映画専門家レビュー一覧

  • ベル・カント とらわれのアリア

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      争い事の多くは「話せば分かる」と思っている。言語が違うことでできる境界線は、どうするか。本作は「ペルー日本大使公邸占拠事件」を基にしている。ゲリラ、国籍が違う人質たち、複数の言語が飛び交うその現場はまるで“世界の縮図”で、加瀬亮の「通訳」が狂言回し的役割を担い、ムーア演じる「オペラ歌手」の歌声から利害を超えた関係が生まれ、そこは徐々に理想郷のような空間へと変化していく。実際の現場も同様だったはずで、その終結は単なる悲劇ではない余韻を残す。

  • ラフィキ:ふたりの夢

    • 映画評論家

      小野寺系

      いまだに同性愛が罪になるというケニアで、新世代の才能ある女性たちが保守的な価値観をぶち破るべく放った渾身の作品。シンプルながら、同性愛への周囲の反応をリアリティをもってすくいとった一つひとつの描写は、現実に存在するだろう同調圧力を見事に表現している。そして環境につぶされていく様子を描きながらも、“何がいけない?”というフラットな価値観を捨てないで、タブーを破壊し前進していくキャスト・スタッフたちの作品への姿勢が、とてつもなくかっこいい。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      主題となっている肝心要の、レズビアンのヒロインの二人が惹かれあっていく感情が見えてこない。この種の物語によくあるエピソードを網羅したことが、かえってドラマを陳腐に。よってラブシーン、親や周囲との軋轢といった関係も表面的にしか思えないのは残念。かといってまったく見どころがないわけではなく、社会に根強く残る男尊女卑に注ぐ監督のまなざしは、見逃さずに受け止めたい。志やよし。本国のケニア国内では上映禁止だったが、限定公開にまで漕ぎつけたそうである。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      同性愛が法で禁じられているというケニアでこの映画が撮られたことの意義や、製作者たちの熱意は充分に伝わってきたし、原色のドレッドヘアや衣裳、装飾は下品になることなく画面を彩り、人物に寄り添ったカメラも時折ハッとするようなショットを生み出しているのだけれど、純粋に映画として面白いかと問われると疑問符がついてしまうのは、二人のヒロインの境遇や物語の流れに過度の都合の良さや既視感があり、直接的なテーマ以上の何かを感じることができなかったからだと思う。

  • 虚空門 GATE

      • ライター

        須永貴子

        6年近くもの年月をかけて、オカルト界隈の人たちに取材をし、UFOを呼べるという俳優に同行して日本各地のUFO目撃スポットを訪れる、作り手の熱量に圧倒される。とはいえ2時間は長い。オカルト好きな人を狙ったタイトルと、興味深いトンデモ人間ドキュメンタリーに落ち着いた内容がミスマッチ。また、インタビュイーとして登場する人たちを紹介するテロップがないのは、このジャンルに明るくない観客に対して不親切ではなかろうか。集めた素材の調理法に改善の余地あり。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        一時ブームになったUFO伝説。今や下火になったとは言え、探求者にとっては永遠のテーマであり、憧れでもある。僕もその一人。妻は何度もUFOを目撃しているし、僕も高三の元旦に特大の“らしきもの”が空に浮かんでいるのを見た。あれは幻だったのか? この映画はそのUFOを追う執念の人々を描いている。「フェイクか真実か」。が、そんなことはだんだんどうでもよくなって来る。そこには探求者たちの夫婦愛、人間愛、切実な現実がある。それこそが見もののとても真摯な逸品。

      • 映画評論家

        吉田広明

        UFO研究家に月人の解剖映像を見てもらう、その中にいた、自分はUFOを呼べるという人に興味を抱き密着、するとその人が失踪したり、その人のインチキ現場捕まえたり、と話がずれてゆくのが人間的で面白い。月人の映像のチープさ、UFOを見たという人の飲食店の異様な張り紙の多さ、呼べる人の自宅の変な画(ちょんまげの町人)と、こういう世界の人は映像センスに癖がある。フェイクでもなく、フェイクの暴露というわけでもなく、人って面白いな、という映画。

    • ひとよ

      • ライター

        須永貴子

        怒濤のオープニングで物語に一気に引きずり込まれた時点で、この映画の勝利を予感。十五年後の“母、帰る”から、家族の物語がリスタートし、加害者家族でもあり被害者家族でもある三兄妹の人生が徐々に明らかになる。そこに絡んでくるサブキャラ(家業だったタクシー会社で働き始めた佐々木蔵之介)のパートが不穏さを添加し、予想外の展開で絡み合い、カタルシスへ。過去と未来、社会と家族の境界線を示唆する、会社と自宅の間にある中庭のシーンで、勝利が確定した。

      • 脚本家、プロデューサー

        山田耕大

        傑作映画を観て、「魂を揺さぶられるような感動を覚えた」などと人は言う。15年前、陰惨な暴力をふるう夫から子供達を自由にしてやりたいと夫を殺した母が出所して彼らの所に帰ってくる。いやらしい言い方だが、魂を揺さぶられそうなおいしい設定である。白石和彌という人はとても好感の持てる監督だ。人を喰った見せかけの映像パフォーマンスなど決してせず、あくまで正攻法で勝負する。いい映画だと思うが、人物を掘り下げる道筋が少しズレて、魂まで届かなかった気がした。

      • 映画評論家

        吉田広明

        DV夫を轢き殺した母親が十五年ぶりに帰り、嫌がらせが再発するのだが、それが誰の仕業なのか分からないままなのは問題だと思う。顔が見えない悪意として演出されているのでもないようだし、要するに彼らを囲む「社会」を明確にしようという意思がないということだろう。敵がはっきりしないから、母親自身も含めた「社会」と三人がどう対峙し、自分を見出してゆくかクリアに像を結ばないのだ。場所が限定される演劇なら「外」は暗示でいいが、映画ならそうはいかないのでは。

    • マイ・フーリッシュ・ハート

      • 映画評論家

        小野寺系

        “天才”をどう表現するのかというのは、伝記映画の継続的な課題。本作は人間くさいネガティブな部分にフォーカスすることで人間としてのチェット・ベイカーを見出しつつ、さらに“悪魔との取引”という宗教的な概念を絡めながら、ノワール調で死に至るまでの苦悩を表現し、人間性と才能の間に一つの関係性を描き出すことに成功した、希有な作品となった。ガス・ヴァン・サントの「ラストデイズ」と重なる点も多いが、より突飛な展開が生む混乱が、作品に奇妙な独自性を与えている。

      • 映画評論家

        きさらぎ尚

        まず画面のチェット・ベイカーを演じている俳優の崩れた形相に本人が重なり、その衝撃で物語に一気に引き込まれる。徐々に、死の前の数日間のとことん堕ちた姿に暗澹たる気持ちにさせられるが、それにしても端正なかつてのルックスを知る身からすれば、非業の死を遂げた数多のミュージシャンの中でもひときわ辛い。彼の死の真相を刑事に探らせるというアイディアは良いが、この刑事が捜査にのめり込む動機に自分の抱えている妻との問題を絡ませたのは、物語として脆弱。音楽は◎。

      • 映画監督、脚本家

        城定秀夫

        チェット・ベイカーの謎の死を題材にしているとはいえ、完全なるフィクションであり、死者の語りからはじまる映画はチェットの晩年の美しく枯れたトランペットの音色と共に不気味に蠕動しはじめるも、彼の死の謎を追う孤独な刑事とチェットの物語は並行時空に存在しているかのようで、現実でもあり各々の精神世界でもあるそれらは、なし崩し的に時間の概念を溶かされ、必然の帰結といわんばかりに同じフレームの中で重なってゆく……てカンジの伝記映画を装ったドラッグムービー!

    • グレタ GRETA

      • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

        ヴィヴィアン佐藤

        ハネケ作品群や「エル ELLE」、「クレアのカメラ」などハリウッド以外世界中の作品に出演しているイザベル・ユペール。数年前の仏映画祭大使のパーティ会場で、同席していたドヌーヴに会場のマスコミが殺到する中、誰も彼女の存在に気付いておらず私は話しかけた。そんな存在感を全く消し去ってしまうような非存在の作法。ペルソナが?がれ落ち、私は誰と話しているのか困惑した経験を思い出した。肌理の細かいジョーダン作品の質感と、映画としての観客へのサービスを堪能。

      • フリーライター

        藤木TDC

        「エル ELLE」が素敵だったイザベル・ユペールおば……否、姐さんがまたも怪演炸裂。ヴァーホーヴェンに続きニール・ジョーダンとは巨匠喰いな熟女優だ(小物だが私も喰われ……いや撤回)。善意が発端のストーカー恐怖劇はヒッチコックな格調の序盤からツイストを重ねてムード激変。安っぽい脚本をリストやショパンの曲を用いた効果と撮影監督の技量でブラッシュアップしてるものの、これは何のジョーダン? と当惑も。DVDストレートやネット配信なら拾い物だったろうが。

      • 映画評論家

        真魚八重子

        N・ジョーダンがB・デ・パルマをやってみたような、ありえなさと夢現さが同居するスリラー。サイコ物はこのくらい押しが強い方がゲテモノに振り切れていて良い。イザベル・ユペールが元々持っている無表情さが高圧的な恐怖に変じていて、キャスティングがベスト。物語の骨格として異邦人と接した際の、たとえば都市伝説の形を得ていくような無意識の警戒も根底に滲む。高尚さを求めず露骨に不安心理を突くサイコサスペンスとしての、畳みかけと犯人を追いつめていく力技も豪気。

    • 夕陽のあと

      • ライター

        須永貴子

        観客に問題提起するテーマとストーリーは至極まっとうだが、いくつもの驚きがある。貫地谷しほりがファーストシーンの眼差しだけで、その後の物語を予感させたこと。永井大が二枚目俳優ではなく、島の漁師であり父親にしか見えなかったこと。なにより、産みの母と育ての母が取り合う少年の愛くるしさに説得力がある。ロケ地に暮らす素人の少年の、養殖ではなく天然の魅力が、そのまま映像に映し出され、劇映画として成立している。いったいどんな演出をしたのだろう。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        金が尽き、乳飲み子の息子をネットカフェに置き去りにしてビルの屋上から飛び降りようとする女。が、柵を乗り越えようとした時、それで息子をあやしていたオモチャの携帯を取り落とし、そこから陽気な『おおスザンナ』が流れる。悲しい場面に楽しい音楽がかぶるとますます悲しくなる。黒澤明もよく用いた、対位法である。夕陽が痺れるような効果をもたらしている。隙がまったく見られない立派な映画だ。が、客は勝手なもので、題材にどこか既視感があるのに不満を抱いてしまう。

      • 映画評論家

        吉田広明

        家族として愛情をもって育ててきた育ての母と、貧困と孤絶故に捨てざるを得なかったが、今子供を取り戻そうとする生みの母。しっかり作られていて好感は抱けるし、メッセージ自体(子供は一人の親のものではなく、社会全体のもの)は現在的であり、重要だとは思うのだが、登場人物の全員が善人過ぎて、葛藤がギリギリのものとして刺さってこない。是枝のようにあえてエグくする必要もないが、汚れ役の一人も置いて、生みの母の苦境を社会的に際立たせてもよかった。

    • 国家が破産する日

      • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

        ヴィヴィアン佐藤

        いまや産業は日本に迫り、映画をはじめ文化水準は高い韓国。30年にも満たない過去に国家が破産したことを思い出す人間も多くはない。当時の韓国銀行の通貨政策チーム長の明晰な頭脳と活躍、国家をおもんぱかる姿勢。そしてIMFの悪巧み。上手なサスペンスドラマとして昇華した作品の誕生は、国家の破綻は完全に過去の出来事/歴史として整理ができた証なのだ。歴史や責任における意識がエンタメ作品だからこそ浮き彫りになる。日本も同様に映画作品から読み取られているはずだ。

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