太地喜和子 タイチキワコ

  • 出身地:東京都中野区本町通の生まれ
  • 生年月日:1943年12月2日
  • 没年月日:1992年10月13日

略歴 / Brief history

高校生の時に東映六期ニューフェイスとなり一年間の養成期間ののち1960年4月、東映と専属契約。同期に千葉真一、亀石征一郎、新井茂子がいる。1961年、志村妙子の芸名で「悪魔の手毬唄」でデビュー。「二人だけの太陽」「東京新選組」(1961)、「白い熱球」「胡蝶かげろう剣」(1962)などに出演。1963年3月、東映と解約。1964年、俳優座養成所に十六期生として入る。同期に古谷一行、河原崎建三、片山真由美がいる。1967年、養成所卒業と同時に文学座に入団。同年西村昭五郎監督「花を喰う蟲」に主演。その演技を新藤兼人監督に認められ、翌68年の「薮の中の黒猫」に猫の妖怪役で中村吉右衛門、乙羽信子と共演、大熱演で一躍有名になった。その後は「弾痕」(1969)、「裸の十九歳」「やくざ絶唱」(1970)、「顔役」(1971)、「喜劇・男の泣きどころ」(1973)、「喜劇・女の泣きどころ」1975)などに助演した。1976年、山田洋次監督「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」で十七代目のマドンナ役に起用され、その好演で、キネマ旬報助演女優賞、第一回報知映画賞助演女優賞を受賞。『タンゴ』(1968)で初舞台を踏み舞台に進出、以来『欲望という名の電車』『花の館』『ハムレット』『越後つついし親不知』『薮原検校』『近松心中物語』『唐人お吉』など多数に出演している。1992年10月13日事故により死去。

太地喜和子の関連作品 / Related Work

作品情報を見る

  • 制作年: 1988
    現実感の乏しい夢を追い続ける父親と、それにふり回される家族の姿を描く。牧村裕の作文「父」を元に、「二十四の瞳(1987)」の木下恵介が脚本を執筆。監督は「新・喜びも悲しみも幾歳月」の木下、撮影は「星の牧場」の岡崎宏三がそれぞれ担当。
  • 火まつり

    制作年: 1985
    海洋公園建設で揺れる海と山に挟まれた小さな街を舞台に、嵐の山の中で神の啓示を受けた木こりの姿を描く。芥川賞作家・中上健次がはじめて映画の脚本を執筆、監督は「さらば愛しき大地」の柳町光男、撮影は「逆噴射家族」の田村正毅がそれぞれ担当。
  • 皇帝のいない八月

    制作年: 1978
    もし現代の日本で自衛隊のクーデターが起こったらという構想のもとに、その恐怖と巨大なうねりに翻弄される人間の姿を描く小林久三の原作の映画化。脚本は「不毛地帯」の山田信夫、渋谷正行、「不毛地帯」を監督した山本薩夫の共同執筆、監督は同作の山本薩夫、撮影は「ワニと鸚鵡とおっとせい」の坂本典隆がそれぞれ担当。
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  • 新宿馬鹿物語

    制作年: 1977
    半村良の同題名小説の映画化。新宿のバーのマスター仙田を主人公に不思議な女性の生態を捉えつつ、愛するが故に憎み合う、男と女のからみ合いを、明るく描く。脚本は「壇の浦夜枕合戦記」の神代辰巳、監督は「美女放浪記」の渡辺祐介、撮影は「坊っちゃん(1977)」の竹村博がそれぞれ担当。
  • 獄門島(1977)

    制作年: 1977
    「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄(1977)」に続き、原作・横溝正史、監督・市川崑、主演・石坂浩二のトリオが三たび放つ横溝シリーズ。封建的な古い因習の中で、本鬼頭と分鬼頭が対立する獄門島へきた金田一耕助が、連続殺人事件にまきこまれる姿を描く。脚本は「悪魔の手毬唄(1977)」の久里子亭、監督は同作の市川崑、撮影も同作の長谷川清がそれぞれ担当。
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  • 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け

    制作年: 1976
    “男はつらいよ”シリーズ第17作目。フーテンの寅が捲き起こす人情喜劇で、今回は風変りな日本画壇の大御所の老人と芸者が相手役となる。脚本は「男はつらいよ 葛飾立志篇」の朝間義隆、監督は脚本も執筆している同作の山田洋次、撮影も同作の高羽哲夫がそれぞれ担当。
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