映画専門家レビュー一覧
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カフェ・ソサエティ
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TVプロデューサー
山口剛
アレンも80歳を越え、かつての実験精神は薄れたが、今一番楽しめる映画の作り手だ。アレンの分身のチビのユダヤ青年がハリウッドで大物プロデューサーの使い走りになる。『何がサミーを走らせるのか?』かと思いきや、彼の成功の場は映画界ではない。30年代、黄金時代のハリウッド、ギャングエイジのニューヨーク、いつもながらのノスタルジックな世界だ。J・アイゼンバーグ、若き日のアレンを彷彿させる。心地よいスイングジャズに乗って至福の時間が約束される。
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ノー・エスケープ 自由への国境
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翻訳家
篠儀直子
メキシコ国境近くを舞台にした不法移民をめぐる話だから、政治的メッセージが強烈に出ている映画と思われるかもだが、物語を骨組みだけにしてしまえば、実はキャンプ中の若者たちが殺人鬼に襲われるホラー映画と同じ仕組みである(次に犠牲になるのが誰かをだいたい予想できる点も同じ)。とはいえ、西部劇を思わせる風景のなかで話が展開されること自体に、高い批評性を見出さずにはいられない。そしてまさにこのアメリカ的ランドスケープこそが、めざましく劇的な演出効果を上げる。
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映画監督
内藤誠
冒頭、十六人のメキシコ人たちがアメリカへの越境を試みる車で聖書の出エジプト記のことを口にするが、モーセに匹敵する指導者はいない。だからジェフリー・ディーン・モーガン演じる帰還米兵らしい男が銃を手に猟犬を連れて、「ここは俺の国だ!」と喚きながら、発砲してくると、次々に血しぶきをあげて倒れていく。その殺戮描写は、実に残酷で、これがメキシコ人スタッフのイメージするトランプ支持派のアメリカ人像かとおもうと、もはや娯楽映画の範囲を超えて、うすら寒い気分に。
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ライター
平田裕介
トランプによって壁と密入国者が取り沙汰される現在ならではといえる設定と物語ではある。ただ、主人公が国境越えに命を張る理由は提示されるのだが、密入国者狩りに執心する襲撃者の背景を浮き上がらせない。かといって、それによって正体も動機も不明な不気味さが出ているわけでもなし。ドキュメント「カルテル・ランド」に出てくる米側自警団の個人版みたいなキャラだとは想像がつくが、コイツの密入国者に対する怨嗟などのあれこれも明確にしたほうがスリルに拍車が掛かったはず。
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帝一の國
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評論家
上野昻志
原作は読んでいないが、マンガだったら面白く読めるのだろうと、映画を見ながら思った。というのも、ここまで徹底して類型的な人物を活かすのには、付随的なエピソードを含めて、叙述に相当な分量を必要とするからだ。マンガなら何ページも使って、それができる。だが、映画では、尺数の関係もあり圧縮せざるを得ない。そうなると、類型的であればあるほど、人物の薄っぺらさが際立ってしまう。だから原作を読んだ人には、それを踏まえて見る面白さもあろうが、素で付き合うのは辛い。
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映画評論家
上島春彦
この生徒会選挙運動映画という大真面目なホラ話に痺れる。絵に描いたような正義漢があくまで脇役で、ライバル関係にある主人公二人、菅田と野村がどっちも「ろくなもんじゃない」という構造が秀逸。いわゆる権謀術数というヤツ、「どこまで相手をおとしめられるか」のみが問題なのだ。現代日本の政治体制云々を連想するのは野暮で、あくまで冗談だからいいのよ。文化祭の和太鼓パフォーマンスとか、菅田の相棒のメカおたくとか細部の充実ぶりも特筆もの。マイムマイム事変にゃ大笑い。
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映画評論家
モルモット吉田
鈴木則文が「ドカベン」で実践したように漫画実写化は表情から動きまで如何に再現するかが重要だが、その方法論を理想的に発展。役が固定化しかけていた菅田に跳んだ役を振ったおかげで全篇を全力で演じて引っ張るが、間宮の〈妖演〉も良い。「ちょっと今から仕事やめてくる」同様に吉田鋼太郎の怪演も支柱になっている。「小説・吉田学校」を超える政治闘争劇を堪能。演技や世界観が大仰な分、演出は抑制されているのも好感。この布陣なら加藤諒を迎えて『パタリロ!』も出来そう。
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無限の住人
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評論家
上野昻志
まあ木村拓哉も、隻眼、顔に刀傷をつけてのチャンバラ・アクション、よく頑張っている。その周りを、仔犬のように、といっちゃ可愛そうだが、赤い着物で走り回っている杉咲花も、柄にあっている。だが、わたしが一番感心したのは、虚無僧姿で登場する市川海老蔵の声だ。歌舞伎役者だから当然と言われるかもしれぬが、この役のために声を作っているのだ。それに較べると、敵役の代表に扮した福士蒼汰の声は、地声のままか、いかにも弱い。ただ、人の数をやたら多くするのはどうかね?
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映画評論家
上島春彦
監督のノーテンキが良い方向に出た。冗談に近い大殺陣が痛快なのだ。丹下左膳というより無用ノ介みたいな隻眼の浪人木村が仇討ちに加勢する、というのが物語のメインで、この人「体内に仕込まれたヘンな虫のため絶対死なないはず」という設定。まあこの世に「絶対」はない。瀕死のボロボロ状態を何度も経験し、要するに浪人が意外と弱いのがミソ。最終対決相手福士の仕官話というサブストーリーが良く、罠と復讐の波状攻撃がごっちゃに混ざるややこしい作りをスマートに演出する。
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映画評論家
モルモット吉田
原作は未読。丹下左膳を黒澤時代劇風にやるのかと思ったが、残虐描写も「用心棒」同様の手首切断ぐらいでは物足りない。無国籍風だけに戸田恵梨香の衣裳以外の官能不足も含め、ジャンゴ的なノリが三池映画ならもっと欲しくなる。主人公が自然治癒能力を持つせいか、簡単にやられてしまうが絶対絶命に陥らないと分かっている話に140分は長い。「湯で沸かす~」で好演した杉咲は甲高い声で叫んでいるばかりで、木村の一本調子の声と共に久々に〈声が悪い〉と思わせる映画を観た。
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マスタード・チョコレート
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映画評論家
北川れい子
ヘエーッ、原作マンガは文化庁のメディア芸術祭マンガ部門新人賞を受賞しているんだ。けれども映画はザンネンとしか言いようがない。不器用で人付き合いが苦手な高3娘という、ある種パターンというか、流行(!?)の主人公キャラといい、美大を目指す彼女が通う美術予備校の学生たちの幼稚さといい、ホスト予備軍のような講師たちといい、実に薄っぺらで他愛がない。主人公など最初から最後まで中2のイメージ。彼女が進学した大学はムサ美(武蔵野美大)。恋と友情の溜まり場?
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
全国に数人はいると思われる二十歳以下キネ旬読者に言いたい。世の中にあふれる、恋愛を他に代えがたい至上のものとする物語のほとんどは作り手が新たな切り口を見出せないまま、きみたちの意識を蹂躙し、青春の可能性を狭め、そこから銭を拾おうとする洗脳と搾取の体系だと。若いうちに自身のなかに感動や夢中になるものを持てなかった人間は空疎だ。まずは個であれ。本作はそこをわかっているようだ。主人公のモテぶりは瀧波ユカリいうところの猛禽女子の自己弁護にも見えるが。
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映画評論家
松崎健夫
美術を題材にデッサンスケールが登場しているにも拘わらず、画面の上下左右に余白のある画角は若干ルーズ、そして被写界深度や照明を活用していないためフラットな印象。またカメラポジションが登場人物の〈目高〉であったり、〈煽り〉気味であったり、はたまた〈俯瞰〉気味だったりと統一感がなく、なぜか手持ち撮影の実景カットもあり、各ショットの意図が判り辛い。それらの要素が〈映画〉というよりも、どこかデジタル撮影された〈ビデオドラマ〉感を残している点が惜しまれる。
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トトとふたりの姉
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ルーマニアのロマ(ジプシー)社会にカメラが入った稀有なドキュメンタリーだ。彼らは、水道もガスも止まった共産主義時代の廃墟アパートを不法占拠して暮らし、ドラッグにはまっている。写っているのはまさにこの世の地獄だが、カメラの視線は子どもたちの目の高さにある。つまり、これを悲惨と名づける私たちよそ者の視線ではないのだ。彼らは地獄で暮らし、また地獄に慣れている。しかし、そんな彼らが別の生き方をしたいという意志を持つ過程にじっと目を向け続けている。
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脚本家
北里宇一郎
子どもを蔑ろにして生きた母親が、最後は子どもたちに必要とされなくなる。それだけ彼らは成長したわけだ。その軌跡がじっくり撮影されて。キャメラの前で平然とドラッグを吸う男たち。そのヤケッパチの荒んだ環境。そこからトトと次姉は抜け出した。その契機がヒップホップであり、デジカメというところに今が匂って。特にレンズに向かって自問自答する次姉、その表情が切なく健気で胸を打つ。特殊な社会状況下の青春ドキュメントと見せて、普遍の自立と出発を浮かび上がらせた秀作。
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映画ライター
中西愛子
10歳の少年トトと2人の姉。父は不明、母は麻薬売買で服役中の姉弟たちが、ドラッグがすぐそばにあるボロアパートでの生活から何とか身を立て直そうと格闘する。ルーマニアのロマ家族を映し出したドキュメンタリー。まるでフィクションのような近さでカメラは彼らをとらえていて驚く。運、あるいは心の強さが隔てた、この家族それぞれが辿る人生の明暗を監督が妙に冷静に見つめているから、一層ドラマを見ているよう。親の負を断ち切ること。このメッセージはシビアなほど明快だ。
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Don’t Blink ロバート・フランクの写した時代
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映像演出、映画評論
荻野洋一
著名人の人生をたどるドキュメンタリーは世界中で膨大な本数が作られているが、どれもこれも似たり寄ったりだ。プロフィール説明と密着系の手持ちカメラ映像が、観客を飽きさせないテンポで繋がれ、たいがいは取材対象の魅力に依存した作りになっている。本作もその手の1本と思いながら見始めた。ところが、このR・フランクのありようはどうだろう。孤独をたたえ、疲弊した顔貌は完全に映画の登場人物のそれだ。彼の意志、喜び、悲しみ、孤独が物語の過剰として立ちのぼる。
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脚本家
北里宇一郎
いかにもクセ者のカメラマン。その生きた軌跡を、彼自身が撮った映像作品の如くコラージュ風に構成して。その型破りの手法が刺激的ではある。もう見ているとこの作り手たちが彼にゾッコン惚れて、あふれるばかりの敬意を払ってることがよく分かる。だけど前号紹介の「ターシャ・テューダー」もそうだったけど、好きな人には分かるよね、みたいな幅の狭さも感じて。こちらはなんだかファンクラブの集いに紛れ込んだ部外者の心持ちに。ねえ、もう少し観客のことも考えて映画を作ってよ。
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映画ライター
中西愛子
若き日にスイスから単身ニューヨークに渡り、1958年に発表した写真集“アメリカンズ”の成功で、現代写真の寵児となったロバート・フランク。彼の反骨精神に富んだキャリアと波乱万丈の人生を、長くフランクの映像作品の編集を担当したローラ・イスラエルが追いかけたドキュメンタリー。被写体やその作品群と一体化する近しさで映画を織り上げる、強い思い入れは伝わるが、批評性がないので、映し出されるフランク像も時代性も曖昧な気が。もっと別の切り口があったのでは?
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僕とカミンスキーの旅
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
20世紀美術史を丸ごと畳み込んだような途轍もない経歴の架空の「盲目の画家」カミンスキーと、彼の伝記を書いて一発当てようと目論む無名の美術ライターの珍道中。「グッバイ、レーニン!」から12年、その間に主演のダニエル・ブリュールは国際的な俳優となった。ヴォルフガング・ベッカー監督のタッチは変わらず朴訥としていて、ウィットと皮肉の効いたユーモアにもどこか微妙なダサさが感じられるのだが、それもあってブリュールは実にリラックスして演じているように見える。
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