映画専門家レビュー一覧
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MISS OSAKA ミス・オオサカ
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映画執筆家
児玉美月
男を介して出会った女二人がお互いに歪み合い、キャットファイトを繰り広げてゆく……というクリシェを予感させるムードを覆して関係を結ぶオープニングと、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」とレオス・カラックスの「ホーリー・モーターズ」が溶け合ったようなラストシーンだけを観れば十分に傑作になりえたかもしれないが、その中間で行われる「ブレット・トレイン」さながらの異質な日本で行われる展開が彼女の“気づき”を誘引するにはやや弱いのでは。
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映画監督
宮崎大祐
「ロスト・イン・トランスレーション」にしろ「バベル」にしろ、筆者は外国人監督が日本の風景をとらえた作品がなんだか好きである。それはそうした作品が己の日々生きる景色に外的な視座を差し込んでくれるからかもしれない。ノルウェーのカメラマンがとらえた本作の大阪には北欧のオーロラや雪原に負けぬ艶があり、ヒロインのヴィクトリア・カルメン・ソンネをはじめ俳優たちはいずれもたいそう魅力的に写っている。だからこそ後半の展開をもうひとがんばりしてほしかったのだけれど。
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All the Streets Are Silent ニューヨーク(1987ー1997)ヒップホップとスケートボードの融合
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米文学・文化研究
冨塚亮平
白人のスケートボードと黒人のヒップホップという、一見当時のNYの人種分離を象徴するような二つのストリート文化が、日本人が創業したクラブ・マーズでの交流を契機に思わぬ化学反応を起こしていく経緯は、登場する数多のレジェンドたちの若き日の貴重な姿に圧倒されるのはもちろん、文化史的にも圧倒的な面白さ。当時のドアマンが、DJのように人種や階級を跨いだ多様な客をミックスしていたという証言にはなかでも膝打ち。商業化の功罪をきちんとフォローするバランスも良い。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
スケートビデオの混沌としてエネルギッシュな映像は、当時のニューヨークを生き生きと伝えており、それだけでとても魅力的。スケートボーダー同士がビデオで撮り合うのと同じように、誰もが気軽に動画を撮り合い、発信している現代の映像文化とのリンクも感じさせる。また、ヒップホップとスケートボードカルチャーに限らず、金や治安の問題や、先鋭化していくコミュニティとファッション的に需要する層の出現など、カルチャー全般にまつわる様々な問題を考えさせられる。
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文筆業
八幡橙
寡聞にしてヒップホップやスケートボード、80~90年代のNYカルチャー方面に疎いため、全篇勉強になりました。黒人発祥のヒップホップ、白人先導のスケートボード、その両者の奇跡的融合が生んだ、今に繋がる大いなる系譜。門外漢とは言い条、作中取り上げられる95年の映画「KIDS/キッズ」に登場した面々の脱キッズ後の姿は大変興味深く、我が物顔で往来を滑走していた若者の、短くはないその後の道程に思いを馳せた。何事も拡張するほど原点から遠のくという真理が、ここに。
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RRR
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
3時間近くあるが全く飽きない。次から次へと何かが起きる。敵と味方が知らずに友だちになって、やがて敵対していく。どっちの男も基本的にものすごくいい奴で、いろんなことを背負って、好きには生きられない。もどかしい。アクションがいちいち手が込んでいて楽しい。絶対に退屈させないぞという意地を感じる。それにしても男たちは、なかなか死なない。メチャクチャになっても最後は何とか生きている。笑ってしまう。ヒロインも可愛いだけじゃなくて、どこか芯が強くていい。
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文筆家/俳優
唾蓮みどり
今日に始まったことではないのだが、どのようにこの手のボリウッドを楽しめばいいのかずっと考えていて、困惑している。1920年代の話とはいえ、白人による人種差別、大義名分のための闘争、男は強く女子どもは守られものというジェンダーロールなど、白黒きっぱりと別れた世界観やプロパガンダになりかねない映画というものを純粋に楽しむことがもうできない。ただ、画面から迸る熱量には圧倒されるものがある。総製作費97億円というスケール感にはただただ驚かされる。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
かなり楽しんで見た(インド映画をよく知らないので、これがいつも通りの面白さなのか、それとも規格外の面白さなのかはわからないのだが)。歌あり、踊りあり、アクションあり、ラブストーリーありの全部のせ。マルチバースだなんだと設定をいたずらに複雑にしなくても娯楽は成り立つようだと思わせる。ただ、暴力より歌だという気付きを得るわりには暴力による解決だし、民衆全員に武器をというわりには結局2人の超人の力ですべてをなぎ倒すじゃないかと、頭の片隅で思いつつ。
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アフター・ヤン
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
不在の人をめぐる話。AIロボットのヤンが、物静かでいい奴っぽくて好感が持てる。いなくなった後で知るヤンの記憶の数々。数秒という短さが逆に想像を掻き立てる。今はもういないという事実が効いている。いなくなって空いた気持ちの穴をどう埋めていくのか。家族の再生とともに描かれていく。記憶の中の彼女。テンションが上がる。AIロボットも恋をするのか。その女子が登場するたび、キュンキュンする。大した事件は起きない。少しずつ謎が解けていく面白さがある。
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文筆家/俳優
唾蓮みどり
AIロボットのヤンに記録された数秒の映像の積み重ねを見るというという、非常に繊細ながらも大胆な手法で、ある家族の姿を浮かび上がらせる。誰もいない美術館で、インスタレーションを見ている感覚に近いのかもしれない。誰かの記憶とは、映像とは、根本的に切ないものなのだ。映画好きのためのしかけがちりばめられているが、知らなければ楽しめないということもなく開かれている。「リリイシュシュ」の曲をまさかこんなふうに聴くことになるとは。サントラを買ったのが懐かしい。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
私はいまでもアントニオーニの「欲望」(67)の教訓は有効だと考えている。映像をいくら虚心に見つめようとも謎が解明することはなく、そこに現れるのは映像の物質性でしかないのだ。この映画はあたかも故人の残したスマホを解析すれば、その人の人生がわかるとでもいうようである。行動にはかならず原因があり、記憶の奥底にしまわれた過去の経験を探っていけば、不可解なことは解き明かされる。映像は透明であり、その意味は自明である。AIを口実にした、美学的な後退の実現。
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いつか、いつも‥‥‥いつまでも。
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
「もっと超越した所へ。」もそうだが、作り手の独りよがりな想いを反映した、作品の中身がまったく伝わらない(だから必然的に覚えにくい)タイトルは日本映画の悪癖だと常々言っているのだが、なるほど、この作品は長崎俊一の抽象的な想いそのものが作品の中心にある。同じく、偶然が二つ以上重なった無理のある設定も日本映画の悪癖だと常々言っているのだが、その冒頭の設定から辛抱強くリアルな心理劇を紡ぎ出していく手腕はさすが。しかし、一体これは何の話だったのだろう?
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映画評論家
北川れい子
かつて長崎俊一監督と言えば、自主制作の「ユキがロックを棄てた夏」、男闘呼組の4人が主演した「ロックよ、静かに流れよ」「柔らかな頬」など、大いに感動、刺激されたものだが、本作はまったくいただけない。そもそも脚本がとんでもなくまとまりに欠け、いったい何を描きたいの? お人好しの歯科医院一家に突然迷い込んできた自己評価の低いお騒がせ女の話だが、後だしじゃんけんふうに無理やり一人息子とのラブストーリーに仕立てあげ。タイトルも私には意味不明。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
暗い色の血が流れるヤバイ映画の監督と知ってるからついそういうところを探してしまう。もうそれはないようにも思えるけれど見えないところを流れていると感じつつ観た。私はすごいピーキーな女性とつきあってたことがあって何度も泥酔昏倒を背負って帰り、ぞっとするような喧嘩を繰り返した。すごい好きだったけどこいつ狂ってると思ったが、当時の自分も狂ってたとのちに気づいた。近代日本文学の狂った女性を書いてる男も、実はそっちこそ狂ってた。その地平に立つ恋愛映画。
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カラダ探し
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
目の前で起こっている出来事の凄惨さと登場人物たちの怖がり方の軽さに齟齬が生じているとしか思えないなど、シリアスなホラー映画として向き合うとどうにも居心地が悪い。しかし、中盤から急にティーンムービー的なトーン&マナーに転換したところで、作り手がやろうとしていることが分かった。これは日本映画では稀な、ハリウッドのカラッとした学園ホラーの系譜にある作品。ワーナーのローカルプロダクション作品であることも含め、そのトライアルは支持したい。
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映画評論家
北川れい子
高校が舞台の死のループとは、その仕掛けがどうあれ、かなり悪趣味。毎日、誰かが血まみれで死んだり殺されたりしても、ループ映画の約束ごとで翌日には振り出しに。その繰り返しの中で、巻き込まれた6人の高校生たちのキャラや関係とループの謎が見えてくるのだが、羽住監督、青春群像劇、それもアイドル系若手俳優のパニックムービーふうに演出しているのは達者で、当然、それぞれに見せ場がある。とはいえ死を青春ゲーム化するとは、娯楽映画と分かっていても気色悪い。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
初っ端の橋本環奈が受けるマイルドいじめに、いやー自分の子がこんなことされてたらする側の子らを即座にこの世から卒業させたくなるなー、と思って観てたら橋本氏含む主要人物惨死、そこからループが始まり彼女らは生きなおし解脱のため謎解きとバトルをし、そのなかで伸びやかな若者として友愛で結ばれていく。バカは死ななきゃなおらないし人はただ一度生きるのみだがトリッキーな青春映画として悪くない。青春のキラッキラを体現したのが女優陣でなく醍醐虎汰朗なのが愉快。
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もっと超越した所へ。
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
劇中で新型コロナウイルスの話題が出てくるまで、まさか時代設定が現在の物語だとは思わなかった。プロダクションデザイン、スタイリング、台詞、及び台詞に出てくる固有名詞などすべてが時代遅れ。並行して描かれる4組のカップルは、ことごとく憧憬(フィクション映画が要請する原理的欲求)にはほど遠く、かといって「あるある」的な共感を生み出すわけでもない。最初、テーマの「クズ男」は女性視点ということなのかと思ったが、男性から見ても全員クズすぎて頭が痛くなった。
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映画評論家
北川れい子
すでにまがりなりにも巣を持つ彼女たちと、渡り鳥のような男ども。いや、鳥ならまだ、跡を濁さず去っていくが、堂々巡りのこのくだらなさは、そのくだらなこそがこの作品の見どころで、イライラしつつじっと我慢。根本宗子の舞台のことはまったく知らないが、4組、8人の男女はかなり特殊で、OLやサラリーマンは一人も登場せず、全員不安定な自由業系。各カップルのグダグダしたやりとりはみな室内で進行、あげく破れ鍋に綴じ蓋の伝で、世は事もなし。女優の方々、お疲れ様。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
相当に面白い。人間観察とキャラ造形がいい。BL好きとか気のおけないゲイの友人がいたらと思う女性に冷や水をぶっかけるような悪魔的千葉雄大とか。また「男たちの挽歌2」以来の、米飯への愛をかきたてる映画。ただラスト十数分、宇都宮釣り天井というか清順的セット解体というかメタ的大技繰り出して、しかし主人公らが回帰を志向するのに、ええーっと驚かされる。この、ええー、は半音下がる。超越しねえ!アイロニーの映画か。あとセックス(描写)はオンにすべきだったと。
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