映画専門家レビュー一覧
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古都(2016)
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映画評論家
北川れい子
ちょっと批評のことばもない。星一つはおマケです。どういう狙いがあってハリウッドで8年映画作りを学んだという実力未知数の新人監督を起用したのか不明だが、和服姿の松雪泰子が京都をウロウロする、その歩き方からしてブザマで、しかもその表情はミジメッたらしい八の字顔、古都も文化もヘッタクレもあったもんじゃない。川端原作の現代版? 古都つながりでパリに留学? とにかく場面はあっても絵ハガキ未満、終盤のパリの日本文化デモンストレーションは、悪夢か悪い冗談か。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
川端康成『古都』は過去に岩下志麻版、山口百恵版があるが、本作は単に再映画化ではない、いま流行の新味を加えた改変をアピールしたいリブート版。変えたところ付け加えたところに?まれるものがある「古都 怒りのデスロード」。生活格差が生じた双子という従来の設定に、さらにその娘たちは、と線を延ばしたところが現代。そこでの自立や人生の開拓がおこなわれる。松雪泰子二役、蒼あんな蒼れいな姉妹、橋本愛、成海璃子と、落ち着いた系の美人が満載でそれだけでも観られる。
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映画評論家
松崎健夫
本作は西陣織の世界を描いているが、これは〈映画〉そのもののことを描いているようでもある。後継者を失い、技術が廃れ、次世代に引き継げないという現状。この映画は、その“伝統”のあり方を川端康成の『古都』に倣いながら、かつて栄華を誇った撮影所のある街・京都を舞台にしている。それは単なる偶然ではない。映画の始まりと終わりを飾る、着物の縦糸と横糸。それはまるで、京都の街を象る碁盤の目のようではないか。そして、唐突に思えるパリの風景に共通項を見出すのである。
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ブレア・ウィッチ
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
その昔「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を観た時は「全然コワくないし話が終わってないじゃん!」と憤ったものだが、これはマジでコワかった。当然ながらテクノロジー的にアップデートされており、森に入っていく若者たちはヘッドセットカメラやドローンを駆使しているのだが、それらが効果的に使用されるわけではなく、むしろ次々と最新機材がダメになっていくことでコワさを演出している。容赦ない救いの無さは前作同様。やたらとデカい音を突然鳴らすのは品がないと思った。
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映画系文筆業
奈々村久生
恐怖には二種類あって、一つはかつてどこかで見たり聞いたりした怖いことがこれから起こるのではないかと予感する経験に基づいたもの。もう一つは全く予期せぬ事態が突然目の前で起こったり知らない何かに襲われたりする未知に対するもの。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」のフォーマットは、現時点ではある程度誰もに知られており、カメラを持って森に入った若者はひどい目に遭うに決まっている。続篇として保証された恐怖はともかく、一作目がもたらした後者はない。
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TVプロデューサー
山口剛
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」は、ロスト・フッテージ、疑似ドキュメント、低予算を逆手に取った撮影法など斬新で面白かったが、以後類似の作品が次々と現われるに至り新鮮味は失せた。正統続篇と称する本作はGPSやドローンなどを使い前作を越えようという幾つかの狙いも判るが、基本的には前作をなぞったもので、正統続篇ならではの独創的な新しいアイディアがない。手持ちカメラの揺れ動く映像、驚愕を煽る大音響の音楽効果は1時間半とはいえいささか疲れた。
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マダム・フローレンス! 夢見るふたり
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翻訳家
篠儀直子
フローレンス・フォスター・ジェンキンスを主役のモデルにして先般公開された某フランス映画は、芸術に情熱を傾ける人間をなめきっているとしか思えずあんまりだと思ったのだが、こちらの映画は、死と隣り合わせてなお生き抜くために、そして自分と周囲の人々を幸福にするために、彼女は歌を必要としたのだとする解釈なのがとても好ましい。事実と異なる部分も多いが、ベイフィールドやコズメの人物像など「きっとこういう人だったに違いない」と思わせる、上品で気持ちのいい映画。
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映画監督
内藤誠
映画祭で来日したメリル・ストリープの素顔を近くで見たあと、映画を鑑賞したので、長年、梅毒を病み、髪もなく、皺だらけの顔で音痴の歌を熱唱するマダム・フローレンスの演技にはさすがに驚嘆。彼女のために献身的に「虚偽と詐欺の人生」を生きる夫のヒュー・グラントも実話だとしたら、笑えるというよりは、リッパすぎる。とりわけおかしいのはピアニストとして雇われたサイモン・ヘルバーグのマダムに対する、とぼけた反応で、彼を見ているだけで楽しい。脚本は彼らを全面肯定。
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ライター
平田裕介
「ジュリー&ジュリア」などで見せた“陽性アプローチ”でフローレンスに扮するM・ストリープ。それが作用し、同じく彼女の人生を元にした哀感漂う「偉大なるマルグリット」とはノリがまったく被らない作品になっている。しかし、なにかとさらっていくのは飄々と切々を巧みにスイッチングして夫を演じ切るH・グラントだったりする。各キャラの背景の描き方がそれほど深くないゆえに感動チックな終盤が盛り上がらないのだが、“何事もやったもん勝ち”であるというテーマは伝わった。
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俺たち文化系プロレスDDT
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映画評論家
北川れい子
ごめん。プロレスにまったく無知な私ったら、タイトルにある“DDT”を、かつて盛んに出回った殺虫剤の“DDT”と早トチリ、そうか、他のプロレス団体を駆除するぞ、という意気込みか、とカンシンしていたら、アララ、“ドラマチック・ドリーム・チーム”の略だったのね。ナルホド、このドキュメンタリーを観て、ややこしくも単純な熱い男たち一人ひとりの言動に、彼らなりの意地と信念が感じられ、全員を応援したくなったり。ところで“文化系”の文化って、エンタメのこと?
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
十九世紀末ニーチェは超越的なものへの信仰の崩壊を指して「神は死んだ」というパンチラインをかまし、フーコーはこれをパクッて個の意志の無力を示して「人間は死んだ」と言ったが、本作はそこからの人間存在の復活を示すドキュメントだ。プロレスラーは商業化戯画化されているとはいえ英雄。英雄はパワポでプレゼンしないしエゴサもしない。する奴は、死んだも同然のただの人。だが本作の主人公たちはそこからヒーローになる。二十一世紀、人類を代表するのは文化系レスラーだ。
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映画評論家
松崎健夫
古今東西、「プロレスはどこまで真剣勝負なのか?」という問答があるように、ドキュメンタリーなるものにも同様の曖昧さがある。本作でも確信犯的に「境界線が曖昧である」という要素を持たせているのが松江哲明流。つまり「プロレスなのにドキュメンタリーである」という点において我々を翻弄するのである。何よりも、ドキュメンタリー、いや、モキュメンタリー、いや、“真剣勝負”を盾にその精神を受け継ぎ、日本で“俺たち”シリーズが(勝手に)生まれたことの歓びもまた格別。
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疾風ロンド
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映画評論家
北川れい子
どこが“疾風”なんだが。そういえば冒頭、何者かが、雪山の裸の木の1本にクマのぬいぐるみを打ち付け、“サア、ゲームの始まりだ”と薄笑いを浮かべて呟いていたが、ゲームならそれなりのルールやルートがあるはず。がこの映画、それぞれの駒、いやキャラの役目からしてグズグズで、勝手に問題を起こし、あらぬ方向に走って……。ま、“ロンド”とは輪舞曲のこと。テンデンバラバラに踊るのもアリかもしれないが、緊急を要する事件があるのにこの脳天気ぶり、脚本も演出もサイアク!!
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
雪上場面が良い。スノボで豪快に滑走する大島優子の、グッと突き出されたたくましいお尻が、映像モード新時代のドアをドーンと押し開けようとした。ヌーヴェルヴァーグやアメリカンニューシネマは、それ以前の劇映画でNGと考えられたようなドキュメンタリー的映像を取り込むことで新モードを実現したが、現在ならウェアラブルカメラ映像などがそれに似たものをつくるか。ネヴェルダイン/テイラー「アドレナリン」やロン・ハワード「白鯨との闘い」を連想。本作全体はイマイチ。
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映画評論家
松崎健夫
〈安楽椅子探偵〉モノは映画化にあまり向いていないと言われている。それは、事件を解決すべき主人公が何らかの理由で動けない状態にあるからだ。そういう意味で、本作の主人公は〈安楽椅子探偵〉なのである。しかし緊張感の緩急が生み出す笑いや、雪上のアクションを畳み掛けることによって、主人公がその場に留まっていることに違和感を持たせない工夫が成されている。フォーカスやアイリスの問題を解消させたGoProによる撮影が思いのほか高画質で、ゲレンデに向いている点も出色。
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ジムノペディに乱れる
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映画評論家
北川れい子
日活ロマンポルノが再起動することになっての記者会見で、行定監督は、脚本は何でも自由というので、自分では美しいと思うスカトロの話を書いたら、日活から拒否された、とボヤいていたが、大いに期待した本作の主人公が、妙に女にモテる映画監督だったのはいささかこそばゆい。しかも知的でクールなエリック・サティのピアノ曲に先導されてというのだから。主人公が映画を撮るのは久しぶりで、しかも撮影は中断中という設定だが、映画にも女にも受け身の主人公の軟弱さにイラッ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
先の十月に開催されてた荒木一郎特集上映、観てあらためて気づいたのはポルノにおける男優の大事さ。下半身に引きずりまわされケツを出して喘ぐカッコ悪さを通過したうえで何かを語り得れば、そいつはポルノがキマる男。ロマンポルノ過去作を思えば風間杜夫や北見敏之、坂本長利、高橋明、粟津號……ら(そのほかにも何人も)の独特のキャラクターを思い出すが、板尾氏はもうその域。過去作が予告してた監督行定勲はポルノがイケそう説も証明された。だが、新しさ、発見はあったか?
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映画評論家
松崎健夫
『ロマンポルノリブートプロジェクト』は即ち、各々の監督による〈ロマンポルノ大喜利〉なので「作品個々の評価よりもプロジェクト5作品内で相対的に評価すべき」というのが個人的見解。長回しが多用される本作では“フィックスの引き画”でも手持ちの撮影が行われている。そして、人が動き出すとカメラも動き出すというパターンを繰り返す。まるで「心の揺れ」=「カメラの揺れ」のように。物語は月曜日から土曜日までが描かれるが、これを某路線の6駅に置き換えてみるのも一興。
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エヴォリューション
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映像演出、映画評論
荻野洋一
美少年たちとその母親たちだけが隔離された孤島の暮らしは、デ・キリコの絵画そのままだ。あたりを覆うひんやりとした白々しさはいい雰囲気。だが状況に疑問を抱いた一人の少年が叛乱を試みる展開は、あまり新鮮ではない。風刺SFの形式美にいかに乗れるかだが、視覚的な異端性への依存が強く、映画というよりプログレの長篇PVを見ている印象である。評価はフランス本国よりイギリスでの方がよかったとのこと。ニコラス・ローグの母国ならではの評価ではないか。
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脚本家
北里宇一郎
冒頭の海中の映像におおっと唸り、少年と女しかいない孤島の設定に惹きつけられて。深夜、女たちが岩礁で繰り広げる饗宴の俯瞰カットなど、あっと驚く感覚の鋭さ。少年にタネ(?)を植え付け、何かをさせるという奇想天外な発想も面白い。これ、直球でやればユニークなSF譚に仕上がるんだろうけど、監督はどうもアートというかカルトを狙ったようで。おかげで中盤以降は変わり映えのしない単調な画面が続く。起承転結の転の入口から、いきなり結に飛んだような展開もゲージツだから?
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