映画専門家レビュー一覧

  • 気候戦士 クライメート・ウォーリアーズ

    • 映画評論家

      真魚八重子

      地球全体で環境破壊を止めることが喫緊の課題であるのはよくわかるし賛同する。だが本作は気候変動阻止を訴える活動家たちの、言葉だけをひたすらつないだ作品となっている。作り手自身の表明や具体的に何をどうしたいという能動的行為はなく、茫漠として聞こえる総括的な目標のみが断片的に続く。監督は気候戦士の姿を切り取ったドキュメンタリー制作で何かしらの達成感はあるかもしれないが、構成編集ともに単調極まりなく、ただ単にオピニオンの垂れ流しに過ぎない。

  • ドルフィン・マン ジャック・マイヨール、蒼く深い海へ

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      「グラン・ブルー」で一世風靡したジャック・マイヨール。バブル期の代理店が飛び付くような解りやすい捉え方ではなく、度を越した奇人ぶりに焦点が当てられる。結果、極度の人たらしは人間を通過しイルカまで魅了したという結論に至るだろう。登場する写真家高砂淳二氏は「哺乳類のみが遊びをする」と。ホイジンガも人間をホモ・ルーデンスと定義した。「映画を作る(見る)」という行為もまた非生産的な遊びの極致だ。イルカとの対話とは永遠に解明され尽くせない遊びの神話だ。

    • フリーライター

      藤木TDC

      三十余年前「グレート・ブルー」をデートに使った世代にとってJ・マイヨールは身近な存在で、本作を懐かしく感じても新味や驚きはない。時を経て増えたであろう彼を知らない人々に、この映像評伝は正攻法でタイトにまとめられた良作に映るだろう。でも私のような知りすぎたゴシップ好きには物足りず、本作の優しさはDVD特典映像が相応かとも思える。性悪な所見だが、マイヨールの私生活とスキャンダルをもっと追究してほしかった。悪趣味でもこれは商業作品なのだから。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      マイヨールが潜水し海の哺乳類たちと同化したい皮膚感覚が、映像や残された言葉から伝わってくる。海に潜る孤独、水圧による急激な身体の変化という苦しみに耐えても深海のしじまには魅力があることも。映像資料が残っているのも強みだし、マイヨールがかなりの変人でアクの強い個性を持つ、風変わりな人生を送った、素材としての面白さも大きい。ただそういった素材の羅列で分析にまでは至っていないため食い足りなさは残る。作り手の主観が少々混じってもいいのでは。

  • ファイティング・ファミリー

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      まるで見世物小屋一座の家族愛に満ち溢れた実話。名付けることや分類されることを拒否する唯一無二な家族形態。しかしこの固有性を突き詰めることで見えてくる有史以来の家族の普遍性と見世物の本質。マイノリティ性を認め最大限に尊重することは生きることへの尊厳へとつながる。家族の依存と自立を描く成長物語。暴力の見世物という一見本質的に異常でありながら感動してしまう感情は、それがあまりにも健全で理想的だと認めてしまうからであろう。この家族愛に嫉妬した。

    • フリーライター

      藤木TDC

      私は90年代から00年代にかけ弱小プロレス団体にハマった人間なので、どインディー選手の成功物語には特別な感慨があり、ヒロインの出身団体がドサ回りする会場の雰囲気や画鋲デスマッチが懐かしくジンときたので★ひとつオマケ。監督の本領、下品ギャグが連発される序盤は大いに笑えたが(監督は出演場面で目立ちすぎだよ。仕方ないけど)中盤以降は紋切り型な落ちこぼれ成長ドラマになり、結末もあまりに性急で単純。結局WWEがコントロールしたプロモ映画だったかと落胆。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      S・マーチャントがこんな器用に娯楽映画を作るとは! プロレスの実話に基づくコメディだが、ベタでなおかつ自由な創意がある。イギリスの労働者階級の実情とアメリカでの厳しいトレーニングという、異なる問題がバランス良く描かれる。イギリスの若者が抱えがちなトラブルと、スポーツ物での主人公の挫折と再起といった、王道的物語が無理なく展開して清々しい。主人公を見守るV・ヴォーンの佇まいも良いし、製作を担当するD・ジョンソンの映画センスはいつも通り抜群だ。

  • ドクター・スリープ

    • アメリカ文学者、映画評論

      畑中佳樹

      「映画のラストは必ず観客がそれまで見たことのない風景を見せなければいけない」と言ったのはトリュフォー。本作品のラストではかの名作「シャイニング」にたっぷりと再会させられる。血の代わりに生気を吸う(意味論的には同じ)ヴァンパイア族と、おなじみシャイニング(超能力)をもった主人公らが死闘をくりひろげる戦いの映画として、これは十分に、抜群の面白さで成立している。なぜ名作の続篇たろうとするのか? この続篇は画龍点晴ではなく龍頭蛇尾である。

    • ライター

      石村加奈

      前々回「IT/イット THE END」の評に、冒険は子供の方が似合うと書いたが、ユアン・マクレガーの存在感には前言撤回せざるを得ない(「プーと大人になった僕」のC・ロビン役でもその威力を発揮していた!)。父親と同じくアル中の中年になっても、5歳のダニー少年同様、特殊能力“かがやき”の似合うこと。「ドクター・スリープ」としての活躍より、少女アブラとの冒険の方がいきいきと見える。二人の敵トゥルー・ノットには「シャイニング」とは異なる恐怖があった。

    • 映像ディレクター、映画監督

      佐々木誠

      原作者のキングがキューブリックの「シャイニング」を「エンジンの積んでいないキャデラック」と評したのは有名な話だ。本作はその続篇だが、かなり気を使って“エンジン”を積んでいる。ダニーをはじめとした超能力者たちの悲哀に満ちた独特の世界がさらに深掘りされ、謎の狂信団体との超能力合戦が描かれるのだが、そのB級っぽさがキングの魅力であり、キューブリックが排除した部分だ。しかし本作はキューブリック版ファンを意識した仕掛けもあり、監督は気遣い疲れしただろう。

  • 読まれなかった小説

    • アメリカ文学者、映画評論

      畑中佳樹

      二人の人物が投げ合う大量のセリフが、ある時はねっとりとからみ合うように、ある時は口角泡をとばしながら、ある時は一見些末なことをめぐって蜿々と、いわば言葉と言葉がしのぎを削る、これは対話の、議論の映画。この言葉の劇というか、言葉を介してぶつかり合う情念の劇によって、背景に置き忘れられた風景の寒々とした佇い(アンゲロプロスのよう)に打たれる。二種の結末を両方とも放置したまま終わる(エドワード・ヤン風の)突き放したエンディングに唸る。

    • ライター

      石村加奈

      読まれなかった息子の小説も、不毛な父親の井戸掘りも切ない。妻に愛されながらも、犬が唯一の存在と断言する父も、田舎のカフェで一人佇む祖父も、みな歪な野生の梨のようだ。自分勝手で弱くて、矛盾だらけで、近親憎悪的にイライラしながら渋っ面を見つめるうち、3時間経つと登場人物たちが愛おしくなっていた。彼らの言う通り「現実はひとつじゃない」し「時の流れは速い」。最後、息子を父の元へ誘う黒い犬と、バッハ〈バッサカリア ハ短調BWV582〉の余韻。豊かな映画だ。

    • 映像ディレクター、映画監督

      佐々木誠

      「何者か」になるため作家を志す大学を出たばかりのシナン。作家で食べている地元のおっさんにナメた態度で偉そうに持論を述べ、相手を怒らせる。どの時代、どの国、どのジャンルでも見られる光景だ。シナンの父親は教師だがギャンブル依存で村人たちの信頼を失っている。短篇連作と見まがうくらい各シークエンスが長く、トータル3時間以上あるが、全てはその誰からも相手にされない親子が繋がるために必要な「物語」だったことが最後に明らかになり、静かに胸が熱くなる。

  • MANRIKI

    • 映画評論家

      川口敦子

      「その着想は、芸人・永野のファッションイベントでの“違和感”」で、「顔デカ、モデル、小顔矯正、日本文化、合コンで鼻取れる女、サスペンス、ホラー、そしてコメディ……というキーワードの数々」から出来上がった映画はでも、笑えない。串刺しのモチーフだけで転がるものを映画とは呼びたくない。この笑えなさ、この不快さが日本の今だといいたいのかと百歩譲って思ってみても空しさは拭えない。「ビューティフル・デイ」のJ・フェニックスもどきの後半の主人公も上滑りで残念。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      半世紀前に描かれた長新太や井上洋介のナンセンス漫画がそうであったように、極限まで研ぎ澄まされた笑いは本来それじたいアートなのだが、わざわざアート的な意匠を凝らして尖端ぶった表現は、作り手の自我をも笑い飛ばすほどの強度をもたず、ただただ痛々しく空回りするだけである。それどころか「このコントを笑えない人間は小さくないか?」と悦に入っているのだから始末がわるい。せめて「くだらなさ」の追求に徹してくれればと思ったが、半端な社会諷刺でそれもかなわず。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      「小顔になりたい」若い女性と「若い男をつなぎとめたい」年配女性を、どんな目にあわせてもかまわないかのように扱う。顔を変形させる。首を切断して命を奪う。作中では事故的にそうなるけど、清水監督たちは意図をもってやっている。愚かな願望とそれにつけこむ浅知恵。そういうものの戯画を極端化するが、これがやはり浅知恵、粗雑。出番が多いのは整顔師として登場して最後は死刑室に送られる斎藤工だが、主役は頭を挟む万力装置か。このチームを窮屈なところに追いつめている。

  • 決算!忠臣蔵

    • ライター

      須永貴子

      監督の求心力には脱帽するが、オールスターキャストが逆に裏目に出た印象。忠臣蔵に詳しくない自分は、見知った顔が多い分すべてのキャラクターが重要人物に見えてしまって情報処理が追いつかず、かなり早い段階でストーリーに置いてきぼりに。300年前のお話と、今を生きる我々を、お金(数字)で結びつけた結果、仇討ちへの想いや決意が矮小化されてしまった。限られた予算内で仇討ちを行うための作戦会議のシーンの映像は、時代劇としては面白い試みではあるけれど。

    • 脚本家、プロデューサー

      山田耕大

      僕が業界に入って間もなくの頃、脚本の大御所、笠原和夫先生にこんなお言葉を頂いた。「『忠臣蔵』を読みなさい。あれには映画のすべてが入っている」。その金字塔の『忠臣蔵』がいま映画になり、経済という新しい視点で描き直している。若い人で、『忠臣蔵』を知る人はほとんどいないが、映画は豪華な俳優陣を配し、コメディタッチでいつの間にか進んでいく。僕が何度も本で読み、映画で観た「忠臣蔵」の旨味は出てこない。そのままの「忠臣蔵」を観たかった、とつい思ってしまった。

    • 映画評論家

      吉田広明

      赤穂浪士討ち入りにはいくらお金がかかったのか。一見面白い視点だが、数字が乱打されるうち次第にそれがどうしたという気になってくる。本作の新味は、マッチョにいきり立つ表の武士と、冷徹に勘定する裏の武士(その代表が大石=堤と、幼馴染の岡村)の間の、画然たる階級差、格差、それでも何とか表を立ててやりたいという葛藤だったはず。しかしそれは薄っぺらいまま掘り下げられず、結局討ち入りを裏=経済から見たというTVの歴史番組程度の話に落ちている。

  • 爆裂魔神少女 バーストマシンガール

    • ライター

      須永貴子

      セーラー服姿での白いおパンツ丸出しアクションや、特殊造形で武器化する巨乳、唐突にも感じる女同士のキスなど、女性に対する幻想と妄想が気にならないわけではない。しかし、見世物小屋とマッドマックスをかけ合わせたようなグロテスクで残酷な造形美が、不満を軽々と凌駕する。覚醒した片腕マシンガールが敵地へ乗り込んでからのアクションシーンを、ワンカットで撮影し、編集時に随所で早送りしてメリハリをつけるアイデアに、俳優と観客に対する監督の信頼と優しさを感じた。

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