映画専門家レビュー一覧
-
ケンとカズ
-
映画評論家
北川れい子
ケンとカズを演じる2人の俳優のカメラに動じない演技と表情が素晴しい。遊ぶ金ほしさではなく、それぞれのしがらみの中でまとまった金がほしい2人。ロクでもない闇仕事は、自ら蒔いた種でニッチもサッチもいかなくなるが、2人の息遣いとイラ立ちが画面からストレートに伝わってきて、その暴力も悲鳴に近い。2人をここまでみごとに描き出した小路監督の手腕に拍手を送りたいが、遅まきながらYouTubeで、本作のもとになった11年制作の短篇を観て、ワッ、短篇のほうがもっと凄いと。
-
映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
低予算のなかでのツボを押さえたエンタメぶり。暴力と、いま現在確実に存在しそうなのにメジャーな映画にあまり出てこない人々を描いたことで、時期的に「ディストラクション・ベイビーズ」「孤高の遠吠」と比較されることも多いだろうが、そう並べた場合に最も意識的に構成して娯楽性を狙っているのは本作だろう。ある種の韓国映画ではちゃんと出来ていて、多くの日本映画に出来ていなかったことが出来ている。観るべし。そして本作の監督、スタッフ、キャストに更なる機会を。
-
映画評論家
松崎健夫
ケンとカズの暮らす〈世界〉を構築させるためか、本作には余計な人物がフレーム内に映り込まない。映り込まないから、その〈世界〉が閉じているように感じる。それは〈半径5メートルの世界〉という自主映画への揶揄とは異なる。閉じているからこそ閉塞感があり、より広がりのある〈世界〉に飛び出すための動機となる。多用されるクロースアップも、その効果を生むためだ。そしてカトウシンスケと毎熊克哉の面構えは、映画に人気スターが必要ないのではないか? とも思わせるに至る。
-
-
夢二 愛のとばしり
-
映画評論家
北川れい子
“夢二”をナルシストとして描くのは作り手側の自由だが、この作品の場合、夢二以上に監督自身がナルシストで、自分の演出に妙に溺れているのには困った。しかも描写が形式的で、場面と台詞はあっても、一つの流れ、一つのドラマにつながらない。夢二の断片、夢二が関わる女たちの断片があるだけなのだ。人物も場面も限定されているから、イメージに余裕がないのかもしれないが、夢二の何を描きたいのかも不明では、?みどころがない。シネスコ画面も意味ないような。
-
映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
こういう準時代劇はよほど美術を突き詰めないかぎりつくり手も観客も、なにか見た目が薄いのではないかという思いを拭えないが(これをクリア出来てるのは清順「夢二」)、本作は常に前景と後景に人物や物をかぶせるように配置して画面に変化をつけた。竹久夢二映画は意外と多い。夢二と女性たちとの関係になにか、劇の核になるものが感じられるからだろうか。本作では妻のたまきを演じた黒谷友香の物狂いの場面が凄い。しかし昨今多いラブシーンの際の乳首ガードはもはや異常。
-
映画評論家
松崎健夫
本作がシネマスコープサイズで撮影されている所為、それは夢二とふたりの女性との関係性を視覚化させる点にある。例えば、関係性が密接になるにつれて、ふたりの姿は横長の画面の中で実際に〈距離〉が縮まり、視覚的な狭さを感じさせている。また多くのショットが〈手前〉と〈奥〉を意識して撮影され、そのことは“もうひとりの自分”を映し出す〈鏡〉の多用にも表れている。望遠レンズは被写体を陽炎のように映し出し、それは幻のようにみえる。夢二が漂泊者といわれる由縁である。
-
-
あなた、その川を渡らないで
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
今春公開の日本映画「ふたりの桃源郷」と対をなすような、田舎の老夫婦の仲睦まじい晩年を綴った韓国製ドキュメンタリーで、夫が先立つという展開も酷似する。実在の老夫婦が被写体であり、九〇歳過ぎまで男女の愛情が持続するということが衝撃的だ。現代社会は愛の不毛、家庭の崩壊、生の孤立に充ち満ちている。だから本作で、実在の老夫婦が楽しそうに雪合戦する姿などは、メルヘンに見えてしまう。本作の幸福描写は、私たち現代人の不幸と孤独を逆照射しているのである。
-
脚本家
北里宇一郎
田舎生活をする老夫婦のドキュメントなんて、この前「ふたりの桃源郷」を観たばかりで。韓国版のこちらは出だしの部分、監督が劇映画的カット割りにこだわったのか、夫婦を演出した気配があってぎこちない。が、しだいにありのままを撮っていこうという姿勢が見え、それとともに二人の自然な振る舞いが魅力になってくる。子どもたち(といっても中高年)が親の世話をめぐって本気の喧嘩をするところが韓国らしい。終盤、悲しみをこれでもかと情感に訴えるのが、どうも肌に合わなくて。
-
映画ライター
中西愛子
98歳の夫と89歳の妻の愛。フィクションのように滑らかに日常の物語が進むが、これはドキュメンタリーなのだという。もちろん、おじいさんとおばあさんのささやかなやりとりは自然で、丁寧に日々が切り取られていく。お互いを思いやるその姿は微笑ましく、夫婦愛のかたちとしてなんて素敵だろうと思う。おばあさんの笑顔が本当にいいなぁ。やがて、おじいさんが病に伏し、亡くなるまでが淡々と綴られる。てらいなく、四季を通して人の営みや幸せが映し出されていて心に沁みる。
-
-
ヒマラヤ 地上8,000メートルの絆
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
米映画「エベレスト 3D」、日本映画「エヴェレスト 神々の山嶺」と山岳映画の公開が続く中、次は韓国から。山男の友情に重心を置く熱血漢的な内容は、実話だけに文句のつけようがない。落命した仲間への鎮魂の念を、受け手は主人公たちと共有するだろう。しかし、映画という困難きわまりない剣が峰を本作が登り得ているかというと、疑問符が付く。ダイナミックかつスペクタクルだが喚起力に欠ける画面、類型に留まる人物像。悪い作品ではない。でも優等生の模範解答のようだ。
-
脚本家
北里宇一郎
悲壮感丸出しの日本の「エヴェレスト」と違い、笑いの味付けがあるのが助かる。登頂のカタルシスがちゃんと描かれているのも救い。役者陣も緩急のツボを心得て好演。ただ、これも韓国らしい情の絡め方があって、そこに違和感が。遭難するのが分かりきっているのに救助に駆けつけたり、遺体捜索のために集団で決死の登攀をしたり。こういう事実があったのだろうが、もう少し冷静なというか客観の視点(記録映画の感覚)がほしくて。これじゃ体育会系根性さえあれば岩をも砕くだよな。
-
映画ライター
中西愛子
伝説の登山家オム・ホンギルとその仲間たちの絆を壮大なスケールで描いた感動の実話。一番弟子といえる後輩ムテクとの友情がメインテーマかと思っていると、中盤意外な展開を迎える。後半は、無謀とさえ思える目的のエベレスト遠征が繰り広げられるのだが、その熱量が凄まじい。過酷な自然の中で友愛を育む西部劇のようでもあり、神(ホンギル)とすべての使徒たちとの絶対的な愛を謳う神話のようでもある。題材の大きさに劣らず山岳のロケが圧巻。エモーショナルな迫力に呑まれる。
-
-
ロング・トレイル!
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
二大名優が人生の黄昏を意識しつつ、アパラチア山脈三五〇〇㎞のトレッキングに挑む。彼らの珍道中が人生径路と重なりつつ、ある感慨に達すべきところだが、コメディータッチがもうひとつうまくいっていない。本作は映画の作り全体と対峙するものではなくて、両スターの滑稽芝居を微苦笑と共に享受すればよい作品なのかもしれない。二枚目レッドフォードは完全に受けに回り、もっぱら元悪童ノルティの不出来に対して苛立ったり赦したりする。この諦念こそ人生の粋ということか。
-
脚本家
北里宇一郎
今号の課題作品は辺地を舞台にした作品ばかりだが、これがいちばん気楽に見られた。なにせレッドフォード八〇歳、ノルティ七五歳だからあまり無理はできぬ。アパラチア・トレイルの道中行も高尾山ハイキングの如し。元アル中のノルティがいつ酒に手を出すかのサスペンス、熊に襲われてのスリル、人妻に手を出しての騒動と、挿話は数々あれど、超おしゃべりの女性ハイカーがクスクス笑える程度のゆるい展開。体力の限界なのでここらで失礼の幕切れまで、こちらもノンビリした気分に。
-
映画ライター
中西愛子
こんなに普通っぽい老人をチャーミングに、楽しんで演じているレッドフォードは珍しいのではないか。ふと思い立って大自然の長距離徒歩の旅に出る男。老いに触れる自虐ネタもなんのその、知的な品性は健在でなかなか艶やか。同伴する悪友を演じるニック・ノルティは、登場時、大丈夫かと思うほどの老体だけど、さすが味のある演技を貫徹。ふたりのコンビネーションがとてもいい。セリフも粋で奥深い。地味な作品だが、ゆったりした気持ちで人生を考えさせてくれる大人のコメディーだ。
-
-
めぐりあう日
-
批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
原題はアンドレ・ブルトン『狂気の愛』の末尾の一言。ここまで渋いタイトルにしなくてもいいのにと思うが、むしろこの方がヒットするのかも。「冬の小鳥」は観ていないのだが、ウニー・ルコント監督のタッチは繊細さと頑固さが共存しており、さりげなく動くカメラも悪くない。もっとドラマチックに出来るところも抑制が効いている。理学療法の場面も良い。好きなタイプの映画ではないが、こういう母娘ものは日本では受けるだろう。最後の朗読は唐突だが、これを言いたかったのだろう。
-
映画系文筆業
奈々村久生
子供を養子に出した母親が匿名を希望する場合にはそれぞれの事情があると思う。しかし子供が自分を探していると知って名前を公開するのは、果たして誰のためなのだろうか。知りたい子供、知りたい親、さらに知らせたいという親の思いが加われば、当事者同士の望むことは合致するはずなのに、理屈通りにはいかないところに逆に真実味がある。理学療法士であるヒロインは、情報よりも先に、直接肌に触れるという手がかりを得るが、漂う予感が確信に変わるまでの不確かさが美しい。
-
TVプロデューサー
山口剛
「自分探し」というのは嫌いな言葉だが、生みの親を知りたいと思うことは自分を知りたいことに他ならない。韓国の孤児院で育ち、九歳で養女となりフランスへ渡ったルコント監督の切実なテーマだ。デビュー作「冬の小鳥」のあの孤児院の少女がこの映画の監督なのだと言う思いが観ている間頭から離れなかった。理学療法士であるヒロインが、やっとめぐりあった母親の贅肉の塊のような裸身を抱きしめて治療を施すシーンは、幼児に戻った親子のスキンシップを観るごとくで感涙。
-
-
ターザン REBORN
-
翻訳家
篠儀直子
原作どおり教養ある文明人のターザンが、「ヘイトフル・エイト」から更生したみたいなサミュエル・L・ジャクソン(この役は実在の人物がモデルになっているらしい)とともに、残虐な圧政で歴史上悪名高いベルギー統治下のコンゴで冒険を繰り広げる。クライマックスはちょっと笑っちゃうくらいの壮観さ。しかし余計なお世話かもだが、今の時代にターザン映画を売ること自体が、そもそもかなりの難題なのではという気も。「ナッシュビル」等を製作したジェリー・ワイントローブの遺作。
-
映画監督
内藤誠
ジョニー・ワイズミュラーのシリーズを見ては「ターザンごっこ」をしていた世代にとっては憂いある英国貴族のターザンとなると、まるで別作品だ。しかもここまでCG技術を駆使した映画を見たあとでは、声をはりあげて、真似するわけにもいかないだろう。シーンを追うごとに、CG画面はエスカレートして、野獣の群れが疾走する最終部になると、もう冗談の作り。一方、物語はシリアスで、奴隷売買やベルギー国王の愚挙を突き、クリストフ・ヴァルツの悪役など、子どもには怖すぎる。
-