映画専門家レビュー一覧
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五日物語 3つの王国と3人の女
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映画監督
内藤誠
西洋のおとぎ話がもつ怖さがたっぷり。大道芸人の見世物に始まり、古い王城へと不思議な事件が次々に展開していくのだが、画家の出身だというガローネ監督はロケ地の選択も怪物の造形もみごとで、三つの王国の物語は残酷絵の仕上がり。妊娠するために顔を血まみれにして怪物の肉を貪る美しい女王。皺だらけの皮膚を整形して王に気に入られようとする老女。無理に嫁入りさせられた「鬼」から逃亡をはかる王女。いずれも怪奇で、ホラー性も充分だけれど、女性観客の反応はどうか。
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ライター
平田裕介
残酷、背徳、恐怖、不条理、不思議、艶笑、美醜……といったアレコレがギッシリと詰め込まれた、まさにおとぎ話な快作。VFX全開のヴィジュアルがこれでもかと繰り出される大作がファンタジーの主流となっている現在だからこそ、こうした小品(でもないが)にヤラれてしまう。イタリアに実在すると言われても信じられないほど幻惑的な城の数々も、これまた物語と観る者をアゲてくれる。どんな時代、どんな世界が舞台でも破廉恥な役柄を完璧にこなす、∨・カッセルのブレのなさにも感服。
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シークレット・オブ・モンスター
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翻訳家
篠儀直子
鉄道の音を模してぐわんぐわんと鳴り響くスコット・ウォーカー作曲の序曲が、これから始まる映画をリアリズムのつもりで観てはいけないと告げる。エピローグ部分以前の出来事の内容を冷静に考えてみると、父親の職業の特殊さを除けば、実は結構多くの家庭で起こっている出来事であり、こんな仰々しい演出にしなくてもいいのではないかという気もしてくるが、この仰々しさこそが作品世界をぎりぎり成立させているのだから、その意味でこの監督の演出力は高く評価されるべきだろう。
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映画監督
内藤誠
孤独な少年の感受性がスコット・ウォーカーの音楽と共振して、終始、不安なままに進行する。知性も教養もあると自負する両親が一人息子を「いい子」に育てたいと考えるのだが、少年は教育など受けていない、素朴なお手伝いのおばさんになつき、両親のよかれと思う行為のすべてが気に入らない。その気持が痛いほど伝わってくるので、いまに何かが起こると観客はハラハラする。こんな少年は体験を活かして、アーチストにでもなってくれればいいと願うのだけれど、政治の道へ進んでしまう。
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ライター
平田裕介
後に独裁者となった男の少年記。というわけだが、たしかに母親もエキセントリックだし、少年の言動も危なっかしくて、そうなる素地や下地みたいなものは伝わるが、独裁者道驀進を決定づけるエピソードみたいなものがないので、“癇癪子供の怒りっぱなし日記”くらいにしか感じられず。ただし、本気で美しすぎる主演少年の容姿、やたらとカッコいい音楽、なんだかデカダンスしている屋敷、そのなかを走り回る少年をどこまでも追いかけるカメラが醸し出す、独特の雰囲気には酔える。
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世界の果てまでヒャッハー!
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翻訳家
篠儀直子
アイディアが次々繰り出され、テンポがよくて結構面白いので、日本語題名のキワモノ感から敬遠したりせずご覧ください。かなり低俗なネタも含まれているのに、耐えがたいほど下品になる寸前で踏みとどまっているようであるのは、バンド・デシネ作家という設定である主人公の心優しい性格のせいもあるし、この手の映画でおとしめられがちなお年寄りや若い女の子や先住民を、時にかっこよく描いているからかもしれない。同じフォーマットらしいこの監督・主演コンビの前作も気になる。
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映画監督
内藤誠
バラエティ・ショーなどで活躍しているという二人が共同監督して、ブラジルのイタカレに遊び半分のロケをして仕上げたおバカさん映画。冒頭、主人公が婚約者に渡すはずの指輪を友人が呑み込んでしまい、お尻から出てくるのを待つというギャグがあって下品な作品になるなと思ったが、それよりも全篇、イージーな手持ち撮影なのが辛くて、笑い損ねたところがある。「ブレア・ウィツチ・プロジェクト」が好きな人もいるので、まあ、いいとしても、いまどき、一般のフランス人が気楽に行ける秘境が存在するのが不思議。
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ライター
平田裕介
「食人族」と「ハングオーバー!?」をくっつけてみました的な作品で、どこまでもノリは軽い。しかし、物語の構成はけっこう緻密で終盤における収束感もピシッとしていて気持ちがいい。繰り出されるギャグも下品を極めているものから画面の端にしれっとして映っているものまで、どれもがしっかり笑えるもので大満足。また、先住民に追われながらプロペラ機が離陸→燃料ゼロ→落下傘で脱出→島に着地というシークエンスをシームレスで映し出すなど、映像も凝りまくっていて驚かされる。
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映画作家 黒木和雄 非戦と自由への想い
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評論家
上野昻志
学徒動員先の工場で九死に一生を得た黒木自身の語りから、澤地久枝をはじめ、映画作りを共にした劇作家や美術家、戦時下の日常から戦争を描く四部作を作る契機となったポーランドとの合作TVドキュメンタリー『かよこ桜の咲く日』のプロデューサーや広島の被爆体験者などのインタビューが、黒木和雄の想いを増幅していく。黒木は戦争体験が忘却されることを案じていたが、広島大学の学生たちが、元安川で原爆瓦礫を発掘している姿を見れば、例の微笑を浮かべるのではないか。
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映画評論家
上島春彦
黒木のフィルモグラフィ中、特に原爆禍や銃後の人々を描いた数本にスポットを合わせ、かつての彼の助監督後藤幸一が黒木の作品観とその背景を追っていく。正直に言ってしまうと私が黒木に興味を失っていくきっかけがこれらの映画なのだが、この際そういうことは関係なし。こういうピンポイントに特化したアプローチはありだと思う。もちろんそこには突然「戦争OK」の国になってしまった日本への批判が込められており、多彩なコメンテイターの方々もそういう視点で全員語っていた。
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映画評論家
モルモット吉田
黒木和雄の戦争4部作を軸に、撮影現場の再訪、関係者の証言を丹念に集めた真面目なドキュメンタリーである。晩年の黒木作品の記憶が甦るが、10年前にETVで組まれた特集の同工異曲の感も。これも黒木の一面ではあるが、本作では一言で済ませてしまう岩波映画、TV『天皇の世紀』、ATG、晩年の「スリ」などに愛着がある者としては、黒木の多面性の中にこそ本作が提示する問題があったと思うのだが。観る機会の少ない『かよこ桜の咲く日』の映像とスタッフの証言は貴重。
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雨にゆれる女
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映画評論家
北川れい子
湿気を含んだ焼きの濃い映像。頑なな男が発する重苦しい沈黙。無防備に男の日常に侵入してくる謎の女。男は小さな工場で働いているが、仕事以外はほとんど喋らない。やがてこの男とこの女の因縁が明らかになるのだが、全てにわたって半野喜弘監督のベタなナルシズムが感じられ、ここまで自己愛、自己のスタイルを見せつけられると、監督自身のプライベートを覗き見したような気まずい気分になったり。何を描くか、ではなく、どう撮るかを先行させた、監督のワンマン映画である。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
主人公の過去と女との因果判明に失速感があるが、謎は明かされねばならず、仕方ない。映像と美術にパワーがある。青木崇高が良い。やはり映画「怒り」なぞ殺菌された商品。本作監督半野氏が音楽を手掛けた映画の多くを自分は観ていた。氏の名を介するとそれら監督の異なる映画が、静謐さと、現在時制の場面でもまるで誰かに回想されるような儚さと悲しさとを共有していたと気づく。だがメロディを憶えていない。今回この映画によって初めて、映像と物語によるメロディを感じた。
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映画評論家
松崎健夫
映画前半、台詞に頼ることなく描写を積み上げることで、主人公の人となりを表現しようとしていることが窺える。彼の人生における“ノイズ”を表すかのように、本作の音響効果には“雑音”が多用されている。例えば、工場や薬缶、そして、雨の降る音。不穏さの前触れを雷鳴に暗喩させているように、それらは、すきま風のように作品内に流れてゆく違和感の由縁ともなっている。本作における〈音〉に対するこだわり、それは半野喜弘監督が音楽家であることと決して無縁ではない。
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聖(さとし)の青春
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映画評論家
北川れい子
将棋の世界に疎いので、29歳で亡くなった村山聖のことは今回初めて知ったのだが、この映画が、将棋盤をフィールドにした一種のスポコン映画になっているのがユニーク。むろん将棋は肉体競技とは異なるが、勝ち負けということではスポーツ競技と同じ、勝負に懸ける意地とプライドも共通する。しかも彼は難病とも闘い、医者の忠告にも耳を貸さず勝負に挑む。まるで「どついたるねん」の将棋版。聖役のために全身に肉を付けた松山ケンイチがみごとで、聖の執念とダブル。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
難病に苦しみ早世したが彼の生と残した業績はその病に由来した。悔やまれる途絶でありながら、熱く濃く生ききったことも間違いない。実在にはこのような矛盾と絡まりがあり、これは掃いて捨てるほどある安直な難病お涙頂戴映画が語りえないもの。本作は悲劇的でありつつ、肯定的で力強い青春映画、伝記映画となっている。俳優が全員強くキャラを作りこんでいるがそれが厭味なく作品世界を厚くした。村山と羽生の友愛を強調した脚色、両者が一分切れ負けを半泣きで戦う演出も良い。
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映画評論家
松崎健夫
本作は、とかく松山ケンイチの肉体改造ぶりばかりが取り上げられがちだが、純粋さと卑屈さが混在した内面的な葛藤を感じさせる演技アプローチもまた評価されるべき点。その演技を受ける東出昌大との衝突を、森義隆監督は双方の〈顔〉を撮ることで実践させている。ふたりの〈顔〉と〈顔〉が導く気迫と熱気。そして、深い部分で繋がっている相互理解のようなもの。映画の中で将棋のルールを提示することを必要としないのは、〈顔〉と〈顔〉によるモンタージュの賜物なのである。
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灼熱
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映像演出、映画評論
荻野洋一
セルビア人女性とクロアチア人男性が被る民族対立の苦悩を、3つの時代、3組のカップルで重層的に描き分け、ミクロから普遍的な博愛へと敷衍していく緻密かつ鷹揚なる製作姿勢に好感を持つ。また手持ちのぐらぐらカメラは、かつての「ドグマ」勢の方法論先行から脱し、人間と土地の調和さえ生み出した。ただ、かつては共産圏映画には独特の色と匂いがあったものだが、もはやロシア・東欧の映画も、西欧の「作家映画」と同質の美学体系に組み込まれた感がある。寂しさを禁じ得ない。
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脚本家
北里宇一郎
クロアチア紛争を背景にした3つのラブ・ストーリー。第1話はもろロミ・ジュリ風の素朴さ。第3話は現代の彼の地の若者たちの生態が興味深いが、中身はシンプルな愛の復活話。紛争終結直後の男女を描いた第2話がいちばん印象的で、互いに惹かれあっていても、敵味方の感情が邪魔して、なかなか結ばれない。その二人の気持ちが繊細に描かれるアドリア海が解放の場として捉えられ、海水浴の映像が官能的な魅力を。これ、クロアチア人監督のセルビア人に対する贖罪の映画だと思ったが。
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映画ライター
中西愛子
1991年、2001年、2011年。クロアチア人とセルビア人の民族紛争の勃発を皮切りに、3つの時代を舞台にした、3組の若者の愛の物語を描く。面白いのは、どの時代のエピソードも、同じ男優女優がカップルを演じていること。設定は違うし、まったく別人に扮しているのだが、何かがリンクしていて、時代を追うごとに男女の関係性が深まっていくかのよう。さらにその男女の愛憎は、2つの民族の愛憎の擬人化とも見えて重層的。灼熱のような愛と官能描写の訴えかける力が凄い。
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