映画専門家レビュー一覧
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リフレクション
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映画監督
宮崎大祐
頑強なフィックス・カメラによる一枚絵がウクライナの現実を観客として見よとばかりに迫ってくる。しかしこれはあくまでフィクションであり現実ではない。いや現実か。いくつかのシーンにモザイクがかけられていた。己が直面するこの世界の酷薄さを命懸けで表現しようとしている人々の訴えに対して無情にもモザイクをほどこし蓋をするどこかの誰かの感性こそが非倫理的であり野蛮であるということを認めるところからしかわたしたちはウクライナ問題に近づけないのかもしれない。
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アトランティス(2019)
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米文学・文化研究
冨塚亮平
撮影・編集を兼務する監督のこだわりが隅々まで行き届いた、ワンシーンワンカットで距離を置いた対象をしばしば正面から捉える画面構成は、美的な意図と共に、直視し難い光景を観客の目に焼きつけるために選ばれた方法だろう。加えて、二度現れるサーモグラフィーを用いた場面では、赤外線が示す色の視覚的変化を通して、悲惨な状況をドキュメンタリー風に切り取る科学的で即物的な視線と、それでもこの場所で生き続けようとする主人公の微かな希望とが、見事に交差させられている。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
固定カメラかつワンシーンワンカットで基本構成される画面作りと同じく、語られることも極めてシンプルで力強い。登場人物は皆、延々と作業する者、あるいは作業まで待機する者である。画面には彼らにはどうしようもないほど巨大なスケールのものが常に映り込んでいる。彼らの作業とは、戦後の土地や亡くなった兵士たちの処理だ。その作業と待機の時間をカットを割って省略、効率的に描くことを厳しく禁じる本作は、私たちに戦争のあとに残る途方もなさをただただ伝えている。
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文筆業
八幡橙
定点から一定の距離を保って静かに対象を見つめる長回しのカメラ。その目が見つめるのは、あちこちに地雷が埋められ、そこここに死体が転がり、かつてその場に豊かな暮らしがあったことが信じられないほど灰にまみれた誰もいない家々が点在するウクライナの姿だ。現実の「今」と、ロシアとの戦争終結一年後とされる2025年という時代設定の重なりが加速させる悲痛よ。遺体を回収する女性が語った言葉や、生と死が如実に交錯する終局のシーンに、未来へ繋ぐ思いが仄かに見える。
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神は見返りを求める
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
一見、「意識の性差ギャップ」という初期のモチーフに??田恵輔が回帰したかと思わせる本作だが、終始女性側に理があり、男性側には一瞬も共感を覚えなかった。なので、終盤の展開にはカタルシスよりも違和感が。とはいえ、細部までウェルメイドな??田恵輔作品の美点は健在で、国外含めユーチューバーを題材にした映画にろくな作品がなかった中、そこに一矢を報いたとは言えるだろう。お人好し男がムロツヨシ、イタい女が岸井ゆきの、というのはタイプキャスト過ぎると思ったが。
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映画評論家
北川れい子
男子小学生のなりたい職業の上位に、ユーチューバーがあるそうで、そうか、憧れの職業になっているのか。本作の岸井ゆきのは、フラフープや一輪車に乗ってものを食べている動画を流すのがせいぜいのユーチューバー。当然、誰も見ない。そんな彼女のために損得抜き、いや借金までして協力した男が、ついにぶち切れて彼女を狙い撃ちにした暴露系ユーチューバーに、というかなりエグいコメディで、きれいごとにも限界あり!! ??田監督が楽しんで撮っているのが窺えるネット狂騒曲である。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
自分はYouTubeをやるわけでもないしバズるとか炎上の経験なく、ちょこちょこ文章書くくらいで自己顕示が結構満腹なんで、たしかに見られる快感はわかるけども、そこまで頑張ってしまうこと自体にはヒヤヒヤする。岸井ゆきの氏は嫌な女演じてもかわいい。ところでムロツヨシ氏は悪人をやったほうがいい、それが見たいと思わせられた。本作のような怒りと復讐の由来や経緯がわかるものでなくもっと獣的な攻撃性のある怖い人、それこそ「ヒメアノ?ル」の森田みたいなキャラをと思った。
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母へ捧げる僕たちのアリア
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映画評論家
上島春彦
勝手にブラジル映画と勘違い。予備知識なしで見るのでこうなる。四兄弟のひ弱な末っ子が音楽の道を志すにいたる夏休みを描く。夏休み(&花火)映画にハズれなし。この基本設定のままで日本映画に出来そう。その際には、兄に一人麻薬の売人がいる、というのが変更になるわけだ。事実、私が気になったのはそこ。そういう社会派っぽい挿話が嫌な気分。私がヘンなのかな。ほのぼのした話にしたらいいのに、と思う。この逸脱のせいで音楽関連の部分が薄味になった。なので★は伸びず。
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映画執筆家
児玉美月
主人公の少年ヌールが不在となる兄弟たちの場面では、手前に遮蔽物を置いた窃視的な構図が何度か使われており、そこにこの映画がヌールの視点を通した彼と兄弟たちの物語であることがあらわれる。ラストショットでヌールが最後の瞬間に第四の壁を破ってカメラをまなざすのも、そうして不在の間にもつねに彼のまなざしが潜伏していたことを流露させるものに思える。よって主題は原題の意味と異なる邦題が含む「母」でも「アリア」でもなく、あくまで「兄弟たちと僕」の方なのだろう。
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映画監督
宮崎大祐
南仏の低所得者層の生活描写を見ているだけでもそれなりに発見と驚きがあることは確かだ。しかし近年のフランス映画はそれしか描くべきテーマがないのかというくらいこの主題を繰り返し反復しており、そこへきて本作は語りの面においても、貧しいムスリム系少年が「西洋様」の築き上げたハイ・カルチャーに憧れ、鍛錬を重ねるうちに自我を形成するという、これまた何度見たかもわからない隷属の類型をなぞっており、定型からこぼれ落ちた抵抗の口火が燃え上がるのを待ちわびていた。
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あなたの顔の前に
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米文学・文化研究
冨塚亮平
謎めいたタイトルは、イ・へヨン演じるサンオクの信仰を示すのみならず、より多義的な拡がりを持つ。とうとう自ら撮影をも担当したホン・サンスは、実験性を後退させ、これまでになくシンプルに俳優の演技に焦点を当てた長回しでサンオクと常連組クォン・へヒョの対話を捉えることで、自らの「顔の前」で今この瞬間に生起する心を震わせる光景をわれわれ観客の「顔の前」へと差し出し、「天国」へと結晶化しようとする。コロナ禍以後の現在をめぐる映画としても必見の新たな傑作。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
私の顔の前に存在する、しかし決して捉えることの出来ないこの世界の美しさを語る本作。それは登場人物が今なにを見て、どう感じているのかをカットバックよって誘導することを拒否するホン・サンス映画のメソッドの解説のようでもある。その捉えることの不可能な美しさは神の恵みと神秘的に呼ばれるが、映画が実際にやっていることは「息子に瓜二つ」と言いながら、顔が映らないように息子の彼女を撮り、瓜二つかどうかがわからない、みたいなことだったりするのがなんだか良い。
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文筆業
八幡橙
二回観て、この映画にはすべてがあると思った。「今」と「過去」、それから見通せる範囲のかすかな「未来」。三つの時間を同時に抱え、また人が生きる中で通過するあらゆる思い――哀切や郷愁やささやかな幸福や純度の高い愛や感謝やかすかな悔恨や鈍い痛みなど――をも同時に湛えた映画だと。ラスト、眠る妹を見つめる主人公を捉えた宗教画を思わせる荘厳なショット。そこで静かにカメラが引いて行く。監督得意のズームではなく。ホン・サンスは、遂にここまで来てしまったのだ。
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彼女たちの革命前夜
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
主人公の女の人は、女だからと軽く見られ、ムカついている。生きづらさを感じている。彼女は行動する人だ。ガンガン攻めていく。当然衝突もする。彼女の母親が、子供はどうするのと問う。旦那もそれは危険だと止める。確かに、彼女が全く正しいというわけではない。悩みに悩んで、それでも彼女が動き始めるシーンはグッとくる。最後、もうどうにも我慢ができなくなって、爆発する彼女たちのヤケっぱちの顔がいい。やりたいことをやり遂げた解放感に満ちている。
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文筆家/女優
唾蓮みどり
ミスコンに対してアンチを唱える70年代の女性たちの生き様。ルッキズムをここまではっきりとエンタメのなかで問題視してみせる姿勢にこちらの背筋もピンとなる。幼い娘がミスコン出場者の真似をしてポージングしているのを微笑ましいシーンとしてではなく、母親が懸念するシーンとして描くことにこの映画の強さを感じる。生きていく中であたりまえのように存在してきた女性蔑視。その怒りとどう向き合うかこの一瞬で考えさせられる。全然書き足りないけど、とにかく映画を見て!
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
美点は多くあるが、1つだけ挙げる。グリフィス「國民の創生」(15)以来、映画において劇場とは「出来事」が生起する場であり、視線が交錯し、サスペンスが醸成する場であったが、この映画はそうした伝統を脱臼させる。劇場でのコンテスト妨害が緊張感とは無縁の弛緩した場面として演出される。それゆえ、映画が提示してきた要素のすべてを統合する場面でありながら、どこか盛り上がりに欠けている。真の「出来事」は視線を逃れた舞台裏で、たとえば女子トイレで生じるわけである。
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イントロダクション
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
酒を飲むシーンがやたらおもろい。酔っ払って、グダグダになっていくのが、笑える。たわいない話の連続。描写はシンプルでそっけない。描かれない部分を想像しながら見ていくのは、面白かった。隙間を自分で埋めていく楽しみがある。不意に抱きしめるシーンがあって、心を揺さぶられた。何気ない芝居にグッとくるのは、緻密な計算があるからだろうと思う。カメラが突然カクカクと寄ったり引いたりするの、アレなんだろう。よくわからないけど、なんか面白い。
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文筆家/女優
唾蓮みどり
映画を見ながら「見えない、描かれていない」部分を想像するのは楽しいことである。だからこそ、何を見せるのかについて作り手の力量が問われる。何を映すか。何を語らせるのか。本作は切りはりのイメージを超えることはなく綿密に練られた脚本だとは到底思えない。とはいえ、ベルリン国際映画祭で脚本賞受賞とのこと。あくまで出演している役者たちのための映画なのだと感じた。映画が不親切であることはむしろ大歓迎なのだが、もっと挑発してほしいと感じた。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
前作「逃げた女」(20)では同じ話が繰り返されたが、今回繰り返されるのは「身振り」である。「抱きしめる」という身振りの変奏というわけだ。主人公はそのつど違う人物を抱きしめるのだが、最後に待っているのは彼が「抱きしめられる」瞬間である。つまり、1つの身振りの変奏の中に、その身振りを「される」ことまで含めるのが本作の主眼といえる。抱きしめられることなく、誰かを抱きしめることはできないからだ。なおS・ソクホは次作「あなたの顔の前に」にも抱擁の人として現れる。
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百年と希望
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脚本家、映画監督
井上淳一
比例代表は共産党に入れてきた。しかしこの映画はいただけない。「百年と希望」という大きな題名を付けるなら、共産党の黒歴史も描かないと。それをどう受け継ぎ、今があるのか。それなくして党は変わった、新世代には希望があると言われても。個人に対しても掘り下げがなく、薄ボンヤリした印象しか残らない。批判の刃は自身にも向けないと。志位体制に触れたくないのか。参院選のプロパガンダ映画でもいいが、それですらない。見事に何もない。なんか共産党に投票したくなくなった。
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