映画専門家レビュー一覧
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ディスタンス(2016)
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
ホームビデオの延長だ。だがそれが悪いことだとは思えない。こういうものが増えてもいい。軽便なキャメラがダイレクトシネマやヌーヴェルヴァーグを産み、ハンディカムがアダルトビデオを変えたように、機材の変化によって映像とそれを観ることの感性は変わっていくべきだ。本作は撮ることの機材的な容易さが招く緩やかさのなかに、それを非難できなくする、光る瞬間を持つ。兄の顔は父に似ており、家族全員の音楽に対する反応がまた似ている。家族とは反復、甘美な呪い。その記録。
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映画評論家
松崎健夫
厳しい〈現実〉から目を逸らし、受け入れたくないがために、相手に対して冷たくしてしまうことがある。当然、〈現実〉は何も変わらない。本作はビデオカメラというフィルターを通すことで〈現実〉と対峙する監督の姿を、観客は監督の「眼」=「ビデオカメラ」で〈見る〉行為によって共有してゆく。同時に過去の家族ビデオ映像が記憶や思い出の役割を担い、観客は監督の人生を追体験し〈現実〉を考えてゆく。つまり〈見る〉行為が、やがてある結末を導いてゆくことは必然なのである。
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トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
映画史的な知識としては知っていた筈の話でも、こうして生身の役者たちによって熱を込めて演じられると、あらためて事実の重みに震撼せざるを得ない。トランボ役のブライアン・クランストンが素晴らしい。クレジットを見るまでわからなかった妻のダイアン・レインも。信念を貫くとは如何なることかを黙々と丁寧に描いた監督の誠実さにも惜しみない賞讃を送りたい。こんなに胸が熱くなった映画は久しぶり。しかしこれを見てますますコーエン兄弟が何を考えてるのかわからなくなった。
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映画系文筆業
奈々村久生
裸でバスタブに浸かりながら執筆するトランボの姿が強烈だ。電話も灰皿もすべてその中から手の届くところにある。バスルームが彼の書斎だった。それが生前のトランボのスタイルを再現したカットであることは、後に出てくる本人の写真が物語っているが、フィクションとしては口惜しいほどにビジュアル映えすると同時に、長らく日の目を見ることができなかった彼の苦境が、ユーモラスな味わいの後からじわじわと染みてくる。ジョン・グッドマンの振り切れた好演も感動レベル。
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TVプロデューサー
山口剛
ハリウッドの赤狩りという歴史的政治的事件を、一作家の家庭に絞って描くという意図は成功している。最後にトランボ本人が終始支えてくれた家族、特に娘に対し述べる謝辞は感動的だ。彼らの団結に大きな亀裂を与えた、カザンやオデッツ、ドミトリクの証言には触れず、友好的証人として、ジョン・ウェインとE・G・ロビンソンしか出さないのは、いささか疑問だが、赤狩りの問題は今後もなお語られるべきで、このような作品が作られるアメリカ映画界の土壌には敬意を表する。
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ヤング・アダルト・ニューヨーク
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
なんてヒドい日本語タイトル笑! 原題は“While We're Young”。大好きな「ライフ・アクアティック」の脚本家ノア・バームバック。評判の良い「イカとクジラ」は観てないのだけれど、ポスト・ウディ・アレンと評されるのは非常によくわかる知的でスノビッシュなヒューマン・コメディに仕上がっている。人物設定と会話のくすぐりだけで持たせるセンスは卓越しているが、ちょっと地味過ぎるかもなあ。こうしたジェネレーション・ギャップは日本にもあるが、映画にはならないだろうね。
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映画系文筆業
奈々村久生
文科系ベン・スティラーの真骨頂! コメディもいいけど、何といっても「リアリティ・バイツ」の監督なのだから、バームバックとの相性は抜群だ。中身の未熟を実年齢に無理やり合わせるのではなく、自分の中の子供を認めることで大人になる。そのためには親になる既成事実よりも先に、それを望むか否かの意志が尊重されているわけで、そこにたおやかな反骨の精神を感じる。若者世代のアダム・ドライバーの憎たらしさがまた最高で、斜めに流した前髪だけでもムカつく(褒め言葉)。
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TVプロデューサー
山口剛
助成金を頼りにインディ系のドキュメンタリーを撮っている四十代の監督夫妻と映画監督を目ざす二十代の夫婦の交流がコミカルかつシリアスに描かれる。世代論、芸術論を織りまぜた才気のあるタッチは軽快で面白くウディ・アレンの再来と評されるのも納得できる。ベン・スティラー快演。この手の主人公たち、わが国なら親が資産家でもない限り「極貧」と決まっているが(「お盆の弟」)、それなりにファッショナブルなニューヨークの生活を楽しんでいるのは、国情の違いか?
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HiGH&LOW THE MOVIE
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映画評論家
北川れい子
ドラマ版のことはまったく知らないが、ド派手にショーアップされた喧嘩バトルムービーで、というよりもミュージック・ビデオ仕立ての喧嘩バトルとでもいうか。この辺り、さすがEXILEとそのご一党の面々の持ち味全開で、大音響のロックに激しいアクション、スタイリッシュな映像も、パワーとスピード感がある。族ごとのファッションも奇抜で楽しい。が若者と言うにはかなりトウが立ったAKIRAのキャラが思わせぶりで、その意図も幼稚。殴り合いで仲直りというのも痛ッ!!
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
EXILEメンツのいままでの映画出演は所詮借りてきた猫。彼らの本来の姿やパフォーマンスで見せるイメージに近い、いわばEXILEのEXILEによるEXILEのための映画が本作だと理解。苦手なタイプの人々の大挙にメゲそうになるが、面白く、もう一度観たいほど。話は雑だがやたらカッコつけるところと、キャラごとのアクションの描き分けが良い。特にパルクールは目を惹く。邦画ヤンキーものとリュック・ベッソン製作「アルティメット」シリーズのハイブリッドを夢見させる。
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映画評論家
松崎健夫
本作は、基本的に〈アイドル映画〉の文脈で語らなければならない。そのため、何十人ものキャラクターに各々の見せ場がある。そんな中でも最大の見せ場は、映画中盤における乱闘場面。限られたスケジュールの中で、大人数のキャストにスタントを負わせ、物量作戦による同時多発のアクションを実践させたアクション監督・大内貴仁の功績は大きい。またグラフィティアートが描かれたコンテナを積み上げた空間でアクションをさせることにより、映像内情報量がさらに増しているのも一興。
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大怪獣モノ
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評論家
上野昻志
おバカ映画である。だが、これがいいのは、おバカ映画であることを十分に自覚して、それに徹しようとした作り手の心意気が全篇に漲っていることだ。STAP細胞ならぬセタップ細胞といい、地底から現れた大怪獣といい、それを「あの子」と呼ぶ環境団体といい、わずか数名しかいない自衛隊といい、予算の関係もあろうが、見るからにチャチな道具立てを臆面もなく繰り出して、一篇の映画を作ってしまう、その心意気。おまけに、なぜか毒蝮三太夫までが登場してきては、笑うしかない。
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映画評論家
上島春彦
この手の怪獣物は褒めるのも妙だがけなすのも妙。優れているのはつじつま合わせの三人一役コンセプトであり、プロレス好きなら楽しめること疑いなし。怪獣が、奪われた子どもを追って人間界に現れるという定番パターンも、ラストのひねりが効いていて上首尾である。ただ不思議なことに脚本はきっと笑えたのだろうが、画面はそれほど面白くない。特筆すべきはチープなりに本格的な大自然ミニチュア特撮で、スタッフに優秀な人材を集めたのだろう。私も毒蝮には最大級の感謝を捧げたい。
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映画評論家
モルモット吉田
他の大手映画会社が台風を過ぎ去るのを待つ中、「シン・ゴジラ」に便乗して企画をでっち上げる映画屋的な心意気は買い。とは言え、いつもの河崎実映画なのでお好きな方はどうぞという感じだが特撮には筋金入りの監督なので軽薄なパロディにはなっていない。殊にプロレスラーの飯伏を起用したことでモーションキャプチャーを嘲笑うかのようなリアル怪獣プロレスを実現させ、肉体と映画の厚みが独自の魅力に。特別出演の顔出しが多すぎて、その度に展開が停滞してしまうのが惜しい。
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いしぶみ
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映画評論家
北川れい子
321人という無機質な数ではない、1人1人、家族がいて友達や先生がいて、それぞれの人格を持っていた旧制の広島二中の子どもたち。薄暗いスタジオに置かれたいくつもの木箱は、さしずめお棺の模型か。それにしても原爆投下による阿鼻叫喚的なシーンは一切ないのに、このスタジオをベースにして紹介される1人ずつの遺影と氏名、ささやかなエピソードは、粛然とするほどリアルに心に迫る。綾瀬はるかの余白のある淡々とした語りも、想像力を喚起させ、関係者への取材も余韻を残す。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
綾瀬はるかは“海ゆかば”のアクセントや幾つかの語の切り方が気になるが、清潔さ(のイメージ)を持ち、この企画に相応しい。おーい広島二中のみんな、はるかおねえさんが見えるかー、これは君らに供えられたスピリチュアルなグラビアだぞー。本作のルーツ、松山善三・杉村春子版『碑』は未見だが、この版はそこでは優るかも。選挙番組では辛辣の権化である池上彰が本作で生存者に対するときなんと柔和なことか。オバマ広島訪問にあった表層化に抗う作品。その意図に賛同する。
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映画評論家
松崎健夫
昨今の〈不謹慎狩り〉なるものは、事象に対して直接関係ない第三者の声が大きいのではないか? と指摘されている。本作では広島の原爆から生き残った人々の声も綴られてゆくのだが、彼らの多くは「なぜ自分だけが生き残ったのか?」という苦悩を抱えている。ここには〈不謹慎狩り〉に対するひとつの答えがある。我々は世の不幸を全て受け入れることは出来ないが、それでも生きてゆかねばならない。それゆえ、綾瀬はるかのバックグラウンドを鑑みて、彼女が朗読する意味をも見出すのだ。
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野生のなまはげ
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映画評論家
北川れい子
“なまはげ”役の方に星一つを差し上げたい。あんなにデカくて重そうな冠りものに全身、藁やら何やらのナマハゲ・コスチューム。そんな姿で走ったり、跳んだりのおとぼけ演技、ゆるキャラどころか、重キャラもいいところ。ま、それはともかく、脚本も演出も実にデタラメ、不細工なのに、どこかくすぐったいような愛嬌があり、ロード・ムービー仕立てというのもアッパレ。CGとは無縁のオール手造り感も、こちらの郷愁を誘うものがある。新井監督、ずっとおバカな映画をよろしく!!
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
なまはげが実在する天然記念物の生きものだったら、という仮定のなかに、なまはげが呼ばわる“悪い子はいねえかー”の叫びの対象となる悪い子、やんちゃで親の言うことを聞かない子もまた、現代において希少な存在ではないかという問いが潜ませてある。それが本作のなまはげと少年の絆の芯となっている。日本映画っぽくないギャグセンス、ふざけ方は好きだ。サタデーナイトライブ系のコメディアンがつくる米国製コメディー映画の方向ではないだろうか。この志向、継続して欲しい。本作もまたそう思わせた。
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映画評論家
松崎健夫
「悪い子はいねがー」と子どもたちに迫る“なまはげ”は、表情もなく、同じ台詞を繰り返す。しかし、包丁を持って主人公を追いかける姿は、映画冒頭と終盤で異なる意味を持っているように見える。それは、映画全体を通して〈モンタージュ〉を構成しているからである。“なまはげ”=“希少動物”が現代の「悪い子」と行動を共にするうち次第に同化してゆくのは、〈感動の動物映画〉の物語構造を持たせているからで、現代社会において「悪い子」のあり方が変化しているからでもある。
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