映画専門家レビュー一覧
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MERU/メルー
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映画ライター
中西愛子
メルーに挑む3人の一流クライマーが、過酷な自然に立ち向かう姿を追ったドキュメンタリー。これまで登山の劇映画をいくつか観てきたが、本作はどの作品とも印象が違う。それは、登山家が自分でカメラを持ち、自らの活動を撮っているから(映像作家でもあるジミー・チンによる)。危険な遠征を意外とサラリと見せるので、むしろ派手さを感じないが、物凄いものが映し出されているのだ。真価のわからぬ私のような素人には勿体ないな。クライマーの最先端とスピリットが炙り出された一本。
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14の夜
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評論家
上野昻志
そうか、これは1987年の話だったのだと改めて思ったのは、田舎町のビデオ屋に並んでいるのが、DVDでなく、ビデオテープだったからだ。その厚いパッケージが、中学生のガキどもの妄想を掻き立てるのに効いている。彼ら四人組が、廃車置き場でだらだらしている場面などは、もうひとつ工夫がないという感じがするが、夜になってからは、面白くなる。一番ひ弱そうなガキが、いきなり主人公にパンチを食らわすところとか、暴走族とのやりとりとか、なかなかいい線いっているのである。
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映画評論家
上島春彦
カッコ悪いことへの思い入れが強すぎて、妙に重い映画になった。廃車置き場シーンとか長い。師匠相米へのオマージュなのか。脚本家が監督も兼ねると、全部きちんと描きたくてこうなる。それでいて重要な場面が「決まって」ない。浅川梨奈が、営業上おっぱいをもませるわけにいかなかったのか、と勘ぐってしまう。良かったのは問題の夜、格下のつもりだったミツルに主人公が殴られる場面展開。ここが見事だったので推薦できる。全体に撮影が上首尾で、ラストの泣き笑いにぐっときた。
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映画評論家
モルモット吉田
誰とでも繋がって欲望の直取り引きが出来てしまう今と違い、30年前の中学生は初心だった。童貞中学生のエロ衝動に映画の可能性を求めた意欲作かつ、迂回作戦を取りつつ、ちゃんと中学生にある行為をさせているのが立派。ただ、初監督作ということもあってか、全体に力が入りすぎ、各シーンを最初から最後まで見せようとするので間延び気味。この話で2時間弱は長く、そのせいで会話の妙や脇の挿話も埋もれ気味なのが惜しい。今しなくていい行動を取り続ける父役の光石研が出色。
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太陽を掴め
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評論家
上野昻志
「新世代の青春映画」といわれてもなぁ。草でラリったり、ロックで熱くなるぐらいしか、やることないのかよ、と思ってしまう。むろん、作り手としては、そのように自分が本当に何をしたいかわからぬまま日々を過ごす彼らこそ、いまの若者のリアルな姿だと思って作っているのだろうが、その表現がなんとも弱い。だから、そんななかで、吉村界人演じる主人公が、岸井ゆきの扮するヒロインに、一途な想いを抱いて悶々としているというさまも、それらしい説明に留まっているというしかないのだ。
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映画評論家
上島春彦
主役の男二人はかっこいい。しかし女のドンくささは何なのか。女優に罪はない。話がヘンなのだ。あの男がヤバいブツをあんなに不用意に女に託すわけがない。中身を女が自由にできないようにしなきゃまずいでしょう。ただ面白いのは主役じゃない方の女がかえって健気に見えてくること。ネタバレなので書けませんけども、私はこっちの女の方が好きだね。主演のパツキン少年のキュートさには痺れる。オレって女より男の方が好きなのかも、と思ってしまうくらい好き。有望株として良い。
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映画評論家
モルモット吉田
カッコ悪くて不細工な青春への苛立ちがそのまま本作のスタイルになったようで、その歪さが魅力になっている。ライブで注目を集めつつもアパートの奥まった薄汚い部屋で鬱々とする主人公の焦燥感と衝動が良い。ただ、クスリの描写があまりにステレオタイプで、ごっこにしか見えないのが惜しい。柳楽優弥、松浦祐也らの怪演が出色。自主映画時代の傑作に惚れ込んだ身としては新鋭・中村祐太郎の才が存分に発揮されたとまで言い切れないのがもどかしいが、その片鱗は感じ取れるはず。
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こころに剣士を
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翻訳家
篠儀直子
社会主義体制が崩壊して20年ほど経ち、当時のことを距離をとって振り返ることがそろそろ可能となって、さまざまな角度、さまざまなタッチの映画が各国で製作されているわけで、ここでも教師と子どもたちのふれあいドラマかと思って観ていると、それとなくほのめかされていた子どもたちの境遇が明らかになった瞬間、胸を衝かれる思いがする。秘密警察に追われる状況と、1秒で形勢が逆転するものであるフェンシングの試合とを重ねた演出が、スリルを高めていてなかなかのアイディア。
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映画監督
内藤誠
フェンシングの騎士道精神をもってスターリニズムに対決する物語だが、主人公は「灰とダイヤモンド」のマチェックのように黒メガネを掛けてヒロイックな行動をとるわけではなく、ただ体制の変わったエストニアの小さい町に逃げてきて、平凡に暮したいと思っている青年だ。脚本と配役のキメが細かく演出も端正。それだけに淡々と剣術を教え、過去、ドイツ軍の許でソ連と闘わざるを得なかった青年のもつ日常生活の不安はよく伝わってくる。実話だとすれば、政治的視点も入れてほしかった。
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ライター
平田裕介
監督はフィンランド人、舞台はエストニア、題材はフェンシング。個人的に馴染みの薄い要素が並ぶが、杞憂に終わった。秘密警察の追跡、子供たちとの絆、ナチスとスターリンに虐げられた者たちの憤怒と誇り、そして強豪チームに挑む子供たちと、いやが上でも燃える要素を盛り込み、それをきっちりと脚本と演出が機能させている。こうなってくると、主人子と教え子らが剣を一突きするごとにこちらの感情スイッチもいちいちオンになって最後は涙。地味な印象が強いが、激アツな逸品!
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ワイルド わたしの中の獣
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映像演出、映画評論
荻野洋一
一歩間違えると能天気な獣姦ポルノにもなる題材を、ドイツ的と断定してよいかはともかく、とにかく生真面目にアイデンティティ危機の寓話として物語る。作者の姿勢は生硬だが、逆にその生硬さによって性的欲望の変化が、まるでカルテのごとく生々しく見る者に伝わってくる。素晴らしいのは、映画の表現法までがヒロインと共に成長していくこと。前半ではカット毎にこれは孤独を示す、これは職場の殺伐さを示すという等号に留まったが、後半は画面が流動化し、多元化していく。
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脚本家
北里宇一郎
おとなしく地味目の存在の女性が公園で狼に遭遇。捕獲して、自分の部屋で飼育する。彼女はやがて野生に目ざめ――てな話がホラー調じゃなく、大マジメに展開されて。ちょっとトンガったタッチなんで、惹きつけられるが、次第に頭の中でこねくりまわしたような脚本・演出に思えて。結局、その獣性を発揮するのが、つまんない上司に対してのみ、というのが物足りない。その程度の変化だったんだと、尻つぼみの印象。狼との性交を暗示する描写とか、けっこう刺激的な場面はあるんだけど。
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映画ライター
中西愛子
職場と自宅の往復生活を地味に送る若い女性が、近所で一匹のオオカミを見かけたことから、心に野性を目覚めさせる。女性の日常を淡々と描く前半はなかなかよいと思った。が、後半、欲情していく彼女の心理も、置かれた状況もわけがわからなくなる。途中で監督が代わったんじゃないかと思うくらい、タッチも別ものになる。物語は「反撥」(65)に似ている気がしたが、トラウマを描きたかったのだろうか、思わせぶりなモチーフや設定が多くて支離滅裂。主演女優は熱演していたけれど。
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ストーンウォール
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翻訳家
篠儀直子
暴動の中心集団がホワイトウォッシュ(白人化)されているとの批判がすでにあるが、それを含めた数々の不正確さ・不適切さもさることながら、エド・マーフィの悪行を際立たせ、かつシーモア・パインとレイとのあいだにつながりを作ったせいで、「ひとりの悪人を成敗する」ことが一瞬物語の焦点であるかのようになってしまうのが、暴動の歴史的位置づけをすり替えていると同時に、この映画の作劇上のバランスを崩してしまっていてとてもまずい。よく演出されたシーンも時々あるのだが。
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映画監督
内藤誠
オバマ大統領がナショナル・モニュメントに指定したニューヨークの「ストーンウォール・イン」と周辺地区が、そこに居住したストリート・キッズともども活写されている。エメリッヒ監督はこれまでの娯楽大作では分からなかったラジカルな面を見せ、みずからゲイだと言うだけあって、演出のキメも細かい。プルーストやヴィスコンティを通じて、ヨーロッパの同性愛はソフトに教養ゆたかに、日本人に知られてきたが、アメリカでは扱いが乱暴だった。その抵抗の物語に笑いがあるのはいい。
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ライター
平田裕介
ゲイであるエメリッヒが、LGBTの権利向上運動の契機となった事件を題材に撮り上げた作品。とても意義があると思うが、そこはやっぱりエメリッヒである。事件を中心にした青春ドラマにしたいのか、容赦なく阻害されたLGBTの憤怒を描くドラマにしたいのか、きっちり史実を見つめたドラマにしたいのか。すべてを盛り込みたかったんだろうが、それぞれを継ぎ接ぎしただけの仕上がりに。良い意味で作りものっぽく再現された、60年代NYグリニッチ・ヴィレッジの街並みだけは◎。
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天秤をゆらす。
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評論家
上野昻志
これ、児童映画だよね。イヤ、バカにしてるんじゃなくて、マジで。だいたい、若者三人組からして、やっていることのいちいちが子どもっぽいところにもってきて、ホンモノのガキ二人組と出会うと、彼らとほとんど同列になる。それでいて、クマがゾンビ化した男を喰う(たぶん)光景をガキどもに見せまいと、彼らの目をふさぐような大人としての優しさもある。となると、文科省推薦になるかどうかは別にして、最初からヒューマンな児童映画を目指して作ったら、もっとすっきりしただろう。
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映画評論家
上島春彦
悪くない企画、ただし犯罪がらみにしない方が良かった。子供に銃を向けるのはよろしくない演出である。それでその二人の少年だが、何となく最初から田宮と青島のダブルイメージという線に見えてしまう。意図的なものだろうが。問題なのは、最後まで見てもつじつまが合ってる気がしないんだよね。トンネルを抜けるとそこは異界、という世界観は最近の日本映画は全部そう、不思議だ。見事なのはロングショットで空間を統括する手法。ロケも丹念だし、ここでもう一本くらい撮れるのでは。
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映画評論家
モルモット吉田
これが第3弾と聞いて驚き、前2作を先に観ると演出は真っ当なので安心して本作に接すると、校舎から飛び出した少年たちが校庭を疾走する大ロングからトンネルを抜けていくショットへ繋がる冒頭からやはり安定感あり。森の中の死体を「ハリーの災難」よろしく靴底越しに撮ったりと趣向は諸々凝らしてあるが、少年たちはまだしも、中心となるダメ男たちの描写に時間を割かれるので、ファンならば付き合うのは苦でもないのかも知れないが。森の中の横移動ショットは良いが多すぎる。
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ポッピンQ
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映画評論家
北川れい子
“時のカケラ”に“時の谷”、まんま「時をかける少女」たち――。が、思春期の少女が5人とは多すぎる。それぞれキャラは異なるし、役割も違うのだが、5人の声優サンたちのアニメ声がこちらの脳天をなでまわし、途中から頭痛が。少女キャラとアニメ声はセットになっているのだろうが、“時”をテーマにしたストーリーは決してワルくないのにアニメ声の洪水でアップアップ。それと終盤、みんなで揃ってダンスってどーよ。少女たちよ、踊らない自由も。“同位体”のデザインも幼稚。
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