映画専門家レビュー一覧
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ペレ 伝説の誕生
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脚本家
北里宇一郎
ご存じペレが初出場の世界大会で大活躍、チームを勝利に導くまでを描いて。貧乏な子ども時代から苦労してのし上がるプロセスはお約束通りの展開と演出。ペレを差別するエリート白色人種の描写が型どおりの悪役タイプなのが味気ない。が、彼らも欧州人に劣等感を持っていたと判るあたりにヒネリが。ウルグアイに逆転負けしたショックで、チーム全体で得意の個人技を封印するという内幕も面白い。最後に自国民族の誇りを謳いあげるのは、いかにも今風の感。アメリカ人の製作なのにね。
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映画ライター
中西愛子
サッカー界のレジェンド、ペレが、貧困の中から頭角を現していく少年時代の姿を描いたサクセス・ストーリー。サッカー・ファンでなくとも、正攻法に盛り上がるスポーツ映画として楽しめる。私は特に、幼少よりペレの身体に馴染むジンガというブラジル特有のテクニックにまつわる、文化的エピソードが面白かった。ヨーロッパに対してのブラジルという視点が生きている。最年少17歳で出場したワールドカップで、そのスタジアムを初めて踏んだペレが、観衆を悠然と見渡すショットが好きだ。
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ホーンテッド・キャンパス
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評論家
上野昻志
これは、むろん、原作から来ているのだろうが、恋愛をホラー風味でまぶしてある点が買える。だいたい、いまふう美形の中山優馬が、ストレートに恋愛に突っ走っていたら、ファンには悪いが、当たり前過ぎてなんの面白みもないのでは? まあ、ホラーといっても、出てくるのは、よくある手といえばいえるが、優馬が、一瞬、何かを見て怯えることで、見る方も引っ張られるのだ。もっとも、自殺した少女と大和田伸也教授の娘との関係が、いまひとつ曖昧なまま終わっているのが気になるが。
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映画評論家
上島春彦
ホラー・コメディーというアイデアには文句なし。ただし怖くなく可笑しくもない、という結論。優馬くんは可愛いのだが。こういうバカ正直な反応を記すとかえって冷笑されそうだが、この映画のスタッフは死者への礼節を欠いていると思うね。特に屋上から飛び降りた女の子への同情心がひとかけらもないのはひどい気がする。お前、〇スなんだから化けて出てくんなよ、と言ってるみたい。そういう物語じゃないはずなのに。また謎の黒い影が謎のまま、というのもヘン。計算色々間違えたか。
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映画評論家
モルモット吉田
冒頭、校舎屋上から飛び降りるまでを長回しで見せるが肝心の地面への落下はカットを割って弛緩した描写に終始。川に落ちるカットも同様だが全体に肉体の痛みが伝わってこないので恐怖も笑いも弾けない。主人公の恋愛感情が画面からは感じられずモノローグに依存。主役2人の学芸会の様な演技も酷く、島崎はやる気がないのか感情表現が薄く、出番の割に存在感なし。脇の高橋メアリージュンだけが唯一まとも。幽霊より太ったアトピー女が怖いと言ってるようにしか見えないことに憮然。
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海すずめ
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映画評論家
北川れい子
作家デビューはしたものの、あとが続かず、故郷に戻ったヒロイン役の武田梨奈がザンネンだ。「ハイキック・ガール!」「デッド寿司」或いは「進撃の巨人」など、アクション先行の役なら間が持つが、今回は自転車で走り回りはするけれどマジメな芝居が多い役、女優としていまいち表情にも演技にもメリハリがない彼女を観続けるのがつらいのだ。その分、ロケ地・宇和島の風景でホッとしたり、図書館の自転車宅配という業務に感心したり。宇和島の歴史と伝統にも触れているがヒロインがね。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
武田梨奈主演。空手少女として出てきたときから、山口百恵や西脇美智子の系統の古風な和製美女のタマゴだと注目してたが、本作での顔のアップで、ああ、美人になった、と。話に関係なくあの画だけ観ていられる。彼女の役どころは東京で作家デビューするも挫折し、今は故郷の宇和島で図書館の本を届ける自転車課職員。半ズボンでペダルを漕ぐあの脚が実はバットを蹴り折る、と想像することはもう禁じられている。だが躍動の気配はあり、悪くない(しかしもっとアクションをと願う)。
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映画評論家
松崎健夫
近年の武田梨奈は、映画の中で地方の若者を演じることが多い。彼女の魅力は、地方出身者でもないのにどこか地方の匂いがするところにあり、様々な地方のアクセントを操る音感も持っている。そして“アクション女優”という肩書きに違わない身体能力は、ロードバイクを難なく乗りこなし、坂道を颯爽と駆け上がる躍動的な場面に活かされている。監督は前作「瀬戸内海賊物語」に続いてEOSの動画機能で撮影。小型の撮影機材がもたらす機動力が、映像の隅々に活かされている点も一興。
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セトウツミ
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映画評論家
北川れい子
定点観測ならぬ定点お喋り。街中を流れる川に沿った、ちょっとした広場の短い石段。座り込んだ2人の背後には人や車が往き来し、広場にも人が出たり入ったり。ポイントはあくまでも彼らの関西弁の他愛ないお喋りだが、その日変りのお喋りが、座り込んだ2人の周辺の人々の動きと自然体で反応し合っているのがみごとで、まるでゆるーい連続コントのよう。原作はコミックだそうだが、シンプルな設定の中に青春という季節の宙ぶらりんさをここまで表現した演出と主演2人にパチパチパチ!
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
渋い。しかしおもしろい。逆説的に充分に映画だとも感じられる。本作は原作が漫画だが、昔もただ小咄をしている漫画があったと思った。『ビー・バップ・ハイスクール』の後半。その映画版は活劇的なところをやって傑作となっていたが。映画において人物がただ会話する、というのは九〇年代タランティーノ以降の発見(あるいは開き直り)だが、そのルーツはロメールあたりかもしれない(タランティーノはビデオ店員時代ロメール好き)。そういうものの日本版をやるときが来たか。
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映画評論家
松崎健夫
僕が関西から上京して感じた違い。それは、本作で延々と描かれている会話にある。相手からどんなに〈退屈〉な会話を振られても、関西人の多くはそれを受け止めようとする。〈意味なさげ〉な会話は、相手を放っておかない“やさしさ”のようなものであり、関西の言葉が持つ独特の“どぎつさ”と“やわらかさ”が、その印象を高めている。それゆえこの映画は、〈退屈〉や〈意味なさげ〉なのが面白いのだ。下町人情とはまた異なる、“ボケとツッコミ”という名の人情がここにはある。
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幸福は日々の中に。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
知的障がい者施設の記録映像だが、ドキュメンタリーというよりPVに近い。施設の運営では、資金の調達や入居者同士の人間関係など、きれいごとで済まぬ諸問題が渦巻いているはずだが、本作はそうしたリアリティには決然と目を閉ざし、入居者が日々取り組む楽器演奏や陶芸、絵画などの芸術活動を審美的に描写することに注力する。汚くて厳しい社会から隔絶された方舟的メルヘンの構築を、過激なまでに志向した異色作だ。その裏では妙な厭世観が漂流しているように思えてならない。
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脚本家
北里宇一郎
ドキュメンタリーって取りあげた題材が第一、映画的な味わいは二の次みたいなところがある。が、この作品は描かれている内容もいいけど、映画感覚が冴えている。撮影、構成、編集、音楽と、すべてが考え抜かれ、それをぎゅっと凝縮した印象。作り手はアート系の人たち。常識に囚われない伸びやかさを感じる。ここに登場の障がい者たちを同じ地平の表現者として捉えているところに感銘。世界を百八十度転回させて物事を見たら、気持ちが楽になって自由になった――そんな心地にさせる快作。
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映画ライター
中西愛子
鹿児島市内にある知的障がい者施設、しょうぶ学園。社会のルールに抑圧されることなく、彼らがありのままで、好きなことをしながら暮らすことのできる場所だ。5年間をかけて施設に通い、ここにいる人々の生き生きとした姿と日常をとても近いところからカメラはとらえる。彼らがバンドで演奏する音楽や、手作業で生み出すクラフトに漲る深い解放感が心地よい。“普通”とは何だろう、と人間の本質について鋭く問い、考えを語る福森伸学園長のコメントにも大きな示唆があった。
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疑惑のチャンピオン
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
申し訳ないのだが、ツール・ド・フランスには興味がない。なのでランス・アームストロングのことも全然知らなかった。そんな自分がこの映画を評するのにふさわしいとは思えないが、ベン・フォスターが非常に好演していることくらいはわかる。実話が元になった映画も最近多いが、映画としてのリアルさが文字通りリアルな話であることによって保証されているのだとしたら、それはアカンのではなかろうか。だが監督フリアーズは、きっちりとした人間ドラマとして丁寧に描いているとは思う。
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映画系文筆業
奈々村久生
史実のスキャンダルを過不足なく紹介したという感じ。それ以上でもそれ以下でもなく、ある意味ドキュメンタリーよりドキュメンタリーらしい。ドーピングは本質的にスキャンダラスな要素を含む行為だが、体内に注入するという形や隠匿するべきものという性質から、あまりビジュアル化に向いているとは言い難い。ゆえに一番のハイライトは、抜き打ちチェックに際して規定の数値をクリアすべく、まさにチームが「一丸となって」、体に入れた禁止薬物を「出す」ところなのである。
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TVプロデューサー
山口剛
ツール・ド・フランスのチャンピオンのドーピング疑惑を描いたドラマだが、フリアーズ監督は登場人物の心理描写を徹底的に排除し行動と科白を中心に外面描写で描いていくというかなり実験的な方法をとっている。彼が薬物に手を染めた動機も彼の倫理感も描かれないし、新聞記者の目的も社会正義か功名心か判然としない。従って、感情移入する人物はいないが、監督が選んだこの手法はまさにハードボイルド。ダシール・ハメットの小説を読むようなストイックな緊張感を感じさせる。
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シアター・プノンペン
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翻訳家
篠儀直子
キャメラ位置とか脚本の書き方とか若手の演技のつけ方とか、正直もうちょっとどうにかしてほしい部分も多いのだが、内戦の傷が露わになりはじめるあたりから、巧拙を超えたものがにじみ出てくる。多くの監督や俳優が処刑されるなか亡命して内戦時代を乗り越えた、まさに「生きる伝説」というべき女優ディ・サヴェットが別次元の存在感。美貌の彼女が演じる「失われた最終巻」のシーンには、有無を言わせぬ力がある。カンボジアの映画アーカイヴや映画館でロケしているのも見どころ。
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映画監督
内藤誠
同じくクメール・ルージュを素材にしていても、84年製作のローランド・ジョフィ監督「キリング・フィールド」は欧米の視点で一貫していたので、見ていて分かり易かった。しかしカンボジアの女子大生の目から見たプノンペンの歴史は複雑だ。あの恐怖の時代には映画監督だと知れたら、粛清された。そこで、ある監督の失われた巻末フィルムを女子大生が新しく撮影することによって再現しようとするサブストーリーには思わず感情移入。軍人の経歴を持つヒロインの父の心の闇は今も深い。
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ライター
平田裕介
クメール・ルージュの悪夢から逃れられぬ世代と同時代を深く知ろうとはしない若い世代。そんな新旧の世代が、ポル・ポトによって壊滅させられた映画を通じて向き合う構図が、いやおうなく感動を誘う。また、父親の決めた結婚話をガン無視して映画制作に奔走するヒロインの姿を通し、いまだ女性が自由に生きるのが難しいカンボジアの現状を訴えているのも巧み。しかし、劇中に登場するクメール・ルージュが民衆にぶつけまくる標語“生かしても得なし、殺しても損なし”は怖すぎる。
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