映画専門家レビュー一覧

  • マンチェスター・バイ・ザ・シー

    • 翻訳家

      篠儀直子

      会話の途中で訪れる「気まずい沈黙」の間を、丁寧に拾っているのがやがて独特の風合いをもたらす。アメリカ映画の伝統を受け継ぎながらも、現代のフランスで撮られている家族劇映画のような感触もあり。主人公が負った傷はひどく痛ましく、重い内容に取り組んだ映画だが、広い意味でのコメディでもある。キャメラの距離の取り方が好ましい。主人公が部屋に飾った3枚の写真に誰が写っているのか、もちろんわれわれには想像がつくのだが、それを決して画面に示そうとしない慎ましさ。

    • 映画監督

      内藤誠

      故郷に居づらくなった男が主人公で、たとえばカーソン・マッカラーズの小説に出てくるような等身大、かつ説得力のある人間関係が展開。アカデミー脚本賞ながら、ここにはかつてのハリウッド映画にあったアメリカン・ドリームのかけらもない。主演男優賞のケイシー・アフレックの役をマット・デイモンが演じる予定だったそうだが、製作で正解。不機嫌そうなケイシーと甥のルーカス・ヘッジズの微妙なやりとりがいい味を出しているからだ。インサートされる海辺の町の風景が目にしみた。

    • ライター

      平田裕介

      偏屈で人間嫌いの男が故郷の町に戻って、おかしくも切ないさざ波を立てていく。そんな物語かと思い込んだところで明かされる、あまりに壮絶な過去。まさしく彼のフラッシュバックのごとく映し出される“さまざまな時間と出来事”が、悲しみを乗り越えてよさそうなものなのに簡単にはいかぬ彼の姿にリアルな説得力を与えると同時に、そうした経験をしたことのない者にも猛烈なシンパシーを抱かせる。死んだように生きている者の所作を見事に体現したケイシーは、オスカー獲得も納得。

  • スプリット

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      “シャマランが復活した”とは巷間によく聞く話だが、過大評価ではないか。「エアベンダー」「アフター・アース」だのといった駄作の山を築いた頃よりはだいぶ回復したが、前作「ヴィジット」より一段と普通のお化け屋敷になった。解離性同一性障害の犯人によるニューロティックスリラーだが、監禁の恐怖描写という点で「ドント・ブリーズ」の謙虚な細部演出を見た後では、俳優の百面相芝居に依存し過ぎているように思える。緊張感は持続しないものの、普通に楽しくは見られる。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      「どうだい、若旦那の新作は?」「二四重人格の怪人が出てくるよ」「怖いんかい」「なんかお喋りばっかしてて」「お、対話劇ってヤツ?」「ていうか、静かなムードで押して、最後にドンと盛り上げる作戦」「じゃ、ゃいつものケツでビックリドッキリは健在だね」「いやもう、サイコサスペンスだと思ってたらモ○○○ーものに化けて驚いた」「相変わらずだねえ(ニヤニヤ)」「どうも脚本のデッサンが狂いっぱなしって感じで」「スプリットしてるのは監督本人じゃねえの」「しっ、それはナイショ」

    • 映画ライター

      中西愛子

      少女3人が何者かに拉致監禁される。犯人は多重人格者で、次々と人格を変えて彼女たちを脅す。そこに、まったく違う場所で行われるこの男と担当医の診察シーンと、一人の少女の回想シーンが絡む。それがどう物語に関係していくのかと思っていると、意外性に富みつつシンプルなシャマランらしい展開に。ミスリードされたいこちらの期待を最後まで裏切らない。一番の見どころは、スキンヘッドで24の人格を演じ分けるJ・マカヴォイ。狂気と可笑しみと悲劇性を湛えて淡々と魅了する。

  • パーソナル・ショッパー

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      多忙なセレブのための衣裳・宝飾品の買い出し代行業という珍妙な主人公像に加え、降霊術やら殺人事件やら、取っ散らかっていく。カンヌ監督賞受賞作ながら、監督の出身母体「カイエ」は星2つで済ませた。アサイヤスはどうやら“呪われた作家”の系譜に連なろうとしている。彼の近作をどう評価するかは、現代映画の大きな問題である。否定派の論調は概ね予想がつくが、ここは一つ、謎めいていて衒学的なこのイヤらしいサイコスリラーを、映画の一未来として大肯定しておこう。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      冒頭に怪異現象の趣向があり、おや、この監督が怪談とは珍しいと身を乗り出す。携帯を経由した謎のメッセージのやり取りなどゾクゾクさせられる。だけど見ていくうちに、ホラーがただの道具立てとなって。生者と死者、自己と他者、その間で分裂し混乱する若い女性の精神状態、どうもそれが狙いのようで。ちょっとポランスキーの「反撥」を思い出すんだけど、あれほど親切な作りにはなっていない。結果、考え過ぎて空転したようなモヤモヤ感が。場面場面の演出は凄く面白かったけど。

    • 映画ライター

      中西愛子

      セレブの私生活に近いところで仕事をする若い娘の心の揺らぎを、スピリチュアルな視点を交えてサスペンスフルに描く。危ういほどに美しいクリステン・スチュワートの魅力を、監督アサイヤスがとことん追求する。中盤、彼女が禁じられた衣裳をこっそり試着して欲望を解放するシーンは、きわどいフェティシズムに溢れながらも、被写体への絶妙な距離感が保たれていて上品なエロスを生んでいる。女優に近づく監督の匙加減、カメラに自分をさらす女優の度胸が洗練されていてまさに映画。

  • 追憶(2017)

    • 映画評論家

      北川れい子

      冒頭の映像の重量感に思わず背筋がピンとする。厳寒の日本海。25年前の12月24日に北陸で月蝕があったという字幕も、そのあとの3人の少年の思いつめた表情も、映画の導入部として巧みである。けれども沈黙を守ることになるその日のある出来ごとはともかく、25年後に再会した3人の設定と意味ありげな言動は、仰々しい割に底が浅く、脚本のザックリ感は否めない。男たちがみな昭和的なのに、女はしっかり平成を生きていて、それにはナットクしたが。因みに高倉健とは全く無関係でした。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      座組みから絶対鬱陶しい映画だと思った。だから試写を観に行ったとき、自分、完全に目が死んでいたはず。しかし見始めたら面白くてびっくりした。「飢餓海峡」とか「砂の器」的な、昭和の日本人が好きなタイプの和モノ因果ミステリが平然といまの世に蘇っている。湿度が高いながらもエンタメ以外のなにものでもない。台詞が説明的すぎる感じがあったけれど基本の設定が良い。刑事の岡田准一が遭遇する事態はオットー・プレミンジャー監督作の「歩道の終わる所」みたい。これはあり。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      本作の〈雨〉には重量がある。土砂降りの水量は物質的な重さを伴い、視覚的にも雨粒に〈重さ〉を感じさせる。映画における〈雨〉は、往々にして〈悲しみ〉という感情を伴わせているが、ここではより深い、あるいはより重い〈悲しみ〉を描くものとなっている。またそれは、降り積もる雪が溶け、過去の思い出の塊が瓦解した破片のようにも見える。それゆえ〈雨〉は、その場にいる人間へ突き刺さるように降り注がれるのである。マルチ撮影を担う“撮影者・岡田准一”のクレジットも一興。

  • 八重子のハミング

    • 映画評論家

      北川れい子

      上映中、すすり泣く声が聞こえた。記憶を無くしていく妻を12年間、支えた夫の実話。近年、認知症の介護をめぐるやりきれない事件が多いだけに、妻に寄り添い続ける夫の姿、すごいことだな、と思う。が、冒頭だけではなく、劇中に何度も出てくる夫の講演シーンが、一種の売名行為に見えてしまい……。講演の内容は、妻の世話をする自分のことや、妻の話。ときには講演の場に妻を同伴したりも。そもそももし介護者が妻や娘なら誰も講演の依頼はしないだろう。講演目的で介護を続けたような。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      神代辰巳映画と「北陸代理戦争」のヒロイン高橋洋子。「北陸~」で敵方やくざに切り刻まれた松方弘樹が潜伏先にて、これが俺の健康法や、と血を吐きながら素っ裸に雪をこすりつけているのを、無茶やっ、死んでしまう!人間は死ぬんやっ!とかき抱いて止めた高橋洋子の二十八年ぶりの出演。どうかと思って観れば、すごい難役を見事にやっていた。重いアルツハイマーを言葉なしで演じていた。実話があり原作があるが、たしかにこれは映画化されるべきだ。言葉を超えた境地のために。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      佐々部監督は「中高年が主人公だと地味」という理由から大手映画会社の資金を得られず、自己プロデュースに至ったという。この経緯自体、現代日本の高齢化社会における介護のあり方とどこか似ている。重要だけれどなるべく視界に入れず、あたかもないように振る舞う。この夫婦はそのことにも果敢に闘っていると解せる。終盤に向かって痴呆が徐々に自己を失わせてゆく高橋洋子、対して「ゆっくり時間をかけてお別れをする」ことを体現した升毅。本作は役者の演技を観る映画でもある。

  • 台北ストーリー

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      私たちの世代は台湾ニューウェイヴを発見した世代だ。80年代、学生の時に池袋で催された台湾映画祭で「恐怖分子」に衝撃を受けて以降、楊徳昌の活動にリアルタイムで伴走したという思いがある。本作が同映画祭で紹介された時の邦題は「幼馴染み」だった。今、再見するに際し、万感の思いが去来する。そしてこれは名作によくあることだが、初見時とは印象が違う。単なるカップルのすれ違い物語であるだけでなく、迪化街という台北の問屋街の歴史と空気へのオマージュだったのだ。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      経済成長期の八〇年代台北。時代の変化に違和感をもつ男と、その波に乗ろうとする女。その心のすれ違いが描かれて。日本にもかつて、時代に対して異議申し立ての映画があった。その作品群に較べれば、こちらは昂奮もしない、絶叫もしない。その静かな語り口が、かえって絶望の深さを感じさせ。米国人でも日本人でもなく、ましてや中国人でもない。これは台湾人のアイデンティティー探しの映画にも思える。が、この浮遊感は万国共通だ。夜のバイク疾走は「フェリーニのローマ」を。

    • 映画ライター

      中西愛子

      エドワード・ヤンの長編第2作。主演は、これが唯一の主演作となる盟友ホウ・シャオシェン。幼なじみで、何となく付き合いが続いている男女が、台北の街で、過去と未来に思いを巡らせながら関係をこじらせていく。80年代半ば。当時の台湾の若者にとって、日本がどんな存在だったかがよくわかる描写も多く、スクリーンから80年代の風が立ち込めて眩暈。4K修復版のせいもあってか、とにかく街の風景がクリア。後半の夜景のシーンは圧巻。映画史に残る奇跡の瞬間をぜひ劇場で!

  • カフェ・ソサエティ

    • 批評家。音楽レーベルHEADZ主宰

      佐々木敦

      互いに惹かれ合い、一度は結ばれた男女が、主に女性の方の事情で別れる。時を経て彼と彼女は再会するが、すでに二人の人生は別々のものになっていた、という物語は「ラ・ラ・ランド」とおんなじだが、仕上がりは全然違う。作品としての完成度は、こちらの方が圧倒的に高い。だが、にもかかわらず、敢えて言わせて貰えば、個人的にこの映画は全くと言っていいほど胸に響かなかった。ウディ・アレンは手癖だけでこれを拵えている。彼にはもう言いたいことが特にないのだろうと思う。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      ジェシー・アイゼンバーグのなりきりアレン具合が絶好調。シャツの裾をウエストにインしたスタイルや背格好の小物感が何とも言えない。「ソーシャル・ネットワーク」で鍛えたマシンガントークもキレキレ。『ゴシップガール』でブイブイ言わせたライヴリーがふくよかになってバツイチのマダムを演じている「上がり」な感じも絶妙だ。もはやテーマは触れるに足らないほどアレンの十八番だけれど、安全な場所から過去のもしもを夢想するのは男性的な道楽だと思う。流麗な撮影が素晴らしい。

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