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ヘルバート・ヴィントの関連作品 / Related Work
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壮烈第六軍!最後の戦線
制作年: 1959第二次大戦のスターリングラード攻防戦の映画化。脚本は第六軍に従軍したハインツ・シュレーターが書き、「鮫と小魚」のフランク・ヴィスバールが監督し、撮影はヘルムート・アシュレイが担当。出演はヨアヒム・ハンセン、「鮫と小魚」のヴォルフガンク・プライス、ヴィルヘルム・ボルヘルト、ホルスト・フランク、ペーター・カルステン、アレキサンダー・ケルスト、アルミン・ダーレン、ソーニャ・ツィーマン等。一九五九年度ベルリン映画祭ドイツ部門で金賞、最優秀監督賞、撮影賞、技術賞を受けた。 -
民族の祭典 オリンピア第一部
制作年: 1938第十一回ベルリンオリンピック大会の記録映画で、「モンブランの嵐」「青の光」のレニ・リーフェンシュタールが総指揮並びに芸術的構成に当り、ハンス・エルトル、ワルター・フレンツ、ギュッチ・ランチナー、クルト・ノイバート、ハンス・シャイブ以下総数四十四名の撮影技師が動員され、「最後の一兵まで」「朝やけ」のヘルバート・ヴィントが作曲を附した。演奏はブルーノ・キッテル合唱団、フィルハーモニック管絃団、ミューラー・ヨーン指揮のライプスタンダルテ、ウファ交響管絃団、トーフィ管絃団が当り、ポール・ラーフェン博士、ロルフ・ヴェルニッケが解説を受持った。製作指揮はワルター・トラウト及びワルター・グロスコプ、プロローグ撮影指揮はヴィリイ・ツィールケ、技術顧問はルドルフ・ヤート、同時録音総指揮はジークフリート・シュルツェがそれぞれ担当した。 -
美の祭典 オリンピア第二部
制作年: 1938「民族の祭典 オリンピア第一部」とともに映画オリンピアを形づくるものであるから、製作スタッフは勿論すべて第一部と同様である。ただ音楽だけは、ポロ競技及び近代五種競技のシークェンスに限りワルター・グロノスタイが書いている。スタッフの詳細及び解説は「民族の祭典 オリンピア第一部」を参照。 -
最後の一兵まで(1937)
制作年: 1937「スパイ戦線を衝く」と同じくカール・リッターが製作・監督した映画で、一九一八年春のドイツ軍の攻勢作戦“ミヒャエル計劃”を脚色した戯曲を映画化したもの。脚本は監督者リッターが主演者の一人マティア・ヴィーマン及びヒルデブラントと協力して、原戯曲及びハンス・フリッツ・フォン・ツウェールの助言によって執筆した。なお撮影は「スパイ戦線を衝く」のギュンター・アンデルス、音楽は「朝やけ」のヘルバート・ヴィントがそれぞれ担当している。出演者は「魂を失える男」「黒衣の処女」のマチアス・ヴィーマン、「ジャンダーク」のハインリヒ・ゲオルゲを始め、「スパイ戦線を衝く」のヴィリー・ビルゲル、「猫橋」のハンネス・シュテルツァー及びオットー・ヴェルニッケ、パウル・オットー等殆ど男優のみである。