映画専門家レビュー一覧
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ローグ
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
あたかもシリーズ作品かのようにキャラクターの背景説明や状況描写もないまま、冒頭から30分近く延々とのっぺりとしたアクションシーンが続くのを呆然と眺めながら、もしかしたら新しいストーリーテリングにチャレンジしているのかもと好意的に解釈しようとも思ったのだが、M・J・バセット、どうやらただの天然だ。エンディング・クレジットで取ってつけたような問題提起がされるのだが、それが専門書や専門家の言葉の引用ではなく、監督本人の文章なのにもずっこけた。
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ライター
石村加奈
ミーガン・フォックス扮するサムの敵が、アフリカのテロリストなのか、ライオンなのか? はたまた世の男性なのか? 判然とせぬまま、固唾を飲みつつ、迫力のアクションを見守っていたが、冒頭のシークエンスまできっちり回収して後味スッキリ。M・J・バセット監督の目的は、密猟者の拠点となる、ライオンの繁殖場に対する問題提起だったようだが、雌ライオンを筆頭に、サム、人質の学生アシリアとテッサ、群れない女たちの強さが、監督の思いを観客に訴えかけるパワーとなった。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
東アフリカ、誘拐された知事の娘の奪還に成功した傭兵チームは、犯人グループに追撃され、ある敷地の家に逃げ込むが、そこには……。というプロットに「サイコ」や「フロム・ダスク・ティル・ドーン」のような後半から違うジャンルに変化するトンデモ作品を期待したが、前半の流れを中途半端に組み込む想定内の展開に。闇夜に浮かび上がる象の群れは美しく神秘的だったが、肝心のライオンはCG丸わかりで迫力に欠けた。ミーガン・フォックスのボスぶりは意外とハマっていた。
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海辺の彼女たち
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フリーライター
須永貴子
取材を元にしたドラマには、リアルをそのまま映し出すドキュメンタリーとはまた違う力があることを証明する力作。本作の場合は、日本で失踪した外国人技能実習生の証言を元にしているため、ドラマにすることで、より真実に近づくことができる。この作品のためにヴェトナムでキャスティングされた3人のヴェトナム人女優の、異国の地で生きる同胞に寄り添う演技の功績も大。移民や弱者の物語として、「ミナリ」や「ノマドランド」と比べて遜色のない出来。つまり、世界レベル。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
こんな彼女たちが世界にどれくらいいるんだろうか。膨大な数に上るであろうこんな彼女たちの命が、燃えることなく燻っている。彼女たちの諦めの表情が胸にぐいぐいと迫ってくる。彼女たちは怒らない。叫ばない。泣かない。いや、一度だけ涙を流す。ただ淡々と生きている。妊娠したフォンは超音波映像の胎児を見て、「小さい」と微笑みながら涙を流す。産めないことをもう知っているのだろう。病院帰りの硬い表情のフォンをカメラが延々と追う。ああ、これこそ映画なのだ。
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映画評論家
吉田広明
技能実習生として搾取され、逃げ出した先で孤立するヴェトナム人女性たちを描くが、映画はもっぱら彼女たち、その中でも妊娠によってさらに苦境に立たされる女性に密着しており、その閉塞的な視点がリアルと言えばリアルだが、彼女らを援助しつつ搾取もするヴェトナム人中間組織が現れるばかりで、彼女らの状況を生み出している根本、外国人を安価な労働力としかみなさず、本気で自分たちの社会に受け入れようとしない日本という国の閉鎖性まで迫っていかないのには不満がある。
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過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道
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フリーライター
須永貴子
ジャック・ケルアックの『路上』Tシャツを着た80歳のカメラマンが、東京のあちこちでスナップを撮りまくる。その姿と彼の写真に重ねるように何度もインサートされるのは、彼の代表作でありポートレートとされている、野良犬のモノクロ写真。70年代のスランプを脱してから「考えるのを止めた」森山の本能的な写真術の本質に、ジャズやラテンなど様々なジャンルの血湧き肉躍る楽曲が最高にフィットしている。自宅でのオンライン試聴中に、いつの間にか踊りだしていた。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
森山大道さんは『On the Road』と描かれたTシャツを着て、カメラをぶら下げ街を歩く。そしていい被写体に出会うと、挨拶するみたいにカメラに収める。ジャック・ケルアックの小説『On the Road』=『路上』はヒッピー世代のバイブルで、映画にもなった。写真はブレていたりピンボケだったりするが、「写りゃいいんだ」と森山さんは気にもしない。ニエプスという発明家が撮った最古の写真が森山さんの魂に深く根を下ろしている。「光と影、それだけで十分だ」。
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映画評論家
吉田広明
ボケ、ブレで粒子を際立たせたり、ネガフレーム自体を表現に持ち込んだり、フィルムの物質性を露呈させる作風から、「光と影」という写真の根本に帰還し、被写体(街)との出会い=撮る行為そのものを写真とみなすあり方へ。この変化にはフィルムからデジタルへという媒体の転換が関わっているだろう。とするならば、本作でもう一つの軸となる写真集製作の、紙の物質性への拘泥はもはや森山にとって反動でしかないとも見える。その矛盾をどう考えるべきかもう少し突き詰めて欲しい。
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ビーチ・バム まじめに不真面目
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映画評論家
小野寺系
「KIDS/キッズ」「ガンモ」など90年代に若者の不安を表現したハーモニー・コリンだが、時代がスライドしたことで、題材はそのまま中年以降の危機に変化している。邦題が見事にテーマをとらえていて、純粋であるためにめちゃくちゃな存在であり続けることを自分に課す主人公の姿は、ある意味で修行僧の禁欲性を密かに湛えている。とはいえ、周囲に大迷惑をかける彼のような人物は、時代の中で「大いなる幻影」の貴族のごとく消えゆく運命にある。そんな種類の人々の断末魔が本作だ。
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映画評論家
きさらぎ尚
主人公の周りにスヌープ・ドッグら個性的な面々を配し、彼らはそれなりに楽しませてくれるが、やはり主役の詩人を演じるM・マコノヒーのスター性があっての物語。なのにこの詩人役は彼には役不足のようだ。そもそもこの詩人は天才の設定であり、滅茶苦茶な発想は創作の起源、破天荒な挙動も才能ゆえの業といった、お約束的なストーリーの構成に、後半はダレぎみ。酒を飲みどんちゃん騒ぎ繰り返すだけでは、one-trick ponyな芸人の芸を見せられているようで……。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
「ジェントルメン」と本作、奇しくも星取作品で主演が重なったマシュー・マコノヒーの荒ぶれた色気が全篇に渡って溢れており、破滅型作家役としては「バーフライ」のミッキー・ロークを髣髴させるも、映画が進むにつれその自由さは手が付けられないほど加速してゆき、他人の迷惑お構いなしに暴れ散らかす姿に段々と腹が立ってくるのだが、その先にある清々しさにはどうにも抗えない魅力があり、こんな駄文でまじめに小銭を稼いでいる自分が馬鹿馬鹿しく思えてきてしまう罪な映画だ。
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ハイゼ家 百年
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
一家族の完全にプライベートな物語を大きな国家の歴史に照射する。個人が一度頭の中で描いた想いや思考や意思を、手紙や手記という形で文章化したものをさらに淡々と内省的に音読していく。そもそも手紙や手記とは内面を文字によって変換したもので、目に見えない感情を視覚化した感情の痕跡だ。現在のベルリンの街角や強制収容所、郊外の風景、そしてその場の自然音にモノローグが重ねられる。ドイツ・ゲルマンの見えない歴史そのものを、直接的な映像でなく、視覚化することに成功。
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フリーライター
藤木TDC
祖父母の恋愛時代に遡る百年の家族史と自分史を低予算で映画化するとこの形になる。親族の手記を延々朗読する意図は分かるが、字幕をひたすら追い続ける老眼客はかなり難儀する。またモンタージュされる現在の風景映像までモノクロにする必然性は理解できず、芸術風に見えるからとの理由なら安直だ。余暇がたっぷりあり勿体ぶった芸術体験を求める人向けのインスタレーションと思えば納得しうる出来なので、映画ではなく実演方式にしたほうが観客も緊張し含意が明確に伝わったろう。
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映画評論家
真魚八重子
いかにも最近の意欲作らしい、長尺の白黒、同じような風景を連続してつないだ演出は、観客に忍耐を強いる芸術映画の「やったるで!」感が溢れている。けれども監督が朗読する手紙や日記の内容が、興味を駆り立てるので思ったほど長さや苦痛は感じない。カメラはフィックスが多いものの、ハイスピードなど手法や変化が凝らされている。編集も意外にあっさりと切り替わるので刺激は続く。壮絶な時期を過ごした背景もあるが、非常に文化的、政治的な一族で、家族史としてサマになる。
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るろうに剣心 最終章 The Final
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映画評論家
北川れい子
アクション演出に“ツンのめり”状態の大友監督。いや、アクションはこのシリーズの最大のウリである。エキストラをふんだんに使った、なだれ込むような勢いのあるアクション。枝と間でぶつかり合う1対1の勝負もしっかり緊張感を誘う。けれども肝心のストーリーが各アクションに押し流されているようで、観ているこちらはチリヂリ、バラバラに浮いている多様な人物やエピソードをせっせとかき集め……。思えばシリーズ第1作目は、アクションとドラマがシンプルに一体化していたっけ。
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編集者、ライター
佐野亨
シリーズ完走したが、結局最後までノレず。伊藤大輔のサイレント時代劇に想を得た谷垣健治監修のアクションは、群舞としてはそれなりに見せるが、そもそも力の強い奴が刀をひと振りすると30人くらいが一斉に倒れるような世界観においては細部のロジックなど望むべくもなく、ただの肉弾戦の繰り返しに早々飽きてしまう。また、大友啓史監督のリアリティ志向は「影裏」のような作品では効果を発揮するが、ここでは背景と作風の乖離を生んでいる。「暗い過去」の描写も類型的。
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詩人、映画監督
福間健二
西南の役「戦後」の東京の各所を上海マフィアが襲撃する。首謀者、実は日本人の武器商人で、個人的な復讐が動機。この荒唐無稽が現在のどこに通じるか。少しは考えてくれと言いたくなった。線の細い佐藤健演じる剣心のヒーロー性はここでも鮮度ありだが、明かされる過去は理不尽に悲しいだけ。大友監督のセンス、橋本創の美術のエグ味に、アクション監督は香港仕込みの谷垣健治。総じて、過剰さが、武井咲演じる師範代と門下の励む、人の心を活かすという剣法そのものを活かさない。
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SNS 少女たちの10日間
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映画評論家
小野寺系
SNSで10代少女を狙う性犯罪予備軍を、逆に“フィッシング”する試みは、おとり捜査ミッションを題材としたTV番組のよう。とはいえ題材が際どいため、配信か映画でなければ公開が難しいのも分かる。どんな人物が子どもを毒牙にかけようとしているか、どのように子どもが騙されるのかのメカニズムを知るのに参考になるのも事実だ。しかし、製作者側も徐々にエスカレートしていき、わざわざダミーのヌード写真を作成して餌に使うなど、一線を踏み越えているのではと感じる部分も。
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映画評論家
きさらぎ尚
SNSの闇は想像していたが、この映画が記録したあられもない映像を見ると、リアル社会の「病み」に不快感MAX、戦慄する。主題はさておき、撮影スタジオに手際よく建て付けられていく少女の部屋のセット。メイクや衣裳により、3人の女優がたちまち12歳の女の子に。撮影用の偽アカウント開設を含め仕組まれたフェイクだったはずが、あらら。見ている間にいつしかなりすました少女によるカラフルなリアリティショーに思え、自分が観客にさせられている気分に。一本取られた。
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