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  • 「きみ波」が語る『君の名は。』『風立ちぬ』への応答 (c)2019「きみと、波にのれたら」製作委員会 ◎6月21日(金)より全国にて 『きみと、波にのれたら』は、まるで水晶のように輝く印象を残す。透明で、澄んでいて、そして脆さを含んだ硬さを感じさせる。 これまでの湯浅政明監督は軟らかく、ダイナミックだった。今回の作品は、硬質で、静的だ。内包する時間感覚も異なる。『マインド・ゲーム』(2004年)や『夜は短し歩けよ乙女』(2017年)のような複線的な時間感覚も、『夜明け告げるルーのうた』(2017年)や『DEVILMAN crybaby』(2018年)のように世代を超えていく超人的なタイムスケールもなく、ただただ、今ここで経過していく時間を描くことに専念している。過去を探ろうとはするが、そこから現在まで時間は一直線に伸びるだけだ。寄り道をしようともせず。 本作の後半にはいかにも湯浅らしい大スペクタクルが展開されるが、それでさえ『マインド・ゲーム』の大脱出劇のように現実のポテンシャルを解放しバラけさせていくようなものではなく、むしろ地に足をつけるためのものである。昇天するべきものを天に昇らせ、まだこの世に残るものは硬い地面へと降ろすための儀式のようなのだ。 『君の名は。』『風立ちぬ』への応答 (c)2019「きみと、波にのれたら」製作委員会 本作は、死の領域を死の領域としてありつづけさせる。そして、そのことによって、自然と近年の二本の長篇アニメを思い出させる。 たとえば、スマートフォンに残るメモリーやデータは、二人の過去を明らかにできること。これは明確に『君の名は。』(2016年)に対する応答である。過去は決して捏造されたり消えたりしないと語るのだ。 また、『風立ちぬ』(2013年)に対する応答に思えるところもある。あの作品で、主人公の二郎は、最愛の人の死後、その死者に「生きて」と語らせる。自らの生に、死を呑みこんでいこうとするわけだ。一方で本作は、物語の終盤に、死者の声を突如として巨大に響かせる。その声が語るのは、「死ぬつもりなどなかった」「生きたかった」という純粋な願いである。死は死としてある。それを、生者は簡単に乗り越えることができない。そう本作は語る。 一度しかない生と時間 (c)2019「きみと、波にのれたら」製作委員会 だから『きみと、波にのれたら』は、とても真っ当なことを語る作品だとも言える―生は生であり、死は死である。いやむしろ、その真っ当さが、極限にまで高められていると言うべきか。プレス資料のインタビューによると、湯浅政明は「ひな子を波にのせてあげたかった」と語っている。本作が本当に驚かせるのは、この発言が、比喩的な意味を含んでいないということだ。ひな子は本当に、ただ波にのるだけなのだ。文字通りに、行為として。 つまり、湯浅は本作で、過去作と異なる新たな実験をしたといえる。それは、一回性のある生・時間を描くことである。その結果、「普通の」生活がキラキラと輝き始める。本作の最も感動的な部分は、「普通の」生活を描く前半―ひな子と港の恋人としての時間にある。愛し合う二人が過ごす、ごく当たり前の時間が、結晶化される。その尊さは、時間やフォルムをグニャリと変質させたりはしない、禁欲的な表現によって初めて可能になる。 湯浅はこれまで、アニメーションの多義的な性質を活用してきた。その性質によって、死を含む雑多なあらゆるものを包括し、呑みこんでしまおうとした。でも、今回はそのやり方に背を向ける。本作の水晶のようなイメージは、硬くて脆い、壊れたら取り返しのつかない私たちの生について語るのだ。 湯浅はそっと、ひな子を波にのせる。繊細な水晶でできたような切なく光り輝くその存在を、やさしく。それを変容させることなど、許されないと言わんばかりに。ただそこに、優しく存在させるだけの映像。本作で湯浅政明はまたしても、アニメーションの最先端を走ってしまった。   この記事は『キネマ旬報』7月上旬号に掲載。今号では『きみと、波にのれたら』の特集をおこなった。湯浅政明[監督]と吉田玲子[脚本]の対談や小島崇史[キャラクターデザイン・作画監督]、石岡良治、小野耕世らへの取材あるいは寄稿記事を掲載している。(文中敬称略) 文=土居伸彰/制作:キネマ旬報社   『キネマ旬報』7月上旬号の詳細はこちらから↓
  • 毎月リリースされる未公開、単館系作品の中から、「観たら必ず誰かに教えたくなる」作品を厳選してご紹介。劇場で見逃した作品や隠れた名作が多く並ぶレンタル店だからこそ出会える良作、小規模公開ながらの傑作など、様々な掘り出し映画との出会いを提供します!   7月リリース作品   役者陣&SABU監督の手腕に脱帽! 『jam』 バップより6月19日リリース (C)2018「jam」製作委員会 【STORY】 場末の演歌歌手・ヒロシ、意識が戻らない彼女のために善行を行って願いを叶えようとする男・タケル、ヤクザに命を狙われているテツオ。まったく違う生活をする3人だったが、ひょんなことから対峙することになり……。   【オススメCOMMENT】 異なる人生を生きる3人の男たちが同じ場所に居合わせたり、共通の人物が登場したりと、そのちりばめられた伏線と独特なスリルに終始釘付け。さらに好きな歌手を誘拐して自分のための歌を作らせる熱狂的なファン、裏切った仲間に復讐しようと金槌1つで暴れ狂う男など、数々の名作を彷彿とさせる描写もあり監督の映画愛を感じました。役者陣の演技も素晴らしく、中でも熱狂ファンを演じる筒井真理子の怪演ぶりは最高。物語も演技も全部ひっくるめて、観る価値ありの1本です!   犯罪で失ったものはあったのか 『ある女流作家の罪と罰』 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパンより7月3日リリース (C) 2019 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved. 【STORY】 かつてベストセラー作家だったリーは、家賃も滞るようなどん底の生活を送っていた。そんなある日、古書店で大女優の手紙が高値で売れたことから、様々な有名人の手紙を偽造しては売り歩き大金を手にするようになっていく。   【オススメCOMMENT】 態度は尊大で鼻持ちならず、モラルも乏しく、蠅でさえ死んでしまう汚部屋で寝起きをする、見るも憐れなニューヨーカー。そんな嫌悪と憐憫の境界線を縫うような絶妙な人物像を作り上げたメリッサ・マッカーシーに惜しみない賛辞を。いかにも都会的で小洒落たジャジーな音楽と、NY のビルの街並みや、そこに佇む古書店を巧みに切り取った画の醸し出すムードも心地よい。何より、罪を犯したことで人生を立て直していくことになる主人公の孤独と、ちょっとした出来心に共感を覚える快作です。   恋人まであともう少しの僕たち 『君の結婚式』 クロックワークスより7月3日リリース (C) filmK CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED 【STORY】 高校3年の夏、転校生のスンヒに一目惚れしたウヨン。スンヒをしつこく追いかけまわし、ついに恋人同士になりかけるが、スンヒは1本の電話を残して姿を消してしまう。1年後、ウヨンは彼女を追って同じ大学に入学するが……。   【オススメCOMMENT】 韓国で名作『建築学概論』の最速記録を塗り替え、動員200万人を記録した初恋ドラマ。パク・ボヨンとキム・ヨングァンが高校時代からの腐れ縁カップルを演じ、ふたりがくっついたり離れたりという、まるでお天気のような関係とやりとりがいじらしく、身長差30㎝もあるふたりの並んだショットは萌え以外の何でもない。“僕たち、もう少しで恋人だったね” というビターなメッセージが始終付きまとうのだが、10年もの間互いの人生に居続けた大切なひとり、というのも悪くないかもと思える。 邦題を決めた人のセンスに拍手 『孤独なふりした世界で』 ツインより7月3日リリース (C) 2018MARKED LAWNS LLC. 【STORY】 人類が滅亡した世界で生き残ったデルは、町で死体を弔い空き家を整理しながら生活していた。もともとひとりが好きだった彼は、孤独な生活を謳歌していたが、そこにもうひとりの生存者である、風変りな少女が現れる。   【オススメCOMMENT】 人々が滅亡した世界でひとり、死体を弔いながら生きる男・デル。淡々と孤独な日々を過ごす彼の前に、突然グレースという少女が現れるが、彼女と出会ったことで孤独な彼がある種の「人間らしさ」を取り戻していく光景は観ていて心地よい。そしてまるで世界が色付いていくように、全体的に暗かった景色に光が差していくような映像描写にうっとりする中、徐々に明らかになる彼女の秘密とある真相。その真相と彼らの行きつく結末を観たら、この邦題に納得すること間違いなしです。   あながち虚構とも言い切れない話 『コントロール 洗脳殺人』 ハーク/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントより7月3日リリース (C)2018 YAR PRODUCTIONS INC 【STORY】 ローレンは夫と共に、最新システムを完備した郊外の高層マンションに越して来るが、不思議な幻覚や幻聴に悩まされる。その原因を探る中でジャーナリストのバーノンと知り合った彼女は、ある謀略に巻き込まれたことを知る。   【オススメCOMMENT】 都市伝説化してしまった懐かしの「サブリミナル効果」が本作で復活。絵空事かと思いきや、実際にアメリカであった「MKウルトラ計画」をモチーフにしているからフィクションとも言い切れない。『バッファロー’66』の印象が強すぎて、本作のクリスティーナ・リッチの病んでる姿に戸惑い、ヒロインを助ける男を演じる、ジョン・キューザックの陰謀論に憑りつかれたヤベー奴感もアクセント。繰り出される洗脳映像の相当エグいところも気持ち悪く、とにかく不安感いっぱいにさせられます。   超保存版・女王の勇敢な生き様 『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』 KADOKAWAより7月5日リリース (C) VWI FILMS LTD 2018. All rights reserved. 【STORY】 2016 年ロンドン・ファッション・ウィーク秋冬ショーの前夜に、大切なコレクションを確認するデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッド。彼女は自分の指示と違う服の作りを指摘し、「見るも無残」と辛辣な言葉を放つ。   【オススメCOMMENT】 ヴィヴィアンの服は好きだけど彼女のことよく知らない、を100%満たす超保存版ドキュメンタリー。最初の夫と離婚した後に花開いたデザイナー人生、若者に熱狂的な支持を得て生まれた“パンク” など、デザイナーとしての紆余曲折や、初めは嘲笑の的にあった苦しい時期などを赤裸々に振り返る。環境保護活動にも積極的で、服だけならず行動でも毎日衝撃を与えてくれる彼女はまさに勇敢な女王。生産性を重視する仲間に「量より質よ!」とお怒りになる姿も今の時代だからこそ余計格好よく映る。   ■前回の誰シネ(6月リリースタイトル)はこちらから
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    2019年6月27日
  •   平成を代表するベストセラー時代小説家・佐伯泰英。1999年に時代小説に転向した佐伯は、今日までの20年間で、累計発行部数6500万部を誇る作品群を発表している。その初の映画化作品となる『居眠り磐音』が、令和になって初めて公開される時代劇映画というのも何かの定めだろうか。映えある一本目の主演を任された松坂桃李にとっても映画の時代劇主演は初挑戦。しかもこのタイミングでの出演には格別の意味があった。 デビュー10周年の節目に再び侍を演じ 「『侍戦隊シンケンジャー』でデビューした僕にとって、デビュー10周年の節目に再び侍を演じた作品が公開されるということには、とりわけ縁を感じます。一周回ってもう一度侍に戻り、この10年間を締めくくるような思いで臨みました」 特撮ドラマと時代劇を「侍」でひとくくりにしてしまう遊び心と大胆なセンス。それはどこか坂崎磐音の中にも息づいているようだ。磐音は優れた剣客であり、いざというときは容赦ないのだが、一瞬でヒーローに切り替わるというよりも、その境目さえもぬるっと越えてくるようなグラデーションにオリジナリティを感じる。鰻屋のバイトで少ない賃金しかもらえなくても、朝食付きだと嬉々として語る。世間に波風を立てるわけではないけれど、世間に惑わされることもなく、自分なりの価値観を持って生きている人だということが、松坂本人のキャラクターと重なって伝わってくるワンシーンだ。   時代劇のヒーロー像として新しいものを感じた (c)2019映画「居眠り磐音」製作委員会 「静と動の両面を持っているところが磐音の大きな魅力の一つだと思うので、その緩急は大事に演じたいと思っていました。ちょっと欠けている部分というか、自分がやるからには、そういった幅みたいなものをどこかで出せたらと心の片隅で思っていて。いわゆる武将というと、常に緊張感が漂っていて、剣を抜いていなくても殺されるんじゃないかという雰囲気をまとっているイメージが大きかったんですけど、磐音は剣を抜くまではそういう気配を一切感じさせず、むしろ周りに振り回されることのほうが多いんです。ただ、普段は物静かにしていても、守りたいものの存在がトリガーになって、一人の剣士になる。そこは時代劇のヒーロー像として新しいものを感じました」 「まるで眠っているような」と称される磐音の構えは「居眠り」たる所以だが、本作の殺陣を手がけたのは、松坂の出演した『劇場版 MOZU』でもアクションコーディネーターをつとめた諸鍛冶裕太。松坂は親しみを込めて「モロさん」と呼ぶ。 こだわって作り出した“磐音の構え” (c)2019映画「居眠り磐音」製作委員会 「今回はアクションというよりも、しっかりとした立ち回りをやっていきたいと、モロさんから言われたんです。磐音の構えというのは、原作の文章からだと具体的にどういう形なのかまではわからなくて、自分では想像もつきませんでした。でもモロさんが考えてくれた構えは磐音らしくて理にも適っているんです。その構えから目線を下に落として、相手にはこちらの動きを読ませず、相手は磐音の目が見えないから不気味な印象を与える。かつ常に相手の足元を目で追っているので、動線を読みながらいつでも動けるという、万能の構えなんです。剣を下げることによって一見脱力しているようにも見えますし、モロさんのおかげで本当に助けられました」 インタビューの続きは『キネマ旬報』5月上・下旬合併号に掲載。今号では「映画が映した昭和・平成の光と影」と題して、帝銀事件から東日本大震災まで平成最後の号で、昭和と平成に起こった事件・事故・現象を映画と共にふりかえる巻頭特集をおこなった。その他、『バースデー・ワンダーランド』はじめ、『轢き逃げ 最高の最悪な日』『ドント・ウォーリー』など最新作の特集も掲載している。 取材・文=那須千里/制作:キネマ旬報社    
  • (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 巨匠“ゴダール”を知る人物が語る、驚異の思考とは? 映画史に燦然と輝くシネアストにして生きた伝説、御年88歳を迎えるジャン=リュック・ゴダール監督の最新作『イメージの本』がいよいよ日本公開となる。(4月20日よりシネスイッチ銀座ほか全国にて) 現在はスイスのレマン湖畔ロールに住み、おいそれとは公の場に出なくなって久しいゴダール。映画史における神話的存在である彼は、その隠れ家のような場所でどのようにして映画を作っているのか? その実態に迫るべく、ゴダール本人を直接知る人物に登場願おう。パリ第3大学教授であるニコル・ブルネーズ。その大部分がアーカイブ映像から構成された「イメージの本」に「考古学者(archelogue)」とクレジットされている彼女が、今作で果たした役割とは? そして現実のゴダールとは、一体どんな人物なのか? 『イメージの本』との関わり (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 私が『イメージの本』に関わることになったのは、ゴダールの右腕であるジャン=ポール・バタジアから、アルベール・コスリーの著作に基づくジャック・ポワトルノー監督の映画『Mendiants et Orgueilleux(浮浪者と傲慢な人)』(1972年)のコピーを探すように依頼されたことがきっかけでした。この作品はかなり珍しく、ビデオはもちろん、デジタル化もされていませんでした。この仕事の後、ゴダール本人から正式に作品への参加を依頼されました。 2015年、ゴダールから頼まれたのは、以下の三点に基づいて映像や資料を集め、彼に送ることでした。 1.彼が必要とする正確な作品と資料(たとえば、マイケル・スノウ監督『中央地帯』1971年に関するもの) 2.彼が必要とするいくつかのモチーフを含む作品(たとえば、電車、戦争、革命闘争など) 3.「イメージの本」の企画にあたり、私にとって興味深いあらゆるもの ゴダールとの作業 (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 これらの作業を進めながら、パリとロールで何度か彼と会いました。2017年の5月、最初に編集されたバージョンを見た後、既存のアイデアを精査し、さらに映像を送り、こちらからいくつか新しい提案をしました。採用されなかった意見ももちろんありましたが、すべてのアイデアに選択の余地があり、考えを強要されることはほとんどありませんでした。『イメージの本』には、新たに撮影された映像と『ゴダールの映画史』(1988―98年)の映像が主に使われています。また、ゴダールがスマホで撮影したチュニジアやロールの風景、ファブリス・アラーニョにより撮影された映像も含まれています。 ちなみに、ゴダールが私の役割を「考古学者(archelogue)」と付けたのはちょっとした冗談です。ミシェル・フーコーやいかなる理論とも関係ありません。「資料係(documentaliste)」と言った職業的な語彙を使うことを避けたかったのだと思います。「イメージの本」のワンシーンで「Archéologues et pirates(考古学と海賊)」という文字が示されますが、「Pirate」という言葉が、ある種、私がした映像収集の仕事を暗示しているとともに、『ゴダール・ソシアリスム』(2010年)の協力者であり早世したジャン=ポール・クルニエの著作『La Piraterie dans l’âme(魂の中の盗み)』へのオマージュともなっています。 ゴダールという人間 (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 ゴダールとの共同作業は今回が初めてでしたが、彼の類稀なる知性はもちろん、その寛容さ、可笑しみが印象に残っています。彼は、決して気難しい人ではありません。彼の思考の速度に追いつくのに困難を抱える私たちがあまりにも凡庸な存在なのです。厳密さ、忍耐、創造性…まさに驚異的です。 びっくりしたのは、彼が作業に関わったメモやコラージュ、資料をすべて燃やしてしまうことでした。幸い、アラーニョがそのうちのいくつかの資料を保存しているようなので、いつかそれらが公開されることを期待しましょう。 また、映画制作の現場以外でも、彼の寛容さは並外れたものです。ある時、彼は、レバノン出身の女性監督ジョスリーン・サアーブの存在を知り、『イメージの本』で、彼女の『Les Enfants de la Guerre(戦争の子どもたち)』(1976年)を引用しました。そして、彼女が『Zones de Guerre(戦争地帯)』という写真集を出版するために1万ユーロを必要としていることを知ると、自身も決して裕福ではないにもかかわらず、その資金を援助しました。こうして写真集は、2018年12月に出版されました。その翌年の1月にサアーブが亡くなり、残念ながら二人が直接会うことはありませんでした。私が彼女に最後に会った時、彼女はゴダールへの献辞を書いていました。 歴史上もっとも偉大な映画作家 (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 ゴダールはこれまでも多くの映画作家―マルセル・アヌーンやダニエル・ジャエギなどの作品の製作、あるいはポスト・プロダクションへの援助をしています。同時に、政治的な問題にも支援をしています。そのような活動の全体像は未だ知られておらず、記録されてもいません。 多くの人にとってそうであるように、私にとってもゴダールは、歴史上もっとも偉大な映画作家です。彼のおかげで映画は、詩や哲学、絵画、文学に匹敵する芸術になり得ているのです。同時に、商業的にも、その実験的な内容にもかかわらず独自の地位を獲得しました。個々の作品はもちろん素晴らしいですが、常にもっとも自由で、さらなる先鋭性に向かう、その軌跡全体が評価されるべきでしょう。 ニコル・ブルネーズ 1961年生まれ。パリ第3大学映画・視聴覚研究科教授。映画史や映画理論を研究。美術史家ユベール・ダミッシュのもとで、89年にゴダールの「軽蔑」に関する博士論文を提出。専門は前衛映画で、96年より、シネマテーク・フランセーズで上映プログラムを担当している。著書に『映画の前衛とは何か』(邦訳・現代思潮新社)がある。   記事全文は『キネマ旬報』4月下旬号に掲載。今号では「ジャン=リュック・ゴダール 88歳が見つめる地平」と題して、ゴダールの新作『イメージの本』の表紙・巻頭特集をおこなった。菊地成孔×佐々木敦による対談やゴダール本人を直接知る人物へのインタビュー、エッセイなどを掲載している。(敬称略) 取材・文=槻舘南菜子/制作:キネマ旬報社   『キネマ旬報』4月下旬号の詳細はこちらから↓

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