映画専門家レビュー一覧

  • 帰ってきた あぶない刑事

    • 映画評論家

      北川れい子

      スタートから約40年。近年このシリーズになると館ひろしも柴田恭平もどこかタガが緩むのか、もうほとんど趣味と遊びで演じているようなノリ。シリーズ初期から二人を見ているこちらも、そんな彼らにいつしか寛大になり、ふざけ合いと、そこだけ真面目(!)なアクションが楽しめれば、わざとらしい設定やムリムリのエピソードも、勝手にどうぞのノリ。若い観客層をまったく意識しない二人の言動も、逆に潔いとも言えなくもないし。ただ演出のキレがいまいちで、途中で何度かイライラ。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      黒澤満も仙元誠三もいなくなったが、スタッフの世代交代を成功させた理想的一篇。かぶき者タカ&ユージの華麗なる老いが、BL寄りの初老ブロマンスを成立させる。銃を持てない枷を、どう潜り抜けてあぶデカになり得るかを硬軟織り交ぜた趣向で成立させたのも良い。過去のフィルムを自在に挿入してシームレスに繋げた芸当は「男はつらいよ お帰り 寅さん」と双璧。早乙女太一以外の若手は総じて影が薄いが、探偵バディものへのリブートは予想以上にうまくいっており、毎年観たくなる。

  • バティモン 5 望まれざる者

    • 文筆業

      奈々村久生

      移民が暮らす集合住宅の一室で人が亡くなり、大勢の手に担がれた棺が、狭い通路や階段に阻まれながら外に運び出される。その過程でこの居住区の状況や問題が一目瞭然になるだけでなく、ここに生きる人々の息づかいまで顕にしてしまう描写が素晴らしい。声をあげて行動する住人たちの力を体感させる音の使い方も効いている。これが日本だったら成り立たない絵面だと思いつつ、彼らの闘いが成功しているとも言えず、武力の応酬では誰も救われないという現実の再生産に虚しさを突きつけられる。

    • アダルトビデオ監督

      二村ヒトシ

      同月公開の「ミセス・クルナスvsジョージ・W・ブッシュ」と同じく、人種や経済格差の前でまったく公平ではない「民主」政治や無関心な世間から、排除され、軽くあつかわれて侮辱される人々がテーマだが、こちらはそれを極めてシリアスに描く。生活に余裕のある側の(とは本当は限らないのだが)まじめな人が、自分はより良い人間であろうとして結果的に弱い人たちを傷つけるどころか、生活まで奪うことになる現実。これは資本主義が、というか人類が背負ったバグなのだろうか。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      団地の取り壊しの場面から始まるのは象徴的だ。そして新市長が移民や貧困層の切り捨てに急進的な姿勢を見せるのが、日本と似ている。ラジ・リは前作の「レ・ミゼラブル」ではほぼ男だけの世界を描いたが、団地に暮らすのは老若問わず女性もいる。しかし女性のアビーが指導者になるのは難しい。貧困地区が犯罪多発地域と重なる傾向があり、団地の温存もひとつの生き延びる術にすぎない。問題の解決は複数の人間で対処しなければ難しいのに、女性のアビーは一人で立ち上がるしかない。

  • 関心領域

    • 映画監督

      清原惟

      強制収容所のすぐ隣に住む、ナチスの幹部の家族が主人公。とてもグロテスクな設定だが、知らずに関心を払わないというわけではなく、収容所内で何が起きているか理解していてなお、受け入れている家族の様子がおぞましい。塀の中の世界が映されることが一度もないまま、人々の様子や会話、家の中にいても届く音響によって収容所の異常さを描いている。広角レンズで捉えられた家の中や、唐突なネガのような色調のシーン、黒や赤一色の画面で音だけになるシーンなどの映像表現も面白い。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      アウシュヴィッツに隣接する収容所長ルドルフ・ヘス一家の作庭記のような平穏な日常。妻は“アウシュヴィッツの女王”とうそぶく一方、夫は“荷”と称してユダヤ人が灰と化する総量の胸算用をする。すべてのショットは塀の背後に拡がるおぞましき世界とこちら側の牧歌的な光景を非対称的に際立たせるために機能している。その冷徹な定点観測の手法に瞳が慣れ親しんだ頃合いに突如“現在”が介入してくる衝撃はいかばかりか。ナボコフに心酔したポストモダン作家M・エイミスの原作も読んでみたい。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      焼却炉の煙、地鳴り、銃声や叫び声の傍らで完璧な生活を築くルドルフ・へスと妻ヘートヴィヒ(比類なきザンドラ・ヒュラー)の無関心と無感覚。アシュケナジム系ユダヤ人の子孫たるグレイザーは迫害と虐殺の歴史を意識しながら、芸術家として憎むべき相手を“人間”として認める作業から始める。非日常と隣接する日常風景の異常を細密に観察し、私たちに彼らとの共通性を気付かせる。壁一枚の隔たりは距離感の問題なのであって、国境や海にも例えられる。誰かの楽園は誰かの地獄の上に築かれるのだ。

  • ミッシング(2024)

    • ライター、編集

      岡本敦史

      今や希少な「信頼できる映画作家」吉田恵輔らしい問題意識が凝縮された秀作。前作「空白」で描かれなかった部分から着想したという脚本は、ぜひその形でも観てみたかったが、それでも芯は力強く残っている。深刻な状況に巧まざる笑いを生じさせるクセも、今回ほど私憤に満ちた骨太な内容なら、もはや必要ない感も。華がありすぎることは重々承知の上で、地方在住のイマドキの母親像を演じた石原さとみの意気込みも映画の確かな熱源だ。と思ったら、森優作が見事に全部かっさらった。

    • 映画評論家

      北川れい子

      1に石原さとみ、2に石原さとみ、3、4がなくて5も石原さとみ。という、彼女の取り憑かれたような演技が先行するヒューマンミステリーで、女優魂というと大袈裟だが、この作品の石原さとみ、ちょっとただごとではない。幼いひとり娘が突然、行方不明になってしまった母親役。吉田監督はさまざまな事件をヒントにして自らオリジナル脚本を書いているが、あくまでも母親に焦点を当てつつ、事件に群がるマスコミやネットによる誹謗中傷にも触れ、見応えがある。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      終盤まで脇目もふらずに見た。傑作の声もあろう。被害者家族と報道、ワイドショー化するマスコミを冷徹に描いた点は評価したいが、東海テレビの『さよならテレビ』を劇映画化したような、というより置き換えた感が強い。後半はフィクションへ昇華できる場だったはずだが消化不良。石原は熱演だが、ケレン味のある演出でこそ映えるタイプなので本作のようなスタイルでは一人浮いてしまう。低温の中村倫也が印象深い。着想と演出力は抜きんでているが、はぐらかされるのは「空白」同様。

  • 碁盤斬り

    • 文筆家

      和泉萌香

      確かな四季のうつろいを感じさせるライティングに夜の雨の描写に音楽、もちろん、終盤に向けて(前号でのインタビューの言葉を借りるならば)「汚く」なっていく草なぎ剛はじめ役者陣の演技の、スタイリッシュに映画を支える見事なアンサンブル。終始健気な娘に用意される最終的な場所といい、やや美しくまとまりすぎているような印象の中、クライマックスのアクションシーンからの血飛沫は鮮烈。<正しいこと>の曖昧さに揺れる主人公同様、悪役の複雑な表情ももう少し見たかった。

    • フランス文学者

      谷昌親

      落語『柳田格之進』を基にして、格之進が浪々の身となった背景に武士同士の確執を盛り込み、時代劇らしい展開をうまく作り出している。全体に、初の時代劇に挑んだ白石和彌監督の意気込みが伝わってくるのだが、ダッチアングルや移動撮影を多用せず、もう少し腰を据えて取り組んでもよかったのではないか。さらに、草なぎ剛が演じる格之進は、囲碁の打ち方にもその実直な人柄をにじませてみごとであるものの、実直さゆえの悲劇を感じさせる人物造形にまで至っていないのがやや残念だ。

    • 映画評論家

      吉田広明

      古典落語の題目だけあって、話は磨き込まれて堅牢、美術もしっかりした作りで、場面が変わるごとに感心させられる。俳優たちも素晴らしい。ただ、例えば居酒屋の場面で、会話している主人公たちからカメラが後退し、手前の卓の二人を舐めながら回り込んで再び主人公たちに回帰する意味のない長回し、清原が吉原の大門をくぐる場面での妙な画面効果など、小細工が目について五月蠅い。主人公をストイックに作り過ぎていささか堅苦しく、人間としての幅、魅力が感じられないのも難。

  • 湖の女たち

    • 文筆家

      和泉萌香

      同時期に鑑賞した他作品にもあったが、他人を好きになることを半ば「決める」、周囲は理解し難い二人だけの倒錯的な関係に身を投じてみるのは現代において一番──本作の台詞を借りるなら頭がおかしい、おかしくなれる、ような──体験であるかもしれないし結構なこと。施設での殺人事件と関係者の愛欲関係という場所から出発し、戦時中の日本軍の残虐さにも話は触れるも深まりはなく、バランスを崩したまま、突如発せられる「世界は美しいか否か」の問いにはひたすら違和感があった。

    • フランス文学者

      谷昌親

      介護療養施設での殺人と強引な捜査があり、男女のインモラルな関係があり、それらが最終的には戦時中の731部隊にまでつながっていくという、深さと広がりのある物語が、ぎくしゃくしながらもなんとか映画に仕立てられている。逆に言うと、ぎくしゃくしているからこそ成り立つ作品なのかもしれない。集落のなかをめぐる水路を生活用水として使い、介護の合間に琵琶湖の夜明けを眺め、その琵琶湖に最後は身を投じるヒロインの佳代が、なんとも不可思議な潤いを画面にもたらしている。

    • 映画評論家

      吉田広明

      731から相模原を経て、名を記すも筆の穢れ杉田某に至る、生産性なき者死すべし論の系譜と、これも731につながる薬害捜査を権力で握りつぶされて精神が歪んだ刑事の部下へのパワハラ、その部下の事件関係者への性強要という権力の負の連鎖。この二つの系譜の接合がいささか強引な印象はあるが、作り手の怒りはひしひしと伝わる。ただ、弱者への卑劣な性強要にしか見えない福士と松本の関係を、生産性から外れるオルタナな愛の形を提示しているとするのはかなり強弁な気がする。

  • ボブ・マーリー:ONE LOVE

    • 俳優

      小川あん

      レゲエとソウルが体に染みている私にとって最高の映画。偉大なミュージシャンの魂を描くときに必要とされるのは、その生き様を限られた時間のなかでどう映すか。本作ではボブ・マーリーの“笑顔”が印象付けられている。その瞬間を見逃していなかった。それだけで涙できるのだから、充分だ。ドキュメンタリー含むボブ・マーリー関連の作品はすべて良い。そう、何があろうとも世界は"one love"だから。エンドロール、彼の鼓動に合わせたリズムに自然とからだが動いてしまった。ラスタファリ!

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      音楽伝記映画として飛びぬけた出来というわけではないし、演奏されるマーリーの曲がほぼすべて彼本人の音源から取られている(つまり口パク)のが、「ボヘミアン・ラプソディ」あたりと違って正直上手くいっていないように見えたりするのだが、ラスタファリズムをごまかさないでちゃんと描いているあたり誠実な作りだと思う。バックステージもの好きとしては、楽曲が生まれるプロセスを描いたシーンががぜん面白い。マーリー夫妻を演じるふたりに魅力があり、ボブ以上に妻のリタに興味がわく。

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      レゲエの巨人ボブ・マーリーの絶頂期を描いた音楽映画。いわばレゲエ版「ボヘミアン・ラプソディ」を狙ったと言えるが、残念なことに肝心のライブの描写が、楽曲に当て振りしているだけなので全然盛り上がらない。また群衆CG技術を多用しており、これまたCG感が強くて醒めてくる。「ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド」という傑作ドキュメンタリーが既に存在しているだけに悲しい。それでもマーリーの楽曲には突き動かされるものがあるので、楽曲力に星ひとつ追加。

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