映画専門家レビュー一覧
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君がくれたグッドライフ
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映像演出、映画評論
荻野洋一
筋萎縮性側索硬化症を患ったドイツ人主人公が、法的に安楽死の認められたベルギーへ向け、親友たちとの自転車旅行に繰り出す。若き死の無念を友情によって慰撫しようと、映画は模索し続けるが、どうしても終末期ケアのテキストの域から出てくれない。やはり映画は「いい話」であるだけでは足りず、もっと映画の力が探究されなければならない。ドイツ映画というと作家の映画ばかり輸入される日本の現状にあって、ごく普通の良心的ドイツ映画を見られるという貴重な機会ではある。
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脚本家
北里宇一郎
不治の病にかかったドイツ男が、尊厳死の許されたベルギーを目指し自転車旅行をする。これに妻や仲間たちがつき合い、その道中のスケッチが綴られるわけだが、どうも映画が弾まない。男を取り巻く登場人物たちのそれぞれの挿話が、あまり“死”と絡んでこないので、空回りしている印象なのだ。脚本家の年齢を見たら30際。もちろんその若さでも本質を描ける者はいる。だけどこれは監督も含め、最初の発想にしめたと思い突っ走った、その若さの勢いが物足りなさとなったような。
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映画ライター
中西愛子
尊厳死を扱う作品は、どうしてもいつも考えさせられる。このドイツ映画は、不治の病であるALSと宣告された30代の男性の決断。年に1回、自転車で旅をする6人の仲間たちに意思を告白し、それが合法のベルギーへとみなで旅立つ。当然本人もつらいが、まだ普通に元気に見える友人の急な決断を受け入れなければならない周囲もつらい。生きることへの視点は深く、朗らかで誠実な作品だ。このケースの尊厳死も、ひとつの選択肢なのだろう。考えるきっかけとして価値のある人間ドラマ。
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ガルム・ウォーズ
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評論家
上野昻志
おそらく、押井守ファンなら何度も繰り返し見るだろうし、キャラや物語について、あたうる限りの意味づけを試みるだろう。というのも、まず冒頭の荒涼たる世界での戦闘シーンが、兵器の造形も含めて目を奪うし、クローンの女性飛行士カラも、そこそこ魅力的だからだ。物語は、起源を求めての旅というシンプルな枠に収まっているが、それだけに、さまざまな意味づけを誘うに違いない。だが、だからなおさら、これは本来の物語の序章に過ぎないのではないか、という思いを禁じ得ない。
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映画評論家
上島春彦
何の情報もなく試写を見た私、これはダイジェスト版にも或いは大長篇の序章にも見え、しかし意図的にそうなったという感じでもないのが実にヘン。プレスを読むと鈴木敏夫が日本語版を頑張ってプロデュースしたのがこれ、とのこと。元のを見ていないのが残念だがともあれ余得ではあろう。重装備の兵士とモンスターマシン、森と預言者、といったある種のSFの定番が満載で押井ファンにはたまらないはずだが、私には結構ちんぷんかんぷんであったな。物語設定を先に読んでおきたい。
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映画評論家
モルモット吉田
幻の超大作「ガルム戦記」に、これで日本製SF映画が変わると純情にも期待した身としては夢の形骸を眺める気分。デジタル技術がこれだけ進歩し、「アバター」の後では証文の出し遅れ感は否めず。アニメの様に実写が撮れるようになったはずが、まだ不自由さが残る時代に低予算で撮った「アヴァロン」の方が遥かに実写+VFXがもたらす自由を獲得していたように思えたが。本作が実現したことでオリジナル版のパイロット・フィルムが前売り券購入特典に付いてきたことが最大の喜び。
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殿、利息でござる!
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評論家
上野昻志
公のために、といっても、政府お得意の公共の利益なんて押しつけがましいものではなく、小さな宿場にかかる過大な負担に苦しむ人たちを救うために、私財を抛つという良い人たちの良い話。だから、気持ちよく見られるし、話の運びも軽快だ。が、時間が経つうちに、印象が希薄になるのは何故なのか? 主立った連中の座っている場面が多いためか、シーンの具体的な細部が弱いためか、記憶に残るのが、銭壺を覗く山﨑努の顔と廊下の角々を四角く歩く龍平の姿というのでは、なあ。
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映画評論家
上島春彦
たまにはこういう「良い話」で和みたい。実話というのが高ポイントの理由で、だが私には完全にその経済的理屈が理解できたわけではない。それに後でよく考えたら一番悪いのはバカ殿ではないか。何であんたが最後にしゃしゃり出てくるのか。でも羽生くんのルックスには惚れたね。京から帰った知恵者が困窮する宿場を救うアイデアをふと思いつき、複雑な家庭事情もからんでそれをがむしゃらに実践に移す者がいて、と偶然のチームプレイのように物語が編成されていくのが上首尾であった。
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映画評論家
モルモット吉田
中村監督が助監督時代に付いた伊丹十三が時代劇を撮っていれば、伊丹万作も意識したこんな明朗時代劇だったかも。飽きさせない語り口は見事だが、お上をカモに宿場町に利益をもたらす〈損して得取れ〉な話なのに権力者へのへりくだりと、日本人の美徳を自画自賛して感動話にする作りに乗れず。藩が約束を反故にすればご破算だろうと思ったら、後年、実際にそうなったことがナレーションで語られるがその?末こそが観たかった。脇に回った松田龍平が無表情と棒読みで嫌な役人を快演。
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わたしの自由について SEALDs 2015
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評論家
上野昻志
SEALDsの活動記録としては、よく出来ているし、これを通して、彼らの新しさもよくわかる。一九六〇年代末の全共闘運動の学生たちは、個人としての想いはあっても、言葉にすると時代のイデオロギーを背負ってパターン化していたのだ。それに対して、SEALDsに集う若者は、シュプレヒコールはリズムが違うだけで昔と変わらないが、一人ひとりが発言するときは、その人なりの自前の言葉になっている。それが、既成の政治家たちはもとより、往年の学生たちなどより、決定的に新しい。
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映画評論家
上島春彦
シールズというのは「民主主義を守るために急いで行動を起こした学生達」の略語だというのを、今チラシを読んで初めて知った。私は日本がこの七十年、平和憲法のおかげで平和であったと思ったことなど一度もないが、それはそれとして若い連中が積極的にデモをしかけるようになったのはとても良いことだと思う。この現場にはC浦クンもいたらしいぞ。最後に彼に会った時、「集団的自衛権行使容認、いいことじゃん」と発言した私は氏にとても叱られたのであった。たまにはデモ行くか。
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映画評論家
モルモット吉田
大島?はドキュメンタリー「日本映画の百年」で連赤事件を境に「以後、若者たちが日本の現代史の表舞台に登場したことは未だない」と語ったが、それは現代と切り結ぶ青春映画の喪失も意味する。短期決戦とも言うべき彼らの鮮やかな活動を記録した本作は「圧殺の森」に迫るキラキラと輝く青春映画の復興だ。映画は彼らに加担しつつ、抑制した視点を崩さない。一瞬それが緩むのはシュプレヒコールを挙げる中心人物の後頭部越しに見える国会へデモが突入してゆく美しいショットだ。必見。
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世界から猫が消えたなら
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映画評論家
北川れい子
タイトルの“世界”は、さしずめ大ヒットした「世界の中心で、愛をさけぶ」的な自己中の“世界”で、“猫”も人気の定番ペット。さすが、日常的に映画向きの本を読んでいるに違いない原作者、川村元気プロデューサーならではの気を引くタイトル。そして難病ものにいささか悩ましいひねりを加えたストーリー。ま、早い話、命を手札にしてあれこれ自分の大切なものを消していくというのだが、何やら子どもが自分勝手なゲームでもやってるよう。アルゼンチン旅行は観客へのサービス映像?
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
良くない。本作は人間をダメにするような類の映画。懊悩も救済も浅薄、魂が小洒落たマーケティングの範囲にしかない取り繕った人物たちの影が右往左往するのを見ただけ。製作費が少なからずあり映像も役者も悪くないのにこんな駄目セカイ系企画をやらなくてもいいじゃないか。余命幾許もない? 早よ死ね! そもそも生きてもない。同じアルゼンチン、イグアスの滝にロケしたカンパニー松尾のAV「世界弾丸ハメドラー TANGO・地球の裏側で愛を踊る」を観てから出直してこい。
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映画評論家
松崎健夫
人はある時、当たり前だと思っていた人生がそうでないことに気付く。実は最初から有限であるのに、限りあると悟ってはじめて狼狽えるのだ。原作にも映画の引用はあるが、映画版では原作に記述のない映画も引用され、「生命」や「死」というテーマがリンクしているという面白さがある。例えば映画館に掲げられた「ファイト・クラブ」(99)。本作の構造自体「川村元気的解釈のファイト・クラブ」のようであり、ひとり二役で見せる佐藤健のダブルな魅力の由縁となっているのも一興。
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園子温という生きもの
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映画評論家
北川れい子
2014年の『GQ Men of the Year』の1人に選ばれた園子温は、色紙に“量”と書く。質より量の意味か。なるほど、量が質に転じることは可能だろうが、質は滅多に量にはつながらない。要は数打ちゃ当たるってことで、撮った者勝ちってこと。そして思ったのは、園監督の巧みな商才。時代や流行、世間を挑発して自らをブランド化するそのテクニックは、このドキュメンタリーからも伝わってきて、それには感心する。けれども私は、監督の姿勢としては作品の裏にいる人の方が好み。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
園子温が、このドキュメンタリーを観る者のために、ほどよくそれらしいキャラを演じているのではないかとも思うが、そうだとしても日々創造する人間のドライヴ感があって観ていて楽しい。神楽坂恵がいい奥さんっぽく、彼らが似合いの夫婦らしく見え、ほのぼの系の軽い衝撃。本作に記録される、俺を見て! 的なエネルギーの散り方が、近年のブレイク以降の園作品に時折見受けられる雑さの原因のような気がするが、明らかにこの人はそれで自分を盛り上げてもいてその良否は問えない。
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映画評論家
松崎健夫
本作は同時期に公開される「ひそひそ星」のサブテキスト的な作品ではない。また、園子温の人生を知るためでもなければ、映画監督という職業が何であるかを考察するためのものでもない。描かれるのは、異端と王道の狭間で揺れる園子温という表現者が、世の中が寛容でなくなったことを憂い、繊細であるが故に苦悩する姿。同時に、その姿を偉大な映画監督を父に持つ息子が取材している、という指摘からも本作は逃れられない。つまり、ふたつの異なる苦悩が衝突する映画なのである。
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ふたりの桃源郷
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映像演出、映画評論
荻野洋一
このドキュメンタリーで起こっていることは現実だろう。しかし不幸なことに、私には途方もないメルヘンであるかのように思われた。老夫婦二人が、電気もガスも通っていない山深い土地に隠遁する。やがて末期ガンを患った老父のために、都会にいた娘夫婦が移住してきて親孝行をする。わが親不孝を思うとき、この事態を平常心で見ることは難しい。そして老父の死。ボケた妻は亡き夫の面影を求め「お爺さーん!」と叫びを止めない。老婆の美しい呼び声が、透徹して山に響きわたる。
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脚本家
北里宇一郎
巻頭、空撮で捉えられたちっぽけな耕作地が、最後は人が生きた証として大きく見えて。山間に暮らす老人夫婦の愛嬌。その飾らない表情に作り手との信頼関係が窺え。お婆さんの遥かなる山の呼び声、その2回の繰り返しが切ない。もう少し人物の気持ちを、ナレーターではなく本人の口から聞きたかった。終盤の母娘愛の描写はさらりでよかったのでは? それよりも山間生活の魅力(魔力?)をもっと観たかった。といった欲は出てくるものの、25年もふたりを追い続けた、その愛は篤く。
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