映画専門家レビュー一覧

  • SYNCHRONIZER(シンクロナイザー)

    • 評論家

      上野昻志

      これが映画だ、と改めて思う。俳優で見せる映画ではない。むろん、俳優が悪いわけではない。何よりも脚本と映像や音楽、それらを統括する監督の力によって成り立つ映画なのだ。しかも独特にエロティックな。脳波を示す無機的な曲線が、主人公の研究者と助手の女性が結ばれたところから、なぜかエロティックに見えてくる。そして、彼が認知症の母と治療のため脳波を同期させたことから、二人は禁断の愛の世界へ、さらには後戻り不可能な世界へと踏み込む。その過程が怖ろしい。

    • 映画評論家

      上島春彦

      前作で効いていた日本家屋がまたも登場する。最先端の研究室とこの四畳半実験室の対比が見どころになってもよかった。ただし前者が妙に陳腐。むしろ後者の貧乏たらしい手作り実験描写を徹底出来たら面白くなったのに。残念。母親に同調される子供というのは「サイコ」だろうが、性的にあからさまに出過ぎて効果を減じている気もする。これが中途半端な最大の理由は「脳波の同調と細胞再活性には本来何の関係もないのに、物語がそっちにねじれてしまった」こと。つじつまが合わない。

    • 映画評論家

      モルモット吉田

      緊密なショットのつなぎで映し出される狂ったメロドラマを惚れ惚れと眺める。ヒトと動物との脳波接続実験がもたらす悲劇は「蝿男の恐怖」などの類似作から予想できる通りだが、認知症の母と接続することで母子の愛情が露わとなり、息子である主人公とヒロインとの関係が同時進行するのがいい。三角関係の異形の恋愛劇という素晴らしい設定が構築されたところで、母が変身を遂げるのだからつまらないわけがない。こうした物語を何でもない日本家屋の和室で展開させたことも驚嘆。

  • サバイバルファミリー(2017)

    • 映画評論家

      北川れい子

      サバイバル・ドラマと見せかけて、実は家族のリーダーとしての父親の復権劇、と見せかけて、実は高次元での現代人批判――。いや、これはチト大袈裟だが、矢口監督がこれまでにない野心(!)とスケールで、家族4人による先へ先へのドミノ倒し的冒険を描き、その意欲が嬉しい。反面、突っ込みどころの多さもかつてなく、ご都合主義的なエピソードもハンパじゃない。それもこれも観客へのサービス精神なのだろうが、電気が復活しての終盤に、もう一つ、ひねりがあったらなァ。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      監督へのインタビューをやったが(キネ旬前号に掲載)かなり失敗したのでもはや何も言うことはない(インタビュアーに抜擢されたのは担当編集者が私のトレッキング好き自転車好き、駅待合室泊・野宿による厳冬期東北青春18きっぷ放浪経験を知っているためだがそれは記事に活きていない)。ある分野での主人公らの熟達を描くことが多かった矢口映画が、電気消失という設定によってハウツーを超え、現代人都会人がいわば“電畜”であることをも描いたことは非常に興味深い。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      東日本大震災は「“不便を愛でる”きっかけになったはずだった」と個人的に考えている。例えば東京では、街の灯が消え、節電が促された。しかし喉元を過ぎればなんとやら。あっという間に我々の生活は元に戻り、それどころか更なる浪費が進んでいる感は否めない。本作は現代の寓話である。それゆえ過剰に描かれている部分も確かにある。しかし震災から6年を迎えた我々、特に都会に住む人々が再考すべきことを今一度思い出させてくれる。この映画の“笑い”は、戒めでもあるからだ。

  • ママ、ごはんまだ?

    • 映画評論家

      北川れい子

      石川県の中能登町が町制10周年記念事業として製作したというこの作品、言っちゃあなんだが、個人が自費出版した私家版の映画化のよう。むろん個人が自分の人生や家族の歴史を描いた私家本にも普遍的な内容のものはあると思うが、一青姉妹の母親の人生を描いたこの作品、母親役・河合美智子の柄と演技のせいもあるのだろうが、箇条書きのような脚本とそれをなぞるだけの凡庸な演出は、ホームビデオの域を出ない。ま、登場する台湾料理は確かにおいしそうだが、それっきりでは……。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      私は一青姉妹と同年代だが、この映画が描く思い出の味のような、生々しい体験と記憶による家族文化の継承を持たない。ばらけた家庭と故郷喪失が多い現在、そういう人も少なくないはず。んなもん知るかという態度で過ごしてきたが、まかり間違って家族など持つと妻と子に伝えるものがないことに、なんかすいませ~ん、という気持ちになるのも事実。そういうことに気づかされる映画だ。河合美智子が良い貫禄だった。あと中能登と台南のエキストラのひとたちの存在感に見入った。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      一青窈の「窈」は“「ようちょう」と打たないとパソコンで変換されない”と、かつて御本人が仰っていたことがある。その〈周囲の誰とも異なる〉名前であることが、奇しくもこの物語のオリジナリティに反映されている「妙」。そして、料理は味だけでなく、音によっても思い出を呼び覚ますという「妙」。存命で現役の著名人を描く作品は海外に多いが、日本では意外と少ない印象がある。そういう意味でも、国境を越えた一青一家の人生が如何にドラマチックであったのかを悟らせるのだ。

  • 海は燃えている イタリア最南端の小さな島

      • 映像演出、映画評論

        荻野洋一

        イタリアで離島の映画といえば、ロッセリーニの「ストロンボリ」(49)だ。バーグマンが地中海の島男と一緒になるも、島での閉塞的生活に悲鳴を上げる。突拍子もない比喩を吐かせてもらうなら、本作は「ストロンボリ」の不可能性に引き裂かれた「前日譚」だ。島民たちの平穏な生活と、島人口の10倍近い数のアフリカ・中東難民の苦境の、あまりの乖離。駐在医師がこの距離をわずかに取り結び、少年の弱視の進行と共に、バーグマン的他者性が静かに浸透しつつあるかのように見える。

      • 脚本家

        北里宇一郎

        やっぱり今そこにある問題を描くには、ルーティンではダメなんだろうか。島の人々の生活と難民の状況が並行して描かれ、互いに接触することがない。無造作な作りだが、意識して見つめれば、凄く深い意味が込められている。このぶっきらぼうな手法に眼を惹かれ。ただ、戦争ごっこが好きな少年が、片目でものを見るようになり、最後は小鳥を労わるようになる。そこに演出の意図を強く感じたのだが。秀作だと思う。作品の意義も分かる。だけど、この単調さにひどく退屈した自分もいて。

      • 映画ライター

        中西愛子

        地中海を渡った5万人を超える難民の玄関口となる、イタリア、ランペドゥーサ島。ドキュメンタリーだが、この島から難民問題をジャーナリスティックに語るのではなく、島に暮らす普通の人たちの日常風景を淡々ととらえ、そうした静かな生活のごく近く、地続きに、緊迫した現実があるのだと、ふたつを溶け込ませるように、むしろアーティスティックな映像詩へと織り上げていく。スタイリッシュすぎるのが少しイヤなのだが、まなざしの深さには圧倒される。島の少年が素朴でかわいい。

    • たかが世界の終わり

      • 批評家。音楽レーベルHEADZ主宰

        佐々木敦

        この際だから正直に言うが、この映画はどうしても好きになれない。何もかも観客の好意的な情動におもねったわざとらしさに満ちている。不安定なクローズアップの多用も、フォーカスしたい人物以外を外界に押しやるための、やってはいけない作為に見えてしまう。主人公の苦悩の正体をはっきり語らない黙説法も気に入らない。音楽の使い方も下品だと思う。タイトルの深読みを誘う仰々しさも狙い過ぎ。だがおそらくこれらは全部、観る人によっては長所なのだろう。だから敢えて書いた。

      • 映画系文筆業

        奈々村久生

        狭い屋内で繰り広げられる家族関係の息詰まる閉塞感と緊張感を、顔のアップのカットバックと畳みかけるようなテンポの編集で見せる。ドランのライフワークともいえる家族の映画。昨今のフランスを代表する名優たちの顔面の圧は半端じゃない。しかしある爆弾を回避しながら展開する会話劇の応酬には逃げ場がなく、それがテーマを体現する手法として機能すればするほど、映画としてのダイナミズムは失われる。タランティーノがいかに会話劇の名手であるかを逆説的に考える。

      • TVプロデューサー

        山口剛

        都会で作家として成功した主人公が故郷に帰る。ゲイである。彼の帰郷で母、兄、兄嫁、妹の中でくすぶっていた葛藤、愛憎が露わになる。奇矯で歪んでみえる家族の一人一人を描き分けていく脚本、特に科白が良い。戯曲を原作としているが、完全にドランのものになっている。G・ウリエル、V・カッセル、ナタリー・バイなど芸達者な役者たちの表情を追うカメラが家族間の緊張を着実に拾う。ドランが一貫して描いてきた家族のテーマだ。彼の映画は今後何処へ向かうのか興味深い。

    • グリーンルーム

      • 翻訳家

        篠儀直子

        謎めかされている部分はあるが、プロットはとてもシンプル。それをカット割りと間合いだけでこれだけ面白く見せる演出はなかなかのもの。ゾンビ襲来立てこもり物のパターン(ゾンビ映画の影響の広範さたるや!)で、この場合のゾンビはネオナチ集団だけど、その設定自体に特に重要性はなく、犯罪組織に置き換えても違和感なさそう。P・スチュワートの右腕的な役柄のメイコン・ブレアが味わい深い。主演男女の並びの見栄えもよろしく、アントン・イェルチンの死がいよいよ惜しまれる。

      • 映画監督

        内藤誠

        売れないパンクバンドが仕事を求め、放浪するうちに狂気のネオナチ集団が仕切る舞台にたどり着く。広大なアメリカ大陸の一画には、あり得るような話で、グリーンの色調に彩られた冒頭の部分は編集も見事で快調。やがてタトゥー満載の肉体がぶつかり合い、狂犬まで交えて恐怖のアクション場面が始まるのだが、これは時間がたつとともに、意外や単調になってしまう。対立する両陣営の役にふさわしいキャラクターが脚本として書き込まれていないので、若もの風俗のこけおどしに見える。

      • ライター

        平田裕介

        殺る気満々のネオ・ナチ軍団だけでなく、俊敏で獰猛なピット・ブルテリアにも囲まれる。そんな八方塞がりを極めた状況設定に加え、「後半で活きてくるんだな」とフラグを立てたキャラを出しながら、いとも簡単に退場させる展開もスリルと絶望感を盛り上げる。カッターでグパァとかっさばかれる腹、軽く突いたら取れ落ちそうなほどに切り裂かれる腕など、暴力描写の痛覚もかなりの高さ。はなからスキンヘッドのパトリック・スチュワートを、ネオナチの親分に抜擢したセンスは◎。

    • 王様のためのホログラム

      • 映像演出、映画評論

        荻野洋一

        サウジアラビアに来た米国の営業マンが異国で困り果てるというカルチャーギャップコメディーだが、一にも二にも主人公を演じたトム・ハンクスのための映画である。米国本社からノルマのプレッシャーを受けては顔を歪ませ、娘の学費を心配しては自分の不甲斐なさを責め立てる。そういうトムの困り顔だけで映画1本分をもたせてしまう。典型的な米国人という観客の自惚れ鏡をいともたやすく現出させてみせるトムこそアラブの砂漠並みの神秘であるという点が、映画の醍醐味なのだ。

      • 脚本家

        北里宇一郎

        欧米人が異国へ行って、カルチャーギャップに悩まされる、なんて映画、今までどれだけ見たんだろう。これもその典型みたいなコメディー。どこか怪しげで図々しいアラブ人運転手など、日本でいえば社長シリーズのフランキー堺てなもんで。ハンクスが彼としだいに仲良くなり、かの国に親近感を覚えるのも定番。といった具合に、扱っている題材は新しいけど、中身はお約束そのもの。そこに安心感と不満と両方あって。イスラム人種との融和を狙った意図は認めるが、パターンでいいの?

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