映画専門家レビュー一覧

  • ブライアン・ウィルソン 約束の旅路

    • 映画監督

      宮崎大祐

      おそらくビーチ・ボーイズが全盛期をむかえる前から天使と悪魔が飛び交う冥界をのぞきこんでしまっていたブライアン・ウィルソンの、当時から今にいたるまで変わらないうつろなまなざしを見ているとどうにも胸がしめつけられるのだが、あれから60年近くの歳月が経ち、人間の領分をはるかに超えた天命を受け取ってしまったこの存在がそれを存命中にどうにかやり過ごし、友人や家族と散歩やドライブに出かけられる程度の日常を取り戻せた奇跡を思うと感動せずにはいられない。

  • キングメーカー 大統領を作った男

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      細部にこだわった作りと俳優陣の熱のこもった演技によって、まるで安っぽくなることなく、ハリウッド的なスケール感でわかりやすさとリアルさを両立させた間口の広いポリティカル・サスペンスを成立させており、制作体制における邦画との差を感じさせる一本。当時の韓国の政治を知らずとも楽しめる構成となっている一方で、実話ベースゆえの限界か、終盤はもやもやした展開が続きやや失速気味にも感じられたが、その辺りの問題も巧みな物語の収め方である程度はカバーできている。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      政策を問うたり、政治の腐敗を生真面目に追求する社会派映画の堅苦しさからは程遠く、陣取りゲームを遊ぶように、サスペンスフルに展開する本作はすこぶる面白い。大統領を目指す男の「影」となり、汚い仕事も請け負う選挙参謀を描くにあたり、文字通り影を多用した演出はわかりやすいが、むしろそれはどこまでも政治をゲームとして明快に語る本作の美徳の一つだ。この過剰な面白さは、こんなゲームのような選挙が果たして正しいのか、という選挙のあり方を最終的に問うてもいる。

    • 文筆業

      八幡橙

      まだ実話を基に、こんな映画を制作できるとは。金大中と、その選挙参謀だった人物をモデルに、複雑に絡み合う思惑と奇縁をソル・ギョングとイ・ソンギュンが熱く繊細に好演。綺麗事では済まされない政治の世界。その毒と薬の際どい匙加減を、巧みな脚本とスリリングかつ緩急たっぷりの演出(時代考証含め、画作りも秀逸)で描き切ったビョン・ソンヒョンに拍手を。政治と人、大義と本音、良心と欲。全篇対比の映画だが、特に「光と影」を浮き上がらせるライティングに注目。

  • ストーリー・オブ・マイ・ワイフ

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      妻の複雑な人間性と向き合えない夫の有害な男性性に焦点を当てることで、従来のファム・ファタールものとは異なる男女の関係性を描こうとしたと思しき試みは、ちょっとした目線の外し方や些細な仕草だけで男心をこれでもかとばかりに翻弄するレア・セドゥが、あまりにも完璧に夫を狂わせるファム・ファタールを体現してしまっているがゆえに、かえって失敗しているように思える。丸坊主でも笑ってしまうぐらいにイケメンのルイ・ガレルは、若く知的な間男として見事なハマりぶり。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      男を翻弄する役どころを演じたレア・セドゥの魅力に、良し悪しの大半がかかっているような作品だ。従来ならファム・ファタールと呼ばれていたであろうその役は、監督自らファム・ファタールの物語ではないと明言している通り、自覚的に現実的な一人の女性として描かれているだろう。しかし、女の現実的な側面を直視することなく、ミステリアスな謎を幻視する男は、女の不確かさに勝手に苦悩する。こうした本作の皮肉な構造は、映画における男女のロマンスの鋭い批評にもなっている。

    • 文筆業

      八幡橙

      運命か偶然か。奇妙な出会いによって結ばれた妻への?き消せぬ不安と疑念を、印象派の絵画を思わせる美しい映像と共にイルディコー・エニェディが繊細に映し出す。愛とは、夫婦とは、仕事と私生活の境とは――。1920年代から今も変わらぬ普遍の命題がリアルに響く。一方で監督が腐心したという、レア・セドゥ演じる妻をファム・ファタールとして描くまいという尽力が結果最後まで芯を?みにくいモヤモヤを生んだきらいも。波光満ちる海上をたゆたう、長尺ゆえの心地よさが魅力。

  • 野球部に花束を

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      パワハラNOの時代にバリバリ体育会系の高校野球部の話をやるなんて、なんと時代に逆行した(笑)。いや、パワハラの中にも豊かな人間関係があるという価値観だってあるとは思う。でもそれをやるなら、サバイブ出来なかった「脱落組」の痛みや怒りも描かなきゃ。一年生も二年生になったら同じパワハラ先輩になるというオチじゃ、結局全肯定にしか見えない。時代に合わせる必要はないけど、体育会体質を笑うなら、そこに本質的な批評がなければ。このバラエティ乗り、配信で十分では。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      ベタベタの昭和的感覚の高校野球部を目いっぱい誇張して描いている。こういう世界が珍妙なギャグでしかなくなったということなのか、あるいは甘酸っぱいロマンになってしまったということなのか。そんな余計なことばかり考えてしまった。現実の大谷翔平のプレイがフィクションをはるかに凌駕している今日、血沸き肉躍る野球映画はもう成立しないのかもしれない。還暦の小沢仁志が高校球児を演じるのも、ギャグというより、現実に対するフィクションの敗北と思えてきた。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      “高校球児”と一括りにするには無理ありすぎの面々を含む俳優陣と、個性派群像劇も得意な飯塚健監督が一丸となって紡ぐ、笑いさえ込み上げる野球部残酷物語だが、甲子園やレギュラーを懸けて争うスポ根ものの劇的さとは無縁。そこへ到るまでの練習の積み重ねこそが野球の神髄で、いつの時代も丸坊主を強いられる高校野球や、そんな暗黒期の反動もあってか、派手に個々をアピールしがちなプロのプレーの醍醐味も、そこに遡ると改めて気づかせてくれる、地に足ついた青春コメディ。

  • TANG タング

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      1カ月に3本の新作が公開される三木孝浩監督。本作は昨年公開の「夏への扉 -キミのいる未来へ-」に続くSF作品で、本作の成否によってはティーンムービーに加えて作家としてのもう一つの軸ができるかどうかの瀬戸際。にしては、「ショート・サーキット」を記憶している世代にとってはストーリーの新味が乏しい。また、人気芸人を芸人のキャラクターやコンビの関係性のままスクリーンに放り出す「日本のメジャー映画の病」がここでも。かまいたちが好きだからこそ耐え難い。

    • 映画評論家

      北川れい子

      どちらかと言えば、子供より大人向きの人間とロボットのバディムービーだが、それにしてはストーリーが幼稚で、他のキャラクターもコント並みの薄っぺら。錆びが目立つずんぐり型のロボットはそれなりに面白いが、二宮和也の主人公はいくらダメキャラと言っても無責任で歯がゆ過ぎ、実にもどかしい。そうなった原因というのがまたよくあるパターン。娯楽映画としてあなた任せで観ている分には楽しめるのだろうが、もう少しコクのある作品に仕上げてほしかった。ああ、もったいない。

    • 映画文筆系フリーライター。退役映写技師

      千浦僚

      二宮和也氏がいくつなのかちゃんとわかっていなかったのだが、もう永遠の二十代というイメージで、実際そういう見た目であることと、実は四十歳手前であってそういわれればそうかもということの変化球的落差がこの主人公そのもので、観てて、えっ弟じゃないの結婚してる男なの、おっ医者なの、あっ免許あるの、といちいち驚いたがその情報開示を通過するとまた彼はそのとおりに見えるのである。知らぬ間の成長譚に適役だった。また武田鉄矢氏の禍々しさには興奮させられた!

  • ウクライナから平和を叫ぶ Peace to You All

    • 映画評論家

      上島春彦

      この企画は映画としてどうこういう質のものではない。もちろん時宜にかなった仕上がりなので多くの方に見てほしい。ウクライナ領土問題の異なる立論を親ロシア側、ウクライナ側双方に取材し報告する写真家の活動記録。平和というのがいかに危ういバランスの上で成り立っているものか、この映画を見ればよく分かる。プーチン氏の領土的被害妄想は彼の出身がKGBだからなのだろうが、彼をもてはやした国際社会や政府の事なかれ主義にも責任はある。欺瞞的平和のありがたさを思う。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      ピスキ最後の住人であるソニャという老人女性のインタビュー部分では、彼女の話を聞いていくと、ふいに彼女にカメラを向ける撮影者も画面内に映し出される。その撮影者は、さらに彼女に答えさせていることを謝罪する。とくに遠く離れた日本において彼ら/彼女たちの悲痛の叫びは、ややもすれば情動的な受容に絡めとられそうになるところを、その撮影者の介入によってこの映画が作られたドラマではなく切り取られた現実であることを意識させる効果として機能しているように見えた。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      ユーロ加盟をのぞむウクライナ市民によって2013年に起きた大衆デモ・ユーロマイダンから今年ロシアがウクライナに侵攻するまでの流れを、親露・反露派両方の立場から描く。ユニークなのは監督が同じく親露・反露派を抱えるスロバキア人であることだ。大きなモノの一部として安寧に生きたいと願いながらも、自由を手にし独立した個でなければ生の意味などないという近代の十字架を背負った人類をもてあそび蹂躙する上からの純粋暴力にわれわれはどう立ち向かえばいいのだろうか。(採点不能)

  • とら男

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      実在の未解決事件をそれを追った元刑事主演で映画にするなんて発想、どこから生まれるのか。素人とプロ俳優の融合も演出力がなければ出来ない。これで肝心のドラマがもう少しちゃんとしてたら。相棒となる女子大生が再捜査する動機が弱いのはいいとして、捜査で行き詰まってなお続ける執着が分からない。迷宮入りの理由も不明で、再捜査の目的が分からない。あの犯人なら逮捕出来たのでは。警察の闇なら闇が垣間見えないと。それでも観るべきだと思う。刺激的過ぎた。だから勿体ない。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      人間はなんで生きるのか? 警察を退官したあとも、未解決事件への悔恨を抱き続ける男の姿を見ながら、そのことを考えずにはいられなかった。使命感なんてフィクションにすぎないかもしれないけれど、人はフィクションなしには生きられない。それも現実だ。このバディムービーが事件の真相に迫っているとも、十分な証拠がそろったとも言い難いが、真相解明へと突き動かされる一人の男の執念がただならぬものだということは伝わる。この映画には確かに人間が映っている。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      斬新なバディものに挑む意欲は感じるが、女子大生がメタセコイアに惹かれる理由も、それをきっかけに元刑事を焚きつけ警察ごっこに没入する動機も弱く、再捜査に臨むはしゃぎ気味の振る舞いが不謹慎に映る。“生きた化石”のごとき両者の共鳴のようなものも見えづらく、衝撃の事実の発覚でコンビが決裂する修羅場も、別れた相棒の熱意を知り元刑事が突き動かされる瞬間も、イマイチ情感に乏しい。実際の未解決事件に新たな切り口で踏み込むフィクションの構成に、一考の余地あり。

  • 裸足で鳴らしてみせろ

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      本作に限ったことではないが、PFFスカラシップなので書くけど、才能を育てるというのは自由に作らせることではなく、クオリティコントロールに責任を持つことだと思う。主人公二人の格闘は明らかに疑似セックスだが、なぜ彼らはその先に進まないのか。養母のための疑似旅行はやがて本当に行こうと、資金のために罪まで犯すのに。その曖昧さ、答えのなさをやりたいのだとしても、そこには作り手なりの論理が必要なのでは。それを経ずして世に出される作品は疑似自慰行為でしかない。

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