映画専門家レビュー一覧
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エヴォリューション
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映画ライター
中西愛子
少年と女性しかいない孤島。毎日、奇妙な薬を母に飲まされて暮らす10歳の少年は、ある日、何かがおかしいと気づき始める。セリフはほぼなく、幻想的な美しい映像の力で、種や生命にまつわる秘密が潜む物語を淡々と見せていく。語り口にはまどろっこしさもあって、いま特に驚きを感じるスタイルではないのだが、主人公たちの繊細な心理の変化を心理描写なく伝え切った執念に感服。「エイリアン4」を少し思い起こさせるダークな世界観が興味深い。着地点は想定内ではあるけれど。
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グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ワイズマンは英ナショナル・ギャラリーやパリ・オペラ座、コメディ・フランセーズを出来事の生起する場として酷薄に記録し、負けじとソクーロフはエルミタージュとルーヴルの空間をおのがじし芸術観、歴史観にまで敷衍させた。一方「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」は改修工事トラブルを風刺喜劇に仕立てた。翻って本作でウィーン美術史美術館スタッフが「当館も世界の施設と比べられる」と危機感を述べているが、映画も同様。お行儀が良すぎるのでは。もっと美の放蕩を!
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脚本家
北里宇一郎
最近、上映の機会が増えた美術館記録映画。今回はウイーン美術史美術館。所蔵の美術品も膨大なら建物も巨大。その中を血液みたいに人間たちが蠢く。ハプスブルク家の遺産を生かしているのは、このスタッフたちだというように。その一人一人のスケッチがさりげない。だけど監督が、その人たちを抱きしめるように撮って。清掃、修復、会議、展示などが次から次へと綴られ、はっきり申せば地味な展開。が、このスタッフたちが作品を手に取り、ふれる、その眼差しに、深い美術愛を感じて。
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映画ライター
中西愛子
ハプスブルク家の遺産を受け継ぐウィーン美術史美術館。その大規模な改装工事に密着し、知られざる舞台裏をとらえたドキュメンタリー。伝統と格式の色がかなり強い美術館で、一方で、グローバル化の波も意識せざるを得ない再オープンまでの関係者たちの葛藤が興味をそそる。館内の人たちの役割も含め、明確なヒエラルキーが窺える美術館案内は、私は少し息苦しかったけど、完成した展示の様子はさすがに圧巻。改装中に見学に来た、大英博物館の館長さんの個性が異彩を放っていた。
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ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち
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映像演出、映画評論
荻野洋一
収容所送りとなる前にユダヤの子どもたちを大勢逃がした“英国のシンドラー”N・ウィントンという人は賞讃してもしきれない。素晴らしい題材である。ただし肝心の映画の作り方に問題あり。茶番レベルの再現ドラマで過剰な補強をしてしまったり、救助されたかつての子ども(現在は老人)と当時の資料映像をまことしやかな類似点を糊しろとして繋いでしまったり。冒頭のタイトルインでキラリとしたエフェクトをかけた時点でおかしいなと。フッテージによっては心動かされる箇所あり。
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脚本家
北里宇一郎
シンドラー氏とか杉原千畝さんだけじゃなく、ナチスからユダヤの民を救った人がいたとは。ウィンストン氏の懸命の救出の?末を映画は丁寧に紹介。生き延びた当時の子どもたちと老ウィントン氏が再会する場面は胸が熱くなる。この題材には感銘。が、映画にはどこか教科書的なスクェアな収まりを感じる。母と子の別離、それを役者を起用して分かりやすい再現劇にした味気なさ。確かにこれは美談の記録。だけど、それでもはみ出る人間の執念というか血の熱さみたいなものがほしくて。
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映画ライター
中西愛子
“イギリスのシンドラー”とも呼ばれたニコラス・ウィントン。第二次世界大戦前夜、チェコスロヴァキアのユダヤ人の子どもたちを、ナチスの迫害から救うため、母国イギリスに里親を探し出国させた。子の将来を思い手放す親、受け入れる里親、もちろん当の子どもたち、さまざまなドラマがある。考えさせる実話だし、ウィントンという人は凄いと思うのだが、中途半端な再現映像と最後の善意の伝播エピソードはなくてもよかったような。当人たちの証言や考察で十分に感動的だった気も。
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母の残像
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映像演出、映画評論
荻野洋一
戦場写真で数々の賞を受賞した女性写真家(I・ユペール)が交通事故死して3年。死因の疑惑をめぐり、夫と2人の息子が困惑と動揺を募らせていく。子が親より早死にするケースを除けば、家族の死を経験しない人間は珍しいと思うが、それはなんとも対象化できかねる経験である。死を「境」に、人は死せる家人と別の関係性を開始することになる。その奇妙な居心地のありかを、本作は繊細きわまりないカメラで収めていく。残った者がいかに生きていくかについての、万感迫るレッスンだ。
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脚本家
北里宇一郎
十五歳の男子。片思いの女子がパーティで悪酔いしたので送って行く。途中で女子が尿意を催す。車の陰で放出。待っている男子。その足元を液体が流れ、男子、じっと見つめる――てないい場面はあるけど。戦場カメラウーマンの母親がいて、事故か自殺か分からない死を遂げる。夫と二人の息子は動揺。その心の動きが描かれていくわけだが、それぞれの母に対する(生前の)想いが不明瞭な気がして。だから父子が失ったもの、求めるものが見えない。沁みそうで沁みない、じれったい映画。
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映画ライター
中西愛子
監督ヨアキム・トリアーは、ラース・フォン・トリアーの甥。確かに何となく血筋の才気は感じるけど、才気もどきなんじゃ……。これだけいい俳優たちを揃え、それぞれに面白い芝居をさせているのに、俳優陣と物語の化学反応をちっとも感じない。監督は、バーンやアイゼンバーグのミーハー的なファンなのだろう(私もそうです)。その思い入れは伝わっても、これは家族の物語として成立しているのか? 印象的なシーンも、結局、思わせぶりな断片に処理されてしまって、消化不良。
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ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
アカデミー賞の短篇ドキュメンタリー映画賞受賞の「フリーヘルド」(本作の原題も同じ)でも描かれた、婚姻の権利を求めて裁判を起こした実在の同性愛カップルを、ジュリアン・ムーアとエレン・ペイジが驚くべき熱量と繊細さで演じている。事実を追っただけでドラマチックな物語になるのだが、映画のタッチとしては完全に社会派で、メロドラマ的演出は抑制されている。刻々とガンに蝕まれていくムーアの演技が素晴らしい。エレン・ペイジの真に迫ったスピーチと表情には泣かされた。
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映画系文筆業
奈々村久生
中年男性と若い女性の年の差カップルは珍しくもないが、これが女性同士の関係に置き換えられただけで、年齢の離れた相手と人生を共にする選択が何を意味するのか、思いもよらない角度から見えてくる。20代のペイジと50代のムーアが睦まじく寄り添う姿はビジュアルでもその現実を生々しくつきつけ、実写の力がものを言う。男と女、善と悪の対立ではなく、ごく一般的な感覚を持ち合わせた人たちの意識の変化を丁寧に描いているのもいい。スティーヴ・カレルの存在は救いだ。
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TVプロデューサー
山口剛
レズビアンの難病ものかといってこの面白い映画をくれぐれも敬遠なさらないよう。性的少数者の権利という社会的テーマをきっちり押さえながら、警察もの、裁判劇、恋愛ものとジャンルを横断するドラマチックなエンターテインメントになっている。LGBTの活動家でもあるナイスワイナーの脚本、P・ソレットの的確な演出はアメリカ映画の作り手の層の厚さを感じさせる。「アリスのままで」をしのぐジュリアン・ムーアの熱演と制作にも名を連ねるエレン・ペイジの個性が見ものだ。
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ブルーに生まれついて
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
ミュージシャンの伝記映画も最近非常に多いわけだが、はっきり言って力作が多いので文句も引っ込んでしまう。チェット・ベイカーといえばブルース・ウェーバー監督「レッツ・ゲット・ロスト」だが、あちらは最晩年のドキュメンタリー。こちらはドラッグ中毒で音楽界から消えてから奇跡の復活を遂げた1973年までを描く。なんとベイカーの音源を一切使用していないのだが、超好演のイーサン・ホークと音楽担当のデイヴィッド・ブレイドが「映画のチェット」を見事に現出し得ている。
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映画系文筆業
奈々村久生
ミュージシャン、小説家などこの手の落ちぶれた才人を演じさせたらイーサン・ホークは達人だ。逆差別を示す黒人ジャズマンとの軋轢も心憎い。ただ、いかに音楽と向き合うかのドラマがドラッグ依存との闘いに同化する構図は、それがどんなに真実であってもあまり感心しない。それこそ無数にある話であり、普遍性が高いゆえに、どんなに個人の内面に迫ってもすべてはその構図に取込まれてしまうからだ。葛藤の末の決断に落ちをつける卓上のカットはあまりにえげつない。
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TVプロデューサー
山口剛
「マイルス・デイヴィス 空白の5年間」は同じように麻薬に溺れた天才の錯乱と狂気が描かれているが、作意不明の珍作で、マイルス・ファンの私は正視に耐えなかった。それに比べれば、本作はチェット・ベイカーの人生の一時期がキチンと描かれている。とは言え、恋人の献身で更生に努めるという昔ながらのメロドラマには新鮮味がない。ポール・ボウルズやウィリアム・バロウズが映画になる昨今だ、ジャンキーでもいいからもう少しヒップで格好いいジャズメンを描いて欲しい。
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私の少女時代 Our Times
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
ストーリーにもテーマ(?)にもまったくと言っていいほど興味が持てなかった私としては、主演のビビアン・ソンのマンガみたいなメガネでボサボサ頭のダサさの魅力だけが救いだったと言える。というかああいうの可愛いよね(笑)。まあ途中からホントに可愛くなっちゃうのだが。とても映画とは思えない画面設計と演技演出にまたもや茫然とした。音楽やナレーションを都合良く使うのもやめてほしい。とか思ってた筈なのに、いかなることか、いつの間にかハマって観てました。なぜだ!
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映画系文筆業
奈々村久生
メガネを外したら美少女、実は心優しい不良少年、品行方正な正統派のイケメン。往年の少女漫画の王道はしかし役者陣のてらいのない熱演で気持ちよい。家々の並ぶ通りを自転車で通る風景に「指望」を思い出す。現在と過去の二部構造は同形式の作品群のヒットによる流行、および過去だからこそメタ的に正々堂々と少女漫画の世界を描けたのかもしれないが、現在との接点を持たせるだけの処理ならば惜しい。映像表現における限り過去パートだけでも十分に成立したのではないかと思う。
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TVプロデューサー
山口剛
純真だがドジで間抜けな女子高生とイケメンでスポーツ万能の秀才と札付きの不良少年のドラマがテンポのいい会話で展開される。まるで昔の大映テレビの連続もの(背後に増村保造がいたらしい)みたいだが、90年代の高校生の日常が丁寧に描かれていて面白く見せる。いずれにせよ、TVドラマ、少女漫画的な軽さが身上だ。主人公たちの気持ちが観客には判っているのに延々繰り返し盛り上げるのはちとくどいし、長すぎる。アンディ・ラウが本人役で現われるラストは洒落ている。
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五日物語 3つの王国と3人の女
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翻訳家
篠儀直子
ラブレー的なもの、またはパゾリーニっぽい映画かと思ったら全然違って、血まみれのシーンさえやりすごせば、小学校高学年以上のお子さんと一緒に観られる(かもしれない)映画になっていた。たぶんかなり脚色されているのだろうけれど、おとぎ話のフォーマットはやっぱり引きが強い。そして観終わってみると、希望を託されているのは若者たちなのだった。怪物の造形を含めた美術、および城周辺のロケーションに魅力あり。撮影はクローネンバーグ作品で知られるピーター・サシツキー。
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