映画専門家レビュー一覧
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ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ
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映画評論家
松崎健夫
舞台は夏である。夏であるから軒先の窓は開けっ放しになっている。だがそれは「夏だから」という理由だけではない。本作で〈半径数メートル〉の狭い世界で暮らす若者たちは、不思議と外の世界と繋がっているような印象を与える。窓が開いていることで、常に窓の向こう側が画面の中に映り込んでいるからである。劇中歌は「セカイ」と歌い、幽霊は「外へ飛び出して」と語りかける。それでも彼らが窓の向こう側へと飛び出さない姿は、我々の社会が抱える或る問題と近似していないか。
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五島のトラさん
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映画評論家
北川れい子
「夢は牛のお医者さん」「ふたりの桃源郷」など、長期取材をしたテレビドキュメンタリーには、そこらの劇映画など足元にも及ばない親近感がある。取材対象者の成長やその変化が歳月を早送りして編集され、しかもカメラがその人たちの人生のある種の“見守り”的な役目も果たしている。特に本作はそれが顕著で、トラさん夫婦とその子どもたちは、定期的にカメラに撮られることで、ずっと家族という関係で行動し、反抗はしても逃げられない。それだけに、もしトラさん家にカメラが入らなかったら、とも思う。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
昔からテレビで人気の大家族ものドキュメンタリーにはどこか珍奇さがあるものだが、このトラさん一家はそうではない。世間に出たときにきちんとできる人を育てるという感覚がちゃんとある。本作はその部分が撮れている。あの教育への信念は見習いたい。トラさんが七人目の子をもうけた年齢でいま自分は子が一人、もうこれ以上子を持てないし、この子が独りでもやっていけるようになるまでまだ先は長い。犬塚虎夫氏も家族みんなもすごい。無名の、しかし偉大な家族史の映像記録。
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映画評論家
松崎健夫
本作は「人間の本来あるべき姿は、島の暮らしの中にある」というステレオタイプなメッセージを発する類いの作品ではない。特殊な家族像を撮り始めたはずが、結果的に普遍的な家族像を描くに至った作品なのである。親も子も其々が葛藤し、その葛藤は次の世代にも引き継がれてゆく。それは継承のあり方だけでなく、人が成長し変化してゆかねばならないことをも悟らせる。自らが親になって初めて気付く親の気持ち。奇しくもそれは〈死〉=〈不在〉の後を描いているからこそ悟るのである。
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ルドルフとイッパイアッテナ
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映画評論家
北川れい子
CGによる各キャラクターたちの造型や表情、動きがチャーミング。毛並、色艶もちょっと触りたくなるくらい。けれども原作が児童書だからか、ストーリーが小学生レベルで、ノラ猫たちも妙におとなしい。飼い主と遠く離れてしまったチビの黒猫と、体のデカい地域猫とのコンビは確かに絵になるが、もっとノラ猫たちの数を増やし、猫たちを通して人間界にもの申してほしかった。比べるワケではないが、米アニメ「ペット」の毒気とパワーと遊びがあまりに強烈だったので、つい不満が。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
声の演技が良い。猫の毛一本一本までも見せる3DCGアニメのパワー、良い筋立てにもかなりグッときたが、磯田勉氏がツイッターに書いた、これが伴淳三郎なら「ルドルフとイッペエヤッカ」、を目にして以来、酔っ払った伴淳がおとなしい黒猫にからんで困らせる図しか思い浮かばなくなって困る。まあ本質的にはそのような、世間知らずを世知のほうに差し招く物語。「北国の帝王」ほど苛烈ではなく。ベテラン野良猫イッパイアッテナには、てめえ差し詰めインテリだな、と言いたい。
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映画評論家
松崎健夫
猫視点で猫の世界を描いた本作は、当然、目線の高さも低い。我々が日頃目にする見慣れた生活風景が、別の〈目線〉=〈視点〉で描かれている所以である。そして現代を舞台としながらも、本作にはどこか懐かしさを感じさせる。例えば、電柱、下水の蓋、夕刻を知らせる放送など。それらは、今の社会で失われつつあるものとして点在させている。また「半径数メートルが人生のすべて」というペットの実態を描くことで、人間の人生のあり方の是非をも批評してみせているように思わせるのだ。
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ポバティー・インク あなたの寄付の不都合な真実
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ハイチとガーナに取材し、NGOや国際機関の援助活動が、現地の産業を圧迫し、さらなる貧困を生み出している、という皮肉な現状を訴える。私たちの寄付がそんな結果を招いているとは、やるせなくなる。大量の支援米のせいで米価格が暴落し、ハイチの稲作農家を壊滅させた。地元の人のコメントが印象深い。「栄養バランスにも問題が生じている。自分たちで作っていた80年代、米を食べるのは週3回だったのに、今では毎日3回というありさまだ」とのこと(苦笑)。
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脚本家
北里宇一郎
海外援助を名目に、かの地の政権と手を結び、暴利を貪る日本企業のことは聞いたことがあるけど。寄付や援助が巨大産業となる反面、その国の人たちの自立を妨げている。この現状が、ひじょうに論理的、具体的に描かれ、眼が開かれる想い。U2のボノの善意の活動が、一方的な押しつけにすぎなかったのでは、という問いかけが、こちらの胸にも刺さる。可哀そうでも弱くもない地元の人たちの発言、活動の画面が重く。多少、プロパガンダの臭みはあるが、映画には記録・告発の側面もあって。
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映画ライター
中西愛子
贅沢や粗末へのいましめとして、“アフリカには飢えた子どもがいるんだから”という一言がある。その有無を言わせぬ最悪のイメージの下、繰り広げられる営利目的の途上国開発は、いまや巨大産業なのだという。その循環の中で起こっている見えづらい世界の仕組みを、本作は具体的な例を数多く挙げて解き明かし、疑問を投げかける。問われていることは難しい。究極すぎて混乱する。ただ、慈善活動への見落としがちなひとつの視点を明確に提示していることは有益だ。考えるきっかけになる。
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モンスター・ハント
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映像演出、映画評論
荻野洋一
妖怪ハンターが報奨金目当てで、生まれたばかりの妖怪の赤ちゃんをつれて旅をする。古くはジョン・フォード「三人の名付け親」、日本でも前田陽一「神様がくれた赤ん坊」のような名作が生まれた物語の踏襲なのだが、語りの力がもうひとつで、人物描写も平板。とにかく妖怪ベビーの可愛さが本作の生命線で、その点だけならディズニー作品にも劣らない。途中、人間の子どもと遊ぶシーンがあるが、この子どもが実に可愛くなく、妖怪ベビーの可愛さがより強調されるしくみである。
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脚本家
北里宇一郎
妖怪と人間が同居する世界が舞台。だけど、なんで善と悪の妖怪がいるのか、その基本設定が分からなくて。展開も行き当たりばったり。ただもうSFXを駆使した乱戦乱闘場面が次から次へと連発される。こう山場ばかりだと、逆に一本調子となって退屈を覚えるのだけど。妖怪狩人のお転婆娘はちょいと魅力的。相手役の男子が軟弱なのが今風。いやもうサービス精神旺盛なのは認めるけど、もう少し、映画の骨格をしっかり組み立ててほしくて。さて、米中妖怪退治合戦の結果は、どうも引き分け。
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映画ライター
中西愛子
何やらかわいい赤ちゃんキャラ! シュレックっぽいと思いきや、監督は「シュレック3」の共同監督ラマン・ホイ。でも、王子も真っ青なくらい、ヒロインがやたら強いところは、むしろ最近のディズニーを彷彿とさせる大胆さだ。王子的ポジションの青年が、ひょんなことから妖怪の子をお腹に宿してしまう奇天烈な展開。主演女優バイ・バイホーのクールで精悍な個性が功を奏してか、そんな男女逆転風のアイロニーも意外と自然。ハリウッド風味も新鮮な、最新中国エンタテインメント。
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奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
またもや「実話」ならではの感動を売りにされると、それが何なの?と毒のひとつも吐きたくなってくるが、しかし実話でなかったら、この物語は映画にはなるまい。つまりささやかではあれ、いや、ささやかであればこそ、ほとんど奇跡的と言ってもいいような「良い話」は、それがもともと「実話」であることをプレテクストとして、ようやく成立するということだ。クールだが情熱的な女教師を演じるアリアンヌ・アスカリッドが素晴らしい。ドキュメンタリータッチの画面構成も効果的。
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映画系文筆業
奈々村久生
実話をベースにした弱者のサクセスストーリーは「最強のふたり」に代表される近年のフランス映画のヒットの定石。本作もその系譜に属し、移民文化であるフランス社会の縮図を描きつつ、ドキュメンタリー風味の採用も含めそつなくまとまっている。だがそれだけだとハリウッド映画のよくできた縮小版という感が否めない。脱落した生徒や教師自身の人格のようなディテールを拾い切れていない。ナチス収容所を描いた絵と写真の違いを指摘した生徒の発表は興味深かった。
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TVプロデューサー
山口剛
女教師の情熱と信念が生徒たちの心を動かしていくという昔ながらの筋立てだが、アウシュヴィッツを生き延びた老人の話に悪童たちが居住まいを正し変わって行く様は素直に感動する。映画的な素材とは言えないかもしれないが、様々な人種の生徒たちの奔放な言動を追うカメラや女教師の風貌や演技が良いので引きこまれる。民族抗争が続き、人間の人間に対する残虐さは後を絶たない。広島、長崎の被爆の悲惨さも風化しつつある今、十八歳の選挙権などもあわせて時宜を得た映画だ。
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ハイ・ライズ
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翻訳家
篠儀直子
これは評価が難しい。物語世界のカオス化と同時に語りもカオス化する(話を1本の筋として追えなくなり、時間も空間も錯綜する)という大胆さゆえに高く評価する人もいるだろう一方で、崩壊の過程の描き方が、単なる思わせぶりな映像の断片の羅列ではないか、これは演出の放棄ではないかという意見もあるだろう。合理的な世界ではないので「どうしてみんな逃げ出さないのか」という質問はナシの方向で。あと題材的にどうしても、クローネンバーグが監督したらどうなっていたかと夢想。
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映画監督
内藤誠
アンドレアス・ベルナルトの『金持ちは、なぜ高いところに住むのか』(柏書房)ではエレベーターの進歩が重要な意味をもつ。ここでは初めから金持ちは高層、労働者は低層と決まっている。自分で設計したビルの最上階に住み、屋上庭園で寛ぐジェレミー・アイアン、憧れてビルの中階に仲間入りした医師トム・ヒドルストンが適役。しかしビルの内部崩壊の図式化を急ぎすぎて人物像が混乱し、リアリティを欠いたことも確か。犬のバーベキューを見た後での高層ビルの実景描写が妙に怖い。
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ライター
平田裕介
上下のあるところで人が暮らすと本作のように、だからといって前後にしても「スノーピアサー」のようにヒエラルキーや軋轢が生じてエライことに。けっして良いとは思わないが横並びが無難で、それを分かっていた昔の長屋はたいしたものだと痛感はできた。映像も凝りに凝っているし、演者の顔触れにもグッとくるし、舞台となる高層マンションを筆頭に美術や衣裳はクラクラするほど完璧である。でも、肝心の崩壊への経緯も崩壊後の混乱もダラダラしてばかりでノレないままの119分。
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ねむれ思い子 空のしとねに
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評論家
上野昻志
チラシには、「人知れずDVD化された無名の自主制作&自主レーベル・アニメ」とあるが、これは、企業や製作委員会などの手にならない、インディーズによって作られたアニメ作品ということなのだろう。監督中心の独立した制作とはいえ、そこには協力を惜しまない独自のネットワークがあったはずだ。だが、それでもアニメーションの分野では、このような形が今後盛んになるだろうし、その先駆けとして、よく出来た作品ではある。とくに実写では困難な宇宙ステーションの映像には感心した。
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