映画専門家レビュー一覧
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ねむれ思い子 空のしとねに
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映画評論家
上島春彦
フルCGアニメで日常を描くのが新機軸なのかと数分間誤解していたが、そんなわきゃあない。堂々たる未来SFであった。両親を交通事故で失った少女が十九年後、その亡き母親に思いがけない場所で出会うことになる。隠すことでもない。実験用宇宙ステーションで出会う。これは栗栖直也流の「惑星ソラリス」へのオマージュ。だから、あるんだよちゃんと。無重力空間での人物の浮遊ショットが。タイトルは二人をつなぐ絆の子守歌の一節で、しみじみした好楽曲。やられた感メチャ高!
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映画評論家
モルモット吉田
予備知識なく観たので、3DCGも見劣りしない全く普通の商業用アニメと思っていたら、ほぼ1人で作り上げた自主制作と知り驚く。宇宙ステーションなどのSFの装飾を剥ぎ取れば、母ものと言っては悪いが、古典的な母子の純愛劇である。この辺りは「ほしのこえ」と同様の接続手法だが、商業作なら臭みになっても、好んでそうした設定を用いた作家の色が出ているので不快にならずに観られる。もっとも、作り手も若い観客もこうした微温的なものを好む傾向には首を傾げるのだが。
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フォトグラファーズ・イン・ニューヨーク
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翻訳家
篠儀直子
NYは猛烈に魅力のある都市だし、当然写真家もそれに惹きつけられて魅力的な作品をたくさん残すわけで、この題材で映画がつまらなかったらむしろバチあたりだと思う。次々紹介される写真にとにかく強烈な力があり、次々登場する写真家たち(少数に絞らず、多くの写真家に取材したことが、この映画の面白さの決め手)の制作姿勢も個性的で興味を惹く。彼らが走るNY市街を撮影した映像も素晴らしくいいのだが、室内に座ってもらってインタビューしているときの顔の撮り方は時々疑問。
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映画監督
内藤誠
ストリートの写真家が次々に登場し、カメラを構えてはニューヨークのさまざまな表情を映しとる。プロであり、写真を撮ることによって金を稼ぐわけだから、観光では見られない街の表情、貧困地帯、そこに居住する薬物中毒者、ギャングまがいの不良たちが作品化されている。ニューヨークは最先端を行く街というよりも、怖い場所だという印象が残る。監督みずからが女性写真家のせいか、勇気をもって危険な対象と取り組む女性フォトグラファーの場面が丁寧。彼女たちは高齢でも饒舌だ。
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ライター
平田裕介
登場するカメラマン15人のうち、知っている者はわずか。しかも、名前を聞いたことがある程度。それでも十五者十五様のNY観は興味深いし、それに裏打ちされた作品の数々には惹きつけられる。といいつつ、デジタルとフィルムのどちらで撮るべきか、路上で撮影する際のセキュリティー対策といった質問をぶつけるカメラマンFAQ的要素がいちばん面白く感じてしまった。パリ、ロンドン、東京でもこうした作品はできるだろうが、観たいとまでは思わない。やはり、NYにはなにかある。
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花芯
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映画評論家
北川れい子
そういえばひと頃、女は子宮で考える、子宮で動く、などというアホな言葉をよく耳にしたが、アララ、主人公の園子がまさにそんな女で、しかもカビ臭い。ま、時代設定は遥か半世紀以上前、家とか、親が決めた結婚とか、カビ臭いのは仕方がないが、夫や周囲の人々を見下すようにして、頭でっかちならぬ、子宮でっかちな行動をとる園子の唯我独尊ぶりは、演じる村川絵梨の全裸演技をもってしても説得力に欠け、ただの未熟な女のご乱行。原作の虫干し的映画化なのだった。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
何かの哲学、主義、体験の記憶など、そういう関数的なものが、世界を表現や作品に変容せしめる。子宮。いいではないか。至急導入すべきネタだ。主演村川絵梨はふっくらした頬に筋張った手をしててどんなオッパイかと思ったら美しい乳房でした。そのヒロインの、精神とは関係なく肉体のみが感じてしまう描写が良い。その、自律する子宮性、本人をも裏切るものが彼女の行動原理である面白さ。それは映画だ。カットも鮮やか。だが毬谷友子こそが登場人物中で最もエロかった疑惑もあり。
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映画評論家
松崎健夫
昭和20年、?の声、終戦、と、冒頭からヒロインの暮らす時代や季節を表現しているが、本作には〈実景〉が伴っていない。どうやら〈時の経過〉を描くことに対して興味がないようなのだ。それは「性愛をじっくり描く」という理由からではない。劇中「其の子は自由な精神の女」とヒロインを評する台詞がある。彼女の精神が解放された時、〈実景〉の伴わないこの映画の中で、川辺や湖畔など〈広がりのある実景〉が挿入される。つまり〈実景〉こそが、彼女の精神を表しているのである。
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ニュースの真相
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翻訳家
篠儀直子
議論のあとで外へ出ると雨が上がっているというシーンがあるが、「十二人の怒れる男」とは違ってまるで爽快にはならない。一筋縄ではいかない物語内容についてはいろいろな人がいろいろな角度から論じてくれるだろうからここではさておき、「問いを発しつづける」ことをめぐる映画にふさわしく、C・ブランシェットの声が素晴らしい。情報源の男の妻が感情を吐露するところ等、見ごたえのある場面も多く、最大の注目はレッドフォードで、ここにきて極め付きの代表作が追加された感じ。
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映画監督
内藤誠
トランボが「赤狩り」で高圧的なジョン・ウェインに対し「私は戦争中、従軍記者として沖縄に行ったが、きみは何をしていたのか」と反撃する映画を見たばかりだが、今度はジョージ・W・ブッシュのベトナム戦争時の経歴詐称をめぐるスクープ事件の作品。アメリカの大統領は世界に影響を与えるわけだから、ケイト・ブランシェットが演じるメアリー・メイプスの気合の入れようはすごく、女性ならではの粘り強さが出ていた。儲け役はレッドフォードで、CBSのダン・ラザーを演じ、男の哀愁。
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ライター
平田裕介
ダン・ラザーに扮したレッドフォードが、現在のレッドフォードにしか見えず。髪型くらい似せたらどうかと思うが、そんなことは重要じゃない。「候補者ビル・マッケイ」「大統領の陰謀」「大いなる陰謀」「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」など、出演、製作、監督それぞれで政治や権力の恐ろしさや危うさを訴えてきた彼のブレない姿勢に熱くなる。とはいえ、なんだか演出にキレがなくて映画的には燃えてこない。脚本家としては職人肌のJ・ヴァンダービルトが監督なのだが残念。
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眼球の夢
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評論家
上野昻志
佐藤寿保は、ジョルジュ・バタイユの正嫡なのか! なにしろ眼球に取り憑くのだから。ただ、眼球を狙うカメラというのは、どうなのか? それだけなら、両者は互いに互いの鏡として向き合うしかないのではないか。そこには絶対的というべき距離がある。距離を介さなければ見ることが不可能な眼球と、同じく、そうでなければ写せないカメラだから。その距離を超えるには、カメラを捨てて眼球を刳りぬくしかなく、事実、物語はそこに進むのだが、その先には、見られる映画という背理がある。
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映画評論家
上島春彦
この監督は会社の私の机で撮影したことがあるが、フィルモグラフィーを見てもどれだか分からない、残念。でもその机で佐川君の緊縛写真をチェックしたのを思い出した瞬間、富士の樹海に佇む妖鬼の如き彼の姿が画面に現れ、驚愕。さて「真昼の切り裂き魔」のラストは、ポラロイドカメラが映し出す都市風景の虚空だったが、これは三十数年後のその続篇という路線。あちらには鎖陰という物語が底流としてあったが、こちらは裂かれる眼球が主題。インスタレーション美術も秀逸で超推薦作。
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映画評論家
モルモット吉田
ピンク映画時代に比べれば近年の一般作は本領発揮とは思えなかった佐藤寿保だが、久々に濃密な世界を自由に回遊しているようで、この居心地が悪そうな世界を堪能する。眼球をめぐる抽象シーンの連続だが、眼球舐めをここまで官能的に撮れるのは今では寿保監督だけだろう。凡庸な監督ならイメージが持続せず直ぐに息切れしたと思えるようなステレオタイプな設定を前にしても、30年にわたって追求してきたレンズ・接写を通した世界を更に熟成させ、闇と光の中へと観る者を誘う。
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クズとブスとゲス
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評論家
上野昻志
まず、顔である。監督自身が演じるスキンヘッドのゲス男の顔はそれ自体暴力的だが(笑)、リーゼント男やアイパッチの酒場マスターも、顔だけで独特の匂いを放つ。一方、芦川誠扮するヤクザには、ひたすら親を無視する息子に対して及び腰で接する平凡な父親という、従来のやくざ像に見られなかった面を付与し、酒場マスターには、妊娠中の女房に手を焼く一場を配するあたり、脇筋がよく練られているところに、シナリオ・監督の力量が感じられる。これであと10分程短ければね!
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映画評論家
上島春彦
確かにクズとゲスだがブスじゃない、念のため。無意味に過剰な暴力というのがキーとなっているが、無意味に徹するというほどではなく、クズ×ゲスのバトルは消化不良気味かも。脇のキャラクターにもリキが入っていて面白い。奥さんに頭が上がらないバーのマスターとか。北野武映画の常連、芦川誠の風俗経営やくざとか。彼の場合、一人息子が問題児になってしまっている。親父への不信が原因なのだがどうにもならない、という細部が効いている。無駄に長いのも味わいの一つであった。
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映画評論家
モルモット吉田
下手な所があっても描きたいことが先に立って抑えきれない隔靴掻痒のもどかしがあるような映画が観たい。本作はまさに誰がどう撮っても綺麗に収まる時代に背を向けて、奥田庸介が商業映画から自主映画へ戻った意味を納得させる力作だ。主演も兼ねる監督自らの顔を徹底的に破壊して登場したことに驚くが、ナルシズム映画になっていない。異物としての自身をどう見せるかを冷静に判別する監督の目が失われてないからこそ、味わい深い面構えの人々が織りなす群像劇として突出する。
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黒い暴動
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評論家
上野昻志
黒い暴動というから、ブラック・パンサーならぬブラック・ギャル(?)が叛乱でも起こすのかと期待したのだが、別にそんなことも起こらず、物語も、内灘の浜に埋めたタイムカプセルを掘り起こすという他愛ない展開なので、些か拍子抜け。ただ、いまや絶滅危惧種(!?)としても過去形のガングロギャルが、親や教師はもとより、男子一般にも媚びることなく、ギャル独自の世界を作っていたということがわかったのが、収穫か。ギャルはロックンロールだ、という思い入れだけじゃ、ちと弱いが。
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映画評論家
上島春彦
ガングロギャル、という言葉ももはや死語。あのヒト達は何だったんだろう、と考えると奇妙な気分に襲われるが、これを見なさい。色々わかるから。いわゆる時代の閉塞感からの逃走ってことなのか。ただし、楽しめた割に星が伸びなかったのは現代篇がせちがらいせいだ。監督なりの批評意識がここに見られるのは分かるものの、過ぎたるは何とやらで、これじゃせっかくの暴動は結局、成就しなかったみたいじゃないか。もっと無責任に彼女達の黄金時代を寿いでくれても良かったのにね。
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映画評論家
モルモット吉田
題名が良いし、田舎のガングロギャルの青春映画なんて題材も申し分ないので期待したが、いきなり14年後の現在に飛ぶので「ヱヴァQ」みたいな展開に戸惑う。その後も過去と現在を往復するが意味があるとも思えず、ブツ切れになって物語に没入できない。肝心の彼女たちの青春の〈無敵時代〉が疎かになり、クライマックスのフェスに凝縮していく作りになっていないので散漫な印象。「青春デンデケデケデケ」よろしくカメラ目線で話したり、映像加工を施すも小手先の使用にとどまる。
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