映画専門家レビュー一覧
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ラスト・クリスマス(2019)
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ライター
石村加奈
冒頭の、旧ユーゴスラビアの教会で高らかに歌っていた少女が、ラストでは、イギリス・ロンドンのシェルターで歌う。どこにいても、センターでスポットライトを浴びるべき宿命の、明るいヒロイン・ケイトを、E・クラークがチャーミングに演じる(バスのシーンも素敵だ)。ケイトの母親を演じたE・トンプソン(原案、脚本も務める)や、ケイトが勤めるクリスマスショップのオーナー役にM・ヨーと、奇跡的なキャスティングもたのしい。そして懐かしすぎるG・マイケルの音楽に涙!
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
全篇ワム!とジョージ・マイケルの曲に彩られたゴキゲンな(!)ラブコメ作品。主人公の自己中女ケイトが謎の男性と出会い、己を省みて変化していく、という定番の展開で、演じるのはエミリア・クラーク。『ゲーム・オブ・スローンズ』などカリスマ性のある役の印象が強いので、性悪なビッチでの登場は新鮮。後半、ケイトが旧ユーゴからの移民という設定やLGBTQなど社会問題をバランス良く組み込むことで、80年代テイストでありながら現代的なラブコメ、という印象になっている。
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”隠れビッチ”やってました。
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映画評論家
川口敦子
「色の白いは七難隠す」なんて古い諺があったがこれは女優の輝きで七難隠した快作だ。佐久間由衣のたらこ唇の泣き笑いが、ワンパターンの腐臭に堕す一歩手前で有無をいわせず視線を釘付けにする。その全身的表情の豊かさ。殆んど子役と動物の無敵さにも通じる巧まざる存在の美にあっけなく惹き込まれた。笑いの向こうにじわじわと自身の弱さの受容という真っ当なテーマをせり上がらせて単なる“あるあるもの”の共感ヒロインを超えさせる脚本と演出の助けも見逃せない。
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編集者、ライター
佐野亨
序盤やや平板な空間演出が目立ち、「これはつらいかも」と先行き不安になったが、中盤以降どんどんよくなる。後半は、役者陣が奏でるアンサンブルの心地よさも手伝い、他人事ではない主人公たちの生きた葛藤のドラマに尋常でなく感情を揺さぶられた。ライトなロマコメの殻をまとった心理分析・サイコマジック的な映画が長らくハリウッドの専売特許だったことを思えば、これは大いなる健闘と言うべきだろう。佐久間由衣演じる主人公、ブリジット・ジョーンズのようなアイコンになるかも。
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詩人、映画監督
福間健二
こういう女の子が存在すると押し切る前半。佐久間由衣、緩急、強弱の切りかえが楽しい。くっきり感ある画に、わざとらしくてもホンネ度高いセリフで、複層的な心理表現ができている。そしてシェアハウスの、ヒロインの帰りを待つ二人に味がある。男性たちの描き方から、作品として正解に向かうことへの微妙な不安まで、三木監督は型通りの型をそのままにしない。隠れビッチじゃなくても、これを見て自分を見つめなおしてほしい人がたくさんいそうだと言ったら叱られるだろうか。
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魔法少年☆ワイルドバージン
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フリーライター
須永貴子
「30歳まで童貞だと魔法使いになる」という伝説を、“中年負け組バディの大逆転”という胸アツコメディに昇華。冒頭のアニメーションの昭和感、お手製のヒーローコスチューム、目から出るビームや空飛ぶホウキなどのCGの完成度のほどよい低さなど、アナログ味のあるヴィジュアルがトータルでバランスがとれている。「ささやかなアフリカン居酒屋」のような突っ込みたくなる台詞もクスリとさせる。ただし、クライマックスでのヒロインの血反吐大噴射はやりすぎ!
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
こういう映画はわりと好きなので期待したが、それに応えてくれたとは言いがたい。コメディとして作ったのだろうが、笑わせよう笑わせようとあがく様が痛々しい。延々と親父ギャグを見せられているようで、鼻白んでくる。良き笑いは、「思わず笑ってしまう」笑いなんだと思う。笑いをかもすシチュエーションの中に不如意なキャラクターを置き、真摯に生きさせれば笑いは自然に湧いてくる。コメディは、意図的に笑わせようとしてはダメなのだと改めて知らしめてくれた。
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映画評論家
吉田広明
三十歳まで童貞だと魔法が使えるようになる。この発想自体は面白いのだが、しかし主人公の魔法少年二人が魔法を失い幸せに、という落ちでは、結局は非童貞の方がいいのだという結論になりはしないか。魔法=童貞力とは何か、童貞にしかないものは何か(ヒーローになりたい願望は童貞固有のものではあるまい)、を考え切っていないために、「ヤリチンが偉い」に対する童貞なりのオルタナティヴな世界観を提示しえていない。童貞文学でも読んで妄想力を鍛え直すべきでは。
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私のちいさなお葬式
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
「いつ死んでもおかしくない」と宣告された老嬢が、要するに一人で終活する話だが、その中味がいちいち素っ頓狂で頓珍漢で苦笑をさそう。でも本当に素敵なのは、老嬢が物事を一つひとつ折目正しく進める故ののどやかなスロー・テンポ。だが巧みな編集で少しも弛まない。そして黒ずんだ木造住宅、ウォッカの透明さ、居間に鎮座する棺桶、盥の鯉といった乙なディテイルにロシアが香る。現代風のボリス・バルネットか、ウォッカを毒と見立てればロシア版「毒薬と老嬢」か。
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ライター
石村加奈
独り暮らしの老女=淋しいという既成概念の枠から飛び出した、主人公エレーナにワクワクする。“息子のお荷物にはなりたくない”との切ない動機は胸のうちに秘め、自分のお葬式計画をてきぱき遂行する姿はいきいきと楽しそうだ(戸籍登録所での、結婚式や赤ちゃん柄チョコレート賄賂のモチーフもエッジが効いている)。「全てが単純だった」昔とは違ういまも、頑張って生きる彼女とすれ違ってばかりの息子に、同じ思い出に笑う、幸せなひと時があったことが、我が事のように嬉しい。
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映像ディレクター、映画監督
佐々木誠
生ある者は必ずいつか死ぬ。めんどうくさいのは、他の生き物と違って、人間だけはその死への過程を意識して生きている、ということだ。73歳のエレーナは、余命宣告を受けて、多忙な息子に迷惑をかけたくない一心で自分の葬式のための準備を始める。それは客観的にはユーモラスな行動だが、死をめぐる人生の残酷な一面としても捉えられる。若い頃聴いていた〈恋のバカンス〉を流し、その当時の服を着て化粧を自ら施したエレーナが部屋で一人踊るシーンが、可笑しくも切ない。
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ハルカの陶
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映画評論家
川口敦子
予期した通りに進むお話だが、嫌味なくまとまってはいる。備前焼のPVとしては機能しているとも思う。それ以上の感動や美には欠けるけれど、このくらいのそこそこの出来の映画が当り前にない今だからなんとなく捨て難い気もしてしまう。遠景で都市と焼き物の郷、そこにある光を対比する撮影監督、その出しゃばらない技の手応え。人間国宝の娘役村上真希のきつさの底に湛えられた包容力の演じ方。周囲で支えるそんな実力者あってこその“そこそこ”なのだと妙にナットク。
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編集者、ライター
佐野亨
冒頭、東京の風景にモノローグがかぶさり、主人公の心の空虚さが説明される。そして、彼女はギャラリーで目にした備前焼の皿に惹かれ、ガイドブックを片手に備前の郷を訪れる。となれば、この主人公は土地の職人にその浅薄さを指摘され、やがて陶芸の本質を知り、周囲に影響を及ぼしながら地域や伝統に真に帰属しうる存在となっていくであろうことは容易に想像がつく。案の定、その通りに映画は進む。ルックは端正だが、それはどこまでも地方創生映画としての端正さにすぎない。
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詩人、映画監督
福間健二
備前焼。よいものがあるとは思うが、値段や、伝統を盾にした一部の思いあがりなどに、よい印象を持ってこなかった。で、この作品。人を拒むようにして作陶に打ち込む男とその弟子となった若い女性の話。これほど展開にひねりがないと、文句を言うより潔さとして感心したくもなる。画の作り方は手堅い末次監督、九〇分でやれたのでは。PR的嘘っぽさの代表というべき主人公ハルカ。本で勉強したことが役立つのがおかしかったが、すっきり演じた奈緒に「関係者」は感謝すべきだろう。
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漫画誕生
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映画評論家
川口敦子
重箱の隅をつつくようで嫌だが、いくら進取の気性に富み夫に合流しようと40代半ば、単身シベリア鉄道でパリを目指すようなお転婆もしたとはいえ、明治時代に東京麹町の商家に生まれ女学校を出て敬虔なクリスチャンでもあった女性が、家庭でこんなふうに媚態を纏っているだろうか? 昨今の着付け教室仕込みの窮屈そうな着方とは違うとしても往時の和装、ここまでぞろりとしていたか? 等々、本筋でない所で鼻白むと映画を愉しめない。リアリズムでない意匠の映画だとしても――。
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編集者、ライター
佐野亨
いまどき珍しいほど観客の教養を信頼したシナリオが快い。北沢楽天ほか実在の人物への敬意を示しつつ、事実に足をとられない自由闊達さで物語を紡ぎ、現在へつないでみせる手つきの自然さ、いやみのなさ。大木萠監督の正攻法の演出、高間賢治の安定した撮影がそれを透明度の高い映像に昇華している。いいね、シブいね、と拍手を送りたくなった。終始飄々としたイッセー尾形、篠原ともえに対して、重の演技で要所を締める唐組の看板役者・稲荷卓央の存在感にも唸った。
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詩人、映画監督
福間健二
ラストの、帽子が飛ぶショット。惜しくも決まりそこなっている。同様に、そこまでも、狙いありでも半端になったり、そもそも歴史への態度が曖昧だったりするところがある。とくに戦争期の人と社会へのつかみが甘い。思い切った見せ方の試みも空振り気味。イッセー尾形の楽天は、起伏を生きぬいてきたと感じさせるが、橋爪遼の演じる青年期との連絡は希薄だ。楽天だけでなく、それぞれに未来をもつ漫画家の群像に対する大木監督の表現者としての思い、もっと出してよかった気がする。
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種をまく人
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フリーライター
須永貴子
家族の死、罪、崩壊、再生への祈り。シリアスでヘヴィな内容は息苦しく、そして説教臭くなる恐れがある。しかし本作は、演出も映像も音楽も仰々しくなることなく、できる限りそこにあるものをそのまま映しているからか抜けが良い。主人公の少女、父親、担任の教師など、芝居を感じさせない演出と撮影も成功している。ゴッホの人生、キーアイテムとなるひまわり、ダウン症患者、被災地への想いは、監督のメッセージを読めば伝わるが、映画には落とし込めきれていない。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
確か三島由紀夫いわく、「芸術というものは世の中に毒をまき散らすことにほかならない」。毒を承知でまき散らすのはともかく、薬だと言って毒をまくのは犯罪である。そして自覚もない時にはなおさら罪深い。いたいけな少女がむごい罪を犯し、それを心を病んだ叔父になすりつける。が、それを親は、なかったことにさせてしまう。この少女の行く末を思うとやりきれない。彼女は償えない罪を一生背負って生きていくのだ。少女も我々もひまわりがいくら咲いても決して心を癒されない。
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映画評論家
吉田広明
ダウン症の妹を事故で死なせ、その責を伯父に負わせる姪。伯父はフクシマの惨状を目にして精神障害を負ったという設定。彼が罪を負い、贖罪のヒマワリの種をまくという形で聖人化されることで、姪の罪も何だか原罪のように深刻めいて見える。フクシマだのダウン症だの、(姪の)いじめだの、社会的事象をてんこ盛りにした分、それぞれについての視線は浅く、何が社会において罪なのか、救いなのか、人間の、社会の奥にまで届くような深みを獲得するに至っていない。
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