映画専門家レビュー一覧
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第三夫人と髪飾り
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映画評論家
真魚八重子
一夫多妻制を扱った映画としてチャン・イーモウの「紅夢」を連想する。女同士が足を引っ張り合う「紅夢」に対し、本作は女同士の間では時に妬む瞬間はあっても、基本的に連帯がある。でもどちらが真実かというのは無駄な考えで、現れ方は異なっても横たわる不条理への違和感や身を焦がす苦悩は同じだ。女同士のクィアへの機微を見分けた目線や、男性優位の歴史の中で女が状況を受け入れるたゆたい方。作り手の性別に囚われたくないが、やはり女性監督らしい率直さと怒りの表現を感じた。
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クロール 凶暴領域
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
ワニでも貞子でも這って(クロール)くるものはみな恐ろしいという前半から、ハリケーンの増水によって泳いで襲ってくるものからクロールで逃げ切れという後半まで、洪水で周囲がワニ園と化した家から父と娘が決死の脱出を試みる緊迫の88分の間、主人公は死なないという信仰だけが私を支えた。自由の女神が見えたらようやく終わりだからね。もう二度と見たくない(あの家に戻りたくない)と思ったが、だとしても、だからこそ、これは紛れもない「映画」である。
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ライター
石村加奈
疎遠になった父親を、身の危険を承知で助けに向かうヒロイン・ヘイリーの、理屈ではない理由(動機の方が適当か)も、幼い頃から競泳に励む娘に発破をかける時の「最強補食者」という父兼コーチ・デイヴの口癖もシンプルで小気味よい。父娘と共に、ハリケーンに襲われた父の愛犬シュガー(犬かきが上手)の描写にも弱いものを守ろうとする人間味を感じる。作中のワニはほぼCG(!)だそうだが、M・アレクサンドルのカメラワークはさながら人間を狙うワニのように、スリリングだ。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
製作のライミは「好きなワニ映画は『ジュラシック・パーク』(笑)。それくらい思いつかないからワニ映画代表作を作りたい」と語ったらしいが、なるほど、いや、そのシリーズを彷彿させるシーンが多かったかな、と……。巨大ハリケーンが直撃している町で家に残された父娘が脱出を図るが、逃げ出した大量のワニにも囲まれる、という設定は面白い。アジャの堅実な映像スタイルは相変わらず魅力的なのだが、シチュエーションスリラーではハマりすぎて逆に地味な印象になってしまった。
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真実(2019)
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
日本の監督がフランス映画を撮るというすわりの悪さ(仏語に訳される前の日本語台本が透けて見える)があって、初めはなかなか波長が合わなかったが、ケン・リュウのSF『母の記憶に』の撮影が始まると、つまり「演技」が主題化されると、いきなりピンと映画に芯が通って雑念が消えた。カトリーヌ・ドヌーヴの母とジュリエット・ビノシュの娘のうち、劇中劇の筋書と反響し合うように、母の方が聞き分けのない子供みたいに見えてくる。ドルリューの音楽が合いそう。
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ライター
石村加奈
ファビエンヌの庭で暮らす老いたカメの、元夫にまつわるエピソード、彼女の現パートナーがハマっている、目にもおいしいイタリア料理、SF劇中劇で描かれる、不治の病を宣告された母が、娘との残された時間をだますためにとった選択。虚構が真実を軽やかに超えていく。魔女より何より、女優は本当の話なんかしないとうそぶくファビエンヌが断然チャーミングだ。タイトルを暗示させるような庭のいろとりどりの木々が、最後にはヒロインの成熟を感じさせるという不思議。美しい映画である。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
これまで“虚実皮膜”な映画を多く手がけてきた是枝監督が「映画制作」を背景に、女優の虚と実の曖昧な“真の姿”を描く本作は、終始心地良いスリルがある、軽やかで普遍的な母娘の物語だった。ドヌーヴ演じる「国民的大スター」が綴った「自叙伝」、劇中劇『母の記憶に』の撮影をめぐるそれぞれの思惑と視点のズレ。その多重な入れ子構造が見事に目に見えない「真実」を炙り出している。本作の制作自体もその構造の一部として考えると、それを自分が撮影したかった、などと妄想した。
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英雄は嘘がお好き
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
見ればそこそこ楽しませてくれる毎度ウェルメイドなフランス艶笑喜劇――と正確に予測して見始めたはずが、途中からどんどん先が読めなくなり、あれよあれよという間に逢着したラストカットの後に深々とした満足感が残った。ブルゴーニュの館の前にコサック兵が侵入し、お話の中だけだった戦争が不意にそこに現出する荒唐無稽さに快哉を叫ぶ。ヒーローが浮浪者となって駅馬車から現われ、ヒロインが二階から水を捨てた所へでんぐり返る辺りにジョン・フォードが匂う。
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ライター
石村加奈
本作のために誂えられた、映画オリジナルの衣裳がエレガント。ヌヴィル大尉の赤い騎兵服と、エリザベットのエキゾチックなグリーンのドレス。フリルのブラウスが似合う、胡散臭い色男ヌヴィルに対するエリザベットの気持ちの変化を、赤とグリーンを入れ替えた二人の衣裳でさりげなく表現。ラストの紅白まで細やかにデザインされている。エリザベット役で、初のコメディに挑戦したメラニー・ロラン。知的な姉から、率直な長女、ウブな乙女と、ふくよかな女性像をチャーミングに演じる。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
気の強い女とトボけた男の恋愛コメディは、古今東西、どの国、どの時代設定でも楽しい。ダイアン・キートンとウディ・アレン然り、リリーと寅さん然りだが、本作のロランとデュジャルダンの組み合わせは、それらと並ぶくらい小気味良い。物語は、嘘から派生して広がった“事実”とどう折り合いをつけるか、ということを描いているのだが、本作自体、19世紀初頭実際にあった戦争、巨額詐欺事件を背景にしたフィクションであり、その「虚実皮膜」の醍醐味を全篇通して堪能できる。
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トスカーナの幸せレシピ
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
オリーヴ油とトマトの香りが鼻をくすぐる。合格。アスペルガー症候群で神の味覚をもった少年が、出所したてで社会復帰をめざす元三ツ星シェフの指導で、トスカーナの館を舞台に若手料理人コンテストに挑む。これ以上ないシンプルな設定。シェフは少年の才能を開花させ、その人間としての成長も手ほどきしながら(「ほどほどが大事」)、大都会のナイトライフではなく、田舎のスローライフに自分の身の置き場所を見出してゆく。見終わってから絶対うまいもんを食いたくなる。
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ライター
石村加奈
出所後、自宅に帰ったアルトゥーロが、自分のために完璧なトマトソースを作り、食べるパスタのおいしそうな描写にときめいた。ヴィニーチョ・マルキオーニのちょい悪イタリア伊達男の渋い魅力が満載。苛められていることに気づかぬグイド青年への返しなど、ちょっとしたシーンがさっぱりしていて格好良い。そんな師匠の影響か、好きな女の子に抜け目なく絶品ティンバッロを届けたグイドが「仲直りした?」と聞かれた時の返事も気が利いている。巧みに設計された、さわやかな佳作だ。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
登場する料理を食べたくなる映画に良作は多い。本作は“人間性に問題がある天才シェフが神の舌を持つアスペルガーの青年を指導し「若手料理コンクール」優勝を共に目指す”ということで期待した。しかし調理のシーンはもちろん何度もあるのだが基本最初と仕上げだけ、肝心の料理のクローズアップもほぼ皆無、一体何を、どんな“レシピ”で作って食べているのかほとんどわからない。人間ドラマを際立たせるため敢えて外しているのか? いや、それにしてもあまりに不自然で、消化不良。
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ボーダー 二つの世界
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
人間ばなれした嗅覚をもつ主人公、ティーナの顔をアップでじっと撮り続ける。どうしても連想してしまうのはネアンデルタール人。我々のDNAに彼らとの交雑の証拠が見つかったと聞いた時の概念を揺すぶられる感じが蘇る。イラン系の監督が撮ったスウェーデン映画と聞くと、なんだかアーリア民族の優生思想を反対側から見つめ直しているようにも感じる。タイトルは人間と人間ではないものとを分ける境界のこと。凝り固まった常識を直撃する「危険なヴィジョン」のSFだ。
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ライター
石村加奈
生きづらい人間社会で、孤独に生きてきたティーナの背景に、スウェーデンの静謐な空気感がよく似合う。北欧やファンタジーの歴史に裏打ちされたモチーフも、物語に深淵な彩りをもたらす。ヴォーレと出合えた歓びや、自分のアイデンティティを知った安堵感が鮮やかに映し出されるだけに、本能と理性でせめぎあう彼女の切なさ(人間味とは言いづらい)からの転調、ラストシーンの彼女の表情をどう捉えるべきか悩ましい。伝家の宝刀を抜かれたような、否、そう感じるのは人生経験不足か。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
冒頭3カットを観ただけで心?まれた。一見なんでもないそのシーンは構図、カメラワーク共に絶妙で、本作のスタイルをはっきり明示している。監督のアッバシは、異なる要素をまとめてバランスを取るのが自分の仕事、と語っているが、確かに本作は児童ポルノを扱ったミステリーであり、出生についてのファンタジー、そして「境界線」をめぐる恋愛ドラマで、そのすべての要素、テーマがそれぞれに作用している。似た映画はちょっと思いつかないし、見事すぎて、久々に劇場で震えた。
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ホームステイ ボクと僕の100日間
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
映画の尺が、主人公が喪失された過去を取り戻す時間よりわずかに長い。その時間が再生・希望へと変化する。擬似記憶喪失の回復もしくはSF探偵小説の趣。主人公は「他人の自分」になりすますことで、徐々に「私とは誰か」・「自分探し」の旅に出る。「私は誰?」=「私は誰を追っている?」=「私は誰が好き?」という図式は、フランス語の「Qui suis-je?」という意味に込められている。そんなことを思い出した。原作は日本の小説とのことだが、さらに瑞々しいタッチと世界観に到達した。
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フリーライター
藤木TDC
原作者の生地、日本では実写とアニメで2回も映画化。有名な生き直しジュブナイルのタイ版はさらに甘口なアレンジで初恋気分やら思春期の孤独やら、んな感情はとうにしなびたオッサンには不向きな味つけ。プラス志向に切り替えあえて良かった部分を探すと、原作が日本の小説という以上に雰囲気が邦画的で、タイにおける日本の芸能文化の影響力が分かること。また大人になれば皆自分勝手に生きて良し(浮気も可)とするタイの神様の尊い教えが感じられ、心のよりどころになる。
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映画評論家
真魚八重子
原作は未読。ファンタジースリラーとして、序盤から意外性のある雰囲気は保っている。自殺を図った高校生ミンの持つ陰惨な暗さが、彼の身体に逗留することになった“ボク”の瑞々しい青春模様と陰陽を織りなす。ただ大人の目線で観ると、ミンの抱えた苦悩も「十代とはそういうものだろう」というありきたりな悩みに思えて新鮮味はない。スリラーとして謎が次々と現れる展開は悪くないが、青春劇としては決して突出しておらず、オチに意外性がなくて逆にビックリ。
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HiGH&LOW THE WORST
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映画評論家
川口敦子
今世紀の初め、韓国のタランティーノか深作かと注目されたリュ・スンワン、その「クライング・フィスト」の一景――ドレッドヘアのチンピラが川辺のチェイスを繰り広げ、上がる水しぶき、それが白く光を反射して砂粒のような残像を結ぶ度、時空が凍りつき歪な塊りを抱えた青年の心模様を掬い取った。そんな活劇場面の、人工的処理をものともしない生々しさをこのEXILE仕掛けのシリーズ最新作のモブ・アクションを前に想起しつつ、無闇な反復が招く単調さを免れ得たらと夢想した。
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