映画専門家レビュー一覧
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声優夫婦の甘くない生活
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映画評論家
真魚八重子
オフビートな雰囲気もまとっているが、上品ながら結構際どい設定になっていて明け透けなユーモアに引き込まれる。もう若くはない移民が暮らしていく厳しさに迫りつつも、中心となっていくのは夫婦のマンネリ化や心の移ろいだ。伴侶に嘘をつくスリリングさも善悪の裁きに持ち込まない裁量で、破壊には至らない一時の衝動の話として生々しい。アルトマンの「ショート・カッツ」で起きる地震のように、飽和状態に至った物語を爆発させるのが、イスラエルでは空襲警報なのだろう。
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この世界に残されて
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映画評論家
小野寺系
ホロコーストを生き残り、家族をなくした人々のその後に焦点をあてる試み。少女の口から語られるおそろしい記憶と、彼女の生き方の無軌道ぶりや、愛情を過度に求める姿から、残虐な行為は加害者のみでなく被害者の人間性をも破壊することをしっかりと伝えている。その一方で、中年男性と少女の間における恋愛や性愛とも微妙に絡んだ複雑な感情をメインに据える必要があったのかという点については疑問。少なくともそれは美しく描かれ得るような感情ではないように思える。
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映画評論家
きさらぎ尚
「私たちの方が去った人より不幸よ。私は取り残された」。ナチス・ドイツから解放されたものの、今度はソ連の支配が始まったわけだから、ヒロインの心情は、生きるも地獄だったであろう。とはいえ、序盤の、もう一人の主人公である医師との出会いから性急に進展するヒロインの行動原理にはごく軽い戸惑いも。が、それも束の間。以降の叙情と抑制の調和がとれたストーリー、俳優の感情表現の巧さが戸惑いを払拭。様々な不幸が世界を覆う今の世から見ると、二人の寄り添う優しさが美しい。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
多くを語らない映画なので時代背景などは事前に頭に入れてから観るのをお勧めするが、ホロコーストで妻を失くした中年男と両親を失った思春期の少女との関係に終始漂う危なっかしい空気が映画に緊張感を与えており、さほどうねりのない展開の中でひたすらに人物に寄り添った演出は温かく、抑制をきかせつつ心の機微を逃していない主演二人の芝居がじんわりと胸に染みてくる佳品で、戦争で感情を奪われた人々がそれを取り戻す過程にはこんなドラマが幾多となくあったのだろうと思う。
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戦車闘争
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フリーライター
須永貴子
反戦運動に関わった活動家、阻止する側の機動隊、巻き込まれた周辺住民、戦車の輸送を引き受けた運輸会社の人たちの、証言内容の食い違いや、見え方や温度の違いが興味深い。とはいえ、一〇〇日の闘争を日報のように綴るスタイルは、この事件に興味がある人以外にはなかなかの苦行。全体の残り三分の一あたりで、日本に米軍基地があることの意味に迫り、日本もベトナム戦争に加担した加害者だと気付かされ、一気に緊張感が増すが、楽曲で言うところのAメロが長すぎた。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
ベトナム戦争で壊れた戦車を日本で修理して戦場へ運ぶ道にデモ隊が立ちはだかる。あの頃はいい時代だった。そして日本はそこそこいい国だった。アメリカなら民警団がデモ隊に発砲するかもしれないし、中国なら戦車でデモ隊を踏み潰すかもしれない。デモに臨む社会党と共産党、革マルと中核の違いも面白い。機動隊もデモ隊に暴力をふるうが、決して殺しはしない。やんちゃな息子に折檻でもしているかのようだ。いい国「だった」のだ。もう今はそうじゃない、と思わせる逸品だった。
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映画評論家
吉田広明
不勉強で知らなかったが、相模原の米軍施設で修理されてベトナムに送られる戦車を阻止する運動、その経緯、内部の様々な陰影を含めて描く。証言、資料などが整理されて分かりやすい。移送を阻止していた道路法改定によりこの闘争は終息するが、これは日本領土の米軍への移譲、主権放棄であり、ひいては互恵どころか日本を米の前線基地に過ぎないものに貶める偽善的な安保体制の完遂に他ならなかったことが暴かれる後半が、若干性急とはいえ大きく射程が拡がりスリリング。
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無頼
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フリーライター
須永貴子
アウトローの視点から語られる戦後の昭和クロニクル。某銀行への糞尿撒き散らし事件やオイルショックなど、実際に起きた出来事をフィクションに織り交ぜる試みは面白い。だが、多くの人物や事象を媒介する主人公が弱い。カメラワークは良く言えば硬派でストイックだが、悪く言うと平板で艶っぽさがない。結果、手のひらから時間がサラサラとこぼれ落ちていく146分。ホステスから頼もしい姐さんになっていく紅一点が、主人公にとって以上に、映画において大きな存在感を示す。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
石川力夫のことが頭に浮かんだ。言わずと知れた深作欣二監督「仁義の墓場」のモデルになった実在のヤクザだ。仁義に背いて狼藉の限りを尽くし、最後に刑務所の屋上から飛び降りて死んだ。辞世は「大笑い三十年の馬鹿騒ぎ」。8年ぶりというこの映画、井筒節は健在だ。井筒氏ならではの諧謔! 主人公のヤクザは石川とは真逆のしごくまっとうな人間に見える。たまたまヤクザになった普通の人間の半生はそのまま日本の戦後史になり、歴代のヤクザ映画へのオマージュになっている。
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映画評論家
吉田広明
ヤクザ映画というよりは、戦後から昭和の終わりまでを生きた男たちの群像劇と見るべきなのだろうが、時代を描きたいのか人間を描きたいのか、どっちつかずで結局何物にもなりえていない。主人公が偶々見かけたいい女を妻にする。しかしその偶々を必然にするのが映画ではないのか。偶々が偶々のままで単なる役割に終始するなら描く意味はない。一事が万事その調子で、要は思想がないので、人間にも出来事にも必然性が感じられず、それっぽい場面場面が連鎖するだけに見えるのだ。
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天外者(てんがらもん)
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フリーライター
須永貴子
知られざる偉人にフォーカスを当てる大河もの。功績だけでなく、はるとのロマンス、龍馬との同志感、若き日の伊藤博文や岩崎弥太郎との友情などが駆け足で描かれていて、メリハリがない。「史実に基づいたフィクション」と断りを入れるなら、役者の熱量の高い芝居を活かすためにも、思い切って先のどれか一つを膨らませてもよかったのでは。船上で、龍馬が「日本の夜明けぜよ!」と叫ぶ日の出のシーンのあまりにも人工的な照明や、ひねりのない劇伴なども足を引っ張る。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
五代友厚という人物を広く知ってもらうというのが映画の意図なら、こういう作りになるのは当然だろう。薩摩の若き志士が、維新を経て経済日本の礎を築きあげていく。愛した娼妓に死なれ、盟友の坂本龍馬が殺され、世の嫌われ者となりながら、新しい日本を作るという志を決して棄てることはなかった。その生涯を余すところなく、まっすぐ描いている。文句をつける気にはならない。が、何か物足りない。五代が直面した一番大きな局面、そこに焦点を深く絞っていたらどうだったのか。
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映画評論家
吉田広明
相も変わらぬ明治維新神話。五代自身が傑物だったことに異論がないにしても、彼がいかなるヴィジョンを持ち、何を成し遂げたのかが具体性をもって描かれていないので、光も陰もある人間というよりは完全無欠な英雄にしか見えない。周囲の人物も何の衒いも疑いもなく、皆恥ずかしいほどに無邪気で多幸的。維新という日本人にとって幸福な成功体験(本当にそうなのか、列強に追いつけ追い越せの精神のその先に何があったのか)の記憶を自慰的にリピートしているだけの映画。
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新解釈・三國志
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映画評論家
北川れい子
ハシャギまくって、じゃれあって、ご機嫌で盛り上がっているのは、ご大層なコスチュームの出演者連と福田監督だけ。近年これほど味も塩っけもないハリボテ映画は観たことない。“新解釈”だって? 「三國志」のおなじみのキャラクターたちをいじくり回し、ただ遊んでいるだけ。福田雄一の破壊力のあるコメディは「銀魂」シリーズほか、それなりに楽しんできたクチだが、今回は観客を置いてきぼりにして映画が勝手にワルノリ暴走、観ているこちらも、片っ端から忘れて大正解だ。
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編集者、ライター
佐野亨
この映画の逐一がいっさい面白くない、どころか不快きわまりないのは相性の問題であるとしても、ネタの一つひとつがことごとく内輪の頷き合いのうちに自閉している他者不在の世界観には「いい大人が……」と背筋が寒くなった。『カノッサの屈辱』のパロディとおぼしき西田敏行の語りが象徴的だが、80年代面白主義からいささかも進歩していない(どころかぎりぎりあった批評性すら捨象した)作り手のセンスに?然とする。大泉洋も持ち前のコメディセンスが生かせず息苦しそうだ。
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詩人、映画監督
福間健二
福田監督、今回も「ハズレなし」の自信作だろうか。大泉洋でなければ困ってしまいそうな、まさに新解釈のいいかげんな劉備。いまの日本人的普通さと口だけの正論「民のよろこぶ顔が見たい」でなんとか乗り切ろう、なのかと思うが、本当はこうだった、本音はこうだったとするふざけ方がワンパターン。バカにしすぎと腹を立てるほどではないとしても、退屈した。男性よりも女性の方がしっかりしている。その点でも、もっと痛快に現代性を持ち込む作家金庸の武?小説に学んでいない。
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レディ・トゥ・レディ
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映画評論家
北川れい子
内田慈の役が売れない女優ということで、つい「ピンカートンに会いにいく」で彼女が演じたアイドルくずれの売れない女優役を思い出し……。そういえば今回は競技ダンスの話だが、設定も似ていなくもない。それはともかく、テレビ人間の無責任なおだてに乗った彼女が、高校時代の競技ダンス仲間を誘って女同士ペアを組むという今回、内田慈も相手役の大塚千弘も、スタイルと姿勢が抜群にいいのに感心する。ダンスも達者。競技ダンスの融通が利かないルールにも挑戦してほしかった!!
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編集者、ライター
佐野亨
周防正行の「Shall we?ダンス?」は社交ダンスを素材とした現代日本人論だったが、この映画は社交ダンスをとおして現代女性の抑圧と解放を描き出す。女性同士でパートナーを組むことをことさら象徴化され「女性のために」と言われてしまうことに対し、「自分のため」と言いきってみせるくだりなど、あくまで個人の物語の範疇に踏みとどまろうとするバランス感覚が、むしろ作劇に普遍性を与えている。役者の個性に救われているが、キャラクターがやや類型的なのが惜しい。
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詩人、映画監督
福間健二
大塚千弘と内田慈。役に重なるようにここでチャンスをつかみ、はりきっているのはわかる。残念ながら、その奮闘ぶり、爆発的にまではならない。二人が、ではなく、作品がそうなのだ。藤澤監督、ここが勝負というところでアッと言わせるような表現の伸びを作れない。古めのヒューマニズムに頼りすぎなのだ。テレビ業界の愚かさとダンスの魅力、もっと本腰の対決を見たかった。空気を読めないという新米デイレクターの清水葉月と説明担当でもあるダンス教師木下ほうかが、トクな役。
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BOLT
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フリーライター
須永貴子
主人公が、エピソード1では汚染水の流出を止めるためにボルトを締めて、エピソード2では避難区域で遺品を整理する。延々と映し出される“作業”により、観客に退屈の先にある何かを体感させようとしているのか? しかしエピソード3では、子役たちが学芸会芝居で説明する“振り”を、思わせぶりなファム・ファタールが回収する。アートフィルム、写実主義、ファンタジー。フクイチ事故に人生を狂わされた主人公を、異なる3つの質感で表現する試みは面白いけれど。
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