記事
「てから始まるもの」の検索結果
(50件)
-
美の殿堂で “黒い絵” に迫る!高橋一生主演「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」本予告解禁
2023年3月27日荒木飛呂彦初のフルカラー漫画を、高橋一生をはじめとするドラマ『岸辺露伴は動かない』のキャスト・スタッフ陣により、パリでのロケを敢行して映画化した「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」が5月26日(金)より公開。相手を本にして生い立ちや秘密を読み、指示も書き込める特殊能力〈ヘブンズ・ドアー〉を持つ人気漫画家・岸辺露伴が直面する“最大の事件”の全貌を明かす本予告が解禁された。 青年期の露伴(なにわ男子・長尾謙杜)は、謎めいた女性・奈々瀬(木村文乃)に「この世で最も黒い絵って知ってる?」と語りかけられる。 そして現在、“この世で最も黒く、邪悪な絵”が引き起こした事件を追い、露伴(高橋一生)と担当編集の泉(飯豊まりえ)は美の殿堂ルーヴルへ。奈々瀬が残した「決して見てはいけないし、触ってもいけない」という言葉から、露伴は糸口を手繰り寄せていく。絶対的な黒が映すもの、〈ヘブンズ・ドアー〉で開かれた扉の先に待つものとは? 怪しさと美しさが渾然一体となり、ベールに包まれた露伴の過去と関わる事件の全貌がいよいよ明らかに──。 © 2023「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」製作委員会 © LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社 配給:アスミック・エース ▶︎ 高橋一生演じる岸辺露伴がパリでミステリーに挑む!「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」 -
数々の行定勲監督作に携わってきた伊藤ちひろが監督・脚本、坂口健太郎が主演を務め、不思議な力で人々を癒す青年の物語をマジックリアリズム的なタッチで綴った「サイド バイ サイド 隣にいる人」が、4月14日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほかで全国公開。ロング版予告映像と場面写真が到着した。 そこに存在しない“誰かの想い”が見える未山(坂口健太郎)。自然豊かな地で、恋人の詩織(市川実日子)とその娘の美々(磯村アメリ)と共に暮らしながら、人々を癒している。だが穏やかな日々は、「昨日、夢に出てきたの」という詩織の言葉で一変。暗がりに立つ未山とかつての恋人・莉子(斎藤飛鳥)が映し出され、ふたりの間に起きた事件が示唆される。 「あんたがほったらかしにしてきた過去だよね」と言う謎の男(浅香航大)と、何かから逃げる未山。また、「ひとりぼっちじゃない」に続いて伊藤ちひろ監督作への出演となった井口理(King Gnu)の姿も。そしてクボタカイの主題歌『隣』とともに、未山のさまざまな表情が切り取られていく──。未山の秘密が明らかになったとき、思いがけないラストが訪れる、切なくも美しい物語を見届けたい。 ©2023『サイド バイ サイド』製作委員会 配給:ハピネットファントム・スタジオ ▶︎ 坂口健太郎が傷ついた人々を癒す主人公、齋藤飛鳥ら共演。「サイド バイ サイド 隣にいる人」
-
名匠ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督が、アフリカからベルギーへ流れ着いた偽りの姉弟の過酷な運命と絆を描き、第75回カンヌ国際映画祭75周年記念大賞を受賞した「トリとロキタ」が、3月31日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほかで全国順次公開。著名人のコメント、漫画家マキヒロチのイラスト、トリとロキタが仲睦まじくするシーンの映像が到着した。 〈コメント〉(敬称略・順不同) 彼らを巻き込む社会の不条理は人間の仕業で、荒波の中でお互いを助け合おうとする心も、どこまでも人間らしい無償の愛だ。矛盾ばかりの現実に言葉を失うしかない。 悲しみを超えた2人の表情が忘れられません。 ──仲野太賀(俳優) 生きる事は かくも過酷で 切なく 尊いのか。 サスペンス、社会性、愛の物語、全てが超一級 ──天童荒太(作家) 映画を観た気がしません。 始めから終わりまで俳優ではない、生の人間が現場にいるかのような現実感です。 ──谷川俊太郎(詩人) トリとロキタ。互いを呼び合うその美しく切実な声に胸が締めつけられる。 安易な救いや楽観を拒絶する作り手の静かな覚悟を感じた。 ──早川千絵(映画監督「PLAN75」) 全員正しくて、全員間違ってる。 自分には、ただそれを見ることしか許されない。 「ロキタ」というトリのあの叫びだけが、いつまでも耳にこびりついてる。 ──尾崎世界観 (クリープハイプ) 愛の注ぎ方は冷酷だね。 自分や身内には容易だが、血が繋がっていない他人に同じ量は難しい。 正直それがほとんどの人間の常だ。それでもトリとロキタのような人たちはいる。 「そんな世界もあるんだ」で消化できない何かを焚き付けてきた。 ──川上洋平 [Alexandros] 強い絆で結ばれた偽姉弟の愛に、不条理に手を伸ばす社会の闇。 観ている僕らにも、冷たい現実を突き付けられる。 混沌とした時代にしっかり目を向けなければならない。 ──磯村勇斗(俳優) トリとロキタが共に走り、笑い、歌う、その全てが愛おしかった。 誰もその時間は奪えないはずなのに、奪われてゆく。 ダルデンヌ監督にこの映画を作らせた、「移民・難民が存在しないかのようにされている」ことへの怒りは遠い他国のことではなく、私たちのすぐ近くの日常にも深く繋がっている。必見の作品。 ──川和田恵真(映画監督「マイスモールランド」) あまりに理不尽で悲惨な状況にも、深い友情で対抗し、もがき続ける二人の姿に、胸が張り裂けそうで、鑑賞後はしばらく放心状態でした。 映画ファンだけでなく、全ての人が観るべき作品だと思います。 ──井之脇海(俳優) 手でつかめるほどの魂の昇華を感じる。 慰めも嘆きもいらない。 これは血の繋がらない姉弟による、小さな幸せの日々を描いた名作だ。 ──樋口毅宏(作家) 苛酷な現実の中で支え合うトリとロキタの逞しさが胸をうつ。 どこか遠い国の話とは思えない。思ってはいけない。 この物語の続きは、いまを生きる私たちに託されている。 ──豊田エリー(俳優) 難民ボートの上で出会った日から姉と弟になることを決め、お互いの存在だけを支えに生きているトリとロキタの姿に胸がしめつけられ、一瞬も目を離すことができない。 ──中島京子(小説家) 愛があれば大丈夫、なんて言葉は、 ダルデンヌ兄弟の映画には通用しない。 でも、観終わった時、彼らはいつも教えてくれる、 愛は美しいと。 偽りの姉弟の真実の愛に、心を抉られました。 ──中野量太(映画監督) 理不尽な世にもてあそばれる二人をスクリーンで隔てた安全な場所から見ていることに後ろめたさを感じながらも、一瞬たりとも目をそらすことができませんでした。 ──城定秀夫(映画監督) トリとロキタの願いはただひとつ。 ただ一緒にいたいだけ。 そのとき二人は本物以上に本物の姉と弟となり、真の家族となる。 しかし、そんなささやかな幸福すら二人には許されないのか? 形式的な善意、むき出しの暴力、そして何より私たち自身の無関心が、 支えあう二人を引き離そうとする── ──小野正嗣(作家) 自力で生きていこうとする難民の子供の過酷な生活はフィクションと思えないほど生々しく描かれています。肉親以上に互いを頼りにする姿に心を打たれます。 ──ピーター・バラカン(ブロードキャスター) 2人の若い俳優の存在感は映像にギリシャ悲劇の力強さを与え、彼らの生の軌跡は先進国の暗い現実を隈取り、切り裂く。これはダルデンヌ兄弟の到達点だ。 ──池田香代子(翻訳家) 「不法滞在」「犯罪者」というレッテルをはられ、人格を剥ぎ取られて伝えられる「ニュースの中の人々」。 映画なら、一人ひとりの命の輪郭に触れることができる。 トリやロキタのような存在に「出会う」ことができるから。 ──安田菜津紀(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト) ビザを得れず、不条理な生活を強いられる移民の友人を前に何も出来ずにいた自分を追体験しているかのようなリアルな描写に圧倒された。ぜひ多くの同世代に見てほしい。 ──山口由人(一般社団法人Sustainable Gameファウンダー) 現実1。弱い者がより弱い者を利用する。 現実2。弱い者がより弱い者と支え合う。 現実3。強い者は見えない。だが世界の構造を形作る。 ──望月優大(ライター) 今、こうしてこの作品を観ている自分は、 この中に広がっている世界と近いのだろうか、遠いのだろうか。 そうやって計測してしまう冷徹さを問う映画でもある。 ──武田砂鉄(ライター) これでは事実上の奴隷制ではないか。 空想の産物であってほしいと願いながら見たが、綿密なリサーチに基づいて描かれた作品だった。 この世に存在するであろう無数のトリとロキタを想像すると、息が苦しくなる。 ──想田和弘(映画作家) 「二人でいられればそれで幸せ」 恋人でも夫婦でもない二人からそんな気持ちを教えてもらい、ただただ幸せな気持ちになりました。 トリの写真を眺めながら食事をするロキタの姿を、劇場のみなさんで抱きしめてあげて欲しいです。 ──マキヒロチ(漫画家) [caption id="attachment_23170" align="aligncenter" width="1024"] イラスト:マキヒロチ[/caption] 到着した本編映像は、下校するトリと迎えにきたロキタを捉えたワンシーン。トリは“好きな人の絵を描く”という課題でロキタを描いたと伝える。だが見せられた絵は、髪型が実際と違っていた。その理由をロキタが尋ねると……。 トリ役のパブロ・シルズとロキタ役のジョエリー・ムブンドゥは、ともに演技初挑戦。5週間ほどリハーサルを行い、友情を深めていったという。ダルデンヌ監督は「トリは体は小さいが賢くすばしっこく動き回る。パブロはベルギーの高跳び大会で2位になるくらいのスポーツマンであり、聡明さも持ち合わせているため彼に決めました。対するロキタは背が高く、体は大きいが非常に繊細な女性。ジョエリーの背の高さと演技力で決めました。彼女は本来は明るく元気でしっかり者。リハーサルで徐々にロキタへと近づいていきました」と語る。 なお普段のジョエリーは、ウィッグでドレッドやアフロなどさまざまな髪型を楽しんでいるという。ふたりの演技とともに、心揺さぶる物語を見届けたい。 ©LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINÉMA - VOO et Be tv - PROXIMUS - RTBF(Télévision belge) Photos ©Christine Plenus 配給:ビターズ・エンド ▶︎ アフリカから流れ着いた “姉弟” の絆と運命。ダルデンヌ兄弟の新作「トリとロキタ」
-
脱サラして我流で映画監督に!? 斬新な演出プランが話題を呼んだ谷監督にインタビュー
2023年3月24日人生の選択をテーマに、大半が舞台上で繰り広げられる斬新な映画「追想ジャーニー」を手がけた監督は、生き方も考え方も破天荒な映画人だった――。昨年11月に劇場公開され、4月1日からU-NEXTにて配信がスタートする。 谷健二監督は斬新な演出プランを基に、3日間でこの長篇映画を撮り切った。今や映画は時代の最先端ではなく「エンタメの中でもマイナーの存在になる」と自嘲気味に語るものの、「総合芸術として映画以上のものはありえない」と、これからも面白いと思ってもらえる作品を目指して作り続ける覚悟だ。 映画の新しい未来の形を提案 ――「追想ジャーニー」は、48歳の売れない役者(高橋和也)が、18歳の高校生だったときの自分(藤原大祐)と出会い、人生の岐路でアドバイスをするうちに現在の自分と向き合うようになっていくという作品です。主人公と同じ40代の谷監督が自分自身を投影させた部分はあるのでしょうか。 谷 確かに初の長篇映画の「リュウセイ」(2013年)や、3作目となる前作の「一人の息子」(2018年)は、人生観を含めて自分とオーバーラップさせたところはあります。リアリティーがあって、ちょっと行間のある日本映画っぽい作品を目指したのですが、ただ今回は、どちらかというとエンタテインメントに振り切ってみようと思いました。 実はコロナ禍の真っただ中に撮った「元メンに呼び出されたら、そこは異次元空間だった」(2021年)という中編作品があって、スタッフもキャストも制限してコロナの影響を最小限に抑えて作りました。大きな稽古場で全部の撮影をこなしたのですが、あんなふうにワンシチュエーションでやるのも面白いなと思って。これまではロケ場所を変えた、いわゆる普通の映画を作ろうとしていたが、エンタテインメント性の高い映画を作ろうと思ったとき、ワンシチュエーションに絞ったら予算にも余裕が出て、様々な面でクオリティーを担保できると考えたんです。ある程度のスペースがあれば、いろんな方向から撮影できますからね。 ――そのスペースというのが演劇の舞台だったのですね。18歳と48歳の主人公は、舞台上に登場する幼なじみやクラスメート、後の妻らとのやり取りを通して、自分の過去、現在、未来について語り合います。 谷 最初は体育館のような大きな場所で撮ろうというだけでしたが、シェークスピアの「この世は舞台だ」という言葉を思い出して、舞台でやった方が面白いんじゃないかと思ったんです。参考にしたのは、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014年/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)辺りですね。舞台を観客席から撮った映像はありますが、舞台上からの映像となるとなかなかないんです。なので面白い画が撮れそうだなと思いました。 ――客席でも撮影していて、自分で自分の過去を観客のように見るというアイデアがいいですね。 谷 突っ込みどころはあるでしょうが、映画と舞台のいいとこ取りが出来ている気はします。撮影は3日間で終わったのですが、リハーサルはめちゃくちゃやりました。役者はまだ決まっていなかったので、インターネットで若者を7人くらい集めて、全部のシーンをなぞっていく。スタッフは僕一人でしたが、僕の頭の中では全部できているので、本番に臨むと撮影スピードが非常に速い。撮影現場で悩むのが一番無駄ですからね。おかげで劇場公開作品としては異例の短期間での撮影に成功しました。 映画との出逢い、そして映画監督へ ――「追想ジャーニー」の主人公は18歳のときからスターを夢見ていて、48歳の今も役者を続けています。谷監督自身、やはり若いころから映画監督を目指していたのですか。 谷 小さいころは「グーニーズ」(1985年/リチャード・ドナー監督)などハリウッド作品を好んで見ていましたが、中学は陸上、高校はサッカーと部活動に夢中で、全くといっていいほど見てなかったですね。生まれ育った京都府から山口県の大学に進んだのですが、そこでもサッカーを続けていて、将来はスポーツ関係の仕事にと思っていました。でもやっぱり無理だなとなって、それで何か映画関係の仕事をしたいという漠然とした思いで上京しました。当時見た「パルプ・フィクション」(1994年/クエンティン・タランティーノ監督)がめちゃくちゃ面白くて、こういう映画もあるんだ、と映画が大好きになっていたんです。 でも映画業界に入ると言っても簡単なことではない。技術も何もないし、自主映画の手伝いやエキストラに参加するくらいで、ふらふらしていました。で、25歳のとき、さすがにちゃんと就職しました。 ――その仕事の傍ら自主映画を撮るようになっていったのは、どういうきっかけですか。 谷 30歳のころ、ようやくまともな生活ができるようになって、そう言えば東京に何しに来たんだろうと思ったんです。そうだ、映画を作ろうとしたんだ、と思い出して、多少はお金に余裕があったので「コンティニュー」という短篇を撮りました。全くの自己流でしたが、それが黒澤明記念ショートフィルム・コンペティションにノミネートされるなどいいところまでいった。何だか楽しいなと思って、何本か短篇を撮った後、37歳くらいのときに初の長篇の「リュウセイ」を発表しました。このままサラリーマンをしながら2~3年に1本くらい映画を撮ることもできたのですが、何となく消化不良だなと思って会社を辞めて、独立して、といった感じです。 ただ映画のことなんか何も勉強していないですからね。自主映画を手伝ったことがある程度で、専門学校も大学も行っていないし、助監督もやっていない。すべて我流です。人生、甘く見ているので、これくらい撮れるんじゃないかなと思っていたんです。 多分、監督というのは、人生勉強をして人間に厚みが出れば誰でもできる。スタッフとキャストが優秀であれば、自然とできるはずで、そこに気を遣うことができるかどうかが生命線なんだと思います。映画が10とすると、0から1にするのが僕で、後は脚本家をはじめとしたいろんな人と話し合って作っていくといった感じです。 岐路に立った“映画”という表現形態に向き合う ――その後、映画だけでなくミュージックビデオや舞台の演出、映画雑誌『cinefil BOOK』の創刊と幅広く活動していますね。 谷 基本は面白そうな仕事が来たらやっているというだけで、営業もほとんどしたことがない。モチベーションとしてはお金を稼がないといけないので、今は手を変え品を変え、時代にどうマッチしていくかということを念頭にやっています。 映画は現在、2本ほど待機作があるのですが、これまでの実績から、普通に映画が撮れるというブランディングはできている気がします。映画でブランディングがきちんとできれば、ほかの仕事も舞い込んでくる。映画を営業ツールに業界をうまく渡っていきたいという思いが、ちょっとはありますね。 ――映画という表現形態は岐路に立っているという認識でしょうか。 谷 映画への特別な思いは、僕らの世代にはまだあるけれど、今の10代、20代にはもうないと思う。家にそれなりに大きなテレビはあるし、YouTubeやTikTokなどの短い動画に慣れた若い子は2時間も我慢できない。 さまざまなエンタメコンテンツがある中、一部の大作を除いて映画はエンタメとしてマイナーな部類に振り分けられるようになってきていると感じます。 ――でも谷監督が「パルプ・フィクション」に感銘を受けたように、今の若い人も映画体験で刺激を得ることは大切なのではないですか。 谷 例えばそれってアニメでいいんじゃないでしょうか。アニメはものすごく成長しているけれど、映画はそんなに成長していない。かつての若者が感動していた対象が、ミニシアター系の映画から別のものに移り変わってきたんだと思います。でも映画の魅力に取りつかれた我々は我々で出来ることをやるしかないとも思っています。 ――その谷監督が信じていると言う映画の魅力とは何なのでしょう。 谷 目で見て、耳で聞いて、頭で考えて、という物語を伴った総合芸術としては、映画以上のものはもう現れないと思います。また劇場の大きなスクリーンでひとつの物語を共有するという空気感も何事にも代えられないものだと信じています。 しかし、今の時代、映画とは、と大上段から振りかぶるのではなくて若い子に合わせるような作品も必要だし、撮影方法や宣伝方法も工夫していかなければならない。臨機応変に今をうまく生き抜くことがもっとも重要な気がしていて、試行錯誤する時代なんだと思う。自分自身、映画があることで意味のある人生になったし、今でも十分に感謝している。今後、その映画に少しでも恩返しできたらうれしいと思います。 ――「追想ジャーニー」は、まだまだ今後も視聴する機会がありそうですね。 谷 3月25日から東京・渋谷のユーロスペースで公開されるほか、3月27日には高崎映画祭でも上映されます。また4月1日からはU-NEXTで独占配信の予定です。この作品は映画館じゃないと、と構えて見るような映画ではなく、何も考えずに見て普通に面白いと思うので、ぜひ配信で気軽に見てほしいなと願っています。 取材・文=藤井克郎 制作=キネマ旬報社 谷健二(たに・けんじ):1976年生まれ、京都府出身。大学でデザインを専攻した後、上京して自主映画の制作に携わる。その後、広告代理店に勤め、自動車会社のウェブマーケティングを約9年間にわたって担当。2014年、長篇映画「リュウセイ」を監督したのを機に独立し、現在は映画だけでなくテレビドラマやCM、舞台の演出、映画本の出版と多方面で活躍する。主な作品は映画「U-31」(16)「一人の息子」(18)、舞台『ハイスクール・ハイ・ライフ』(22)『政見放送』(22)など。雑誌『cinefil BOOK』の編集長も務める。 「追想ジャーニー」 ●4月1日よりU-NEXTにて独占配信 ●上映情報 3月25日(土)~31日(金)ユーロスペースにて凱旋上映 3月27日(月)19:00~ 高崎映画祭にて上映(高崎芸術劇場) ▶公式サイトはこちら ●2022年/日本/66分 ●監督:谷健二 ●脚本:竹田新 ●撮影:今井哲郎 ●出演:藤原大祐、高橋和也、佐津川愛美、真凛 、髙石あかり、岡本莉音、伊礼姫奈、外山誠二、赤間麻里子、根本正勝、設楽銀河 配給:セブンフィルム ©『追想ジャーニー』製作委員会 -
新世代の香港映画2作「私のプリンス・エドワード」「縁路はるばる」、ポスター到着
2023年3月24日〈新世代香港映画特集2023〉として、批評・興行の両面で成功した2作「私のプリンス・エドワード」「縁路はるばる」が、5月19日(金)より新宿武蔵野館ほかで全国順次公開。ポスターが到着した。 「私のプリンス・エドワード」(原題:金都 英題:My Prince Edward) 注目の新人監督ノリス・ウォンの長編デビュー作で、アラサー香港女性の「偽装結婚」が題材。〈中国映画批評家が選ぶ中華圏映画〉で年間1位に選出され、金像奬で新鋭監督賞と音楽賞の2冠に輝いた。 監督・脚本:黃綺琳(ノリス・ウォン) 出演:鄧麗欣(ステフィー・タン)、朱栢康(ジュー・パクホン)、鮑起靜(バウ・ヘイジェン)、 金楷杰(ジン・カイジエ)、林二汶(イーマン・ラム)、岑珈其(カーキ・サム) 2019年/香港/カラー/シネスコ/93分/5.1ch/映倫G ©2019 MY PRINCE EDWARD PRODUCTION LIMITED. All Rights Reserved. Story 香港のプリンス・エドワード地区にある金都商場(ゴールデンプラザ)は、結婚式に必要なドレスや小物の購入、結婚写真の撮影依頼などが格安で済ませられるショッピングモール。ウェディングショップで働くフォン(ステフィー・タン)は、ウェディングフォト専門店のオーナーであるエドワード(ジュー・パクホン)と同棲中だ。ある日、エドワードにプロポーズされたフォンだったが、実は10年前に中国大陸の男性と偽装結婚し、その婚姻が継続中だと発覚していた。離婚手続きと結婚準備を同時に進めるフォンは、自身の心に無理強いしていると気づき……。 「縁路はるばる」(原題:緣路山旮旯 英題:Far Far Away) IT企業に勤める青年が、女性たちに会うために香港中を彷徨うラブコメディ。新世代俳優が伸びやかに演じ、金馬奨で助演女優賞にノミネートされた。沙頭角(Sha Tau Kok)、下白泥(Ha Pak Nai)、大澳(Tai O)、荔枝窩(Lai Chi Wo)、長洲(Cheung Chau)、茶菓嶺(Cha Kwo Ling)といった香港僻地への観光気分も味わえる。 監督・脚本:黃浩然(アモス・ウィー) 出演:岑珈其(カーキ・サム)、張紋嘉(クリスタル・チョン)、蘇麗珊(シシリア・ソー)、梁雍婷(レイチェル・リョン)、陳漢娜(ハンナ・チャン)、余香凝(ジェニファー・ユー) 2021年/香港/カラー/シネスコ/96分/5.1ch/映倫G © 2021 DOT 2 DOT CREATION LIMITED. All Rights Reserved. Story 内向的なITオタクのハウは、5人の魅力的な女性と知り合うチャンスを得る。彼女たちのタイプはバラバラだが、いずれも僻地に住んでいた。さっそく会いに出かけたハウは、香港中を巡ることに……。 公式サイト:https://enro.myprince.lespros.co.jp 公式Twitter:@enro_myprince 配給:活弁シネマ倶楽部