映画専門家レビュー一覧
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フッド:ザ・ビギニング
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
私は好きな作品ではないが、このような痛快エンターテインメント時代活劇はあっても良いと思うし、完成度も高い作品。タロン・エガートンの演技や監督の手腕も素晴らしい。批評でその作品が生まれる背景や現象として作品を捉えることは可能ではないのか。同時代性や集団的な無意識をそこから読み取る姿勢だ。この作品からは製作者側の同時代性や製作の必然性がまったく伝わってこなかった。特殊なレンズを駆使しハイリゾ撮影をこの作品で実現する意義とは?
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フリーライター
藤木TDC
中世英国が舞台でファスナーついてそうなデザインスーツや「マッドマックス」めいた改造兵器が登場。荒唐無稽だが活劇として優れた見せ場もあり中高年男性も楽しめる。悪の根本をカソリックに置く設定や、香港やパリの街頭デモを思わせる民衆蜂起の描写にも驚き。権力が十字軍出兵の背後で仰天の陰謀をめぐらすのはトランプ政権への当てこすりか。まぁ主要男性キャラの動因が女の取りあいって部分は情けなくもあり、ふられて暗黒面まで落ちるヤツに至っては、お前小せえよ、と。
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映画評論家
真魚八重子
最近下火になってきたヤングアダルト系作品。時代考証をあえて無視して現代風かつ華美に見せる演出は、そういうものなのだと思えば受容できる。ロビンが弓の稽古によって上達していくモンタージュや、街中でのアクションはキレがあって楽しいが、B・メンデルソーンのいけ好かない中間管理職への配役は既視感がありすぎる。主役が義賊の場合、倫理面での解釈は追究しなければいけないテーマだが、本作は善悪を一元的に描くことでその問題から目を背けており、些か子供騙しの印象。
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天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント
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映画評論家
小野寺系
著名な人々にぶつけている「なぜあなたは創造的?」という共通の質問は、さすがに抽象的過ぎて、それぞれの答えに接点もまとまりも見いだせていない。この結果は早い段階で予想できたはずだったのでは? それぞれの取材対象は、一人ひとり深く取材すれば絶対に重要な何かに出会えるはずの人物ばかりなので、もともとのコンセプトに問題があるとしか思えない。なので途中からはセレブと対話することそのものに目的が移行したような、ミーハーなドキュメンタリー作品になってしまった。
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映画評論家
きさらぎ尚
時にアポなし、ぶら下がりで質問する手法はマイケル・ムーアにやや近いかも。それゆえ各人の答えもさることながら、答える人のリアクションが面白い。挿入されているアニメーションも可愛らしい。それにつけてもスティーヴン・ホーキングが言う「どこかに到着してしまうよりも、希望を抱きながら移動している方がずっといい」といった示唆に富んだ名言に膝を打つ! こんなにも大勢の才人たちに質問した結果、監督が抱いていたクリエイティヴの実態はどう見えたかに興味が募る。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
「あなたはなぜクリエィティヴなのですか?」という問いには奥深いものを感じるし、それを世界中の天才たちにぶつけてまわったらさぞカオスなことになるだろうと思ったのだが、存外にまとまりのいいドキュメンタリーになっており、一つの答えに対して関連のある答えを緩く連鎖させる構成には技を感じるとはいえ、それにより大きな思考の流れが出来上がる道理もなく、結局は偉人名言集的な作りに陥っているようにも思え、考えさせられる部分はありつつも食い足りなく感じてしまった。
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WALKING MAN
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映画評論家
川口敦子
♪黒い雨降る工業地帯♪川崎の切り取り方、撮影芦澤明子の底力が光る。その町のどん底の日々、這い上がりたい心、届かせたい叫び――いってしまえば相変わらずな青春、何者かをめざすひとりより、それを取り巻く周縁の人々の纏った闇に目が向く。石橋蓮司! ラップバトルの金髪女子が咆える♪いつまでストリートつらいっていってんだ♪がつきつける客観! 等々、興味深いパーツは少なくないのにそれを繋ぐ関節(脚本、演出、主演も?)が弛緩している印象を拭えず残念。
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編集者、ライター
佐野亨
若者の自己実現をテーマにしたありがちな物語と思いきや、人物造形にも演技にも、川崎という舞台の切り取り方にも、どっしりと重たい当事者性が宿り、「自己責任」を押しつける社会やマイノリティ差別に対する行き場のない怒りが観る者に自然と伝播、後半に向けてグッと拳が固くなる感触があった。あまり効果的でないスプリットスクリーンやスローモーションの使い方は再考の余地ありだが、これが第1回作品というANARCHY、明らかに映画に愛されている。第2章が待ちどおしい。
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詩人、映画監督
福間健二
ANARCHY監督、そのラップの魅力の一面はおっさん的率直さで「普通」の足場に立つところだと思う。ここではそれが不発。野村周平の主人公は吃音気味で思いをちゃんと表現できない。その殻をどう破るか。下流の極貧だからといってこんなに痛快さなしでいいはずがない。家族や同僚はいてもコミュニティーのない空間と、あとはヤバい繁華街。いまの現実の底辺はこうだとするには、ちゃちなフィクションに頼りすぎで、外国人をおいても不自然に狭い。ラップのバトルもおとなしかった。
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最高の人生の見つけ方(2019)
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映画評論家
川口敦子
J・ニコルソン+M・フリーマンのオリジナル作の“もうご勝手に”な展開をそれでも成立させたスターの力。今回の小百合+天海(相性もいい)にもそんな力は実感される。少女の夢を代行というリメイク版のアイディアも、国民の夢を代行したスター吉永にはいかにもふさわしく、そのふさわしさに無駄な抵抗をしない彼女が自分の場所を素直に究めて獲得した久々の輝きが、あきれるしかないプロットにも目をつぶらせる。これをウェルメイドな映画といってしまうことには抵抗したいけれど。
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編集者、ライター
佐野亨
吉永小百合と天海祐希のタイプキャスティングから一歩もはみ出さない人物描写の貧しさが映画全体に及んでおり、早い段階でこの二人の行く末にいささかの興味も持てなくなる。周辺人物ふくめ、内的な情動をさっぱり欠いた状態のまま、気がつけばあらゆる問題が解決してしまう展開に?然茫然。「チェンジング・ムービー」というふれこみだが、段取りと予定調和があるだけで、本質的な変化の瞬間はついに一度も訪れない。残るのは「最高の人生(の終活)は金次第」という感想だけだ。
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詩人、映画監督
福間健二
こういうリメイクの前例を思いつかない。勝負するとしたら、旅に出る二人が、自分たちと内輪の問題だけでなく、女性だからこその感受性で他者と世界にどう向かうかに突きどころがあっただろう。いちおうオーラありの吉永小百合も、啖呵を切れる天海祐希も、そして物語上のありあまるお金も、こんな使い方が精一杯という企画。その枠内で、犬童監督たちはなんとか映画という夢の、持たざる人々への初期的な機能のカビをはらっている。ムダ多いなかで満島ひかりは効率よく存在する。
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ブルーアワーにぶっ飛ばす
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ライター
須永貴子
ブルーアワーに歌いながら歩く少女を背中から捉えたオープニングをはじめ、主人公の心情が表出する映像にハッとする。監督の分身である主人公を演じる夏帆はこの役で自身の最高到達点を更新。一泊二日で一緒に帰省する友人を演じるシム・ウンギョンとの遠慮のない掛け合いや、久々に会った家族の異変を少しずつ見せることで、テンションが切れずに持続する。ただ、主人公の主観と客観的事実をもう少し整合させていれば、ラストで明かされる“秘密”がより効果的だったはず。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
スクリプトドクター・三宅隆太氏の言う“半径5メートルの話”というのに当てはまる作品である。心に憤懣を抱えた30歳のCMディレクター女子が、自由気ままなお友達女子と一緒に、病気の祖母を見舞いに、故郷の茨城へ帰り、癖のある父や母や兄たちと再会……。何てこともない話だ。特段のドラマや出来事があるわけでもないが、ちゃんと映画にしている。“おもしろいっちゃ、おもしろいんじゃね?”と若い人は言うだろう。夏帆とシム・ウンギョンのコンビがいい。また見たい気にさせる。
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映画評論家
吉田広明
田舎への憎悪と、それでもそれから逃れられないというぐちゃぐちゃした気持ち、そういう感情を持つ自分をダサいと認め、ダサいのは生きてる証拠、だから最高だ、という逆転は説得的。同じように田舎への愛憎せめぎ合う身として共感を覚える。ただ帰郷を通して自分を振り返るという定型への照れか、ひねた業界人という主人公の設定で、どこか嫌味で素直に感情移入させないのは映画として損。通俗どんとこいの勇気を。友人=異人を外国人女優に充てるのも理に落ちすぎ。
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イエスタデイ(2019)
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
世界中の12秒間の停電により、ビートルズが存在しない世界に迷い込んでしまったジャック。この世とは別の宇宙が多数存在しており、そこにもうひとりの自分がいるというマルチバース的宇宙論。「いまや一曲を16人が制作する」という台詞と、ビートルズという集団の創作をひとりでこなしている振舞いは一見対極に映る。しかしそれは同義だ。創作物を集団知によって認識できたものだけが「結果」となるから。そしてビートルズを再聴することで、我々の集団的感覚が炙り出された。
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フリーライター
藤木TDC
近年ヤキが回ったダニー・ボイルだが本作もくだらない。劇中に描かれる最悪の「マーケティング会議」で決まったような売れ筋要素をつないだだけの企画。主人公の視界と性欲がすべてを支配する恋愛系アニメみたいなペラい世界観と機知も驚きもない安直な結末。サウンドの作り込み抜きで曲が大ヒットするのもリスペクトになってない。そもそも基本設定がどこかで見たアイデアってこと自体が批評の刃として作品の内側に向かう。その皮肉がヘソ曲がりには愉快……なのが二重に皮肉。
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映画評論家
真魚八重子
タイムスリップもの等にありがちなアイデアだが、絞りを徹底したのは効果的。ただストーリーは脚本家R・カーティスによる青春恋愛劇で軽く、一夜で世界が一変しようと、長きにわたりすれ違う男女の物語であろうと、深刻である必要はないと割り切っているようだ。オリジナリティを巡る苦悩も描かれつつ、その芸術性を取り扱う着地点が最良であるのかは疑問で、全体にズシッとこないライトさ。ビートルズの汎用性の高さへの再認識や、楽曲を新たなアレンジで聞く楽しさはある。
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第三夫人と髪飾り
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
スパイク・リーが脚本を絶賛し、トラン・アン・ユンが美術監修を務めた新人優等生は、驚愕な作品を提示。先祖の記憶をポテンシャルに自身の創作の正統性を貫く。しかし、真の感動はその外部の物語にあるのではなく、作品の内部に存した。秀逸な脚本さえ色褪せてしまうほどの、その景色や光陰、湿度、そして集落や人々の慣習や仕草などが、映像内部に自由に生きている。失われた家族や民族の歴史そのものが発酵し、芳香を放つ。監督個人の底に流れる集団的無意識を見た。
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フリーライター
藤木TDC
いつか見たデイヴィッド・ハミルトン映画の耽美な感触。蝿も蚊も百足も蛇も蝙蝠もいない、カビも苔も生えない乾いて清潔な19世紀東南アジア。白い歯、サラサラヘア、今風ナチュラルメイクの痩身美女たちが紗のかかった世界で愛と性に惑う。驚くべし多妻制の妻どうしの修羅場や家長の横暴もない。イリュージョンの近世ヴェトナム女性史は長大なペットボトル緑茶のCMのよう。淡いエロスに萌える前戯映画として不倫デートに使える? ウーン、大人の観賞にはも少し刺激がないと。
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