映画専門家レビュー一覧
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ふたりの桃源郷
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映画ライター
中西愛子
25年前、山口放送は山で老後の生活を始めた70代の夫婦を取材する。そこから少しずつ撮影を続け、ゆっくりと変化していく夫婦とその家族の長きにわたる日々を記録した。まず主人公となる寅夫さんとフサコさんがとても魅力的。そして、ふたりの進行する老いに向き合う娘さんたちの姿に教えられるものがある。これだけの歳月の間には、撮る側と撮られる側の間に葛藤もあったかもしれないが、丁寧な粘りの記録は、老いや家族の真実を確かに映し出している。温かさの中に凄みを感じた。
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追撃者(2014)
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ワンシチュエーションドラマが増えたのは「ゼロ・グラビティ」成功の副産物だろうか。たった2人の登場人物を、狩る者と狩られる者とに粗暴に大別し、モハーベ砂漠を人間狩り実験の試験管に見立てる。荒野で人知れず猛獣と化した二者による狩りの視線劇が、遠近の位置関係を不断に更新しつつ、どこまでも純粋化されてゆく。白昼は摂氏50度に達する砂漠で汗・土・血・火薬にまみれ、ぼろ切れと化す肉体とは対照的に、画面の純度は単調さも厭わず、ますます研ぎ澄まされる。
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脚本家
北里宇一郎
おや、またかいなのマン・ハンティング物だけど、舞台が往年の西部劇でお馴染みモハーベ砂漠なのが嬉しい。追う側のM・ダグラスが製作も兼ねて、親父カークが得意にした執念の鬼みたいな悪役を演じているのがご愛嬌。丸裸状態の追われる者が、高性能の狙撃銃をもったマイケルを、さてどう倒すか? そこが言わぬが花のスリルで、ずば抜けた面白さはないが気軽な楽しさはある。ただ、最終部が不自然だし蛇足。だったらその前の場面で、例の秘密兵器で鳥ならぬヘリを射落とした方が。
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映画ライター
中西愛子
不思議な魅力のある映画なのだ。原作は、70年代の青少年向け有名小説だという。アメリカ南西部の砂漠で家業を継ぎガイドをする青年が、客として案内していた金融業界の大物(「ウォール街」まんまのマイケル・ダグラス)に、砂漠の真ん中に裸のまま放り出されてしまう。百戦錬磨の狡猾の権化VS原始的な知恵で逃げきろうとする若者。このシンプルな攻防戦が、驚くほどスリリング。こういう話は現代でも論じられていいと思う。ラストは微妙だし欠点も多いが、埋もれてほしくない異色作。
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ファブリックの女王
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
私でも名前は知っている有名ブランド、マリメッコの創業者アルミ・ラティアの半生を描くフィクションという枠組みで作られた映画で、物語は全篇、劇場内にしつらえられたミニマルなセットで展開する。当然、語り口は人工的、抽象的にならざるを得ないが、ポストモダン的な雰囲気よりも、役者の演技をじっくりと見せたい監督の意図を感じる。ただそのせいで、テレビ的なこじんまりとしたスケールに留まってしまっているのも確か。アルミを演じるミンナ・ハープキュラは好演している。
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映画系文筆業
奈々村久生
マリメッコの創業者であるアルミ(故人)を、舞台で彼女の役を演じる女優のアプローチとともに見せていく手法。アルミの複雑な内面をとらえようとする女優の姿と、舞台として演出された映像を織り交ぜることで、波瀾万丈な人生とエキセントリックな人柄を描こうとする試みは見てとれる。その中でアルミは統合失調症のような症状も見せているが、マリメッコのテキスタイルを用いた舞台的な演出のエンタメ性が強いゆえに、人物像の着地点は追求しきれなかったのではないか。
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TVプロデューサー
山口剛
華やかな色彩、童心のように無邪気でシンプルでかわいいマリメッコのファッション。だが、創業者のアルミはそんな雰囲気とは正反対の矛盾に満ちた女性だ。天才的ひらめきと芸術センスを持つ情熱的な女権論者は、同時に自己中心で激情的なアル中の家庭破壊者でもある。劇中劇でアルミを演じる女優が「どんな女性なの?」と執拗に訊ねるがそれがこの映画のテーマだ。彼女の頑固一徹な純粋さは、ベルイマンやカウリスマキの北欧映画に登場する老人たちの魅力に通じるものを感じる。
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すれ違いのダイアリーズ
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翻訳家
篠儀直子
同じ時間に別々の場所で起こっていることをカットバックしているのかと思いきや、実は1年の隔たりのある出来事をつなげていたとやがてわかる前半部分の編集は、「気配」や「痕跡」を感じ取りあうことで紡がれるこの恋物語にふさわしいアイディア。二人の恋の成就にとって邪魔となる、女性側の婚約者をストーリーからどう追い払うかについては、ずいぶんわかりやすくベタなことをしたものだと思うが、自然環境を生かした演出や水上学校の生活描写も興味深く、全体に気持ちのよい映画。
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映画監督
内藤誠
一冊の日記を媒介にして主人公の男女が最後の場面まで顔を合わせないという難しい構成だが、水上学校をめぐるディテールが丁寧に描かれているので、画面に見入ってしまう。粗末な掘っ立て小屋みたいな校舎のなかで、トイレが重要な位置を占めているのも笑える。木下惠介の作品を思わせるヒューマンな味わいが、悪意に満ちた学園ものの多い、最近の日本映画を見てきたものには新鮮だ。とはいえ解散したタイGTH社の知恵をしぼった物語の展開が、ときにあざとすぎて鼻につくのも確か。
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ライター
平田裕介
置き忘れられていたとはいえ、他人の日記。それをむさぼり読み、書いた者に恋い焦がれて捜索までしてしまう。よく考えたら気持ち悪いヤツの話だし、そういう類の手紙や日記って溌剌とした内容でも怖いはずだが、主人公の青年は見た目も性格も憎めないタイプ。そこに舞台となる水上学校の牧歌的風景、純粋無垢な子どもたちといったものが違和感なく乗っかり、うっかりこちらも終始キュンキュンして見入ってしまった。ヒロインを含め、出てくる女性が片っ端から美女なのも素晴らしい。
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ひそひそ星
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映画評論家
北川れい子
園子温の、いささか毒のある昭和へのノスタルジー回帰。昭和の日本家屋ふうな作りの宇宙船での時間の停滞は、終盤の影絵の回廊に向かうための、時間だったのか。いまは消え去った人々の日常風景やモノや遊びなどが、白い障子ふうの向こうに影絵化されてどこまでも。ロボットという設定の神楽坂恵が立ち寄る荒涼とした惑星の光景と、僅かに存在する人間も、みな後ろ向きで、いまにも消えそう。ひんやり感と喪失感を含め、園子温の映像散文詩は、やはり昭和なのか……。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
いいSFを観た。手抜きや悪ふざけが、さすが園子温だと言われる悪い冗談のような体制と流通の場合とは違って、本作は観る甲斐のあるものがきちんと人の手で作られた、良いときの園子温作品。SFならではの大きな思考が美しく表現されている。園子温の個性は二〇一一年三月十一日以降の日本で、人々の既成のものへの不信と、崩壊への親和が増大した時に、ようやく受け入れられたようにも思える。その状況に便乗するのでなく報いて、本作は福島を人類滅亡の予見に位置づけた。見事。
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映画評論家
松崎健夫
“囁く”のは、そのことが重要だからである。注意を促すため、或いは、周囲に悟られないようにするため、どうしても伝えたいことを“囁く”のだ。もちろん重要だからこそ、声を大にすべきことも世の中にはあるのだが、この映画では徹底して“囁く”。“囁く”からこそ、我々は耳をすまし、その言葉ひとつひとつに耳を傾ける。そして「未来をディストピアにしてはならない」と我々に決意させる。それは、荒廃したその光景が、現実の“福島”を撮影したものであるからにほかならない。
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ヘイル、シーザー!
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
トラブルや問題は多々あれど、ともかくもハリウッド万歳という話だが、コーエン兄弟がなぜ今わざわざこんな映画を撮ろうと思ったのかがどうにも不可解。色々と豪奢な映画内映画の数々もパスティーシュの域を出ていない。ハリウッド・テンの描き方は、あれでいいのだろうか?今更反共映画はないでしょう。せめてもう少し全体的に焦点を絞ればわかりやすくなるのにと思ったが、そういうわけにはいかないのだろう。アルデン・エーレンライクの「能力の高いバカ」ぶりは良かったです。
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映画系文筆業
奈々村久生
映画業界もののカテゴリーに入るけれど、ゴシップ記者のような周辺の存在まで物語に組み込まれて登場するのが面白い。撮影というと技術スタッフは作品の内部に集中していればよくても、実際は世間との交渉の連続で、ロケともなれば街頭の人々と直接対峙する人員が不可欠だ。ブローリンの演じるスタジオの何でも屋は今で言うと制作部の領域に近いだろうか。対人能力に長けている上にタフな商売は映画制作のうさんくさい側面をケレン味たっぷりに見せる。劇中劇の華麗な水中芸は眼福。
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TVプロデューサー
山口剛
大物フィクサー、マニックス(J・ブローリン)の動き回るハリウッドの裏話はどれも面白いが、ドル箱スター(G・クルーニー)が共産党シンパの脚本家たちに誘拐、洗脳され、マニックスに一喝される件りは大笑いする。赤狩り直前の頃だろう。唄う大根カウボーイ、水着の女王、ミュージカル・シーン(チャニング・テイタム最高)など面白いエピソードがあまりにも沢山盛り込まれているので、「バートン・フィンク」に比べると統一感を欠くが、古い映画ファンにはたまらない。
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マクベス(2015)
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翻訳家
篠儀直子
マクベス夫妻に子どもがいないことが、この物語にとっては結構重要なのではと前から思っていたのだが、本作は冒頭でそれを前面に出し、以後、全篇にわたって「死」のイメージ、「死産」のイメージをたちこめさせる。一方、運命の奔流に押し流される超高速栄枯盛衰物語として知られる『マクベス』を、この映画はひたすら引き伸ばしているかのようだ。荘厳な台詞の合間に「イメージ映像」めいたものがたくさん突っこまれ、様式美でも写実でも活劇でもなく、いわば夢幻性が目指される。
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映画監督
内藤誠
裏切りと復讐の血にまみれた物語をCGを駆使したスペクタクル絵巻にすることもできたはずだけれど、ジャスティン・カーゼル監督はロケーション撮影を多用し、シルエットの多い映像に仕上げている。その分、シェイクスピアの有名なセリフが耳に響き、観客のイメージはかえって膨らむ。王殺しの場面も、イングランド軍が攻めてくるラストシークエンスも、シンプルな映像が音響効果とあいまって、古典の味わいを出していた。過去の名作芝居や映画との比較のせいで星の数はきびしいが。
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ライター
平田裕介
なにやらヴィジュアルはダーク、そこはかとなくムードは荘厳で重厚である。製作陣いわく強欲なマクベス夫婦の行く末を昨今の経済情勢と重ねてもいるらしいのだが、雰囲気重視でシェイクスピアをやってみましたという印象しか受けず。実際、映像やノリに関しては紀里谷和明の「ラスト・ナイツ」が観ているそばから脳内リバイバルしてくる感じ。とはいえ、M・ファスべンダーやP・コンシダインら英国のグッとくる俳優たちはさすがに魅せるし、コテやんも相変わらずの美しさである。
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カルテル・ランド
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翻訳家
篠儀直子
メキシコ麻薬戦争の悲惨さに触れながら最終的にはまったく別の域へとたどり着いていたヴィルヌーヴの「ボーダーライン」に対し、こちらは現実の状況を伝える映画。絶望的な気分にさせられるのだが、困ったことに異様に面白い。どうやってこれだけ現場に溶けこんで撮影できたのか(もしかしたらここに出てくるよりもずっとヤバい映像もあるのでは)と思わされるし、何より編集が巧みでスリリング。国境を挟んだ両国に登場する「ヒーロー」が、どちらもとても魅力的で、とても危うい。
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