映画専門家レビュー一覧

  • 最初の晩餐

    • 映画評論家

      川口敦子

      実父母と監督が共演した短篇「クレイフィッシュ」で対峙した家族、死をめぐる経験あってこその処女長篇は、実を虚にするための歳月を経た脚本に支えられ「家族ってわからないもの」という懐かしくも涙ぐましい普遍を不器用に、だが切実に射抜く。ゆっくりと紐解かれていく家族の歩み。兄帰るの瞬間の遠い眩しさ(窪塚洋介!)。終盤のいらない種明かし的な部分がなければなと、そこだけ残念。台所の狭さの居心地良さ等々、家族の場所、その実感を映像化する美術の力も忘れ難い。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      是枝裕和の諸作品や野尻克己「鈴木家の嘘」など、日本映画でもようやく家族の自明性に対して異議を申し立てる作品がつくられるようになったが、この映画はそのなかでももっとも成熟した達成といえよう。手堅いキャストから、その手堅さ以上の説得力を引き出した演出の手腕。情感に陥りそうな場面もみごとにこらえて忘れがたい余韻を残す。作劇上、斉藤由貴の告白にすべてを集約させてしまいがちなところをサラリと切り抜け、「外」の人間に最後の一品を運ばせるラストには唸った。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      スローテンポ。大事なことを人はこんなにも言わないものか。また知る力もないのか。疑問は残るが、家族、とくにたがいに連れ子をもって一緒になった夫婦のかかえる苦悩が理解されるまでに時間がかかることはあるだろう。最近はこんな感じの役がつづく永瀬正敏がお父さん。その通夜の話。彼の遺志にしたがって妻の斉藤由貴が思い出の料理を出していく。この仕掛けでいちいち回想が入る。脚本も編集も常盤監督。段取りありすぎで膨らみがなく、三人の子は魅力ある人になれない。

  • 閉鎖病棟 それぞれの朝

    • 映画評論家

      川口敦子

      監督は「グラン・トリノ」を思っていたとプレスにあり、だからこそ十字架を背負った老人の覚悟と行動が原作以上に映画の柱となったのかと納得。イーストウッド映画の死の淵を覗きこみつつの痛快さは確信犯的に回避する選択にもまた肯いた。ただ小説にある時の幅、各人物の過去、それを映画で単なる回想場面でなく伝える試み、時の省略法を支える意欲が実り切れずにいて惜しい。端正な語り口、奇を衒わない撮影、編集。ああ映画! と思える映画を前につい欲を言ってしまうのだが――。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      前半から中盤にかけては、抑制と誇張を心得た語り口で一人ひとりの物語に没入することができた。が、小松菜奈の失踪から裁判劇へと至る後半は、明らかに描くべき重要な要素を欠いている。近作では「宮本から君へ」がそのことに言及していたが、性暴力被害の傷をどう癒すかという問題を加害者の処遇に直結させるのは如何なものか。しかもここでは加害者をめぐる?末は描かれても、被害者が傷と向き合う過程は描かれない。結果、それぞれの自立へ到るドラマも焦点がぼけてしまった。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      精神科病院の患者たちの世界。医師でもある作家の原作。書くのも簡単じゃなかっただろうが、役者が「病気」を演じる映画はもっと大変。半端な倫理や美意識では扱えない題材への、平山監督の執念と覚悟に敬意を抱く。どんな意味での面白さよりも、いわばこの世の底辺での人間の条件を確認することが、すべてのシーンの前提だ。映画だけがおこせる奇跡へと持っていくには、もう何歩かと思うが、それを派手にやらない矜持ありとも感じた。鶴瓶と綾野剛、これまでにない顔を見せた。

  • マチネの終わりに

    • 映画評論家

      川口敦子

      もう若くはない男女のすれ違いの恋。メロドラマに徹してタイトに濃やかに映画化する手もあったろうと、時代劇も戦争ものも恋愛映画も大作という額縁に収めて薄めるメジャーな日本映画の今、何が面白いかとは別の何かをまず睨む企画の貧しさを恨んだ。例えば重要なモチーフとして登場する割に機能していないヒロインの継父が撮った映画の挿話も、原作にはあるその内容、リルケの詩、戦争との関連等々の細部を大事に活かせる規模で映画にすれば観光的な国際性とは別の核を持てたのでは。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      一言で言えば「不正操作」をめぐる物語である。福山、石田のたたずまいが、嫌味な理屈屋に見えてしまいがちな男女をそれなりに好感の持てる人物にしている。が、この物語の真価は、人物への共感ではなく、空間演出の工夫や微細な所作の積み重ねがあってこそ発揮されるのでは。社会派風のシチュエーションを用意して持って回った会話を繰り広げるだけなら、辻仁成の作品で事足りる。ギターの音色もここぞという場面でのみ鳴るべき。桜井ユキの狂気を宿した目の演技は素晴らしい。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      重森カメラマンでフィルム撮影ということで期待した感触も、平野原作の純文学らしさも、腰おもく、でもようやく出てきたかというところで、ガーンと骨董品的メロドラマ展開。呆れつつ、西谷監督がこれをどう切り抜けるかという興味で見た。結ばれない二人の、相似的な愚かさと「そうなるしかない」をとりすまして追う。前半からの国際的時事性とゴージャス感は底をつく。ただ次への希望を消さないようにという話の運び。福山雅治のアーティスト、こんな人が確かにいるとは思った。

  • キューブリックに愛された男

    • 映画評論家

      小野寺系

      運転手兼雑用係だったエミリオが、長年の雇用関係のなかで信頼関係を築いたからこそ知り得るキューブリックの一面を垣間見ることのできる作品ではあるが、エミリオ自身は映画自体にほとんど興味がないので、彼が参加していたはずの製作の裏事情の部分については食い足りないし、能動的な部分がそれほど見られないため、エミリオの一代記としても薄味な印象が残ってしまった。映画づくり以外の部分にまで興味を持つような、キューブリックのディープなファンなら楽しめそうだが……。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      「時計じかけのオレンジ」でキャットレディを殺す場面の凶器になった男性性器のオブジェ。映画は、それをスタジオに運び、私設運転手になった男の思い出語り。一般人というのがポイントで、天才監督の人間性が横溢。人情劇の味わいがある。なかでも遺作「アイズ ワイド シャット」にまつわるエピソードには、二人の温情がたっぷり。「アイズ?」のカフェ・エミリオはキューブリックの感謝の気持ちだったのね。それにしても天才との30年間、作品を一本も見ていなかったとは、愉快。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      「時計じかけのオレンジ」の巨大ペニスの運搬をきっかけに30年にわたってキューブリックの世話係として仕えたこの男、映画監督としてのキューブリックには全く興味を持っておらず「尺が長いから」という理由で晩年まで作品を観ていなかったという話には驚くが、翻って考えると、だからこそ続いた関係なのかもしれない。彼を通してキューブリックの知られざる私生活と愛らしい横顔を覗けるのは楽しいし、名状しがたい不思議な絆で結ばれた二人を見ているとなんだか涙が止まらない。

  • キューブリックに魅せられた男

    • 映画評論家

      小野寺系

      「バリー・リンドン」に出演していた、あの青年が裏方にまわり、キューブリック後期作品製作における最重要人物になっていたとは……! その大小にこだわらぬ八面六臂の仕事ぶりにくわえ、キューブリックの死からの、見返りをも求めぬ映画の殉教者としての振る舞いには後光すら差して見えるほど。よくぞここにスポットライトを当ててくれた。キューブリックのファンは必見の一作だが、取材対象が素晴らしい反面、発言の内容と映画の映像をかけ合わせるような演出には工夫がない。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      「この監督と仕事がしたい」。魅せられた男、L・ヴィターリは「時計じかけのオレンジ」を見終わって開口一番そう言ったそうだが、俳優というキラキラのキャリアを捨て、キューブリックの現場助手になったのだから、常人からすればやはりこの男も尋常ではない。天才監督に重用され、ヴィターリ自身も様々なことに関与するその様子は、「?愛された男」とは好対照。この作品は胸が苦しくなるほど。まさに火に魅入られて自ら羽根を燃やす蛾だ。2作品のカップリング上映はお値打ちもの。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      「?愛された男」と対照的に、こちらは監督キューブリックの才能と神秘性に惚れ込み、地獄の映画製作を陰で支え続けた男の話。彼の功績はこの映画で少なからず世間に知られることにもなるのだろうが、当の本人はそれすら望んでおらず、ただ天才と一緒に映画を作りたいという一念で自身の全てを捧げたその情熱にはキューブリックに劣ることのない狂気を感じる。二人の男を媒介にキューブリックのアンビバレントな人間性に肉迫せんとする映画なので、ぜひとも二本セットで観てほしい。

  • マイ・ビューティフル・デイズ

    • 映画評論家

      小野寺系

      結ばれ得ない二人が、喪失感や孤独感にさいなまれている瞬間に、ほんの一瞬交差し共鳴する姿が切なく美しい。スケールが小さく、あまりにあっさりとしていてロードムービーとも呼びにくい小品だが、そのつつましさが作品にリアリティと愛らしさを与えているのも事実。リリー・レーブが見事に実在感をもって演じる主人公、スティーヴンス先生ならずとも、ティモシー・シャラメが演じる少年に象徴される、われわれが日々失いゆく“純粋さとパッション”には心動かされるだろう。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      ドラマチックなことが起きるではなく、特別な仕掛けもない普通の話に、ごく当たり前に気持ちが反応し、共感できる。各人のキャラクターの根っこになっているものをきちんと押さえているのがその要因。引率教師の情緒不安定は母親を亡くした喪失感。リーダー的な女子は才気が空回り気味。ブレイク前のシャラメが演じる生徒には行動障害が。ゲイであることを表明している生徒は実際の恋愛に奥手。学校から離れた3日間で各人が抱える事情が露わになるが、その見せ方が◯。てらいがない。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      今やみんなのアイドル、シャラメ君が大ブレイクする以前に製作された小品で、悪い映画とは思わないし、ハマる人にはハマりそうなムードはあるのだけれど、個人的には殆ど響かない内容だった。心に闇を抱えた高校生と女教師の物語という時点でドキドキしてしまうのは自分のポルノ脳ゆえで、そっちの期待に応えてくれないのは仕方がないが、キャラクターに力がなく、演出も間違っているとは思わないものの、カット割り等に監督の意思が感じられず、90分に満たない尺が長く感じた。

  • CLIMAX クライマックス

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      自ら「誇りをもって世に出すフランス映画」と自信たっぷりに開幕する待望のノエ劇場。DJプレイのようにノンストップで移り変わっていく「模様」。そういえばいつでもノエの世界は、連続していて移り変わる状況や感情、もしくは倫理の「変化」や「時間」そのものではなかったか。クレジットで「rectum」=直腸という文字を発見したが、「アレックス」に登場するクラブも「RECTUM」であった。大きな肉体の内臓に放り込まれた子供たちは、分裂し消化され怪物に変化していく。

    • フリーライター

      藤木TDC

      素晴らしき狂乱と汚物にまみれた泥酔者たちの残酷喜劇。この監督毎度おなじみラリハイ刃傷沙汰だが、ダンサーの打ち上げパーティーを舞台にしたため存外に芸術的。酒と薬に酩酊してゆくにつれ、彼らのグニョグニョした肉体の重なりが宴の混乱をこの世ならざる光景に変えてゆく。悪霊不在の「シャイニング」的惨劇はすべて人間の業ゆえに下品度マックス。願わくば荒廃した成人映画専門館か場末のディスコで飲酒しつつ見れたら。シネコンでシラフの座り見じゃ射精感は得られない。

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