映画専門家レビュー一覧
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フラワーショウ!
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翻訳家
篠儀直子
個性豊かな面々がチームを組んで数々の難関を乗り越える、ハワード・ホークス映画みたいな展開を想像していたのだが、そうではないとわかったのは、ヒロインが植物学者を説得するシークエンスがいっこうに終わりそうにないと気づいたとき。自然と人間との関わりを問うことこそが、この映画のテーマなのだった。でも映画自体よりも、弁護士が本業でビル・クリントンの選挙戦のリーダーのひとりだったという、監督の経歴のほうによほど驚いてしまった。むしろそっちの映画化が観たい。
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映画監督
内藤誠
シンメトリーの美しさできこえるフランス庭園でさえ、最近では雑草の生える「野生」が、シックで洗練された都会の庭のキーワードだが、実在の女性園芸家メアリー・レイノルズは自然保護のためにサンザシと雑草だけでショー・ガーデンの世界に挑む。テーマの明快な映画で、彼女は砂漠を緑地化したいと願う恋人を追いかけてエチオピアにも行く。実話にしてはできすぎた物語構成だけれど、植物が美しく、背景も雄大だから、「ヴェルサイユの宮廷庭師」に続き、ガーデン愛好者にはお薦め。
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ライター
平田裕介
英王立園芸協会が主催するガーデニング大会で、アイルランド人が初めて金賞ゲット。両国の歴史や関係を鑑みると快挙だと思うのだが、そうした面には重きを置かない、あくまでヒロインの成長を追った作りに。だが、この彼女がナチュラル・ボーンな天才ガーデニストとして描かれるわりには、致死量ではってくらいの量の塩素を噴霧器で撒き散らしたり、肝心要の野草を枯らしたりと首をかしげたくなるトンマぶりを発揮。まぁ、それが物語の盛り上げにきちんと機能しているからいいのだが。
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ブルックリン
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映像演出、映画評論
荻野洋一
「キャロル」甘口版の趣き。デパガをヒロインとする点で共通する両作だが、クリティカルな同作と比べ、NYに移民したアイルランド女性の成長譚たる本作は穏健派である。色白でがっしりした北方系ヒロインと、イタリア系の小柄な左官職人は愛し合うようになるが、このカップルの体格差こそ、この映画の本質である。姉の急死で一時帰国したヒロインは地元の上流男性と浮気のような交際をし、それがまたお似合いなのだが、お似合いなものは退屈だ。違和との戯れこそアメリカ映画なのだ。
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脚本家
北里宇一郎
田舎(アイルランド)から都会(ニューヨーク)に出てきた若い女性の成長譚。なんか昔の日本映画にもこんなのあったなと懐かしい肌ざわり。ヒロインの下宿風景は下町物の雰囲気だし、純情タイプの彼氏とのデイト風景も微笑ましい。帰郷して、紳士風の彼氏ができ、田舎と都会、どちらを選ぼうかと悩むあたりも、大仰な演出じゃないのが効果を上げて。全体、描写を控えめにして、五〇年代のムードをよろしく醸し出している。S・ローナン嬢、好演。いやあこれ、ジジイ殺しの映画だなあ。
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映画ライター
中西愛子
1950年代、家族を後にして単身アイルランドから米国のブルックリンに渡った娘。洗練されていく彼女が2つの故郷の狭間で2つの愛を知り、本当の人生を選択するまでを描く。これはもう、主演のシアーシャ・ローナンを観るための映画。あどけなさの残るノーブルな顔立ち。若さと品のよさと未来を切り開くパンチ力。そんな聡明な輝きを放ちながら、静かに熱く2人の男性の間で揺らいでみせる。ローナンの存在感自体に物語を感じる。50年代という時代設定が生きたヒロイン映画だ。
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アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅
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翻訳家
篠儀直子
19世紀末の英国人がコスプレにしか見えず、現実部分はちゃんと現実らしくしてくれないと、と思っていたらファンタジー部分も、少女時代の赤の女王と白の女王の暮らしが全然王族のそれに見えなくて完全に頭を抱えた。そもそも、世界を破滅させかねない冒険に敢えて出発する動機が、これではあまりに弱すぎる。以上は、観客を作品世界に引きずりこむための「リアリティ」のレベルの問題なわけだが、それだけでなくあらゆる面で、前作のT・バートン演出の繊細さと豊かさには遠く及ばず。
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映画監督
内藤誠
ルイス・キャロルの原作もCG技術の進歩により、ディズニーの名作アニメ以上に作者たちが想い浮かべたイメージを自由に映像化できる時代になった。今回は製作にまわっているが、ティム・バートンとジョニー・デップのコンビ、頭の大きい、憎々し気な赤の女王も健在だ。「時」をキャラクター化するということで、半身人間、半身機械のサシャ・バロン・コーエンが奇妙な悪役を演じているのがいい。ヴィクトリア朝のデザインのなかで、「エド・ウッド」の幼児的精神はばっちり出ていた。
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ライター
平田裕介
家族の過去をめぐるアレコレで心を痛め、死にかけているマッドハッター。その姿がまんまA・ハードとの泥沼離婚劇で憔悴しきっているだろうJ・デップと重なって見えてきてしまうのが、実にタイムリー。監督がT・バートンからJ・ボビンに代わって、毒々しさみたいなものは消えたが、そのぶん快活なノリがアップ。個人的にはチンタラしていると感じた前作よりは楽しめた。とはいえ、“みんな仲良く幸せになりましたとさ”みたいな締め方は行儀が良すぎてなんだか物足りない。
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TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ
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評論家
上野昻志
スキー旅行のバスが転落したすぐあとに試写を見たので、あらかた忘れてしまったが、記憶をどうひっくり返しても、面白くない。「誰も見たことのない地獄」と言ったって、そりゃ当たり前でしょう、というしかない。歴史をいくら遡っても、地獄を見た記録はないのだから。その地獄の光景が、似たり寄ったりで変化がない。扮装に凝った役者たちには面白かったのかもしれぬが、要はイメージで留まっていて展開がない。宮沢りえの脚に犬が絡みつく下ネタ紛いのシーンじゃね。失笑するしかない。
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映画評論家
上島春彦
クドカン氏の作品は、自分が監督すると死の気配が水の奔流と同等で濃厚に現れるから面白い。今度のは舞台が地獄。そこに先に死んだ知人が待っていて、まさに地獄で仏、という状況が出来上る。輪廻転生を繰り返しつつ、しかし現世に戻るたび時間が加速度的に過ぎていく感じ。これは本来悪夢なのに「乗り越えられるべき課題」として扱われることで好感を呼ぶ。問答無用、行くなら地獄、というノリ。できたらもうチョイ森川葵ちゃんを見たかった、というのが唯一の心残りであろうか。
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映画評論家
モルモット吉田
これまで乗り切れなかったクドカン監督作を初めて楽しんだ。やはり舞台に近い限定空間を主にした極端な異世界では独壇場である。アニメ版「時かけ」がタイムスリップを連発した様に、転生という大技を連発させて自在に現世と往復させた奇想が見事。長瀬の衣裳、メイクを計算に入れた演技も圧倒的。飛騨川バス転落事故を元にした「大霊界」から引用した冒頭といい、中川・神代・石井に続く地獄映画の現代版に相応しい。ただし異形の世界と設定に慣れてしまうと後半は平板になり退屈。
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ふきげんな過去
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評論家
上野昻志
タイトルまでが長すぎる。と感じるのは、二階堂ふみが立っているショットが長いからだ。そのあとの寝床で立ったまま赤ん坊を眺めているショットも同じで、作り手の思い入れで長くなっているのだろうが、もっと抑制して欲しい、舞台じゃないんだから。にもかかわらず、女が三人寄り合って豆の皮を?いている場面をはじめ、ワケあり家族の感じはよく出ているし、運河を撮ったショットには惹かれる。あと小泉今日子と二階堂が角突き合う場面が記憶に残るのと、山田望叶の存在が面白い。
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映画評論家
上島春彦
一番いいのはタイトル。爆弾製造犯という発想が昔懐かしく、ネタバレになるので詳しく書けないが「過去」が騒々しく「現在」に乱入してくる作劇が面白い。でも実は今、予告篇を見てきたらネタバレ厳禁のつもりだった主人公二人の関係がばらされていて拍子抜け。書かないけどね。ただ、この件のばらし方もそうだが全体に脱力系の作りであり、この長さは無茶かと。もっとエピソードがないともたないと思う。豆料理屋という設定もいかにも小手先で、どことなく手抜き感が漂う会話だ。
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映画評論家
モルモット吉田
〈女はつらいよ〉とばかりに死んだはずの小泉が食堂を営む女系家族のもとに帰ってきて何事かを企むがそれが何かは遂に明かされない。雰囲気だけに依存した映画が横行する中、演劇畑の監督だけあって何もない話、何でもない対話を立体的に構成する手腕は際立つ。海に近い店舗兼家屋の二階屋を映画よりも演劇的な空間に引き寄せて活用したのが良く、?みどころがない世界にひたってしまう。二階堂は不機嫌で無愛想な顔がよく似合うが惜しむらくはラストのアップにもう少し余韻があれば。
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嫌な女
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映画評論家
北川れい子
黒木瞳が吉田羊の役を演じたというNHKのドラマ版は観ていないが、黒木初監督、どの場面も説明的に話を運んでいるだけで、まんまドラマをやっている。いや、キャラクター頼みで話を運んでいる映画はそこら中にあるから今更嘆いても仕方がないが、陰陽ふうの、もしくは漫才のボケとツッコミもどきの2人のキャラクターが何とも薄っぺらで、途中で飽きてくる。“嫌な女”転じて“嫌けがさす映画”。ケタタマシイだけの木村佳乃の上っ面な演技も彼女らしくなく、逆に痛々しい。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
監督が男性か女性かということが作品にはっきりとした影響を与えるだろうか。謎だ。キャスリン・ビグローの映画など知らなければ女性監督だとは思わないんじゃないか。しかし女性監督ということが感じられる映画もある。本作はそれだ。内気で真面目な主人公の女性が、幼少期より嫌な女として見ているわがままな従姉に振り回される。この設定とか相手の見方に女性らしさを感じる。そして嫌な女とは自分のほうではなかったかというコペルニクス的転回。奇を衒わぬのに新鮮。良い。
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映画評論家
松崎健夫
劇中に点在する〈ひまわり〉。花言葉では「崇拝」や「愛慕」を意味するが、西洋では「偽りの富」という意味もある。それは〈ひまわり〉の贋作が持つ意味を暗喩させているだけでなく、能面的演技に徹した吉田羊が人として成長してゆく姿、或いは、木村佳乃の絶唱する歌がエンドロールでは本人の歌う主題歌になる、など「偽りのものが本物になる」ということの象徴にもなっている。この物事が変化してゆくプロセスは、「嫌な女」というタイトルの印象が変わってゆく点にも表れている。
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日本で一番悪い奴ら
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映画評論家
北川れい子
「凶悪」の演出スタイルだった白石監督特有の“明るいドス黒さ”は、さすが今回、抑えられているが、いまや役者として怖いものなしの綾野剛が、正義のボタンをかけ違えた刑事を出ずっ張り、一直線の力演、久々のピカレスク(悪漢)ムービーとしてハラハラ、ワクワク、観応えある。正義より成果優先の当時の道警の体質に忠実な主人公。彼と組むヤクザ中村獅童ほか、脇の人物たちが全員、しっかり役を生きているのもみごとで、白石監督の演出の勢いと目配りに深作欣二監督の手法をチラッ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
非常に優れたコメディー。観客がゲラゲラ笑いながら観て、最後に国家とかに対して黒々とした薄気味悪さを感じるっちゅうのが本作の目指すところだと思うが、その野心は見事に実現されるだろう。実話に基づくそうだが、フィクションに良い飛び立ち方をした。「やくざの墓場 くちなしの花」とか「県警対組織暴力」と同時代から始まりながら現在にまで接続し、しかも刑事のダーティさが実に官僚的で日本的な閉鎖回路に向かうところ、警察をほんとにギャグにしたことが新しく、面白い。
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