- キネマ旬報WEB トップ
- ラウール・ウォルシュ
略歴 / Brief history
【“大統領暗殺犯”からアクション映画の監督に】アメリカのニューヨークのイースト・マンハッタン生まれ。父はアイルランド系、母はスペイン系。5歳下の弟ジョージは俳優となり、ラウール演出の「紐育の誉れ」(17)、「バワリイ(阿修羅街)」(33)に出演している。テキサス州でカウボーイとなるが、落馬して足を骨折。回復すると地元の劇団の舞台に立ち、その後巡業に参加し、1909年にニューヨークに戻る。カウボーイの経験を生かして西部劇の悪役俳優となり、やがてD・W・グリフィスの下で俳優、助監督として働く。グリフィスの「國民の創生」ではリンカーン大統領暗殺犯ジョン・ブースを演じて好評を得た。自伝でウォルシュは、グリフィスについて「映画製作の芸術について教えてくれただけでなく、製作進行のテクニックについても教えてくれた」と記している。師と同じく、彼もチーム・ワークを重視、同じ俳優、スタッフを使うことが多かった。15年、フォックス社でギャングスター映画“Regeneration”を監督。24年にダグラス・フェアバンクス主演のファンタジー「バグダッドの盗賊」を撮って認められた。28年の「港の女」では自ら出演、「懐かしのアリゾナ」にもシスコ・キッドの役で出演していたが、彼の自動車のウィンドウ越しに野うさぎが飛び込んできて、彼の右目を傷つけ、以来、アイパッチをつけることになる。30 にはジョン・ウェイン主演で70ミリ西部劇大作「ビッグ・トレイル」を撮るが、興行的には成功しなかった。【男性派アクション映画に手腕を発揮】39年からの3年間、ワーナー・ブラザーズで「彼奴は顔役だ」(39)、「大雷雨」(41)、「壮烈第七騎兵隊」「鉄腕ジム」(42)といった、男たちを描く作品で個性豊かな俳優たちを巧みに演出。41年には「ハイ・シエラ」で、それまで悪辣な悪党役ばかりを振られていたハンフリー・ボガートに、逃亡犯ではあるが人間味のあるキャラクターを演じさせ、彼がヒーローに転じるのに貢献した。またギャングスター映画で一世を風靡しながら、世間の批判をうけて裁く側に転身していたジェームズ・キャグニーに、「白熱」(49)で再び悪辣なギャングスターを演じさせ、迫真の演技を引き出した。無声映画時代はファンタジー、聖書史劇、重厚な人間ドラマを撮ったが、トーキー時代到来以後はギャングスター映画、西部劇、史劇、海洋劇、戦争映画とアクション中心の作品が多く、骨太の演出技法で評価された。
ラウール・ウォルシュの関連作品 / Related Work
作品情報を見る
-
ペルシャ大王
制作年: 1961旧約聖書のエステル書に取材してつくられた史劇映画である。「たくましき男」「裸者と死者」のラウール・ウォルシュが製作・監督を担当し、ウォルシュとマイケル・エルキンスが共同してシナリオを書いている。イタリア・ロケによって作られたためイタリア映画のスタッフが加わりマリオ・バーバが撮影を、フランチェスコ・ラヴァニーノとロベルト・ニコロージが音楽をそれぞれ受けもっている。ロケはローマの南45マイルのフォグリアノとナポリで大々的におこなわれた。出演するのは「賭場荒らし」のジョーン・コリンズ、「フォート・ブロックの決斗」のリチャード・イーガンをはじめデニス・オディア、セルジオ・ファントーニ、リック・バッタリア、レナート・バルディニなど。 -
裸者と死者
制作年: 195813ヶ国語に訳されたベストセラー、ノーマン・メイラーの戦争文学「裸者と死者」の映画化で、「愛欲と戦場」「南部の反逆者」のラウール・ウォルシュが監督にあたった。太平洋戦争中の南太平洋の孤島における米兵たちのおりなす戦場のドラマが描かれる。脚色はデニス及びテリー・サンダース兄弟。撮影監督を「太陽に向って走れ」のジョセフ・ラシェル、音楽はバーナード・ハーマンが担当した。アメリカ陸軍の協力によりパナマ地峡でロケーションが行なわれた。主演は「最前線」のアルド・レイ、「ピクニック」のクリフ・ロバートソン、「愛欲と戦場」のレイモンド・マッシー、「成功の甘き香り」のバーバラ・ニコルズ、「四十人の女盗賊」のリリー・セント・シア等。ウィリアム・キャンベル、リチャード・ジャッケル、ジェームズ・ベストなどの男優陣が助演する。製作はポール・グレゴリー。