映画専門家レビュー一覧
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スラヴォイ・ジジェクの倒錯的映画ガイド2 倒錯的イデオロギー・ガイド
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脚本家
北里宇一郎
共産主義や資本主義、キリスト教などの思想に対する考察を映画の場面を引用して解説していく。いわば眼で追う哲学書みたいなもんだが、おかげでとっつきやすく、文字で読むより分かりやすい(のでは?)。引用した場面と同じ背景でジジェク氏が語る趣向も愉快。“大文字の他者”という発想もなるほどと感心。ただ映画を観るというより、ひたすら字幕を追うという印象がなきにしもあらず。ちと図式的だったり強引すぎる意見もあったりして。とはいえ脳細胞を刺激されたことは確かで。
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映画ライター
中西愛子
スター哲学者、スラヴォイ・ジジェクが解説する、映画の読み方講座第2弾。名作の中に潜むイデオロギーを語り倒す。最初に登場するのは、ジョン・カーペンターの「ゼイリブ」(88)。この作品に掛けると物の本質や仕組みが見えてしまうサングラスが登場するが、これを3Dメガネのように掛けさせられて、観客は134分の本篇を観ていく感じ。恐ろしく鋭く、狂気じみながらも知的。丁寧な案内で、各名作の凄さも再認識できる。映画の再現セットにジジェクが入って語る参加型空気もいい。
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ジェイソン・ボーン
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
新章スタートということだが、例によってシリーズ過去作は一本も観たことがなかった。なのでわざわざBOXを買いました。月並みな感想で申し訳ないが、動体視力がついていかないほどの超高速モンタージュに大興奮。でも、ここまでめまぐるしいと、生身でやっててもCGでももはや区別つかないんじゃないの? 確信犯的な悪のCIA長官をクールに演じ切るトミー・リー・ジョーンズの「顔」がシブい。あとはやっぱり、アリシア・ヴィキャンデルが可愛過ぎる!ということでしょうか笑
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映画系文筆業
奈々村久生
記憶を取り戻したボーンにどんな存在意義があるのかと期待したが、よくわからなかった。アリシア・ヴィキャンデルもなんだかステレオタイプなエリート女性のキャラクターの域を出ておらず不完全燃焼な印象。解き明かすべき謎がなくなったなら、完全に逃げることそのものが目的になってしまってもよかったのに、前後の辻褄がかえって混乱を招く。マット・デイモンが歳をとった分、ボーンにも加齢とともにある物語を課すればシリーズとして新作を作る意味も増したのでは。
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TVプロデューサー
山口剛
監督がポール・グリーングラスに代わった2作目からシリーズのスタイルが定着したようだ。手持ちキャメラの移動撮影などの短いショットを積み重ね、音楽に乗せてハイ・スピードでテンポ良く観せる技術はこの監督の独壇場だ。記憶喪失の暗殺者をCIAが世界中追いかけ回す単純なアクション・ドラマを描くには、内面描写より効果的だ。十年以上たってもマット・デイモンの肉体は老いを見せない。T・L・ジョーンズとA・ヴィキャンデルのキャスティングは次回作への布石か?
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ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
名編集者パーキンズを演じるコリン・ファースと、夭折した天才作家トマス・ウルフに扮したジュード・ロウ、更にはウルフの年上の愛人役のニコール・キッドマンも加わった、さながら演技合戦のごとき様相。史実をもとにドラマチックに脚色してあるのだが、イギリス映画らしい、しっとりと落ち着いたトーンが良い。室内でも帽子を冠ったままのファース。どこかで必ず取るだろうと予想してたが、心憎い演出だ。ウルフの邦訳はかなり昔から絶版になっているが、この機会に再刊されないかな。
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映画系文筆業
奈々村久生
クラシカルな色調や調度を目指したであろう映像のルックが、なんとなくオールドライクな文学的イメージとしてしか機能していないように、書く行為、編集する行為、それに携わる人々の生き様がすべてただのポーズに見える。執筆という想像を絶する孤独な作業と向き合う作家の内面に触れずしてエキセントリックな奇人は生まれないし、編集=削除ではない。二人の関係性もその周りの女性や家族の描き方も記号に過ぎず、男性的なロマンに溺れたナルシシズムばかりが後に残る。
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TVプロデューサー
山口剛
M・パーキンスはヘミングウェイ、フィッツジェラルドなど失われた世代の作家たちを世に送り出した著名な編集者。滝田樗陰か菊池寬といったところか。黒子の編集者に焦点を合わせた企画が秀逸。文学と作家に対する愛情と献身に溢れた編集者と奔放不羈な作家トマス・ウルフがアメリカ文学の傑作を誕生させる裏話が興味深い。C・ファースとジュード・ロウが適役を快演。現在ウルフの著書は『天使よ故郷を見よ』をはじめ新刊で入手できるものは一冊もない。これを機に再刊新刊を望む。
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SCOOP!
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評論家
上野昻志
福山雅治、初の汚れ役(!)に挑戦、というところか? イヤ、冒頭から二階堂ふみの新人記者と組むまであたりは、長年のパパラッチ稼業に汚れた男の荒れた感じを出していて悪くない。とくに、半ば余計者扱いされている編集部で、自分の存在を強調するような大声を上げるところなど。だが、写真週刊誌が全盛を誇った1980年代を知る者からすると、この企画自体、時代とずれているのでは、という思いは禁じ得ない。それとも、週刊誌にもっとスキャンダルで頑張れという応援歌か?
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映画評論家
上島春彦
監督こだわりのTV映画をリメイク、私は知らなかった作品だ。八十年代写真週刊誌全盛期を知らないと意図不明な雰囲気もあるが、逆にあの時代を経験した人達のその後(が現在)という風に読み替えてある。面白いのはこの三十年で、キャパの超有名な戦場写真に異なる解釈が生まれたことだ。もちろん映画のコンセプトとは無関係である。ある決意の下に裏街道を自ら歩いているカメラマンを演じる福山がさすがに様になっていた。原作より登場人物を減らしたのもいい結果につながったな。
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映画評論家
モルモット吉田
大根映画はいつだって上手い。ダサくなる、退屈しそうな箇所を巧みに切り抜けるセンスは全盛期の伊丹映画にあった批評精神に通じる。「盗写1/250秒」のリメイクとなる本作ではアレンジャーとしての大根の才がいっそう発揮され、バディ映画、成長譚としての骨格も明確にアッパー系エンタメとして前半は完璧。クライマックスの展開もオリジナルと同じだが、撮れる撮れないの一瞬の迷いに対する処理は本作独自だけに、新人記者の二階堂がカメラへの執着がそれほどあったのかは疑問。
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TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)
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評論家
上野昻志
いま、移転を巡って何かと問題の築地市場のドキュメンタリーだ。映画として目を見張るようなところはないが、築地に働く人々の声が聞けたのは良かった。とくに、仲卸の人たち。なかでも、一番良い魚を選ぶということではなく、お客さんにとって良いと思う魚を選ぶのだ、という意見には、なるほどと膝を打った。魚を見分ける術もさることながら、買う側との連携が大事というわけだ。それと、魚離れの著しい今日、港区の小学校が丸焼きの魚を給食に出す試みをしていることに感心した。
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映画評論家
上島春彦
築地市場の移転がこんな風にねじれるとは誰も予測していなかった時期に完成した作品。なので食育とか多様な話題を取り上げつつも政治的な生臭い問題は避けている。それが正解。様々なエキスパートや卸の職人が自分の先祖伝来、培った技術で流通業界に貢献するのをじっくり見せる。昔こういう番組、衛星NHKで見たな、と思ったら同じハーバードの文化人類学の先生が現れ、ひとくさり。築地が日本観光の人気スポットになったのは彼の著書のおかげ。なので題名も横文字。撮影も良好だ。
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映画評論家
モルモット吉田
外国人が撮った築地ドキュメンタリーだと最後のクレジットが出るまで思い込んでいた。見事に騙されたというべきか。映像もナレーションも如何にもそれ風なのだ。こじんまりしたテレビのドキュが劇場公開される時代に、海からの空撮で派手に始まるこうしたアプローチはアリ。外人観光客が詰めかける理由も見えてくるが、この映像のトーンは食を映すには不似合い。外人研究者が築地で落とし物をしても戻ってくるとオーバーに言うのを日本人が得意げに撮っていたのかと思うと……。
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過激派オペラ
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映画評論家
北川れい子
アングラ演劇が盛んだった70年代前後は、時代を挑発する活動や各劇団同士のぶつかり合いだけではなく、劇団内での色恋沙汰もハンパではなかったと聞くが、女だけの劇団のバックステージふうのこの作品、その色恋沙汰をメインにしていて、描写がまた、生々しく大胆。何やら自らの原作を映画化した江本純子は、自分好みの恋人を探すために劇団を立ち上げ、オーディションをしたのではと勘繰りたくなるほど。そういった女同士の関係は面白いが、劇中の公演まで70年代ふうとはガクッ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
面白かった。裸体に威力があった。意外とミニマルな関係性の話なので題名が中身と合っていない気もしたが。本作が描く世界には男もペニスも存在せず必要とされもしない。私は男としてそのことを心地よく思った。そしてこの女性たちの関わり合いを、世に多く見られる、男性が支配的に存在する現場のカリカチュアとしては見たくないとも。集団での表現をやっていて生じるあの厭な感じへの解答すら求めて。それは果たされなかったが。ラストはやや甘い。だが嫌いにはなれない青春映画。
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映画評論家
松崎健夫
早織演じるナオコが稽古中に劇団員を怒鳴りつける場面。いっけんするとナオコが劇団員を演出しているように見えるのだが、実際に現場を演出しているのは、その向こう側にいる監督の江本純子なのである。当然の如くナオコを演じる早織には、彼女を演出する江本純子の存在がある。興味深いのは、観客が「ナオコ=早織=江本純子」という公式を導きながら観てしまう“入れ子の構造”が生まれている点。演じる役により全く異なる印象を与える早織には、カメレオン女優の資質を見出せる。
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カノン(2016)
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映画評論家
北川れい子
三姉妹も、亡くなった祖母も、生きていた母親も、母娘のいささか古めかしいメロドラマを運ぶための操り人形のようで、どのキャラクターも、表面的。特に娘たちの回想で描かれる母親の理不尽な姿。新旧の女優たちがこれだけ顔を揃えているのに、誰一人、強い印象を残さないのも、キャラが形だけだからだ。娘たちが母親不在で育った自分たちをことさら卑下するようなエピソードも、だから取って付けたよう。そして「カノン」というタイトル。意味はあるのだが、あまり観る気には……。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
死せる多岐川裕美、生ける比嘉愛未を走らす。多岐川は冒頭でいきなり死んでいるのだが、主人公らも観客も彼女の遺骨をボリボリ?むように映画は展開してゆく。鈴木保奈美の荒廃老けメイクもすごい。三姉妹がトラウマを解消し、それに繋がる現在の自分の閉塞を破り、母との関係を再建するメロドラマだが、かなりミステリ的。ネタの強さと語りが勢いを持っている。「旅路村でいちばんの首吊りの木」のようにある家族固有の謎と探偵的行動、解決というのは極めて映画的な題材だ。
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映画評論家
松崎健夫
〈カノン進行〉は、聴けば誰もが心地いいと感じるコード進行のこと。音楽制作において安心や安定を導く仕組みとも言えるのだが、本作における家族像には不協和音が鳴り響いている。つまりタイトルや音楽の引用が反定立となり、物語に調和を導こうとしているのである。また、本作で重要な役割を担う〈ひまわり〉の花言葉は「片想い」であり、母の心中を代弁させていることも窺える。母を演じた鈴木保奈美の生涯ベストと思える演技には、不協和音を安心や安定へと導く説得力を感じる。
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