映画専門家レビュー一覧

  • PLAN75

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      プラン75が観念なのは承知しているが、制度を選ぶ人は具体。ならば人物配置はこれで良かったか。死を選ぶ人2人。制度側2人。死体処理の外国人労働者1人。その5人から観念=生産性のない者に生きる価値はない=この国の病理が浮かび上がらなければいけないのに、それがピントを結ばない。選択する人を何人か見せて、あとは倍賞千恵子と河合優実の話にした方が良かったのでは。内面の変化が何も見えない。河合のラストカットなんて意味不明だし。カンヌは何を評価したのだろう。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      甘美な政府広報、炊き出しの公園での勧誘活動、慇懃なコールセンター、身を委ねるしかない医療、経済効果を伝えるマスコミ……。我々の周囲に現実にあるものが一瞬にしてSF的ディストピアの装置になる。それが怖い。「楢山節考」が姥捨てを正当化するムラの論理と向き合うのに対し、この映画は姥捨てを正当化する国家の論理を冷徹に見据える。すでにそんな国家の論理はあちこちで露見していないか? システムの中に組み込まれた狂気を、早川千絵は淡々とした手つきで抉り出す。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      急激な高齢化が進行中の現状を踏まえた近未来的な題材であるが、衝撃の冒頭から、高齢者=社会的弱者とみなすアナクロな感覚も散見する。いかにも短篇向きの設定のオリジナル版から長篇として成立させるにあたり、想像豊かに話を膨らませたのに伴い、新たな消化不良を生んだ感も。表情や声色のニュアンスだけでショットの密度を格段に高める倍賞千恵子が、孤独や困窮だけでは決してない、老いとともに生きる女性の凜々しさや覚悟を体現し、描写の補完を寡黙かつ力強く担っている。

  • メタモルフォーゼの縁側

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      芦田愛菜が嫌いだった。というか子役が、芦田愛菜的なモノが、嫌いだった。しかし本作で一変。ずっと何者かだった芦田愛菜は、何者かになれるはずないと諦めている少女をなぜあんなにビビッドに演じられるのか。彼女もまた居心地の悪さを感じているのか。少女の変化は微かだが、映画的躍動は大きい。嫌味ではない抑制。脚本演出俳優すべて見事。これ、表現者はみんな泣くんじゃ。あれだけ嫌いだったものを好きにさせるなんて、映画ってスゴい。芦田愛菜のこの先をずっと見ていたい。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      何事にも自信のない女子高校生の自分探しの物語であり、そこから一歩踏み出す物語。芦田愛菜が独特のリアリティーをもって演じている。すでに少女ではないけれど、性的な魅力にあふれるというわけでもない。そんな中途半端な年ごろの感情を、実に理知的に表現している。ある時期の高峰秀子みたいで、稀有な女優だ。メンターとしての老婦人を演じる宮本信子もまた知性が嫌味なく出せる女優で、はまり役。二人が絡むことで、昨今の日本映画には稀な清潔なドラマになっている。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      世代こそ違えど、いい年齢の重ね方をしてきた女優同士が、満を持して再共演を果たす幸福感。ふたりが夢中になるBL作品の盛り上がる展開を、インパクト大の漫画カットを的確に選び凝縮して映し出すことで、家族にも理解されぬ趣味を分かち合う友情の醍醐味や、それを育む高揚感も追体験できる。いろいろと逃げてきたうららが初めて真剣に挑む設定の、原作者自身の手になる漫画が醸す深い味わいに、原作への敬意を最高の実写化で証明せんとする製作陣の、自信みなぎる気概も窺える。

  • 三姉妹(2020)

    • 映画評論家

      上島春彦

      強烈な家族映画で悲劇を喜劇に変換する演出手腕に感服する。宣伝ポスターに現れない末っ子(弟)が最重要人物とじわじわ分かる見事な構成。強固な家父長制とアルコール依存が問題の根底にあるのは、それ以前に分かっている。三姉妹が過去、弟とどう関わったかがポイントだ。ただし気になるのは次女が、かつての父親のような理不尽さを自身の家族(夫や子供)に対して発揮しているように見えかねないこと。本当はここが怖いのだが、そこは曖昧にするしかなかった。課題は未解決だ。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      そういう構造の映画だとはわかってはいても、いかに三人の女たちが不幸な人生を送っているかを入れ替わり立ち替わり語る終盤の種明かしまでが忍耐を求められる時間となってしまう。とはいえ、待ってましたと言わんばかりの一堂に会する山場には、さすがに落涙を禁じ得ない。個の不幸がそこで帰着せず、韓国社会における「父」の権威を維持せんとする強固な家父長主義へと見事に合流するのだ。だからこそ「父」は個人としての具体的な台詞=語りを持ち得ないまま内省を課されている。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      難病におかされた長女、宗教にすがる次女、表現活動が停滞する三女。現代人ならではの実存のあがきを抱えた三姉妹の孤独と再生がフレーミングとアクションを通じて丁寧に演出されている。フレーム外への不安を喚起するシングル・ショットの連続と人物の孤立感を強調するようなフル・ショットの連続によって構成される前半、切り返しとツーショットが増える中盤、そして複数人数が同時にうごめきはじめる後半。フレームの中に収まる人間が増えれば増えるほど映画が色づいていく。

  • エリザベス 女王陛下の微笑み

    • 映画監督/脚本家

      いまおかしんじ

      エリザベス女王の子どもの頃から今までの映像がちゃんあるってこと。それが決定的に良かった。それぞれの姿に時代が写っている。時間が写っている。見ていると彼女のお茶目なところがよく分かる。競馬に熱中して、飛び上がっちゃうとことか可愛くて仕方ない。沈鬱な表情は見せない。いつも明るく手を振って、握手して、毅然としている。シンドイところを隠して、明るく見せている彼女に心を動かされる。馬に乗っている時の楽しそうな顔。子どもの頃からずっとそれだけは変わらない。

    • 文筆家/女優

      唾蓮みどり

      テーマごとに分けられたエリザベス女王の映像。そこに多くの音楽重ねられ、その映像を彩ってゆく。アーカイブドキュメタリーとして、ここまでよく映像を集めたなぁという純粋な驚きと、細やかな編集の仕方にも底意地のようなものが垣間見えてくる。ただ、そこから新たな物語が浮き上がってくることはなく、実在する“フィクション”としての女王像が大きく変わることはない。そういう意味での驚きは感じられなかった。ところで、「ノッティングヒルの恋人」は大好きでした。合掌。

    • 映画批評家、東京都立大助教

      須藤健太郎

      英国王室のプロパガンダに連なるこの映画が見せるのは変化よりも同一性だ。垂直に手を挙げて振る身振り、手を差しのべてなされる握手。だがなにより変わらないのは、目を見開いて、口角を上げたまま保つことで生まれる、あの独特の笑顔である。子どもの頃に身につけたものだと最後にわかる。1953年の戴冠式がテレビ中継されたことでも名高いエリザベスはメディア時代の申し子であり、膨大な視聴覚アーカイブに記録されている。本作はそこから手と顔の身振りを抽出した。

  • アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場 オリジナル・ディレクターズ・カット版

    • ライター

      石村加奈

      大岡昇平と親交が深かったという原作者のヴァイニョ・リンナ。なるほど、自身の戦争体験を踏まえた、兵士目線で描かれる戦争描写には、大岡の非戦への祈りに通じるところがある。「早くソ連兵を殺したい」と粋がる、冬戦争を知らない19歳の新人や、無線でしか状況を知らぬくせに、前線から撤退する歩兵隊に銃を向ける上司に対して、実際に戦う兵士たちは、迷い込んできた鼠にも親切だ。指に止まる蝶々にも優しい兵士の手が、嵌めたばかりの結婚指輪を外す悲しみに、胸が痛くなる。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      ヒューマニズムの衣を被ってはいるが、本作が煽る生臭いフィンランド愛国主義を見落としてはならない。家族を守るため、大切な農場を取り戻すためと純朴な大義を掲げ、観客を慰撫してくるが、要するにカレリア地方をめぐる領土争奪戦だ。日本でも北方領土を武力で奪回しようなどと口走る政治家が出てくるご時世。北欧の優等生が愛国映画を作るのも仕方ないのか。だが兵士たちの顔つきよし、火薬の量は圧倒的で、豪快な活劇を見たという手応え。このジレンマは難しい問題だ。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      第2次大戦中、フィンランドはソ連に侵略された領土奪還のためにドイツと共闘。この解放の戦争を描いて、悲壮感とか愛国精神がないのが助かる。塹壕を駆け回り、トーチカを攻撃しと、これまで何度見たかという戦闘場面が展開され。インテリ風の小隊長とかタフな伍長とか人物描写もお約束で。安定した戦場映画の印象。だけど全体に疲労感が漂う。結局ソ連に(自分たちも)侵略し、逆襲されて敗退する。苦い。国民映画の趣きも感じるが、底にあるのは厭戦だ。独軍が出ないのはなぜ?

  • ALIVEHOON アライブフーン

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      最後までドリフトレースの勝敗基準が分からなかった。だからいくら車の走りをカッコよく撮っても、映画的カタルシスに繋がらない。ハリウッドはちゃんと説明するけど。ルーティンが悪い訳ではないが、人物も展開もルーティン過ぎて魅力がない。ルーティンを積み重ねて、定番から逸脱した感動を生み出さないと。ハリウッドはそこも上手い。みんな、なんでそれを勉強しないのか。マーヴェリックの時代にトップガン以前に留まっていては。何百分の一の予算で勝負するなら、中身でしないと。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      レースシーンが生々しい。ドリフトという競技に焦点を絞り、これをいかにリアルに撮るかに注力したからだろう。車と車がギリギリまで接近するスリルも、強烈なGがかかるコックピットのドライバーの表情も真に迫っている。レースカーのエンジン音に臨場感があり、タイヤの焦げる匂いまで伝わってきそう。貧乏なレーシングチームを内向的なゲーマーが救うというドラマは定型的だが、弱きが強きをくじくというスポーツ映画のツボを押さえていて痛快。ラストも西部劇みたいだ。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      天才ゲーマーが実世界でも頂点を目指す少年漫画のようなストーリーに既視感はあるが、日本発祥の唯一のモータースポーツという割には馴染みの薄い“ドリフト”の魅力を、臨場感たっぷりに押し出すことを最優先させた潔さが奏功。監修も務める土屋圭市氏自らナチュラルに演じる競技の解説場面も、「ピッチ・パーフェクト」シリーズの名物審査員コンビのごとき辛辣なユーモアが利いて、観ている側まで身体に力が入ってしまう緊迫のカーアクションが続く中、程よい緩急を生んでいる。

  • クラウディ・マウンテン

    • 映画評論家

      上島春彦

      中国が大作でこの手の映画を作るのは人民を洗脳するのが目的であり、海外市場向けじゃない。面白いので必見だが、従って評価は出来ない。そもそも少数民族の山岳地域に検査もちゃんとせず勝手にトンネルを掘り、そのせいで岩が割れて大洪水になると住民を強制避難させ「中国共産党はお前らを見捨てない」などと。どういう理屈なんだ。技術もないくせに高速鉄道など作るな、と私は言いたい。こういう時、少数民族は泣きわめくだけだから歌でも歌わせとけ、という含意にも腹が立つ。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      ディザスター映画にとって肝心のスペクタクルパートはインパクトがない。回想や落下の描写の映像技法にも意匠を凝らす気がない。ドラマパートはベタでお決まりの展開しかない。役者それぞれの芝居も紋切り型のキャラクターを一般的な手法で演じているに過ぎない。であるならばこの映画のどこに魅力を見出していくべきなのか途方に暮れてしまった。大文字の他者のために命を賭ける個人の犠牲を賛美するような思想の映画も、この時代に観ればカタルシスよりも危うさが先んじてしまう。

2721 - 2740件表示/全11455件

今日は映画何の日?

注目記事