映画専門家レビュー一覧
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手をつないでかえろうよ シャングリラの向こうで
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映画評論家
松崎健夫
「『お金がない!』の取立屋コンビでドラマやってください!」と提案した過日。初対面なのに随分と失礼なことを言ってしまったな、と後で猛省したが、今井雅之さんは「色んな事情はあるけど、やりたいね!」と、我が戯言にも熱く答えて下さった。自身で主人公を演じる脚本を書いて世に出た今井さんらしい“自分の力で夢を?む”ことが描かれている本作は、彼の遺志を継ごうと集まった人々の“想い”によって作られていることが大前提。故、当文面も“想い”になってしまうのである。
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或る終焉
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映像演出、映画評論
荻野洋一
見始めた当初の印象は、カットとカットが有機的に繋がっておらず、一枚一枚の画作りで自足していると感じられた。この監督は映画の呼吸がわかっていないぞと。しかし見進めるうちに、その考えが間違いだと気づいた。ティム・ロスが終末期ケア専門の看護師を演じる本作では、登場人物たちのあり方そのものがカットの孤立を要請するのであり、小気味いいカット割りを自粛させたのだ。映画的快楽を時には自らに禁じる姿勢もまた、映画芸術の魅力だという逆説を教えられた。
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脚本家
北里宇一郎
看護師版「おくりびと」みたいな話で。終末期を迎えた人間がどう安らかに生きられるか、そこに心配りした看護師のケアぶりが淡々と綴られて。この男、どこか自己を殺している風情。どうもそこには、自分の息子の死が影を落としてる。その償いというか、自己に罰を与えるために、死を目前にした者と向かい合っている気がする。いわば死に囚われた男、それゆえの献身ぶりが切ない。T・ロスの抑えた演技。それをじっと観察しているようなM・フランコの脚本と演出。胸に錘がおりた。
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映画ライター
中西愛子
終末期患者の看護をする中年男。家族と疎遠になって以来、ひとり暮らしをし、患者のもとに通う日々を送っている。陽光のふり注ぐどこかの町で、生と死が隣り合わせにある日常。扉の向こうの家族には見えない、ケアを通しての密な対話。繊細かつ人肌が匂うほどの生々しい描写力に唸る。ティム・ロス扮するこの男は、しかし素朴な善人ではない。人間の矛盾を見つめた物語だと思っていると、いつしか世界の矛盾という厄介な問題にねっとり絡みついた映画だとわかり愕然とする。傑作。
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若葉のころ
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
ルゥルゥ・チェンは文句のつけようのないルックスをしている。彼女を捉えるカメラはその可愛らしさを増幅するべく完璧に機能している。筋の運びや心理描写は、あくまで画面の魅力から逆算されており、個々のシーンも、ワンショットごとに切り取ってもCMかMVの一部であるかのようなクオリティを誇っている。だが、それだけだ。ここには安易な感傷と都合の良いノスタルジー以外、何もない。メインイメージにも映っている自殺した女優シンディーの名前はプレスリリースに載っていない。
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映画系文筆業
奈々村久生
アイドル映画としての効力は絶大。ヒロインの女優を知らなくとも観終わる頃には彼女を好きになっているような撮り方をしている。少女の制服の短いスカートから伸びた脚をとらえるフェティッシュな目線にも迷いがない。親娘二代の物語にすることで、近年アジア映画圏で流行りの、過去と現在の時間軸を行き来する構成を取り入れているが、スローモーションを多用したカメラワークなど観る者のノスタルジーと感傷に頼る部分も多く、よくできた壮大なMVに見えないこともない。
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TVプロデューサー
山口剛
侯孝賢を敬愛とするいう監督の第一作である。全篇を貫く初々しい清潔感には好感をもてる。台北に住む十七歳の少女とその母親の三十年前の恋がカットバックで描かれる。二役を演じるルゥルゥ・チェンがチャーミング。手書きの恋文とEメール、軍服のような制服とミニスカートといった対比は効果的だが、時代の社会的背景が十分に伝わって来ない。三十年前と言えば戒厳令解除、民主化の時代である。その辺が描き込めればもっと奥行きのある作品になっただろうと思うと残念。
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エンド・オブ・キングダム
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翻訳家
篠儀直子
「ドローン・オブ・ウォー」が告発していた劇的な不均衡が背景にあることを思うと非常に割り切れない思いがするし、考えているうちにだんだん積極的に不愉快な気持ちになってきてしまうのだが、そもそもこの映画は考えることなど要求してはいないのだから、モーガン・フリーマンがイイ声で説明台詞をしゃべっているのも含め、そういうものだと思って(あきらめて?)画面を眺めていれば、スペクタクルとして楽しい。テロリストのアジトへ主人公が侵入する直前の、市街戦の撮影がいい。
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映画監督
内藤誠
英国首相が急逝し、葬儀のために世界の要人がロンドンに集結。厳戒態勢にもかかわらず、爆発テロが起きてしまう。日本なら劇画でしか出来ないことをハリウッド映画はやるから怖い。膨大な火薬量の消費で、レプリカとはいえ、セントポール大聖堂を中心とした市街地や鉄橋が破壊されていく。絵空事とはいえ、ゴジラの都市破壊とは違い、インターネットの使い方など妙にリアリティがあり、伊勢志摩サミットを控えた日本人の目には無気味。悪趣味映画として日本篇もできるのだろうか。
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ライター
平田裕介
大統領夫人を救えなかった苦悩などを抱えていたJ・バトラーだが、それも前作内で解消済み。スッキリしたところで、前作以上に殺りまくる。ヘタな悶々を排除し、より派手な見せ場を繰り出してくれるのは大歓迎だが、ホワイトハウスという閉鎖空間からロンドンに舞台を移したのにその広がりを活かせず。名所が映り、壊されるだけといった感じ。とはいえ、路地から敵のアジトへ銃撃しながら乗り込んでいくのを追うワンカット、後ろ向きでジョギングするバトラーには目を?いた。
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素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店
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翻訳家
篠儀直子
必ず訪れる死を意識しながら生きるとは、生を濃密に経験することにほかならず、そうやって主人公が人生に目覚める物語なのだなと思っていたら、それだけにとどまらず後半怒濤の展開に。伏線が行き届いていて語りもスムーズ、とても可愛くて魅力的な映画。ところでオランダは、深刻な苦痛を抱える患者が死を望んでいる場合、末期症状になくとも医師による自殺幇助が合法となる国なので、オランダ国内においてこの映画は、われわれが思うよりもずっと切実に受け止められているのかも。
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映画監督
内藤誠
自殺に失敗ばかりしている男の話では筒井康隆の『俗物図鑑』があり、拙作映画では大林宣彦監督が予想外の怪演をしてくれたけれど、この北欧作品でも主人公ヤーコブをコーニンスブルッヘが演じ、奇妙な論理とブラック・ユーモアで笑わせる。ヒロイン役のジョルジナ・フェルバーンは、平凡な女の子として登場しながら、見ているうちに車の知識や運転の巧さといった特技を隠し味にして魅力的になっていくのがみごと。脇役陣も適格だし、ロケーション地もよく、マイナーポエットの佳作。
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ライター
平田裕介
可愛らしくて意外と深い「ゲーム」といったところか。大富豪が主人公ゆえに随所に充満するラグジュアリーな雰囲気、高いプロ意識を持つわりにはなんだか間の抜けたところのある自殺請負会社メンバーのキャラ造形、生、死、愛、幸福といったものをまるっと含め、しっかと見つめた人生観をめぐる物語が、絶妙な匙加減によって心地よく絡み合っている。ヒロインの存在が主人公のみならず、どんでん返しともいうべき作劇上のサプライズにもなっていくのも巧みだ。で、その彼女がこれまた美しい。
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復活(2016)
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翻訳家
篠儀直子
久しぶりのケヴィン・レイノルズだがどうもぱっとしない。忽然と消えたイエスの遺体をローマの軍人が捜索するというアイディアはなかなかいいのに、捜索過程に冴えたエピソードが一個も入ってないのが痛い。さらに、復活したイエスを彼が目撃したあとの展開は、誰もが知っているエピソードを、さしたる工夫もなしに画にしただけ。主人公が、まるで非キリスト教徒を代表してイエスにインタビューしているかのようである終盤のシーンも、やり方によっては相当面白くなったはずなのだが。
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映画監督
内藤誠
聖書を素材にした映画は、数多くあるが、この作品がユニークなのはイエスを処刑にした百人隊長クラヴィアスという架空の人物を設定し、その視点から復活の奇跡を描いていることだ。彼は部下たちに命じて、死後三日にして復活すると予言して死んだイエスの墓を厳重に見張らせる。しかし、遺体は消えてしまい、クラヴィアスは茫然自失。信じがたい謎を探るべく、彼はイエスとその使徒たちの追跡を始める。聖書の内容とフィクション部分がカットバックされる構成が新鮮で興味深い。
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ライター
平田裕介
興行的にはパッとしなかったものもあるが、手掛けた作品すべてがハイクオリティ。そんな名手ケヴィン・レイノルズが監督と脚本を務めているだけに期待は募った。実際にキリストの復活を彼の死体消失ミステリーとして描いていくのは確かに巧いし、合戦シーンなんかも用意してグイッと引き込んでくれるわけだが、それも中盤まで。結局は聖書通りらしき話になっていく。信じる者しか救わないのは勝手だが、信じる者しか楽しめない作品が劇場公開されるのはなんだかなぁという感じだ。
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エルヴィス、我が心の歌
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
題名だけ見て、てっきりエルヴィスの伝記映画だとばかり思っていたら、全然違っていた。監督アルマンド・ボーはイニャリトゥ作品の共同脚本を手掛けてきた人とのことだが、どういう要素を担っているのかなんとなくわかる気がする。妄執の物語であり、絶望の物語であり、狂気の物語なのだが、なぜ今になってエルヴィスなのかといえば、ジョン・マキナニーという存在ありき、ということなのだろう。この人、歌は確かに上手い。しかしこのラストは好きではないな。安易じゃないですか?
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映画系文筆業
奈々村久生
自らをプレスリーの生まれ変わりと信じる男の寝顔が印象的だ。事故で生死をさまよう妻の手術中も、妻の意識回復を待っている間も、その妻が意識を取り戻すときも、彼はいつもぼんやりと眠っている。現実の厳しさから常に半歩逃避してきたような彼の中に流れる時間がその寝顔に垣間みられる。「キング・オブ・コメディ」や「タクシードライバー」的な主人公の思い込みの激しさが喜劇にもヒーローにも結びつかなかった悲哀が染みるが、ナルシシスティックなラストが惜しい。
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TVプロデューサー
山口剛
そっくりさん映画と思って見て打ちのめされた。静かな哀しみに満ちた映画だ。他人の人生を模倣するしか生きるすべのない男の悲劇が身に迫る。初監督のアルマンド・ボーはA・G・イニャリトゥの「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の脚本家と知り納得。他人の人生を生きるという意味では俳優も同じだ。自己回復に苦闘するマイケル・キートンと死を選ぶこの映画の主人公J・マキナニーはまさに表裏一体。エルヴィスファンのみならず全映画ファン必見の傑作。
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神様メール
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ダルデンヌ兄弟のリアリズムが独走した感のあるベルギー映画界に、ヴァン・ドルマルのような甘口の映画作家が存在してくれたのは幸いである。神の子キリストにじつは妹がいて、彼女は父親(つまり神)との折り合いが悪い。突拍子もない奇想からつむがれる喜劇はあくまでメルヘンの域にとどまるが、主人公を演じた少女の熱演は光る。ルビッチの名作「天国は待ってくれる」を彷彿とさせるシーンもあり、リアリズムと対極をなす幻想映画の魅力を臆することなく伝えてくれる。
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