セラフィマ・ビルマン

セラフィマ・ビルマンの関連作品 / Related Work

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  • ドン・キホーテ(1957)

    制作年: 1957
    十七世紀のスペイン作家ミゲル・デ・セルバンテスの長篇小説『ドン・キホーテ』の映画化。E・シュワルツが脚色し、「マキシム」三部作で知られるグリゴーリ・コージンツェフが監督した。撮影はアンドレイ・モスクヴィンとアッポリナリー・ドゥドコ(ロケ場面)、音楽はK・カラーエフ。主演は「イワン雷帝(1946)」で知られ、ソ連人民芸術家の称号をもつニコライ・チェルカーソフ、三十年間演劇、映画に活躍、これもソ連人民芸術家のユーリー・トルベーエフの二人。それにセルフィマ・ビルマン、L・カシャノワなどが助演する。ソホカラー、ソ連初のシネスコ版(キノスコープ)の一九五七年作品。
  • イワン雷帝(1946)

    制作年: 1946
    一九四八年二月十一日に革命的映画芸術家として多彩な生がいの幕を閉じたセルゲイ・M・エイゼンシュテイン--いうまでもなくフセヴォロド・プドフキンとならび称され、ソ連最大の映画作家として、またモンタージュ理論の完成者として著名--のこれは最後の作品である。一九二五年「ストライキ」を発表して以来、「戦艦ポチョムキン」(別名「世界を震がいさせた十日間」)、「全線」(別名「古きものと新しきもの 全線」)、「メキシコの嵐」、「アレクサンドル・ネフスキー」等で名声を博したエイゼンシュテインの長篇作品で、シナリオも彼自身の手になる。この作品は元来三部作の構想をもって企画されたものであり、彼はその準備と製作に各々三ヶ年の期間を費し、ようやく第一部と第二部を完成し、第三部の準備仲に卒然として逝いたのである。なお第二部は彼の歴史的解釈の誤りが指摘されたため、若干の改変が加えられたといわれており、また英国ではこの作品が政治的な思惑で上映禁止の処分をうけたというエピソードもつたえられている。撮影はロケの部分をエイゼンシュテインの全作品の協力者エドゥアルド・ティッセ、セットの部分を「新人ワヴィロン」「一人」等のアンドレイ・モスクヴィンがそれぞれ分担した。作曲のセルゲイ・プロコフィエフは世界的な作曲家であり、「キージェ中尉」以来映画音楽でも積極的な活動をしている。「アレクサンドル・ネフスキー」における彼の作曲はすでに映画から独立した交響楽としてもひろく演奏されている。美術のシピーネリは日本でも公開された「白夜」をはじめ多くの作品に才腕をふるっている人である。主役のニコライ・チェルカーソフはレニングラードのプーシキン記念アカデミイ劇場の専属俳優で「詩人と皇帝」「バルト代表」「ピョートル大帝」等に出演しており、またメイク・アップの名手として知られている。リュドミラ・ツェリコフスカヤは「モスクワの音楽娘」の女主人公で、現在はルーベン・シーモノフ・オペレッタに所属しており、「四つの心臓」「双生児」等の映画にも娘役として活躍している。セルフィマ・ビルマンはレニングラード・ドラマ劇場の老女優で映画はこれが初出演、パーヴェル・カドチニコフはやはり「モスクワの音楽娘」に主演している。その他「人生案内」のミハイル・ジャーロフ、ソ連人民俳優アンブロシー・ブーチマらが出演しているが、もっとも異色あるキャストは「母(1926)」や「アジアの嵐」の監督として著名なフセヴォロド・プドフキンが一俳優として狂信者にふんして出演していることであろう。黒白・部分カラー・スタンダードサイズ。
  • 帽子箱を持った少女

    制作年: 1927
    偽装結婚をしたカップルの恋の顛末を描くコメディ。20年代に発表されたボリス・バルネット監督(「国境の町」「騎手物語」)の単独演出第1作。当時、レーニンの政策によって独立採算制を余儀なくされた撮影所が、宝くじを奨励するという建前のもと、大蔵省をスポンサーにして製作費を引き出したというもの。豊かな映像に満ち溢れている好篇であるばかりか、レーニンのNEP(新経済政策)によって出現したヤミ商人や小ブルジョワの拝金主義を、痛烈に風刺したいわゆる“ネップ・コメディ”の傑作としても位置づけられる。脚本はヴァレンティン・トゥルキンとワジム・シェルシェネヴィチ、撮影はボリス・フランツィッソンとボリス・フィリシン、美術はセルゲイ・コズロフスキーがそれぞれ担当。出演は「女優ナナ」(34)のアンナ・ステン、イワン・コワリ・サムボルスキー、セラフィーマ・ビルマン、ウラジミル・フォーゲリほか。

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