映画専門家レビュー一覧
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映画よ、さようなら
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ウルグアイの首都にあるシネマテーカ。財政難と機材の老朽化による窮状を訴えるも、財団は支援停止を通告する。タイトルから察するに「ニュー・シネマ・パラダイス」調の感傷に終始するかと思いきや、さにあらず。ヴェンダース初期作のごときメランコリーを湛えつつ、力感が画面を横溢し始める。絶望的状況に置かれた主人公の耳元でJ・フォード「駅馬車」のサウンドトラックが鳴り響き、映画と人生のチューニングが、過去をかなぐり捨てながら、あざやかに更新されてゆく。
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脚本家
北里宇一郎
珍しやウルグアイのシネマテークの話。無声映画の字幕解説を映写室からしたり、ラジオで上映作品の紹介をしたり、特集映画の監督をゲストに呼んだりという日常風景が、珍しかったり、わが日本と同じだったりで微笑ましい。経営危機なのもこちらと同じで、いよいよ閉館となって、傷心の主人公が大学で(ニセの)講義を。その「嘘」に託して語る映画論が沁みる。往年の名画の音楽とサウンドをバックに使用しているのもお楽しみ。映画研究者が撮った映画みたいな色気のなさもちと感じて。
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映画ライター
中西愛子
6年前に製作されたウルグアイ映画。シネマテークに勤めて25年のホルヘにとって、そこは人生そのもの。が、ここ数年は観客が減り、ついに閉鎖が決まる。ホルヘの地道な仕事ぶり。シネフィルぶり。その日常が一気に奪われる。そして彼は街に出る。映画が直面している問題は、どこの国も同じなのだ。映画を観ること、見せることを仕事にしたホルヘの気持ちは私もわかる。でも本作は、彼が街に出た後半がいいと思った。ホルヘが映画と出会い直せますように。そこからきっと何かが始まる。
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ハリウッドがひれ伏した銀行マン
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
非常に興味深いドキュメンタリーなのだけど、映画業界外の一般観客にどれだけ興味を持たれるかというと、それは少々疑問。だが、とにかく面白いのは確か。フランズ・アフマン自身が全編出ずっぱりで大いに語り、監督は彼の実の娘という一種の家族映画だが、語られる内容のスケールはデカい。このオランダ出身の「一介の銀行員」(本人の弁)は「映画」というビジネスを一変させたが、逆に言えば、マン・ツー・マンの小さな関係性の網が「映画」を動かしているということでもある。
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映画系文筆業
奈々村久生
映画は現場だけで出来ているわけではない。目に見える撮影やそれに関わる人たちはフィーチャーされやすいが、人は自分の想像力の及ばないことに関しては驚くほど不寛容だ。製作、現場、宣伝の間にはなかなか超えられない壁があると思うし、解決策があるのかないのかもわからない。だからオスカーの受賞スピーチで銀行マンであるフランズ・アフマンの名が読み上げられるシーンはそれだけでグッとくるものがある。監督が娘だからこそ言及できたミーハーな一面も愛らしい。
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TVプロデューサー
山口剛
アメリカ映画に投資する者は、皆一攫千金狙いばかりと思いきや、こんな人物もいたのだ。皆が異口同音に彼はディーセントな人だと言う。上品で控えめなお人柄だ。フィルモグラフィーを見ても芸術にも娯楽にも偏らないディーセントな良心作ばかりだ。FOX社を買収した直後お縄頂戴となる悪徳プロデューサーへの融資を「友達になれない人物」という理由で拒否し銀行を首になる。その辺の事情は昨年公開の「キャノンフィルムズ爆走風雲録」にも描かれている。知られざる映画の裏話だ。
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暗殺
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翻訳家
篠儀直子
「10人の泥棒たち」「群盗」「国際市場で逢いましょう」等、近年の韓国映画で面白かった諸作品のスタッフ・キャストが総集結。日本人役を必ずしも日本語が上手ではない俳優が演じているせいもあって、リアルな歴史物というより冒険スリラーの色彩が濃い。途中の語りが不必要にわかりにくいのが難だけど、各場面を華やかに見せる工夫がこらされていて、何より美術が素晴らしい。イ・ジョンジェは60代男性の肉体を完璧に作り上げ、チョン・ジヒョンとハ・ジョンウは無類のかっこよさ。
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映画監督
内藤誠
安彦良和の劇画『虹色のトロツキー』や『天の血脈』が刊行されると、解説とともに読み、日本映画ではやれないスケールだと思っていた。その点、この映画の京城三越の舞台セットの美術など見事なもの。韓国独立軍の狙撃手アン・オギュンがメガネをかけてから獲物を狙う演技が哀れで感情移入してしまうが、ターゲットとなる朝鮮の悪徳資本家と日本の高級官僚たちが例のごとくパターンで退屈。「まさか朝鮮が独立するとは思わなかった」と呟く裏切り者ヨム・ソクチンのリアリティがほしい。
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ライター
平田裕介
舞台は、日本統治下にあった1930年代のソウルや、上海。その時代と場所が放っていたのであろうデカダンでカオティックでエキゾチックな空気感が作用するのか、女はひときわ美しく凛としており、男たちはとにかく強く、どいつもこいつもイイ顔で、いくら見得を切ってもさまになってしまう。そしてド派手な銃撃戦で生じる火花は妖しく、彼らがまとうコートの翻る裾にまで見惚れてしまう。バリバリのアクションであることは間違いないが、どうしても“活劇”と呼びたくなる仕上がり。
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AMY エイミー(2015)
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翻訳家
篠儀直子
10代にしてすでに完成されたジャズ・ヴォーカリストだった少女は、老成した魂の持ち主でもあった。彼女が求めたのは純粋に音楽と向き合うことだけであり、成功は分かちがたく破滅と結びついていく。膨大なプライヴェート映像からは、彼女を救えなかった親友たちの悲痛な思いも伝わってくる。あそこまで壮絶な人生ではなかったにせよ、何やらビリー・ホリデイのことも連想させられた。そして全篇を貫くエイミーの歌詞と歌声がひたすら素晴らしく、最良のミュージカル映画でさえある。
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映画監督
内藤誠
エイミーは私小説作家のように、現実の生活を歌い上げる。開けっ広げな性格のせいで私的な撮影も自由にさせていたらしく、映像資料の多いことには驚く。しかし編集段階で監督の好みが強く働き、彼女の父親は休養中のエイミーのところへ、テレビの撮影クルーを連れて現れたり、無理な仕事を入れたりする悪役に見え、クスリへの誘惑者だった、アナーキーなブレイク・フィールダーとの短い結婚生活が、エイミーの愛と幸せの時代だったように映る。トニー・ベネットと歌うところがいい。
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ライター
平田裕介
天才でセンシティブなアーティストにありがちというか、非凡な人たちにおける平凡な破滅劇ではある。しかし、こうした故人のドキュメントはどうしてもその死がクライマックスとなり、不謹慎なスリルとカウントダウンが生じるので見入ってしまう。さらには、「どう死ぬのよ?」「いつ死ぬのよ?」とまで思ってしまう。だが、ここでエイミーを死に追い詰めた一因でもあるパパラッチとその報道に夢中になった民衆と根性が同期していることに気付いてハッとする。そんな監督の狙いに感嘆。
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太陽の蓋
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評論家
上野昻志
本作の手柄は、3・11の震災による原発事故に直面した菅直人首相を中心とする民主党内閣の面々を実名で登場させた点にある。これが、もし実名でなく、仮名だったら、ただの再現ドラマで終わっていただろう。この点が、現実を前提にしたドキュメンタリーとドラマの違うところだ。だが、それを別にすれば、これもまた顔の映画なのだ。むろん、アップに淫したりしてはいないのだが、事故を巡って右往左往する人間を描くとなると、その人間の顔を撮るしかないというのがなんとも弱い。
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映画評論家
上島春彦
前回の原稿を送った翌日これを見て、K直人さんも御苦労されたんだなあ、とは思った。誰が首相でも、ああいう事態にちゃんと対処できたはずがない、とも思った。電力会社が情報を隠し続けていた事実もドラマとして構成されると実に面白く、時に喜劇と化す。トップほど無能、という典型の企業なんだね。首相官邸のあたふたぶり、どんどん危険地域が広がる福島の状況、と多面的にあの日が語られ、一つの総括にはなっている。もっとも、首相の福島行の描写に関しては多少遠慮もあるような。
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映画評論家
モルモット吉田
「大怪獣モノ」より本作の方が「シン・ゴジラ」に酷似しているので連続で観てもらいたい意欲作だが〈虚構〉がないぶん面白さには欠ける。現実をなぞっているだけで新しいものを観た気にならない。原発爆発から1時間後にTV報道されるまで国民と同じく官邸もマスコミも知らなかったなんて本当かよ? と思ってしまうが作り手の思想は隠して公平で両論併記な作りにしたことで公式見解を映画にしただけに思えてしまう。「音楽に政治を持ち込むなよ」の時代に迎合してはならない。
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ファインディング・ドリー
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
前作は観ていないのだが、なかなか面白かった。ドリーが前向性健忘(?)ってのは元からある設定なんですか? 中盤以降の畳み掛けるような高速展開は、まあよくあると言えばよくある話のパターンではあるけれど、ピクサーの最先端の技術と話法の粋が極められており、安心して手に汗を握っていられる。しかし最後までさっぱりわからなかったのは、そう、突然声だけで登場するシガニー・ウィーバー! 試写室でも驚きの声と戸惑いの失笑が漏れていたが、あれは一体何だったんだろう。
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映画系文筆業
奈々村久生
「ファインディング・ニモ」を観たとき、健忘症のようにも見える忘れん坊のドリーの存在は衝撃だった。こんなキャラクターをメインに近い立ち位置で登場させるなんてピクサーはなんて豊かなんだろうと思った。それが今度は堂々の主役。人は肉体的にも精神的にも一人一人違う生き物であり、そこに正解はない。本作はその多様性と複雑さをより認めていこうとする現代の流れに属し、それはタコなのに7本足のハンクも然り。ハンクの驚異的な動きを表現した技術には惚れ惚れする。
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TVプロデューサー
山口剛
ドリーの健忘症の描き方は、動きがないだけにむずかしいのではと危惧したが、明るく前向きに生きようとする彼女の可憐な姿とセリフまわしによって見事にクリアされた。両親との感動の再会から一転、疾風怒濤の追っかけ劇へ続く終盤の奇想天外ぶりはアニメの醍醐味だ。ニモもドリーも、身体障害者であり認知症患者だが、ハンデをハンデと考えない彼等の生き方やそれを皆で助ける魚達の同胞愛を、深刻でしめっぽくしないで笑いの中で描いていくのはディズニーならではだろう。
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森山中教習所
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評論家
上野昻志
顔のアップ大好き映画! たんにアップの数が多いとか、長すぎるというだけではない。通常のアップから、さらにカメラが仰角気味に寄っていったりするカットが何度もあるのだ。まるで、この顔、見て見て、とでもいうように。そんなに野村周平クンの顔が好きなのか。確かに、彼は誰からも嫌われそうもない、ノーマルな顔をしているよ。だからって、作り手の思い入れで見せられては辟易するしかない。話の細部では面白いところもあるのだが、これでは、★一つ減点するしかないね。
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映画評論家
上島春彦
こういう一見とりとめない映画、ダメな人は全面拒否だろうが私は大好き。東〇ガスの放映中止CMでの泣き演技で注目された女の子が、しょっぱなからゴーカイに泣いているのも注目。彼女を振った野村くんも、彼が通うもぐりの自動車教習所の一家も皆とりとめなく、気が短い人はいらいらするに違いない。だが一冊の官能小説を介して、もう一人の主人公賀来との運命の分岐点が語られる展開も優れており、かなり納得。原作が優秀なのか。日本版ケルアックってコンセプトなんでしょう。
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