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略歴 / Brief history
本名はDoris von Kappelhoff。音楽教師を父に持ち、早くから音楽教育を受けたのとダンスが好きだったのとでダンサーになるつもりだったが、自動車事故で大腿骨を骨折、あきらめて歌手を志した。シンシナティのハイスクール在学中の16歳の頃からボブ・クロズビー、レス・ブラウンなどの楽団の歌手としてナイトクラブやラジオで売り出し、甘くハスキーな声で歌った『センチメンタル・ジャーニー』が大ヒット。トップ・クラスの歌手となった48年、「洋上のロマンス」(T)で映画デビューした。アメリカ人好みの親しみやすい容貌と、ソバカスだらけの顔に浮かべるチャーミングな笑いは魅力満点。ミュージカル・コメディ「二人でお茶を」、音楽映画「情熱の狂想曲」に出演した翌51年には早くもマネー・メイキング・スター・トップ10に9位で顔を出し、52年には7位に上がった。デビューから50年代なかばまでは、もっぱらミュージカル・スターとして人気を得たが、55年の「情欲の悪魔」(この作品もミュージカルではあったが)からは演技派女優としても立派に立てることを示し、ことに軽快なコメディ・センスを買われての、その後ロック・ハドソン共演の一連のロマンティック・コメディで精彩を放ち、59年の「夜を楽しく」でアカデミー主演女優賞にノミネート。同時に人気は急上昇、59年から66年までマネー・メイキング・スター・トップ10の常連となった。しかも60、62、63、64年はいずれもトップとなり黄金時代を築いた。55年、アルフレッド・ヒッチコックの「知りすぎていた男」では、ジェームス・スチュアート扮する医師の妻で元人気歌手を演じ、劇中で彼女が歌う『ケ・セラ・セラ』は大ヒットした。41年アル・ジョーダンと結婚して一児をもうけたが離婚。46年ジョージ・ウエドラーと再婚、49年離婚。51年マーティン・メルチャーと三度目の結婚をしたが、このアーウィン・プロの主宰者であるプロデューサーのメルチャーこそ彼女を大スターにした功労者である。が、68年4月死別。二人の間に一人息子テリー・メルチャーがいる。68年秋からスタートしたTVシリーズ『ママは太陽』の終了後はショー・ビジネスの世界からるが、息子テリーが経営するレコード会社エクイノクスでレコーディングは続けた。熱心な動物保護主義者としても知られ、ザ・ドリス・デイ・アニマル・リーグを設立。80年代には有名人とそのペットを紹介するTVのトークショーのホステスをつとめた。2019年5月13日、逝去。享年97歳。
ドリス・デイの関連作品 / Related Work
作品情報を見る
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ニューヨークの大停電
制作年: 1968クロード・マグニアの舞台劇を、この映画製作者で「マーメイド作戦」のエヴェレット・フリーマンと「ベン・ハー(1959)」のカール・タンバーグが脚色、「恐怖の蝋人形」のハイ・アヴァーバックが監督したコメディ。撮影は「レッド・リバーのガンマン」のエルスワース・フレデリックスのニューヨーク・ロケ、音楽は「卒業」のデーヴ・グルーシンが担当した。出演は「おしゃれスパイ危機連発」のドリス・デイ、「プレイラブ48章」のロバート・モース、「大進撃」のテリー・トーマス、「アルバレス・ケリー」のパトリック・オニールほか。製作は、脚本担当のエヴェレット・フリーマンとマーティン・メルチャー。 -
おしゃれスパイ危機連発
制作年: 1967「独身アパート」のフランク・タシュリンとジェイ・ジェイソンが脚本を書き、タシュリンが監督したコメディ。撮影は「華麗なる激情」のレオン・シャムロイ、音楽は「飛べ! フェニックス」のフランク・デヴォールが担当した。出演は「ただいま熱愛中」のドリス・デイ、「ハワイ」のリチャード・ハリス、「ねえ!キスしてよ」のレイ・ウォルストン、「アパートの鍵貸します」のジャック・クラシェンほか。製作はアーロン・ローゼンバーグとマーティン・メルチャー。 -
スリルのすべて
制作年: 1963マスコミの怪物TVを明るく風刺したロマンチック・コメディ。「タミーとドクター」のロス・ハンターとマーティン・メルチャーの製作、「40ポンドのトラブル」のテレビ出身ノーマン・ジュイソンが演出した。カール・ライナーが脚本、ラッセル・メティが撮影を、ジョセフ・ガーシェンソンが音楽を、夫々担当している。出演者は「先生のお気に入り」「ミンクの手ざわり」のドリス・デイ、「噂の二人」「大脱走」のジェームズ・ガーナー、ほかにザス・ピッツ、ルーシー・ランドウ、エリオット・リード、エドワード・アンドリュース、ブライアン・ナッシュなど、TV界の人気タレントの大挙出演。