映画専門家レビュー一覧
-
うさぎ追いし 山極勝三郎物語
-
評論家
上野昻志
癌が作れれば、癌を治せるという信念のもと、実験によって人工癌を発生させ、その後の癌研究に道を開いた山極勝三郎という人のことを、本作で初めて知った。その点では、ありがたかったが、前半の、信州上田から、東京の山極家に婿養子として上京し、東京帝国大学の医学生になる若き日の勝三郎役の演技が、悪いけど学芸会並みで、物語の牽引力を削いだ。あと、兎の耳で実験を重ねるという本筋で、病気による兎の死以外に前途を危ぶませる問題がなかったのか気になった。
-
映画評論家
上島春彦
公式的な偉人伝でなくユーモアあふれるのんびりした感じを目指しているのに好感。賞を取れなかった人というフェイントが効いているわけだ。だがそういうのは難しいんだね。立派な人でした、という線を最終的に避けるわけにはいかないから。それで星が伸びなかったものの、お菓子のつもりでうっかり正露丸を食べてしまい、その瞬間実験動物の色を変えることを思いつく脚本が上手い。最初から金平糖と主人公の関係で話を進めていく作りである。教育レベルの高い上田市ならではの企画だ。
-
映画評論家
モルモット吉田
かつて神山征二郎が撮っていたような立身伝映画のバリエーションなので真面目な作りだが、エンケンと岡部尚が中心に来る配役がとんでもないので良い意味で古めかしさが無い。エンケンに学生服を着せて晩年まで演らせるのも支持。映画はこうでなくては。低予算映画で江戸東京たてもの園を使用すると観光地的アングルそのままに無造作に撮っていて興ざめすることがあるが、本作はちゃんと構図を工夫して空間的広がりにも留意し、映画屋なら当然と思えない事が多い昨今、技倆を感じる。
-
-
ねぼけ
-
評論家
上野昻志
大事なことがありながら、目先の楽なことに逃げる。誰にでも多少はある人間の弱さだが、この男は、肝腎の落語はおろそかにして、酒に逃げ、女に逃げる。まったくしょうもない奴だが、どこか憎めないところがある三語郎に友部康志はぴったりだ。こいつが、どこで正面切って落語に向き合うかという話だが、師匠役の入船亭扇遊師匠が、なんとも渋くてカッコいいのだ。対して、三語郎を支える村上真希扮する真海は、優しい佇まいはいいのだが、内心の屈折がいまひとつわかりにくい。
-
映画評論家
上島春彦
私は一時期ずっとカセットテープで落語の「替り目」を聞いていた。志ん生バージョンである。この映画もそれを基にしているようだ。また「ファット・シティ」を思わせる話の流れも、まあこれしかないんだろうな、とは思わせてくれる。酒は怖いよ。むしろ思いがけないのは主人公の恋人の方の事情であり、彼女もまた一種の依存症であると分かる作り。ただし、きちんと出来てるわりに星が伸びないのは、ありがちなネタでこしらえている感じがぬぐえないからだ。役者は好演で見応えあり。
-
映画評論家
モルモット吉田
ちゃんと正面からクズを描いている。控え気味でも過剰になっても嘘くさくなって監督の人間を視る目が露呈するというのに、彼女に優しくされるほどに露悪ぶってサディスティックに振る舞う主人公のクズぶりから目を逸らさない。人間を描く質が上等なのだ。売れない落語家を演じる友部の奇怪な容貌(失礼)が素晴らしい。喜怒哀楽が全身から噴出して体内を循環して表情に現れた時、物語は大きく動く。それゆえ彼の表情が凝縮されるクライマックスに感動。壱岐紀仁、要注目監督である。
-
-
はるねこ
-
評論家
上野昻志
森を撮ったショットに惹かれる。その森の奥へ延びた道の途中にある太い木を越えると、人が朧に消えていく、というのは悪くない。もっとも、最後になると、その細い道筋に死体が累々と横たわることになるのだが。そこに到るまで、禍々しい情景と懐かしさをそそるような情景が交差するが、それを一連のこととして持続させるのは、歌と物音だ。歌は懐かしく流れ、音は不穏に響く。それらは確かに、ある種の統一を形作ってはいるのだが、そこに没入させるほどの磁力は感じられなかった。
-
映画評論家
上島春彦
森のスモークの流れ方、人間の消え方、揺り椅子の動き方、それにトンネルの「結界」的な感覚など画面の面白さは一見の価値あり。わけありの人々を乗せ移動する車のセンスも良く、というか画角の切り取り方が上手いのか、これも見どころと言える。劇的葛藤を期待させるゆるゆるした運動感覚もいい。音楽のことは私じゃ判断のしようがない。アコギ感めちゃ高でニューフォークみたいだが最近はこういうのが流行りなのか。日本風ソニマージュという線で悪くないが物語は弱いでしょ。
-
映画評論家
モルモット吉田
「マジカル・ミステリー・ツアー」を大和屋竺が劇団天象儀館で撮ったらこんな映画になったかも、などとあらぬ妄想に駆られるほどマジックリアリズム的世界がいとも簡単に出現し、監督が自ら作曲し唄ったという楽曲と共に引き込まれてしまう。木漏れ日、流れゆくスモーク、チェアに横たわるりりィの美しさ。音響を軸に映画が組み立てられているだけに爆音で観れば全く別の貌が耳を奪ってくれそうな予感。繰り返される〈がっしゃんどん〉の語感の心地よさは〈どですかでん〉を超える。
-
-
風に濡れた女
-
映画評論家
北川れい子
神代辰巳監督の傑作「恋人たちは濡れた」(73年)の一部引用はご愛嬌として、人物、台詞と会話、そして濡れ場も、70年台前後のヒッピー族やアングラ芝居連中の生き残り的なのには苦笑い。ケイタイも使われているから現代なのに。思うにリアルなセックスなどにさして関心がない塩田監督が、アタマの中でデッチ上げたセックス・ゲームのような作品で、だからか、脱ぎっぷりのいい女優たちが次々と男に絡んでも、裸の機械体操並で画面も“風”も濡れもしない。草食系向きのポルノ。
-
映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
ロマポルリブート五作を見渡してほとんど一番好き(「ホワイトリリー」と同着)。九十年代Vシネ風土的なものと塩田明彦監督の本来的資質の、ポップさ&何でもありの楽しさが横溢し、キャメラと人の動きと空間が観ていて快感。それを満たす間宮夕貴の野性味にも惚れる。だがロマンポルノという語の呪縛よ、本作が参照する「恋人たちは濡れた」やその他の傑作を思えばこの喜びも萎縮する。しかしロマンポルノ規定から本作も生まれた。その不自由との巧みな戯れをやはり称えたい。
-
映画評論家
松崎健夫
このプロジェクトは即ち、各々の監督による〈ロマンポルノ大喜利〉なので、「作品個々の評価よりもプロジェクト5作品内で相対的に評価すべき」というのが個人的見解。官能的というよりも野性味を感じさせる間宮夕貴の役作り。濡れ場は格闘技のようで、その肉欲がヒロインをより輝かせている。塩田明彦監督は、〈大喜利〉でロマンポルノの名作にオマージュを捧げながらも、終盤で「ゴッドファーザー」(72)のごときカットバックにより3つの濡れ場を同時に演出しているのも一興。
-
-
ニーゼと光のアトリエ
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
モデルとなった実在の女性医師ニーゼ・ダ・シウヴェイラが1940年代に学んだサウヴァドール医科大学は、男子と女子の比率が157:1だったそうだ。つまり本作は精神科病棟における非人間的治療の横行に抗して患者の尊厳を説くと同時に、自らに対する偏見と妨害を弾劾している。しかし本作の重要さは、マイノリティ擁護のメッセージ性に留まらない点だ。作業療法の実り豊かな治療実績が、コクのある撮影・照明をもって綴られ、映画それじたいも尊厳をもって扱われている。
-
脚本家
北里宇一郎
“精神は身体と同様に自己治癒力を持つ”というユングの言葉に頷き、実践する女性医師を描いて。この映画、日本製ドキュメンタリー「幸福は日々の中に。」と同じ匂いがする。精神病者にも感情があり、感性がある。それをここでは美術創作を通して描き。女をはさんで二人の男。その片方が嫉妬に焦れる、そこを無言のカットで見せた、この監督の記録映画タッチ。試みが周囲に理解されぬ女性医師の悔しさが観てるこちらにも乗り移り。男性医師がいかにも悪役風なのがこの作品の小さな不満。
-
映画ライター
中西愛子
ブラジルの精神科医ニーゼ・ダ・シウヴェイラ。彼女が旧態依然とした医療現場と闘いながら、絵画を介するセラピーを取り入れ、患者たちと向き合う日々を描く。ロボトミー手術が脚光を集めた1940年代、絵筆で根気よく患者の心に近づく治療は奇妙でしかなかったろう。でも、今となってはその姿勢はむしろ受け入れやすい。ニーナ役のグロリア・ピレスの説得力と病院のリアルかつ節度ある描写が、娯楽映画の平易さを備えつつ、患者の複雑な精神に宿る闇と光を確かに炙り出している。
-
-
フィッシュマンの涙
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
上半身が魚になった主人公のグロテスクな姿をめぐり、臨床実験を行った製薬会社の邪悪さをえぐり出す風刺喜劇、と言いたいところだが、グロテスクなのは本人以上に彼の自称“恋人”、父親、親友、弁護人ら周囲の人間たち。彼らは口角泡を飛ばして言い分をまくし立てるばかりで、モンスター本人はただ立ちすくみ恐縮する。周囲が大きな声でワァワァ主張し、他者は苛立ちと嫌悪の対象でしかない。私は恐怖を感じ、気分が悪くなった。つまり、いささか意図が効き過ぎているのだ。
-
脚本家
北里宇一郎
下半身が魚ならロマンティック・コメディになるが、上半身が魚だとホラーになる。さて、こちらの魚男は風刺劇。貧乏フリーターが製薬会社の臨床実験の結果、突然変異――なんていう事情は、わが日本の現実と重なって見え。大衆の同情が集まり人気者になるが、すぐさま立場が逆転、石もて追われる身となる――てな展開も、ポピュリズムやマスコミ報道などを批判してピリッ。ただ、お話も人物描写もパターンというか、型にはまった味気なさを感じる。そこが食い足りなくて。残念。
-
映画ライター
中西愛子
収入を得るために製薬会社の新薬治験に参加し、副作用で魚男に変身した男。行き先のない彼と関わることになる新米TV局記者と恋人の騒動は、思わぬ展開へと進む。無個性で気弱で優しく、競争社会からこぼれ落ちてしまったような魚男。彼は私たち誰の中にも潜む“ある部分”かもしれない。ユーモアと社会風刺の効いたテイストが絶妙だが、最後をファンタジーにしてしまったのが惜しい。それでも、欠点も魅力に見えるキャラクターたちは忘れがたく、心に大切にしまっておきたい作品。
-
-
皆さま、ごきげんよう
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
イオセリアーニの映画は、ジャン・ルノワール的環境が現代に可能なのかについての問いである。その問いは苛酷であると同時に、楽天性と無責任さに包まれる。革命期フランスのギロチン広場、内戦下のジョージア(?)、現代パリ市街が無手勝流にポンと投げ出され、場面と場面が乱反射する。まさかイオセリアーニ映画で爆弾が爆発するとは予想しなかったが、これも彼の考える現代的ルノワール性の一例かと。彼の映画は私たちの平凡な生活にボヘミアン的一撃を加えてくれる。
-
脚本家
北里宇一郎
相変わらずのイオセリアーニ・タッチ。パリに住む爺さん二人が喧嘩したり仲直りしたり。その間を風変わりな人々が出たり入ったり。話はあってなきが如し。そのスケッチ的コントを気楽に眺めて。ただ、お年を召したせいか、ちと演出の筆遣いがおぼつかなかったり、平板な箇所があったり。導入のフランス革命、続く(架空の)戦場の挿話は面白いけど、本筋との繋がりがよく見えなくて。そのへん、現在のジョージアの事情を投影しているのかも。ま、この監督の味を楽しんだことは確か。
-