映画専門家レビュー一覧
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森山中教習所
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映画評論家
モルモット吉田
ナンセンスな世界に浸ることが出来れば楽しめるのだろうが、最初から最後まで筆者にとっては位相がズレたままで釈然とせず。横浜聡子的な自然とあふれ出る異物感ではなく、計算された緩さに乗れず。主役2人が変人を演じるには真面目すぎるのか野村の役は松ケンの様な弾け方が出来なければ厳しい。雰囲気のある木造校舎の教習所も、やくざもそれぞれが点として存在しているものの魅力的なつながりを見出だせず、免許の取得もどうでもいいと思えてくる。細部も含めて居心地が悪い。
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シング・ストリート 未来へのうた
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映像演出、映画評論
荻野洋一
監督の前作「はじまりのうた」の源流を、監督の故郷アイルランドへ遡行してまさぐる。一九八五年、英国ニューウェイヴ全盛期のダブリン市内。高校生たちがバンドを結成する。街頭でのPV撮影やアパートでの練習など、二度と戻らない青春の時間が、作者の一人称すれすれの思い入れをもって刻まれてゆく。本作の高校生たちは評者の同世代でもあるが、ひとつ文句を言うと、一九八五年時点でデュラン・デュランを「未知数の才能」と語るのは変。その頃はもう出がらし気味だった。
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脚本家
北里宇一郎
ダブリンの荒れた学校に通う少年がバンドを作る。メンバーは落ちこぼれのクセモノ揃い。ボーカルは自称モデルの野性的女子。というあたり定番だが、けっこうニヤニヤ楽しめる。家でぶらぶらしてるけど、ロックには精通の兄貴も面白いキャラ。英国に旅立ちのラストも青春映画らしく――てな具合に口当たりがよく、後味もいいけど、あまり心に刺さらない。この監督の作品(人気があるが)、どうも表面を撫でてるだけというか、もうひとつ映画の彫りが浅い気がして。さて皆さまの判定は?
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映画ライター
中西愛子
ミュージック・ビデオは80年代を席巻した。当時、洋楽にハマりたての日本の女子高生にとって、深夜のテレビで流れるそれはありがたかった。本作の監督ジョン・カーニーは、アイルランドの同世代。MV作りに勤しむバンド高校生たちを描くとは、斬新な着目だ。やたら派手なのに影も濃かった80年代。子どもと大人の世界が明確に分離していた時代でもあった。改めてファッション、ダサいなぁと思うんだけど、それすら逆手に誇らしく謳うカーニーの心意気に心打たれる。主人公の兄がいい。
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ラスト・タンゴ
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ヴィム・ヴェンダースが製作総指揮をつとめたドキュ・ドラマ。一九八〇年代までは映画界の次代のエースと目されたヴェンダースも、長いスランプに悩まされてきた。そんなキャリア上の危機を再三にわたり救ったのが、芸術をめぐるドキュ・ドラマというジャンルだ。それは全盛期に作った「ニックス・ムービー」「東京画」の頃から変わらない。今回も砂漠の中の泉のごときこのジャンルで一息つきつつ、ブエノスアイレスという都市の現代史を、一組のカップルの別離を通して洞察する。
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脚本家
北里宇一郎
アルゼンチンの伝説的ダンスペアの記録。彼らの出会いから、引退した現在までが描かれる。が、当人たちの証言はともかく、再現パートの役者たちのコメントはあまり面白くない。その現在の画面が無遠慮にカットインされて、せっかくの過去の踊りの映像が中断されるのが残念。日本における引退のダンス・シーン他、じっくり観たいところがけっこうあるのだが。タンゴ盛衰の歴史を、かの国の政治状況と重ねて描いてほしかったという欲も。十八年前の「タンゴ・バー」は良かったけどなあ。
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映画ライター
中西愛子
アルゼンチン・タンゴはその性質上、女性ダンサーは女であることをことさら強いられるダンスではないか。男に対しての女。決してそこから逃れられない。それは相当しんどいように思うが、こうした緊張感こそが情熱的な官能の芸術を生む。マリアとフアンの半世紀に及ぶタンゴを通しての葛藤が、当人と若いダンサーとの再現によってひもとかれる。焦点は完全にマリア・ニエベスに当てられている。20世紀的かもしれないが、女性芸術家のすべてがある。壮絶で美しい生きざま。ブラボー!
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死霊館 エンフィールド事件
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
前作は観ていないのだが、これはかなりの傑作だ。実話を元に云々はどうでもいいが、古典的なポルターガイスト映画のパターンをなぞりつつ、要所要所で現代ホラーらしいアイデアをかましてくれる。特に感心したのは「見える/見えない」の中間地帯を絶妙に用いたギミック。クライマックスのアレもそうだが、その前の、老人の霊に憑依された次女が水を含んで喋る場面のピンボケには思わず唸った。コワイという感覚の核心的な部分が、視覚性の限界とかかわっていることの鮮やかな証明。
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映画系文筆業
奈々村久生
イギリスでは何百年も前に建てられた古い建築が今でも多く残っていて、現役の住居として活躍していることも少なくない。そこではその間に建物が経てきた時間や、過去に住んできた歴代の人々の歴史が刻まれていることが普通であり、今の住人はむしろ一番新顔のお客さん。ゆえに家についてくる「幽霊」に対する概念は日本のそれとは少し違うかもしれない。本作の舞台はロンドン北部エンフィールドにある家屋。そうしたイギリスの文化をふまえて観ると、ラストの一家の選択にも合点がいく。
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TVプロデューサー
山口剛
霊の存在を頭から信じない者にとっては、ついて行きにくいかも知れないが、実話であると再三クレジットされている。ジェイムズ・ワン監督は、ホラー映画だが人間ドラマを描くなどという言辞を弄さず、ひたすら霊と人間の闘いを正面から描いており、それがこの作品の迫力となっている。第一作に比べ、霊魂や宗教に関する説明的冗漫さが無くなり、一層凝縮した内容だ。館の美術デザイン、音楽効果の巧みさが、どこか懐かしいこの古風でアナログタッチのホラーを盛り上げている。
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祈りのちから
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翻訳家
篠儀直子
選挙の年に米国で増えるキリスト教宣伝映画の一本(前々号もこんなこと言ってましたね)だが、ラストのモンタージュ・シークエンスの政治的メッセージの露骨さにはいくらなんでも引く。そのうえ、話がぺらぺらなだけでなく構成もずたずた。ほかの映画とは明らかに「別の種類の商品」なのだから、こんなふうに並べて星をつけられるのは不本意なのではないかと気の毒にさえなってくる。ダブルダッチの演技が見られるのは面白かったが、これだってもう少し撮り方というものがあるだろう。
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映画監督
内藤誠
日本で連続公開される、ハリウッド製クリスチャン映画の一本だが、かつてのセシル・B・デミル「十戒」に代表されるような大作然とした装いのないのが現代的。冒頭から黒人中産階級の生活ぶりが描かれていくので、そのリアリズムを楽しんでいると、突如、サラリーマンの夫が会社の金を使い込み、浮気をしかける。妻は動揺するが、クリスチャンの老婦人が登場。「祈るときには、自分の奥まった部屋に入り、隠れた所におられる父に祈れ」とさとす。祈りと縄跳び競争がクライマックス。
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ライター
平田裕介
どんな障害も苦悩も、それらに負けませんみたいなことを書いたメモをベタベタと貼った納戸で神に祈っていればオール・クリア。その問題が人そのものであったり、人が起こしたものならば、神でなくて人が対処すべきだと考える自分には噴飯もの。結構な悪事を働く主人公の夫が信心深くなったことで許されたりするのだが、これって神の名のもとにならばなにをしてもいいと言っているようで怖い。観終わった後に「エクソシスト」「オーメン」両シリーズで“お目々直し”をしたくなった。
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カンパイ!世界が恋する日本酒
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映画評論家
北川れい子
“南部美人”の五代目蔵元のチャレンジ精神に頭が下がる。日本酒に魅せられ、杜氏となったイギリス人も、日本酒伝道師(!?)のアメリカ人も、ビジネスということだけではない、日本酒と共に生きるという姿勢が感じられ気持ちがいい。取材範囲も幅広く、アメリカで日本酒造りをはじめている男性の取材など、伝統や文化等の畏まった姿勢とは無縁で面白い。とは言え、こちらがビールを2センチ飲むのがやっと、というクチのせいか、このドキュも日本酒業界の変わり種のPRレポートの印象も。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
構成や情報の盛り込み方などがとてもよく出来ていて、日本酒についての知識があまりなくても面白く観ることができるように作られていると思う。僕は体質的に全然アルコールを受けつけない下戸なんで、日本酒を飲むという体験もほとんどないが、尾瀬あきらの漫画『夏子の酒』(これはほとんど、酒の国のナウシカ、とでも言える異色の酒醸造漫画)とか、『美味しんぼ』の日本酒にまつわるエピソードなんかを読むたびに自分が飲めないことが悔しかったが、本作もまたそう思わせた。
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映画評論家
松崎健夫
土着的な印象のある日本酒を描いた本作に、どこか都会的な印象を持つのは、メトロポリタンな旋律のフュージョンを音楽に採用しているからである。映画冒頭で語られる「酒と非日本食を合わせること」は、本作で描かれる「外国人が酒蔵に関ってゆくこと」と同じ側面を持っているように思える。そもそもビールだって外来“酒”だったではないか。そのことは、本来〈映画を批評する側〉を生業とする小西未来監督が、〈映画を製作する側〉という異業種に挑む姿とも重なってゆくのである。
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インデペンデンス・デイ リサージェンス
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翻訳家
篠儀直子
いつになったら事件が起きるのかと退屈しはじめたところでようやく登場する巨大宇宙船。この登場シーンのイマジネーションはちょっといい。そこからが大スペクタクルのディザスター・ムービーになるけれど、中盤からはまた転調して、ちょっと懐かしい感じのする(ハードではない)SF展開に。アメリカ映画の伝統芸と言える「気のいいおっさん」「豪快なおっさん」がいろいろ出てくるのが楽しく、彼らをもっと見たくなる。それにしても、丸いものがしゃべるとなぜあんなに可愛いのか。
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映画監督
内藤誠
ビル・クリントンが絶賛した前作からもう20年も経過し、こんどはヒラリーが初の女性大統領になることを想定してアメリカ主導のエイリアン対決ドラマを作る商魂はさすが。相変わらず大都市破壊の映像が繰り返されるのだが、そこに居住する人たちの痛みは伝わらなくて、軍事エリートたちがCG技術の進歩に支えられ、まるでオモチャを操作するように、新しい機械を使って宇宙空間を飛び回る。エイリアンが女王蜂のごとく君臨するというので、期待したけれど、官能的ではなかった。
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ライター
平田裕介
エメリッヒ監督作のディザスター・シーンを選り抜いたベスト盤といったところ。前作は丁寧とはいえないまでも宇宙人襲来までのプロセス、人物の相関や背景も描かれていたが、今回はそういったドラマ的要素が彼史上最薄ではないか? でも、それを求める者は皆無ゆえOK。そんななかでも目を引くのが、前作で宇宙人の腹話術人形となったロン毛博士がゲイ・キャラになっていた点。恋人と宇宙人に挑みながら愛と絆を深める姿に、自身もゲイであるエメリッヒの想いみたいなものを感じた。
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ペレ 伝説の誕生
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映像演出、映画評論
荻野洋一
サッカー映画はつねにサッカーに敗北する。ボールと芝生と二本足だけで織りなされてきた美しき即興芸術の粋を、ハリウッドがいくら高度な映像技術で再現/拡張しても、得てして徒労に終わる。敗北の自覚を前提とした時、かろうじてサッカー映画は退廃を免れる。しかし本作は、ブラジル選手の妙技を潤沢な予算でスペクタクル化すれば、さぞかし楽しいだろうという素朴な期待感によって作られたようだ。評者には本作が“慎み深い「少林サッカー」”に留まっているように思える。
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