映画専門家レビュー一覧
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アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール
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映画評論家
小野寺系
盲目であることの葛藤や変声期の絶望が丹念に描かれた少年期、孤独な学校生活の救いとなる親友との出会いを描いた青年期に人生の浮き沈みが端的に表され、見どころとなっている。対して比較的順調な、大人になってからの最大の試練が、デビュー時に“プロモーターがなかなか連絡してこない”という出来事だったというのは、盛り上がりに欠けるのでは。とはいえ、成功するには本人の能力と正しい努力にくわえ、周囲のサポートと運の要素が大きいという表現は真理と言わざるを得ない。
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映画評論家
きさらぎ尚
自伝をほぼ忠実にストーリーにし たドラマは、M・ラドフォードらしい手堅い演出が崩れることもなく終始安定している。少年期から大人になるまで、主人公を数人の俳優が演じているが、俳優が替わるにしたがって形相が実際のボチェッリに近づいたのには感心。某麦酒のCMソング〈大いなる世界〉を耳にして以来、伸びとスケール感のあるこの歌手の声のファンになったので、本人の吹き替えによる楽曲がたっぷり堪能できるのが何よりも嬉しい。ただ一点、セリフが英語なのが残念なところ。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
盲目というハンディキャップを背負いながら世界的なテノール歌手となったボチェッリの半生を描いたこの映画、起こることはドラマチックなのに、演出がオヤ?ってほどに平坦で、まあ、後半巻き返すパターンなのかと思うも、物語が進んでも描写は淡白なままに、彼の人生のダイジェストを見せられている気分になった。なんだろうこの感じ……ひとことで言うと退屈なのだが、そんな言葉では片付けたくない気もするし、美しい歌声は素直に楽しめたのだが、妙にモヤついた気持ちが残る。
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盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲
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映画評論家
小野寺系
皮肉なユーモアが全篇に漂った、スラップスティックな犯罪コメディで、障害や臓器売買など深刻になりがちな要素を、絶妙なバランス感覚によって、笑いに転化し得ているのがすごい。さながらギャグ要素が強まったコーエン兄弟作品というところか。「死刑台のエレベーター」や「ピアニストを撃て」を想起させるような数々の要素に監督のフェティッシュが漂いつつも、劇中に散りばめられた、ぎょっとさせるサスペンス演出の達者さは本物。ハリウッドでの活躍も見てみたい監督だ。
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映画評論家
きさらぎ尚
インド映画だからある程度は覚悟をしていたが、とにかく話の“盛り”が過ぎて、マーダー・ミステリーの面白さ半減。盲目を装ったピアニストが殺人事件を目撃するが、実はすべて見えているわけで……、このダブルバインドで十分いける。エピソードを刈り込むことはできなかったか。もっとも監督はマーダー・ミステリー+ドタバタ喜劇を目指したのかもしれないが。特に中盤以降は味方だと思っていた人間が敵だったり、その逆になったり、唐突なエピソードもあり、展開が雑でくどい。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
監督は「インドのコーエン兄弟」とかいわれているらしく、ラストカットをはじめとして、インド映画らしからぬスタイリッシュさを目指したであろうイカした演出が散見されるが、全体的にはあくまでトラディショナルなインド映画の枠の中での洗練にとどまっており、「踊らないのに大ヒット!」というコピー通り確かに踊りはしないが、いつ踊り出してもおかしくない空気に包まれたストーリー至上主義のオモシロ映画だった。我慢しないで踊ればいいじゃない、インド映画なんだから!
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オーバー・エベレスト 陰謀の氷壁
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
映画とは作品それだけでなく、それが生まれる様々な政治性や経済動向の表現とも言える。名プロデューサーのテレンス・チャンによる作品だが、「メイド・イン・チャイナ(日中合作)の映画作品はここまで来た」ことを顕示することも目的であるようだ。世界最高峰エベレストを舞台に、ヒマラヤ国際会議にまつわる怪文書取得の陰謀。さまざまな頂上を征服しようとする人間の本能的欲動が交錯。それがこの映画の在り方とも相似だ。しかしそれゆえ余計に世界観が小さく見えてしまった。
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フリーライター
藤木TDC
小型高画質カメラで撮影した地球上のあらゆる極限環境の記録映像が容易に見られる昨今、世界最高峰を舞台にするフィクションは実際との比較を余儀なくされる。とくに私のようなドキュメンタリー好きは現実環境の再現度を重視するので、リアルを希釈し劇画調をめざす演出は意に染まなかった。そこばかり意識させられるのは、本作が私の不服を消し去るほど強烈なドラマや人物像を描けていないせいもある。派手な山岳アクションなら4000m級の冬山のほうが自由に描けたのでは。
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映画評論家
真魚八重子
様々な国籍の者が集まるヒマラヤ救助隊が、特に個々の民族性に帰すこともなく集合体で描かれるのはいい。しかし安っぽいCGと不自然にダイナミックすぎるアクションはどうか。作劇も収まりが悪く、語りの浅い過去の出来事や記憶に重きを置いたり、危険な任務中の死が簡単すぎて呆気なかったりなど、醍醐味に至らない徒労感が大きい。あまりに簡単に登場人物が死んでいくため、肩入れして応援したくなるどころか、観ていて心の置き場がなく投げやりな気分になってしまった。
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LORO(ローロ) 欲望のイタリア
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
伊映画界を牽引する名匠ソレンティーノと名優セルヴィッロの名コンビシリーズ劇場。悪ふざけとシリアスが混濁し、セルヴィッロの怪演は頂点に。それもそのはず悪名高き伊元首相ベルルスコーニを演じた。脱税や横領、マフィアとの癒着、そして淫行問題。これだけのスキャンダルがあろうと尚、人たらしで国民からは愛されている。ラクイアでの大地震で家を失った老婦人に限りなく優しく接する。幾つの女性にも愛の限りを尽くす。そこには強くて傷つきやすい無名の普遍的な伊男性がいた。
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フリーライター
藤木TDC
同監督の「イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男」の続篇的なイタリア政界実録映画を期待するも、まったく別物でポカ?ン。フェリーニの退廃、ティント・ブラスの裸女群舞に主演俳優の顔面模写芸を加えフルコース化した大怪作。男性観客には鼻の下伸ばしニヤニヤな艶味だが、ベルルスコーニってここで描かれてるような金満エロジジイ一本じゃないぞ。マフィアとの癒着は言わずもがな、殺人やテロの指示疑惑で何度も捜査線上に名前が挙がってだな……存命中なので盛れなかったか?
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映画評論家
真魚八重子
P・ソレンティーノがあえて盛る悪趣味さの「わかってやってます」感がどうしてもノレない。157分の長尺とはいえ主人公が途中交代する構成や、ベルルスコーニと妻の関係性が脆いバランスで展開する描写は良い匙加減だ。でもその技も下品な場面とのコントラストも含めて、手管がこれみよがし過ぎる。パーティーがいかにも表象的で「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の突き抜けた笑いには至らず、女の体という記号の垂れ流しで辟易させようとする、その意気込み自体に辟易する。
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エンド・オブ・ステイツ
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
女の戦いは好物だが、男の戦いは退屈だ。生きのびることよりも、勝ち負けをつけたがるスポーツ感、ゲーム感がどうしてもつきまとう。最後の決戦で向き合うヒーローとヴィランは、戦争ごっこに熱中する男の子二人。本作も力まかせにスクラムを組むような骨太の展開で男たちを十分遊ばせてくれる。美しかったのは、日本映画には頻出するのに外国映画ではなかなか見ない建物の屋上を最後の死闘の舞台に選んでいること。ヘリポートで炎上するヘリはゲーム神への供物か。
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ライター
石村加奈
冒頭の、マイク・バニングを罠にかけるべく、大量のドローン爆弾が湖上を舞う異様な光景から、ラストの大病院での大乱闘まで、息つく暇のない、まさにクライマックスの連続である。エンドロールが終わるまで、ぜひ席を立たずに堪能されたし。今回は、マイクのファミリーも凄い。ベトナム戦争で人生を狂わせ、失踪した父クレイ(ニック・ノルティ)の、この父にしてこの子あり的な、あきらめの悪い、血がたぎるような戦術は痛快。マイクの妻レアとクレイの初対面も、胸がすく名シーンだ。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
このシリーズ、毎回、テロリストのそんなバカな?!という作戦でアメリカ政府が冒頭から壊滅状態に陥るのだが、この最新作もご多分にもれず。今作は、何度もその危機を救ってきた主人公マイクが、罠にはまってテロの容疑者となり脱走、政府、テロリスト双方から追われることに。アクション映画でよくあるこのパターン、ほとんど「落語」だと思って観ると細部の仕掛けを楽しめる。80年代であればこの手の主役をやっていたはずのニック・ノルティ、その役どころと登場シーンにニヤリ。
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ブライトバーン/恐怖の拡散者
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
なつかしい初期スピルバーグ風に始まり、やがてヒッチコックやドン・シーゲルを思わせる緻密に引き締まったスリラーの逸品へ。ただ違うのは、個々のディテイルが時代相応に残酷度、迫力を格段にスケールアップしている。もう一つは「ハッピーエンド死ね!」のパンク精神で、凶事の解決への努力があっさり手放されている。この一線を越えた感じは「ジョーカー」をも思わせ、こちらの身体をえぐり取られるような衝撃があった。悲しい結末なのに、なぜかガッツポーズ!
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ライター
石村加奈
緻密に設計された映像や音が恐怖を煽る。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのジェームズ・ガン監督プロデュース作と聞いて納得。ブランドンの同級生の母親の目に割れたガラスが刺さった時の、血まみれのカメラワークやノアおじさんの顎が外れた時の描写など、悪夢に出てきそうなほどの迫力だ。しかしいちばん怖いのは、冒頭の、ささやかな幸福に包まれた母子のかくれんぼが、ラストではホラーシーンへスイッチ。愛情なんて思い込みに過ぎぬという真実を淡々と描き出す。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
子供に恵まれない夫婦が宇宙から飛来してきた赤ん坊を我が子として育てるが……という誰もが知るスーパーマン神話を「もし“彼”が邪悪な心の持ち主だったら」というホラーとして再構築。藤子・F・不二雄のブラックコメディ『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』を思い出したが、本作は全く笑えない。全篇、肉体的にも精神的にもエグいシチュエーションが続き、自分の痛い思春期を思い出したりもして憂鬱になるが、子供を育てた経験がある人は、さらに絶望的な気分になるだろう。
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ベル・カント とらわれのアリア
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
グッドストーリー、バットノースタイルというべきか、ノースタイル、バットグッドストーリーというべきか微妙。南米某国の要人邸が過激派に占拠され、オペラ歌手、各界セレブ、日本人社長と通訳らが人質にとられて籠城するブニュエルの「皆殺しの天使」状態が、いつしか敵味方入り乱れての微笑ましい多言語多文化教室へ(なんだか映画の撮影現場のよう)。この展開をさほど芸のない平凡な語り口で真っ正直に描く。映画評論家ではない友人には安心してお薦めできる。
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ライター
石村加奈
実業家ホソカワ(渡辺謙)の通訳ゲン(加瀬亮)とテロリストの少女カルメン(マリア・メルセデス・コロイ)の切実な恋に比べ、ホソカワと歌姫ロクサーヌ(ジュリアン・ムーア)の関係をどう受けとめればよいか。ホソカワ(出発前の息子とのやりとりも含め、もやっとする)やロクサーヌの背景描写が何とも思わせぶりな分、南米で展開されるストーリーに集中できない。魅力的なはずの主人公が、テロリストと人質の心を芸術が繋いでゆく美しい物語の不協和音になろうとはもったいない。
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