映画専門家レビュー一覧
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ワタシタチハニンゲンダ!
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脚本家、映画監督
井上淳一
観ている間ずっと怒りに震えていた。この国はどこまで外国人(欧米人除く)に対して残酷になれるのか。その差別的政策が在日朝鮮韓国人から綿々と受け継がれていたとは。自分はなぜ朝鮮学校無償化除外にNOの声を上げなかったのか。それだけじゃない。技能実習生、難民、入管もそう。ワタシタチハニンゲンダと外国人が言う。ならば、これを見て見ぬフリをしているワタシタチハニンゲンジャナイ。こういう映画こそ外国で上映し、この国の最低さを知らしめて欲しい。もうバレてるか。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
出入国管理局の被収容者に対する非人道的な処遇が問題になっているが、そもそも日本における外国人差別の根はどこにあるのか。高賛侑監督は朝鮮戦争を背景にGHQと政府が進めた戦後の逆コースにそれを求める。1949年の朝鮮人学校閉鎖令と51年の出入国管理令。在日韓国・朝鮮人に対する差別は、出稼ぎ労働者や難民といったニューカマーも被る。技能実習生や非正規滞在者に対する人権侵害を、この国の入管政策の流れに沿って明確に位置付けていて、説得力がある。
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映画評論家
服部香穂里
民を守るべきはずの法律を、体制側の都合で改変し、解釈をも歪め続けてきた日本近代史は、そのまま差別の歴史でもあるという忌むべき事実を、否応なく突きつけられる。未だ進展が滞る数々の問題を、過去と絡めながら一層深く理解するための教材としても、幅広い世代のあいだで活発な議論が生まれることを望む力篇でもある。差別し排除する側も人間であるグロテスクな恐ろしさや、その根底に潜む闇のようなものにまで踏み込めていたら、さらに傑作になっていたのではとも思う。
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セイント・フランシス
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米文学・文化研究
冨塚亮平
これをどう笑えばいいのか、一瞬戸惑った後クスリとさせられる。差別ネタとは別の形でタブー視されてきた生理や中絶をめぐるギャグをあえて当たり前のものとして提示し続けようとする挑戦的な演出に舌を巻く。ケリー・オサリヴァンが、説教臭さや悲壮感とは無縁の形で中絶を経た平凡な三十代ナニーの物語を軽やかな笑いとともに描き出せたのは、細部のディテールの圧倒的リアルさと、自虐に走ることも開き直ることもなく自己を客観視できる、知性に裏打ちされたユーモアゆえだろう。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
今まで映画ではあまり描かれず、描かれたとしても、笑いを誘うギャグや場を凍り付かせてしまうような事故のようなものとして、つまりは映画のストーリーを進めるためのネタとして扱われることの多かった、生理と出血という事柄を日常にある当然の悩みとして丁寧に描いていることが素晴らしい。そして生理と出血という悩みや困難は、あるとき別の人物の尿漏れという悩みと、下着の交換という行為で繋がり共有される。その瞬間に生まれる連帯のこれ以上のない美しさ。
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文筆業
八幡橙
主人公の名前が同じ「ブリジット・ジョーンズの日記」をはじめ30代独身女性の抱えるあれこれを綴る作品は数多あれど、ここまで本音に忠実で、芯を喰った映画は初めて観た。主演&脚本のケリー・オサリヴァンの実体験に基づく、生理や中絶、避妊や時限付きの出産への圧力など、女が背負う理不尽が、延々止まらぬブリジットの出血とともに象徴的に描出される。世間の期待する像と、自身の心の乖離。その切実さに加え、異なる価値観を共存させんとする花火の日のエピソードも忘れ難し。
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新章パリ・オペラ座 特別なシーズンの始まり
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
久々にみんなが再会した時の嬉しそうな顔ったらない。コロナになって、人と会わない時間がどれだけキツかったか、分かる。稽古が始まって体を動かし始めると、だんだんのめり込んでいって、何も見えなくなる感じもいい。ダンスしかないって人たちの愚直なまでのストイックさが胸を打つ。何度も何度も同じ動きを繰り返して、足がつらいとこぼし合う彼女らの楽しそうなこと。散々稽古して、無観客になってしまったときのみんなの落胆した顔。いろんな顔を丁寧に捉えている。
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文筆家/女優
唾蓮みどり
コロナ時代の舞台芸術表現の物語でもあり、とても興味深い。カメラが近くで捉えるバレエダンサーたちの身体的な美しさや筋肉のしなやかさ、その動きにとにかく見入ってしまう。これまでのように表現ができないことがどれだけ肉体に、精神に影響するか。オペラ座閉鎖から、さらに公演中止、ライブ配信をするまでの軌跡を辿りながらも、バレエ界に限った話ではなく、ものづくりにおける普遍的な要素も多く面白い。歴史的な一幕が73分に凝縮されていて非常に見応えがあった。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
コロナ禍で多くのものの存続が危ぶまれるようになったが、パリ・オペラ座も例外ではない。オペラ座を続けるには、まずは練習にリハーサル。公演こそがその存在意義だからである。最悪、無観客でも配信でつなぎ、ついに1年半ぶりの有観客公演へ。さて、オペラ座では再開後に2人のエトワールが誕生した。映画のラストでこう2度も任命式が続けられると、この任命の儀式こそ観客が待ち望んだもので、バレエ以上のスペクタクルに見える。オペラ座の存続に必須なのはこの階級制なのだ。
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あいたくて あいたくて あいたくて
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
冒頭で観客に予想させる熟年2人のロマンスは、しかし一向に駆動することはなく、それぞれのそれなりに複雑ではあるけれどありきたりな生活が、まるで家族や友人の一員のように被写体から近いカメラによって丁寧に描写されていく。日常のやりとりと肉体関係のあっけないほどの近さをこれほど自然に捉えることができるのも、ピンク映画出身のいまおか監督ならでは。個人的にはこの作品世界に魅了される要素は一つもないけれど、的確な尺の短さも含めて欠点らしい欠点がない。
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映画評論家
北川れい子
このところ、生活感のある等身大仕立てのいまおかしんじ映画が目立つ。脚本・監督作以外にも、脚本家、監督としての作品があり、さらに 「激怒」では俳優として顔を出している。近々公開の監督作「神田川のふたり」も成り行き狙いの長回し。本作はひょんなことからネットでやり取りをする中年男女のすれ違いドラマで、互いに会ったことはないが、実は彼らは何度も道ですれ違っている。2人をめぐる、どうってことのないリアルなエピソードはこの監督の持ち味なのだろうが、チト食傷。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
丸純子さんの可愛らしさがちょっとジェニファー・コネリー級で衝撃的。二十歳くらいの年の娘がある女性の役ということもはっきりしてるしその年齢相応の様子でしかし可愛い。いまおかしんじ監督作品の日常自然体描写の生活感を生きるヒロインは、監督自身の加齢に応じてだんだん年齢があがってきている感じで、もうこれは本来ポルノ的企画であったとしても、男性が女性のセクシャルさを窃視する、搾取することを越えて、年配のひとの恋愛とセックスを捉えた映画になっている。
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遠くへ,もっと遠くへ
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脚本家、映画監督
井上淳一
「花恋」へのカウンターだった脚本作に続き、監督作は「ドライブ・マイ・カー」へのカウンター。小さな話を大きく映画的に見せる秘密を教えて欲しい。役者に不自然な動きをさせているのに自然という離れ業。女の話から男の話への流れるような展開。元妻探しの赤い車での旅はやがて北海道へ。そしてまさかの樺太。一見無駄に見えるものが無駄ではないという台詞と構成。脚本、誰かと思ったら、井土紀州。オリジナルなのだから冒頭に脚本家名をクレジットしてほしかった。それだけが残念。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
喪失感を抱えた女と男の不器用な出会い。同時公開の「あいたくて あいたくて あいたくて」と同じ主題であり、この作品の新藤まなみと吉村界人もまた、どうにももどかしく、どうにも切ない。いまおかしんじ的世界の女と男である。健気に振る舞う新藤と、過去をひきずる吉村。北海道への旅やシャワーカーテン越しの妻との再会は「パリ、テキサス」そのものだけど、豆粒のようにとらえた人物の絶え間ない身振りと、その背後に大きくとらえた海や川の光景が、じわじわと胸に浸みてくる。
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映画評論家
服部香穂里
配偶者と不本意なかたちで破局した男女が急接近する前半は、振り切った陰と陽のコントラストを織り成すキャラクター同士の掛け合いも、スクリューボール・コメディ調で軽妙。ロードムービーに移行する後半では一転、「パリ、テキサス」を思い起こしたりもする失踪中の妻との邂逅シーンを境に不穏な気配が舞い込み、満を持してのラブシーンにも、どことなく乾いた空気が漂う。その答え合わせらしきものも台詞でされるが、ふたりの感情の糸がもつれたままにも見え、曖昧な余韻が残った。
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時代革命
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米文学・文化研究
冨塚亮平
火炎瓶をめぐる若者たちのやり取りや後半の大学を舞台にした展開はどこかかつての「パルチザン前史」を想起させる一方、政府から存在を特定されないため顔を隠した抵抗者たちが、アプリを駆使してその都度集合離散する闘争のスタイルは、カリスマ的人物の不在とともにきわめて現代的なものだ。特定の人物のドラマに肉迫するよりは、遍在するカメラによってノーバディとしての市民たちが組織する運動の全体像に焦点を当てようとする、そうした現状を反映した構成の切実さが胸に迫る。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
2019年、香港で起こった民主化を求める大規模な運動は、多くの者が指摘するようにリーダーがいない。立法会を占拠したデモ隊の知り合いに、危険だから退去しようと説得した名もなき女性の言葉がなによりも胸を打つ事実が、そんなデモのあり方を的確に物語っているだろう。また、運動を俯瞰的にとらえたり、中心的な視点を持つカメラも本作には存在しない。事態がどのように進展しているかも定かではなく、ひたすらに権力とぶつかる市井の人々を延々と映し出す150分強。
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文筆業
八幡橙
2019年に起こった、香港大規模デモ。ニュース映像だけでは知り得ない、その渦中にいた老若男女入り混じる“香港人”たちの自由を守りぬくための死闘に、改めて胸抉られる。香港警察による一般市民へのあまりに非道な制圧は、まさに地獄絵図だが、絶望の果てでも世代を超えて思いやり、共闘する人間の姿に何より打たれた。上空より俯瞰で捉える“水になる”作戦と、汚物にまみれ下水を這う地の底からの目線。多角的に捉えられた香港の姿に、今、己の革命とは何か、自責とともに問う。
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ブライアン・ウィルソン 約束の旅路
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映画評論家
上島春彦
知らない人はいないだろうが、このお方は単に一グループの音楽的リーダーに留まらず、ある時代の音楽的気分や志向性を独力で創造してきた。幻覚的なテレミン奏法とか浮遊感あふれる旋律と編曲コーラスの相互作用とか。日本にはビーチ・ボーイズの追従者は現れなかったもののグループ・サウンズの音楽の基底に影響は歴然。本作は人気の絶頂で突然ステージから降りた事情をブライアン本人の言葉で語る好企画。長年の友人であるインタビュアーのアシスタンスが心地よい成果となった。
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映画執筆家
児玉美月
ブライアン・ウィルソンについてはまったく知らない状態での鑑賞。立て続けに観ていたアメリカのアーティストの自伝映画やドキュメンタリー映画のほとんどが酒やドラッグでの凋落のストーリーだったからか、違う趣向からの作品でその意味で新鮮に観た。ウィルソンへの愛に溢れているのは重々伝わってくるものの、唯一心を開いているという編集者との車内での対話が一つの主軸で語られていき、ややハイコンテクストでもあり、彼を知るための作品ではなくファン向けのように思えた。
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