映画専門家レビュー一覧

  • 国家が破産する日

    • フリーライター

      藤木TDC

      本作を見ながら思い出す。韓国で通貨危機が起きた年、日本も拓銀や山一が破綻し政府が金融機関救済に兆円単位の公金投入を決めた。だから日本人は本作を他人事と笑えない。ただ映画は色気ゼロ、シャレっ気ゼロで比喩ではなく笑える場面もゼロ。劇場公開ならもう少し観客サービスしないと。ヒロインも高飛車なカタブツで魅力がないうえ、作戦不発にかかわらず投資顧問会社になって生きのびるのにも不満。教訓は「人民は弱し官吏は強し」か。日本も自民党がなお政権を続けている。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      国家単位の経済問題を、シャープかつサスペンスフルに描いた硬派な作品。語り口は群像劇になっているため、国の中枢、一般的な投資家、町工場を営む庶民の異なる視点で語られるので飽きないし、難解な用語も流れでクリアできる。リーマン・ショックを中心にした「マネー・ショート」の抜群な面白さをモデルにしているような脚本の作り方だ。世間が金融危機の訪れに気づかない中、歯止めをかけようとする者と機に乗じて策略を巡らす者の知的攻防戦が、劇的に展開して痺れる。

  • 永遠の門 ゴッホの見た未来

    • アメリカ文学者、映画評論

      畑中佳樹

      音楽が素晴らしい! と耳を切り落とした画家、ゴッホについての映画に向かってあえて口走ってみる。正確にいえば、ピアノの音楽、いきなりの無音、自然音、仏語英語の語り、人物の顔、動き、カンヴァスに線を描く音、光、カメラの揺れ、そういったもの全てがどうブレンドされ、モンタージュされるか、という意味での官能の音楽に酔いしれた。人はこういうスタイルを詩的というのか、錯乱しているというのか、私は単に映画の原点といいたい。時々目をつむれるくらい気持ち良い。

    • ライター

      石村加奈

      60代のウィレム・デフォーが30代のゴッホをのびやかに、みずみずしく、表現する。時折スプリット・ディオプターを使用した、ブノワ・ドゥロームのカメラが、ゴッホの視点となって、ゴッホが見つめる世界の美しさや広さ、希望や絶望を生々しく提示する。これはゴッホという画家を通して、ジュリアン・シュナーベル監督の芸術論を描いた映画なのだろう。「残された者?」のマッツ・ミケルセン扮する聖職者とゴッホの対話が印象的だ。ゴッホ自殺説を覆した、本作の見事な予兆となる。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      ステディカムが当たり前の今時にしては珍しいほぼ全篇ブレた手持ちカメラでゴッホの見ている日常=「世界」が描かれていくのだが、それは誰もが知る名画が誕生するのを目撃しているような生々しさがあり、絵の存在以上の価値まで目の当たりにさせられる。見た目が自画像のゴッホそのままという、キリストに続き“死後有名になった人物”を演じたデフォー。ゴッホが生涯悩まされた幻覚を映像で見せず、彼の憑依した様な人物造形と描かれた作品だけで表現されているのが凄まじい。

  • スペインは呼んでいる

    • アメリカ文学者、映画評論

      畑中佳樹

      英国人中年男二人がスペインを旅しながら何をするか。お喋り怪獣よろしくひたすら喋りまくる。美食、絶景、伝説の古城に目を見張るのは観客に任せて、当の二人は旅そっちのけで馬鹿話、与太、蘊蓄、映画の物真似、まくしたて放題の駄弁雑言三昧境。私がもし三人目の同行者だったら発狂している。英国人ってこうだよねと思ったり、英語が世界を征服したのはこいつらのせいかと思ったり。どうしても映画になりきれない映画未満の旅を描いている、というのが面白い、のか?

    • ライター

      石村加奈

      前作のイタリアから、今回はスペインへ。スティーヴ&ロブコンビの丁々発止は、どこへ行っても健在だ。エスプリの効いたトークと、似ているかどうかはさておき、ゴキゲンなおっさんずモノマネ合戦も楽しそうで何より……と傍観していたら、息子のドタキャン辺りから雲行きが怪しくなって、まさかの結末へ。作中、何度も繰り返され、いささか食傷気味になっていた、中年男の夢落ち話も、爆笑グルメトリップからリアルな物語へと繋ぐ、素晴らしい伏線に。マイケル・ウィンターボトム健在だ。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      同業の友人と旅して、行く先々の美味いものを飲食しながらバカ話を繰り返すのが何よりも好きだ。本作はそれをまんま描いていて個人的に最高なのだが、これが(雑な言い方だが)ちゃんと「面白い映画」になっているのが凄い。ウィンターボトムは、実在の人物や事柄をフィクションに入れ込むのが本当に上手いな、と。マルチカメラでアドリブ長回し、その役者間のリズムを編集のリズムに合わせ、さらに絶妙なタイミングで伝家の宝刀ナイマンの〈Molly〉を重ねる職人技の気持ち良さ。完璧。

  • 残された者 北の極地

    • アメリカ文学者、映画評論

      畑中佳樹

      男一人生きのびるための様々な創意工夫が面白い極北のロビンソン・クルーソー生活と思いきや、そこへ重傷を負った若い女が現われ、彼女を救うための苦難の道行きが始まる。女を橇にくくり付けて男が引いていく途上で、装備を失い、燃料も尽き、要するに遭難者がまた遭難して、しまいには男(マッツ・ミケルセン)が十字架を引いてよろめくキリストに見えてくる。不必要な要素をぎりぎりまで削ぎ落とし、唯一無二の構図に煎じつめたラスト・ショットのなんという美しさ!

    • ライター

      石村加奈

      腕時計のアラームに忠実に従った、遭難者オボァガードの几帳面な日常が淡々と描かれる。湖に仕掛けた釣り竿は、魚がかかれば鐘が鳴って知らせる周到さだ。ホッキョクグマの恐怖を分かち合う人のいない孤独感、寒さや飢えにひとりで堪え忍ぶには、ルーティンをこなす聡明さが肝心なのだろう。生き長らえてこそいるものの、救助への期待など微塵も感じさせぬ遭難者の厳しい表情が、瀕死の女性の登場からとけてゆく。言葉にすれば陳腐だが、他者の存在が人間たらしめる。圧倒的な説得力だ。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      若い頃、インドの旅の途中で電気もなにもない人里離れた山奥に行ってしまい運悪く高熱を出して倒れた。夜は真の闇で虫だらけ、雨も降り薬もない。しかし頭はなぜか冷静で、無駄のない対処を自分に施してなんとかなった。本作を観て、そのちょっとした危機的状況に追い込まれた時の生存本能を思い出した。全篇状況説明がなく、北極の雪原でたった一人淡々と己と対峙して「本能」を体現する主人公、その行動を追うだけのストイックなサバイバル“体験型”ミケルセン劇場。大いに堪能。

  • 積むさおり

    • ライター

      須永貴子

      どんなに愛し合って結婚しても、日常生活でのストレスが積み重なっていく。夫婦に限らず、同棲やルームシェアを経験した人なら誰もが知るベタ中のベタな感情を、特殊メイクアーティストでもある監督が独創的に映像化。夫の咀嚼音をはじめとする不快な生活音や、ストレスから難聴になった妻に聞こえる音世界など、巧みな音響設計に引き込まれ、妻の心境を擬似体験できる。ヤン・シュヴァンクマイエルのような悪夢的かつ寓話的なクライマックスでも監督の本領が発揮されている。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      結婚五年目の夫婦の、何事もなく平穏で、退屈でさえある日常生活。そこに何かが侵入してくる。夫が持ち帰ってくる会社の同僚の話や、それまでは気にもならなかった夫の咀嚼音。犬の散歩に出た妻は、公園の隅に積まれた枯枝の中に、奇妙な穴を見つけ、それから耳鳴りが始まる。それまで何気なく目にしてきた日常の様々が、異様なものに見えてくる。うまいなぁ。音が映像以上に語っている。夫婦の日常生活に潜む底知れない怖さが鮮やかに浮かびあがっている。が、もっと長尺で観たかった。

    • 映画評論家

      吉田広明

      中年夫婦、何事もきっちりした妻が、どこかガサツな夫の些細な仕草、その音が神経に障り、その苛立ちは、林の中で耳の穴によく似た穴を見つけたことで亢進してゆく。くぐもったり、いきなり高まったり、音の設計に注意が払われている。妻の不満が一瞬に爆発した程度で元通り。ささいな違和が、我々の無意識次元で抱く怖れにまで触れ、不意に深遠な所に連れ出される、わけではない。狙い自体が編集や特撮に凝る方にあったろうが、脚本の掘り下げに注力してもらいたかった。

  • 象は静かに座っている

    • 映画評論家

      小野寺系

      タル・ベーラに師事した監督らしく、少ないカットで構成される長尺によって人々を描くスタイルが堂に入っていて、20代の長篇デビュー作と聞くと感心してしまう。さらに、寒々とした中国の田舎町を切り取った映像や、演出のあちこちに繊細な感覚や現代的要素が息づいているところが素晴らしく、動的なカメラはエドワード・ヤンとは違った雰囲気を作り上げている。本作の監督なら、間違いなく師を継承する傑作をものにしていたのだろうと思えるだけに、急逝が悔やまれる。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      大所高所に立ち、生きづらい世を懸命に生きる人を描くのとは対照的に、地面から生き場所を探す人間をとらえたこの映画は、感動と怖れが終始交錯する。憂鬱、不信、怒りに支配された人物の絶望を象徴するどんよりとした灰色の映像。その人物の表情に焦点を合わせ、背景をぼかすセンス。人はどこにでも行けるが、どこも同じで、一番良いのはここにいて向こう側を見ることかもしれない。でも遠くから聞こえる象の鳴き声を希望と思いたい。秀逸なラストシーンは監督の意図の凝結と見た。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      人物の動きを緻密に計算し、その計算があざとい形で表出しないよう更に幾重にも計算を重ねて成立させている超絶ショットの連続には舌を巻くばかりで、これが20代の新人監督の手によるものだというのはにわかには信じ難いが、深刻にすぎる厭世観に貫かれた物語は若さ故なのかもしれない。この天才監督が今後どう成熟していくのか、このスタイルを通すのか、あるいは涼しい顔で切り返しも撮るようになるのか、などと思いを馳せても彼はもうこの世にはいない。自殺なんて悲しすぎる。

  • 少女は夜明けに夢をみる

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      少女たちがカメラの前で絶望的な過去を振り返り、自らの言葉で語り直し、将来に向けて歩み出す奇蹟の瞬間に立ち会う経験。監督=証人としての立場を疑似体験する。語り直しが行われ、暗闇から抜け出る彼女たちの姿を見出す安堵。映画(=語り直し)の治癒効果の可能性。どの社会も歪みや皺寄せは見えない弱者に集中する。このような物語は異国の遠い話ではなく、私たちのすぐ隣の部屋でも起きている。監督は父親の会社倒産を経験し、ワイズマンの門を叩きこのスタイルに到達した。

    • フリーライター

      藤木TDC

      誰も見たことがなかったイランの少女更生施設は一見、衝撃的。黒いチャドルをまとい収監されるあどけない少女たち。スマホもテレビも映り込まない古びた施設は発展途上国の暗黒を感じさせ、少女たちへの同情を強く煽る。ところが現実のイランは中東の先進国で、更生施設の外には欧米や東アジアと変わらない都会的でハイテクな風景がある。だから映画は彼女らを苦境に追いやった社会環境も並行して見せるべきだった。厳しい検閲のせいで描写に限界があったのかもしれないが。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      見た目はおとなしい少女たちが、強盗や父殺しについて告白する落差のインパクト。男尊女卑社会や貧困では当然、「女」の「子供」という弱者に負荷がかかってくる。親の麻薬代を稼ぐための強制売春や、そこから逃げ出した流浪の罪は、施設の入所によって中断しているだけで、家に戻れば問題はぶり返す。明るく歌を口ずさんだかと思えば、すすり泣きへと情緒が不安定に変化する現実の侵食。彼女らの施設での落ち着いた様子よりも、出所となり車に乗り込む後ろ姿の頼りなさが目に残る。

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