影も、セリフから暗示される恋愛の関係性も、過去作で何度もリフレインされたものではある。だが、その表現はいまだに洗練され続けていることも事実で、あっけないほどに短い尺と、読み解き甲斐のある内容は、まるでよく出来た俳句のように、奥行きがありながらも簡潔な美を獲得している。“映画を観る行為”に肉薄する、観客を巻き込むような重層的なラストシーンにはドキリとさせられた。
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映画評論家
きさらぎ尚
ときに感情表現が激しい韓国映画にあって、柔らかな作風に注目している監督だが、今回はまず邦題に引かれる。何から・なぜ「逃げた」か。劇的展開を予想するも、ヒロインのガミは虚ろな存在。三人の女友だちを訪ねる繰り返しのストーリーは、三人の日常をガミが覗き見する形で、彼女たちが抱える現実をあぶり出す。といっても何かが起こるわけでないので?みどころがない。ガミは今の生活から逃げたいのでは……。こんな想像を含め、四人の存在がむしろ終映後に膨らむ。作風は健在。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
デジタル感丸出しのディープフォーカス、ぼんやりなグレーディング、ルーズな画角、基本的に人物が対面で飲むか食べるか煙草を吸いながらのワンシーンワンカットの会話劇、毎度お馴染みのヘンテコズーム……どこを切ってもホン・サンス印の映画だなあと、のんびり観ていたわけだが、中盤の猫を捉えたズームショットは映画の神様が信念を貫く者だけに与える奇跡の産物であろうし、このゆるゆるの空気の中にタイトルの意味するところがふいに顔を出したとき、背筋に冷たいものが走った。
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ブラックバード 家族が家族であるうちに
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
尊厳死を決めた母親を巡り家族が一晩だけ過ごす物語。途中サスペンス風になり潮目が変わる瞬間がある。それは残された側の誤解を生み出し、決定をした側からの回答は理解を超えた見解へと向かう。そもそも尊厳死が引き起こす「愛」ゆえの齟齬なのだが、果たして尊厳死とは精神性を重んじた人間らしい選択なのか、もしくは先端医療による生命維持が人工的で人間らしいのか。作品では尊厳死自体は宙吊りにされる。人は人間関係の中で、自分を通しての他人ためにしか生きていけない。
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フリーライター
藤木TDC
難病ALSと安楽死についての重いテーマだが、第一に生きる選択肢を患者が助言されたり家族で熟慮しない点、第二に夫や子らが殺人罪等に問われる可能性を認識していない点に脚本の浅さが。また予告された母の死を前にした家族の諍いや告白は喜劇に見えかねない極端さがあり、S・サランドン、S・ニールの真摯な演技がシリアスに留めているものの、そのあまりに高潔な性格設定は現実味が薄い。観客に深い思索を求めるより高級住宅CMのような表層的心地よさを優先した印象。
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映画評論家
真魚八重子
オリジナルのデンマーク映画「サイレント・ハート」は未見。家族が一堂に会した際に起こる揉め事映画の、それっぽいパターンが一通り揃えられている。安楽死の是非を問う物語のようながら、理屈ではわりきれない感情を描く。しかし情緒不安定な娘が、母の死に対して「受け入れるための時間がほしい」と訴えるのは、切羽詰まった愛というより未熟さに見えた。母の親友に関する展開も、友情があるならもっとせめぎあいがあると思うので、愛の動きが自然に見えず気持ち悪い。
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葵ちゃんはやらせてくれない
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フリーライター
須永貴子
2019年に自殺した川下先輩が翌年の命日に化けて出て、主人公の慎吾を連れて大学時代にタイムスリップ! その目的は葵ちゃんとのセックス! しょーもな! と思ったが、尻上がりに人間讃歌が聞こえてきた。3年連続でセックスチャレンジする中で描かれる、慎吾の人生の激変。それを踏まえた上での、葵と慎吾による川下先輩を弔うためのセックスは、二人から川下への愛や、生きることへのポジティブな矢印がバカバカしさを上回り、珍妙なのに爽やかなカタルシスがあった。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
いまおかしんじと言うと「苦役列車」(監督・山下敦弘)の脚本を書いたことに思いを馳せる。好きな映画だった。彼が脚本で良かったと思った。また、彼にはいろんな映画で、ちょっとした役で出ているところに出くわしたりする。なぜか、いまおかさんというと「味」という言葉が浮かぶのだ。この映画も味がある。たわいもない話だ。身も蓋もないとも言える映画でもある。腑抜けたちが、「そう言えば」生きている。味の決め手は何もないのに、いい味がする。出来不出来などどうでもよい?
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映画評論家
吉田広明
自殺した映研の先輩が幽霊として現れ、好きだった葵ちゃんと性交できる唯一のチャンスだった過去を生き直す。最近多い過去改変ものだが、ありがちな多幸的な結末ではなく、一向にうまくいかないという突き放し方、一方で葵ちゃんと性交するためだけに何度も生き直す先輩の姿に、自身挫折を繰り返す周囲の人物たちが感化されて前向きに生きていこうとする形で希望を持たせる。巻き込まれながらも事態を利用していい目を見ようとする、小狡いがどこか憎めない後輩の造形も良い。
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デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
香港民主化運動とLGBT運動の象徴的な存在のデニス。孤高な勇姿は、まるで現代のジャンヌ・ダルク。社会全体をここではない、より善いどこかへと先導する姿は、禁欲的な革命家だ。憧れの女性故アニタ・ムイの思い出、自分を形成したモントリオールの風景。それらは決して現前しない永遠に喪失し続ける完璧な理想だ。それと同時に、革命家然という存在自体が、我々の日本社会には前近代に既に喪失してしまった在り方だ。眩しすぎるロックスターの存在は、我々の汚濁した社会を映す。
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フリーライター
藤木TDC
政治行動映画の新しいスタンダードとして多くの日本人が見るべきだ。前半の自分語りは食傷気味になり、恵まれた生いたちと才能に嫉妬してしまうが、それでも知名度や英語力をもって世界に香港の危機と中国糾弾のメッセージを発し、催涙ガスや放水の飛び交うデモの前衛に立つデニス・ホーには世界のどのアーティストにもない勇気と力強さを感じる。現代の体制変革のモチベーションは脱貧困ではなく自由と多様性の保証要求にあると教えられる。日本の野党政党は本作に学んでほしい。
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映画評論家
真魚八重子
巨大なステージで観衆の目に囲まれているデニス・ホーは、とても孤独に見える。本作はホーの内面に迫ろうとするドキュメンタリーではないが、雨傘運動やカミングアウトについて語るとき、言葉で公にはできない部分にほのめかすようなニュアンスが横溢していて、センシティヴな作品に自然と仕上がっている。中国の香港政府への介入が、香港の芸能人たちの仕事を直撃し、それは文化の破壊にも確実につながっている。政治的発言が有名人ゆえに重い十字架となる宿命が、痛ましく感じた。
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