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トニー・ムサンテ
両親はイタリア系移民。教師になるつもりでオハイオ州のオバーリン大学に入り心理学を学んだが、途中から学生演劇に夢中になり、芝居に出るため各地を転々とし、イリノイ州ヒルスデールの地方劇団で舞台に立った。そこで演技の修業をつんでいたが、陸軍に召集され、芝居を6カ月間中断、除隊後ニューヨークに出て本格的に演劇にうちこみ、テレビなどにも出演するようになった。63年テレビ・ドラマ『恐怖との相乗り』でチンピラ役を好演、その映画化作品「ある戦慄」(67)で同じ役を演じて絶賛され、マルデルプラタ映画祭の最優秀男優に選ばれた。強烈な面がまえと個性の持ち主で「ベニスの愛」(70)などのメロドラマに出ても、さまになるから不思議。
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トニー・ムモーロ
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トニー・メイヤー
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トニー・メイラム
RADAの出身で、テレビ・ドキュメンタリーで頭角を現し、76年にはインスブルック冬季オリンピックの記録映画「ホワイト・ロック」を監督。ジェームズ・コバーンをナレーターに、リック・ウェイクマンを音楽担当に起用するなど、斬新な感覚で話題を呼んだ。またシドニー・ポラック監督の77年の作品「ボビー・ディアフィールド」では、メイラムの撮ったカー・レース・シーンが使用された。劇映画第1作は、マイクル・ヨーク主演の海洋サスペンス「謀略海域/北海の激闘」(V)。82年の「バーニング」(音楽リック・ウェイクマン)からアメリカ映画界にも進出し、83年にはTVM「美女ドリアン・グレイの秘密」(幻想のドリアン・グレイ(V))を監督している。
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トニー・メルル
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トニー・メロディ