映画専門家レビュー一覧

  • ソング・トゥ・ソング

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      「名もなき生涯」のような作品を監督する一方、その同じ年に亡くなって間もないリル・ピープのドキュメンタリー映画のエグゼクティヴプロデューサーを買って出たりするテレンス・マリック。世間に流布するイメージとは異なるその俗っぽさは心得ているつもりだったが、それにしても本作の俗っぽさにはのけ反ったし、帳尻合わせ的な着地にも笑ってしまった。白人の特権性や欺瞞を隠そうともしないその潔いスタンスは、今やアメリカ映画では貴重だ。良くも悪くも。

    • ライター

      石村加奈

      この既視感、何だっけ? と思えば、「聖杯たちの騎士」(15)のマリック&ルベツキコンビ作だった。タイトル通り、まさに音楽を聴くように、感情の赴くまま、作品世界に身を任せて、感じることで、一体になれる、独特な映画である。パティ・スミスやイギー・ポップら、本物のミュージシャンたちが大勢出演し、趣向を凝らした音楽の中で、マーラーやボブ・ディランの使い方が面白い。メキシコ(?)の海で戯れる男女3人夏物語に、物乞いの老婆を挿むくだりに、ルベツキの手腕が光る。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      ルベツキのエモーショナルな映像、俳優たちの自由な演技、そして自己対峙のポエティックなモノローグ――冒頭からお馴染みの手法で「関係性の本質」をあぶり出すマリック節全開。8時間あった(らしい)最高の素材は、全篇、浮遊し絡み合うように断片的に繋がれ、観る者を翻弄し続ける。音楽業界に生きる人々を描くために、実際の野外フェスで撮影し、有名音楽家も多数出演しているが(P・スミスの言葉が泣ける)、リアリティは感じられず、贅沢なエチュードを観ているような感覚に。

  • あこがれの空の下 教科書のない小学校の一年

    • 映画評論家

      北川れい子

      ナントまァシラジラしい。ドキュメンタリーという体裁を口実に、私立・和光小学校のPR映画ってんだから。創立1933年。これだけ歴史があるってことは、子供の自主性を優先するという、その教育方針に賛同する親も少なくないってことだろう。実際ここの子供たちはモノ怖じせずに自由に喋り、何ごとにも積極的。けれども授業に学校行事等を総花的に誇示し、ナレーションでさらにホメ上げるその作りは、まんま、企業が商品や業績を売るって映画のそれ。記録映画もカタなしね。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      子どもたちの表情も、彼らを導き、見守る大人たちのことばも、すべてがまっすぐで素晴らしい。しかし、高橋惠子の端正な語りと岩代太郎の端正な音楽が、その素晴らしさをひたすら称揚し増幅させることで、有無を言わさぬ方向へと観客の感情を誘導していくつくりには、「ドキュメンタリー(記録)」が「映画(表現)」として屹立するために必要とされる最低限のつつしみが感じられない。もっと静かに、もっと見つめることに踏みとどまらないと、伝わるものも伝わらなくなる。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      独自な教育の和光小学校。その一年間の、季節の行事を追っていく。よくやるなあ、偉いなあと感心しないわけにはいかない先生たち。軌道に乗って自分を活かす生徒たち。主人公はいない。沖縄についての学習など、そこまでやるのかと驚いた。しかし、増田監督と房監督、どう感じたのかを言う作り方をしていない。「なんか、いいわね」といった調子で語りかけるナレーションは間のびしている。多くの日本の若者の恥ずかしいほどの幼さ、こういう教育を受けていたら違ってくるとは思った。

  • 日本独立

    • 映画評論家

      北川れい子

      憲法関連のドラマやドキュメンタリーは決して少なくないが、GHQリードによる日本国憲法誕生秘話!?を、日米双方の思惑から描いたこの作品、どうも話が中途半端に広がりすぎていまいち?みどころがない。伊藤監督は吉田茂と白洲次郎の行動を肯定的に描きつつ、GHQ、つまり日本を骨抜きにしようとするアメリカ側の狙いを俎上に載せているが、作品全体が、それなりの規模の再現ドラマのようで、観終わっていささかキョトン。吉田茂役・小林薫のそっくりさんメイクには感心!

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      今回は偶然にも「題材と手法」の関係について思い巡らされる映画が揃った。白洲次郎をことさら英雄視する風潮は気色わるいが、そのようなある種の狂信的な愛国しぐさまでもひっくるめて、この映画はなかなか見せる。昨今の監督なら躊躇してしまうであろうチープな絵解き演出すらも臆面なくやってのけるところはさすが伊藤俊也。ただし、「犬神の悪霊」とは言わず「プライド」とくらべても、役者の顔面力の引き出しがやや弱く、この点については渡辺文樹に軍配が上がる。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      日本国憲法を、アメリカに押しつけられた、日本人から死者との絆を奪うものだとして、その内容の価値そのものを考えない立場からの作品。この企画に執念をもった伊藤監督。どこからこういう意見に与するようになったのか。意外でもないのかな。作品表現としてはかなりお粗末。松本蒸治役の柄本明以外は、ただセリフを言っているだけで人間としての造型がほとんどできていない。とくにアメリカ人たちはひどい。登場する作家吉田満も、おざなりの回想のせいで仕事の真価が見えない。

  • 私をくいとめて

    • フリーライター

      須永貴子

      安藤サクラの「百円の恋」、蒼井優の「百万円と苦虫女」、松岡茉優の「勝手にふるえてろ」に類する、出ずっぱりの主人公とともに演じる女優が覚醒する本作は、のんにとってようやく誕生した代表作。脳内の相談役“A”とのマシンガントーク、Aの意思に操られるときの動き、抑え込んでいた怒りの感情を吐き出す爆発力など、技術と感性が高い次元で融合している彼女の一挙手一投足に、文字通り目が釘付けになる。ただ、彼女の魅力をもってしても、133分は長いと感じた。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      脳内相談役という設定は面白いが、それが足枷にもなっている。みつ子という女子が相談役を必要としているような大きな葛藤を抱えているようでもないし、おひとりさまではありながら、決して孤独ではなく、そこそこ充実したシングルライフを営んでいる。だから、相談役が無用な雑音にしか聞こえない。あの絶妙な「勝手にふるえてろ」と同じ原作・監督コンビながら、あまり気が行かないのはなぜか? キャストだって、のんをはじめ万全なのに、語り口を間違えているとしか思えない。

    • 映画評論家

      吉田広明

      自分の声(男声)との会話で、三十路ながらそれなりに快適な一人生活を維持する女。その脳内の声がモノローグでなくダイアローグであるという点が本作の興味深い点だ。自分を悪い方向に走らせたり、突然消えたり、結構迷惑な存在なのだが、それも今のままで良いわけはないという自分の無意識の発露なのだ。声は自分であり、自分の中の他者である。しかし、そうしたギミックなしでも、かつての親友との微妙な関係をきっちり描ける演出があるからこの声も生きているわけだ。

  • ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!

    • 映画評論家

      小野寺系

      個人的に最も愛する映画シリーズの29年ぶりの新作ということで冷静な評価が難しい。とはいえ、シリーズの生みの親である脚本家エド・ソロモンとクリス・マシスンが本作を手がけたのはもちろん、過去のシリーズを踏まえながら、いまの社会の空気を反映させてシリーズ全体を哲学的なメッセージを持つまでに意義づけた形で終わらせたことは最善の選択だと思える。シリーズ独特の“ユルい”テンポが、現在の映画群のなかにおいてはコンテンポラリーアートのように見えるのが楽しい。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      脚本、監督、俳優、そしてCGなどのビジュアル・チームも、前作を超えるべく懸命になっているのは良くわかった。けれど悲しいことに、それらの頑張りは空回り。タイムトラベルのおかげでジミ・ヘン、アームストロング、モーツァルトが出会うエピソードは、ある種のシュールではあるが、面白さも時空を超える高揚感もなしの作り話に終わる。監督のD・パリソットは「ギャラクシー・クエスト」とは勝手が違ったようで、エンドクレジットのグランド・フィナーレだけが救い。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      77分以内に「世界を救う音楽」を演奏しないと時空の歪みにより世界が消滅してしまう、という初期設定が大雑把すぎてわけが分からないし、その後もジミヘンやモーツァルトをスカウトしてバンドを結成したりのハチャメチャ展開が途切れることなく続いてゆくも、理屈を超えた多幸感が爆発する終盤はビルとテッドシリーズファンは涙なくして観られないだろう!……とか叫びたいところなのですが、恥ずかしながら自分はこのシリーズを観てきていないので大きな声では言えないのです。

  • また、あなたとブッククラブで

    • 映画評論家

      小野寺系

      熟年世代の女性たちがそれぞれパートナーを探し人生を楽しもうという、主体的な女性の欲望を後押しする方向性は共感できるし、ダイアン・キートンも可愛らしい。しかし彼女たちが『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を読んで刺激を求める展開は、さすがに幼な過ぎると感じるし、そんな妄想をそのまま叶える小型飛行機のシーンにも工夫がない。「パートナーのない人生には意味が無い」という価値観も垣間見え、そのために「書を捨てよ」と言わんばかりの内容になったのは悲しい。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      年齢別の区分けではもはや高齢者枠に入るフェミズム映画を代表していた女優たちと、当時のドラマを彩った男優たち。一堂に集まった贅沢さはもちろん、かつてのイメージに沿った配役にはニンマリする。読書会は名目で、展開するのはラブコメ。全員が肩の力を抜いて自在にやっているかに見えるのは、キャリアと現役力の賜物だろう。C・バーゲンの愛猫の名がギンズバーグという茶目っ気も○。たわいないと言えばそれまでだが、スターが勢揃いする楽しい映画に飢えている身には嬉しい。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      40年来の読書クラブ仲間の熟年女性4人が繰り広げるロマンティック・ラブコメディ……って、いくら往年の名女優たちが出演しているとはいえ、コイツはちょっと食指が動かないなあ、などと思っていたのだが、観はじめてみると存外に上質な女性映画で、出会い系サイトで男漁りしたり旦那の飲み物にバイアグラを盛るなどという下品なネタもなんだか微笑ましく、おばあちゃんと呼んでいい年齢の4人が次第に魅力的な女性に見えてくるに至り、予定調和なラストも笑顔で許せてしまった。

  • 声優夫婦の甘くない生活

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      人は歪な多面体。長年連れ添っている夫婦だからといって相手の本質を見抜いているとは限らない。会ったこともない素性の知らない相手だからこそ、その人の本質の一部を理解していることもある。そしてその逆や勘違いもある。この作品はそんな様々な外部の解釈によって、人間の像は出来上がっていることを教えてくれる。すべてが虚構という妄想に取り憑かれた元政治家が出てくるフェリーニの「ボイス・オブ・ムーン」が流れる。虚構さえも現実や人間の一部なのかも知れない。

    • フリーライター

      藤木TDC

      90年代初頭のソ連解体と湾岸戦争を背景にした「ニュー・シネマ・パラダイス」だ。イスラエル映画らしい毒の効いた小品で、同時代経験がある世代にはダイヤルQ2や海賊版ビデオを持ち出す趣味が懐かしくも楽しい。私も90年代、新大久保の中国ビデオレンタルで多く学んだと思い出した(Q2については内緒)。当時はグレー商売にも間違いなく「映画の夢」があったのだ。移民と脱法産業がつながり生まれる社会の多文化化。黒い笑いからお前も内なる国家を解体しろと挑発される。

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